第二百八十五話 怖くないように
「ほう、空間魔法の使い手だけでなく、4つの魔吸石とプリルの石までも持ち帰るとは……」
驚きと感嘆とが入り混じった声が部屋の中に響き渡る。その声を聞きながら、男は恭しく頭を下げた。
「ご満足いただき、恐悦でございます」
「いや、大いに満足だ。これで、手駒はそろった。……これで、世界が変わる」
「御意……」
満足そうな微笑みを湛えて頭を下げているのは、ミーダイ国からサツキらを連れ出したオクタだった。彼の前には薄いカーテンがかけられており、その奥には玉座に座る人物の影が見える。
「オクタ、よくやった。褒めてとらす。これで我が国が世界に冠たる国となる道筋が見えた。……ところで、ミーダイ国から連れてきた女どもは、どうじゃ?」
「はい、全く問題ございません。陛下の覇道をお助けするべく、教育してまいります」
「うむ。任せたぞ」
「畏まりました」
オクタは再び恭しく頭を垂れた。
同じ頃、タナ王国の国王宮殿の一室では、オージンが喜びを爆発させていた。
「サツキ見や! なんと美味しそうな果実であろう。これは食してよいのか? これもよいのか? これも? うわぁ! この床はフカフカじゃのう。薄暗かった我が屋敷とはエライ違いじゃ! 今日からこの部屋が妾のものになるとはうれしいのう。サツキ、よくぞ妾を連れて来てくれた! 褒めてとらすぞよ!」
体中からうれしさを表しながらオージンはサツキに向き直る。彼女はその様子を愛おしそうに見つめている。
「お気に召していただき、よろしゅうございました。されどひー様、これから我らは客人の扱いになります。これまでのお屋敷での自由は無くなります故、今まで以上にしっかりせねばなりませぬぞえ」
「わかっておる! わかっておる! ……したが、このようなよい国であれば、ハーギたちも連れてくればよかったのう……」
その言葉にサツキは寂しそうな笑みを浮かべる。確かに、この国に来たことで、オージンの警護をする者は誰もいない。オクタからはその点については心配ないと言われているが、やはり、ハーギたちは、自分と同様、オージンが子供の頃より警護を務めていた者たちだったのだ。しかも、彼女らは腕は立つが、対人関係能力が低い。それ故にサツキは彼女らに対して常に優位であり続けることができ、思い通りに動かすことができていたのだ。これから先は、自尊心を満たしてくれる相手がいない。果たして大丈夫だろうか? オージン様やオクタの自分への関心が薄れてしまわないだろうか……そんな不安が頭をよぎっていた。
だが、その一方で、彼女は何とも言えぬ解放感に満たされていた。もう、人の目を気にすることはない。自分を傷つける者もいない。気心知れたハーギたちとの別れは惜しいが、それを補って余りある余裕がこの国にはあった。
サツキは感動していた。タナ王国に着くや否や、そこには多くの兵士が控えており、そのまま彼女たちは国王宮殿に案内された。そして、国王であるタナ・カーシ・ヴィル自らが出迎えて、彼女らを大いに歓迎すると言ってくれたのだ。しかも、この豪華な国王宮殿に住まうことを許され、これからは、タナ王国で幸せを見つけるとよいとまで言ってくれたのだった。あまりのもてなしぶりに、最初はサツキも訝ったが、今後は王国魔術師として、この国の子弟たちに空間魔法を教えてやって欲しいと言われて、彼女は天にも昇る気持ちになった。
これからは平穏な日々になる……愛する人との幸せに満ちた生活がはじまるのだ……。そんな幸せの未来予想図をサツキが思い描こうとしたとき、部屋の扉がノックされ、静かに開いた。そこに立っていたのは、オクタと数名の女性だった。
「失礼します」
恭しく一礼をして彼は部屋に入ってきた。そして、優しい笑みを湛えながら口を開く。
「ひー様、いかがですか? お部屋は気に入っていただけましたか?」
「おお! 満足じゃ! オクタ、感謝するぞよ!」
オージンは満面の笑みで口を開いている。
