第二百三十四話 憧れの人
お見合いの当日、彼女は着慣れないフォーマルな服装に身を包んで、見合い会場の隣の部屋に控えていた。会場といっても、アガルタの医療研究所内であり、研究部屋の一室に机と椅子を運び込み、応接室のような体裁を整えているだけの、簡素なものだった。これは相手方の要望によるもので、ローニに気を使わせないための配慮だった。
当のローニ本人は、ブータンのキラのような民族衣装に身を包み、それが何とも着慣れないためにソワソワしていた。彼女も一人の女性である。やはり相手は気になる。憧れているあのお方のような、フサフサの金髪、抜けるような白い肌、パッチリした目をもった美青年。そして、やさしく、甘い声……。あの方のようなお人であれば、結婚を考えてもいい。自分を利用しようという野心がなく、研究に理解があり、自分だけを愛していただける方であればいい。
百歩譲って、見目の麗しさはそこそこでも構わない。ちゃんと定職を持って自立し、自分の生き方に誇りを持っている人であれば考える余地はある。女性に対しては優しく振舞い、ある程度、女性から人気のある男……。さらには、料理などができて、炊事、洗濯、家事万般が苦にならないのであればポイントは高い。贅沢は言わないが、おいしい料理を作ることができれば、なお結構だ。浮気などはもっての外。誕生日など、記念日をきちんと覚えていて、その都度都度にプレゼントなどをしてくれる程度で、十分だ。そんな男であれば、結婚を考えてもいい。そう、贅沢は言わない。
そんなことを考えていると、隣の部屋から、チワンと相手方の男と思われる男の話し声が聞こえてきた。
「……遠くからわざわざすみませんでした」
「いえいえ、こちらからお願いしたのです。私から出向くのは当然です」
……どうも、声は好みではないようだ。ちょっと年上? そういえば、相手の年齢を聞くのを忘れていた。ローニにしては珍しい手落ちだ。気になった彼女は、ちょうど壁の上に、灯り取り用にはめ込まれていたガラス窓から覗いてみることにした。よっこらせと棚の上に上り、部屋を覗いてみると、そこには驚愕の光景があった。
チワンと話をしているのは、頭がツルツルに剥げ、口ひげを蓄えた、壮年の男だったのだ。
「では、ローニを呼びますので、少々お待ちください」
チワンが隣の部屋の扉を開けて、入ってくる。その瞬間、ローニの絶叫が響き渡った。
「お断りします!!」
「ローニ、どうしたんだ?」
「イヤです! 私はイヤです!」
「いまさら何を言っているんだ! 相手に対して失礼だろう!」
「イヤです! お断りします! あんな人と結婚するくらいなら、死んだ方がマシです!」
取り敢えず来いと、無理やり連れていこうとにじり寄ってくるチワン。それを見て彼女は、思わず傍にあった実験用具を収納する長方形の缶を手に取って、ブン投げた。
それはチワンの顔をかすめて、隣の部屋に飛んでいった。その直後、カーンといい音がしたかと思うと、うわっ!と男の声が聞こえてきた。
「大丈夫ですか!」
チワンが隣の部屋に向かったスキに、ローニは転移していた。バカにしています。私とあんなつるっパゲのおじさんと娶わせようとしていたなんて……あんまりです……。彼女は泣きながら、転移した先であるリノスの屋敷に駆けこんだ。
「イタタタタ……」
「大丈夫ですか? 申し訳ありません、ウチのローニが、こんなものを投げまして……」
チワンは何度も頭を下げて謝っている。しかし、そんな彼に男は優しい声で話しかける。
「いいえ。お約束を頂戴しておきながら、遅れてしまいました。缶を投げられても仕方がありません」
「何を仰います! まだ約束の時間前ではありませんか!」
「いいえ。既に皆さんお揃いですから……。本来は私が一番先に来ていなければならないのです。申し訳ありませんでした」
頭を押さえながら起き上がったその男は、金色の髪を持つ、見目麗しい美青年だった。
「ジャイヴ、大丈夫ですか?」
心配そうにツルツル頭の男が寄ってくる。
「ええ、大丈夫です。先生、申し訳ありませんでした」