「お気に召して頂いて、安心しました。先ほど、陛下からご命令がありまして、ひー様については、この国王宮殿において丁重にもてなせとのことでございました。そこで、これよりは、こちらのお二方、カワラザさんとムラカさんがひー様のお世話係を務めます」
「なに……? サツキは……?」
「ご安心ください。サツキさんも今まで通りひー様のお世話を務めます。ただ、ずっと一緒というわけにも……できますれば、サツキさんにもお休みをお与えください」
「な……なるほどの。サツキ、少しは休みゃ」
「はっ……」
サツキは戸惑いながら頭を下げる。そして、新しくオージンの侍女となったカワラザとムラカが、恭しく挨拶を述べる。
「これから我々が精いっぱい務めさせていただきます」
「うむ、よい。苦しゅうないぞよ」
そんな満面の笑みを浮かべたオージンを部屋に残し、サツキはオクタに案内されて、近くの別の部屋に向かった。
「おお……」
部屋に入った途端、思わず嘆息が漏れた。オージンの部屋と勝るとも劣らぬほどの豪華な部屋だったのだ。豪華なシャンデリアに天涯付きのベッド、風呂もトイレも完備した、至れり尽くせりの部屋だったのだ。
「今日からこの部屋を使ってよいと、国王陛下からお許しをいただいたのです」
「このような見事な部屋を……国王陛下には感謝の言葉もござりませぬ」
「国王陛下は、とても慈悲深いお方です。ミーダイ国の国王様や、クワンパック様と比べますと……雲泥の差じゃ」
その話を聞いてサツキは表情を曇らせる。オージンの父親であるクワンパックはさておき、帝様には、後ろめたい気持ちを持っているためだ。
「確かに……。父君のクワンパック様は、ほとんどひ―様に関心を示されなんだ。ですが、帝様は……。閉門を命じられたとはいえ、本来ならば死罪になってもおかしくはない妾を、お許しくだされた。あの、帝様の慈悲深きお心を裏切った妾は……。それに、無礼を働いたのが、あの、アガルタ王……。帝様とアガルタ王を敵にしてしまったのかと思うと、何やら胸騒ぎが致しますのじゃ。何とのう怖おうございます……ひゃっ!」
気が付けばサツキはオクタに抱えあげられていた。この細い体のどこにこんな力があるのかと思うほどに、オクタはサツキを軽々と抱えている。そして彼は、そのままサツキをベッドに寝かせ、耳元で呟く。
「では、僕が怖くないようにしてあげよう」
そう言って彼は唇を重ねてきた。サツキは静かに目を閉て、彼に全てを任せるのだった。
「……出奔ですか」
口を開いているのは、リコだった。俺は、シディーと共に帝都の屋敷に帰り、サツキとオージンがタナ王国に出奔したことを皆に報告していた。
「ああ。クワンパック家の家宝である魔吸石4つと、プリルの石とともに消えたらしい。どうやって消えたのかはまだわからんが、魔法陣を使った形跡がある」
「魔法陣でありますかー。それはまた、古めかしい……」
ゴンが驚いている。聞けば、魔法陣と言うのはとんでもなくコスパが悪いらしく、出発地点と到着地点に魔法陣の紋章を描かねばならないのはもちろん、少しでも間違えると発動しないものなのだそうだ。もちろん、かなりの魔力を必要とするのはもちろん、紋章が消えたり壊れたりしても発動しないし、紋章自体も複雑なうえにかなり多くの種類があるために、覚えるのが大変なのだという。
「どちらかと言うと、魔物を召喚するために使われていたスキルでありますなー。ただし、上位の魔物を召喚しようとすると、相当量のMPを使わねばならないでありますからなー。転移するにせよ、召喚するにせよ、手間暇がかかりすぎるスキルでありますなー」
「ただ、話に聞くと、黒い棒のようなもので魔法陣を描いていたという話もあるんだ。何か心当りはないか?」
「うーん、吾輩にはわからぬでありますなー。ここはおひいさまか、サンディーユ様に聞くのがよいかと思うのでありますー」
「なるほど、わかった。ちょうど空間魔法のことも気になっていたんだ。久しぶりに明日、おひいさまの所に行ってみようか」
次の日、俺はゴンを連れておひいさまの許に向かった。だが、それは、これから始まる厄介ごとの始まりでもあったのだった……。