「全く……。申し訳ありませんでした。ペライン先生、大事なお弟子さんに怪我をさせてしまいまして……」
「いいえチワン殿、気になさらないでください」
「失礼します。何か大きな音が聞こえましたが、大丈夫ですか?」
ひょこっと部屋の中を覗き込んだのは、グラリーナだ。
「アラ、血が出ているではありませんか」
そう言って彼女は部屋の中に入り、ジャイヴの傍による。そして、彼の頭に優しく手を当てて、傷の様子を見る。
「ああ、どうぞ、お構いなく……」
「傷は……大丈夫ですね。これでしばらく傷口を押さえていてください」
そう言うと彼女は素早く懐から一枚の布を取り出し、それを口にくわえたかと思うと、ビリビリと破って手ごろな大きさにし、そこに何かの薬品をつけて男の額に当てた。
「これで化膿することはありませんから」
「ありがとうございます。あの……お名前をお伺いしても?」
「はい。こちらの研究所でお世話になっております、グラリーナと申します」
「あなたが、グラリーナさんですか……」
彼女はニコリと微笑むと、おっとりと会釈をして、部屋を出ていった。
そんなことは露知らぬローニは、帝都のリノスの屋敷で涙を拭っていた。ちょうど休日であったために、リコもメイも在宅であり、二人は話を聞きながら、彼女を優しく宥めたのだった。
「……ありがとうございます。いいのです。やはり、憧れている方がいるのに、他の男性と一瞬であっても結婚を考えてはいけなかったのです。これは天罰なのです。やはり私は、憧れている、あのお方との縁が深まるように努めるのです」
「まあ、初耳ですわ! ローニにそんな方がおられたなんて……。どのようなお方?」
リコは目をキラキラさせて、食い入るようにローニの顔を見る。
「まだ、数回しかお会いしたことがないですし、言葉を掛けていただいたのも数回ですが……」
「まあ、なんて素敵な話なのでしょう」
リコもメイも、ローニから初めて聞く恋話に興味津々だ。その憧れの人とは、ちょうどクリミアーナ教国の首都、アフロディーテで行われた公開質問会に行ったときに出会ったのだと言う。帝国の船の中で、たまたま彼女の耳にゴミが付いていたのを、さりげなく取ってくれたのが、その始まりだった。
「まあ、帝国のお方? それでしたら、兄に頼んで調べてもらうことができますわ。まだ、独り身でしたら、娶わせることもできますわよ?」
「いいえ、とんでもありません。そうしたことはあまりしたくはないのです。できれば、その……自然に再会したいのです」
「まあ、その気持ち、よくわかりますわ。自然に……。何かのパーティーで再会する、というのはどうかしら?」
「あ、いいですね、それ」
ローニの耳がピンとなる。
「それならばちょうどいいですわ。二週間後に、弟のヴァイラスが正式にグレモント家に養子に入って、公爵に序せられます。その時、お披露目のパーティーも開かれるのですわ。ローニ、あなたもおいでなさいな。あなたが来てくれるのであれば、私も安心してパーティーに参加できますわ」
「えっ? そんな……。いいのですか?」
「ええ、問題ありませんわ」
「あっ……ありがとうございます! ヴァイラス様が公爵に……。もう、王族ではなくなるのですね?」
「表向きはそうなりますわね。ただ、お妃にはワーロフ帝国の第一皇女を娶りますので、扱いはほとんど王族と変わりませんわ」
「え? お妃?」
「ええ。ヴァイラスの叙爵披露に合わせて、お妃の披露も行う予定なのですわ」
「うええええっ!?」
「あ、そんなに心配しなくてよろしいのよ? 確かに兄上をはじめ、帝国の主だった方が列席されますが、あくまで内々のパーティーですので、招待する方の身分は問われませんわ」
「ヴァ……ヴァイラス様……結婚されるのですか?」
「ええ。やっとですわ。弟も随分と浮名を流しましたが、ようやく年貢を納めることになりました」
「う……浮名って、ヴァイラス様はそのように多くの女性と交わっていたのですか?」
「そうですわね……。私が知る限り……。100は超えますわね」
「ひゃ、ひゃく!?」
「心配していたのです。いつの日か痛い目に合うのではと。ただ、別れ上手なのでしょうか、そうしたいざこざは一切なかったですわね。まあ、結婚するからには、もうお妃一人だけを愛していくべきですわ。先日、弟には私からキツく意見をしたところです」
「ハ……ハハハハハ……」
「ところで、ローニの憧れのお方のことを聞かせていただけまして? お名前は? お年は? どのような特徴をお持ち? 背が高いとか、ホクロがあるとか……。聞かせてくださいな」
「ありがとうございます……。大丈夫です……。そのような所には……。私はこれで、失礼します」
ローニは脱兎のごとく屋敷を飛び出して、自分の部屋に転移していった。そして、彼女と入れ替わるようにして、リノスが屋敷に帰ってきた。
「え? ローニ帰っちゃったのか? 何? お見合い断ったのか!?」
「ええ、随分と年上の方だったようで……」
「何だよー。決めるって言っていたから、サプライズでローニの新居を作ってもらうようにゲンさんに頼んできたところだったのに……。3LDKの一戸建てだぞ? しかも、子供が生まれるのを想定して、二階を建て増せるように頼んできたのに……。しかも、備え付けの家具付きなんだぞ? どうすんだ、あれ?」
ブツブツと呟くリノスに、リコは優しく諭すように声をかける。
「まあ、ローニにはあこがれの人がいるそうですわ。そのお方と話がまとまりましたら、そのお家をプレゼントすればいいのですわ」
「ええっ? そんな男がいたのか? 何だよー。ローニも隅に置けないな」
そう言って、リノスとリコは笑いあったのだった。
「……ううう。ヴァイラス様が結婚って。ひゃくにんって……。うえぇぇぇぇーーーン」
その夜、ローニは久しぶりに涙で枕を濡らした。
二週間後、ローニはリコの説得に負けて、ヴァイラスのパーティーに参加した。憧れの人についての話は、研究が忙しいと、まるで子供がつくようなウソをついて何とか躱したのだった。彼女は、もし、ヴァイラスのお妃さまが残念な仕上がりであった場合は、チャンスが訪れるかもしれないという一縷の望みを捨てきれずにいたのだった。
しかし、彼女はお妃様を見て、腰が抜けるくらいに驚いた。絶世の美女だったのだ。その姿を見た瞬間に、完全敗北を認めざるを得なかった。そしてその夜、彼女は再び枕を涙で濡らした。
しばらく落ち込んでいたローニだったが、リコの往診に赴いた時に、リノスが娘たちに言った何気ない一言を聞いて、何とか立ち直ることが出来た。それは、二人の娘を抱っこしながら、リノスは娘の顔に自分の顔をスリスリしながら言っていた、こんな一言だった。
「エリル、アリリア。ママみたいに優しい女の人になるんだぞー。優しい女の子の所には、白馬に乗った王子様がお前たちを迎えに来てくれるんだぞー」
「いやー。とうたんがいいー」
「とうたんがいいー」
「そうか~! エリルー。アリリアー。ずっと、とうたんの傍にいておくれー」
それ以降ローニは、いつの日か自分にも、白馬に乗った王子様が迎えに来てくれると信じるようになった。
ちなみに、ローニとお見合いをする予定であったジャイヴは、グラリーナに一目ぼれをしてしまい、彼女への猛アタックをかけるようになった。その努力は実を結び、二人はそのまま結婚するのだった。後にジャイヴ自身もアガルタ研究所に勤務し、夫婦で数々の実績を上げていくようになるのだが……。それはまた、別のお話。
なお彼は、浮気は一切せず、ひたすらグラリーナを愛し続けて、二人は人もうらやむおしどり夫婦になっていくことを特筆しておく。彼はローニの理想に限りなく近く、家事万般は苦にならないために、グラリーナの帰宅が遅くなるときには嬉々として料理と洗濯、掃除をする男であった。そして、休日には彼女に腕によりをかけた料理を振る舞うなど、働く女性にとって理想的な男であり、ローニは後に心から後悔することになる。しかし、そんな彼女にも一応、春は訪れるのだが……。それもまた、別のお話。




