第百六十四話 公爵は、捕らぬ狸の皮算用がお好き
ラマロン皇国宮殿の長い廊下を、一人の若者が颯爽と歩いている。一切の迷いを感じさせないその足取りからは、男の満ち溢れた自信と、確固たる意志を感じ取ることが出来る。
廊下を歩いているのは、ラマロン皇国軍統括司令官である、ケーニッヒ公爵である。その彼の歩みを、まるで邪魔をするかのように背後から声がかかる。
「待て!ケーニッヒ!」
彼は立ち止まる。そして、眉間にしわを寄せたまま、ゆっくりと声のする方を振り返る。そこには、カリエス将軍とアーモンド司令官、そして、その他の軍司令官が全員顔を揃えていた。
彼らはゆっくりとこちらに向かって歩いて来る。そしてその後ろを、巨体を揺らしながら、人が歩く速度と同じ速さで宰相のマドリンが走ってくる。
「一体どういうつもりだ、ケーニッヒ?」
歩きながらカリエス将軍はゆっくりと、落ち着いた声で問いかける。しかし、ケーニッヒはそれに対し、鼻で笑って答える。
「どういうつもりとは、仰る意味がわかりませんね」
「公爵様・・・何故・・・勝手にクリミアーナ教から支援を受けたのです」
宰相のマドリンが息を切らしながら問いかけてくる。
「それを説明する必要はない。食料が足りないから、ある所から支援してもらった。それだけです」
ケーニッヒは踵を返して、その場を離れようとする。
「お待ちください!あのクリミアーナ教が何の見返りもなく動くとは思えません!せめて、どのような条件で食料を支援いただいたのか、それだけでも教えてもらいたい!」
マドリンの大きな声が耳ざわりだと思いながら、ケーニッヒは面倒くさそうに振り返る。
「ジュヴアンセル教皇聖下のお孫様を、我が妻として迎えることにしたのです。さらには、教皇聖下の甥御様に当たられるカッセル様を陛下のご養子として迎えるのです」
「妻・・・とは。奥方のジェリファ様はどうされたのですか?それに、陛下にご養子を迎えるなどと、そんな話は、宰相たる私は聞いておりませんぞ!」
「私が、皇太后陛下と皇帝陛下に奏上しましたところ、即座にお許しがでましたので、そのようにお返事をしたまでです。妻は離縁しました。結婚して三年。子供が出来ませんでしたからね。いい機会でしょう。もうよろしいですか?それでは、準備がありますので、私は失礼します」
「準備?ケーニッヒ、一体いつアガルタに攻め込のだ?」
カリエス将軍が頓狂な声を上げる。それに対し、ケーニッヒは目を丸くして答える。
「いつ?すぐに決まっているでしょう!今からでも出陣したいくらいだが・・・。まあ、いろいろと準備もありますから、早くても一週間から十日後には出陣します」
ケーニッヒはカリエスの後ろに控えている司令官たちに視線を送る。
「あなた方も、そのつもりで準備にかかってください!」
そう言ってケーニッヒは再び、颯爽と歩き始めた。宰相のマドリンは深い息を吐きながら前かがみになった。
「何ということを・・・。公爵様は、皇国をクリミアーナ教に支配させるおつもりか・・・」
「・・・なるほどな。ケーニッヒは、以前からクリミアーナ教が我が皇国と誼をさらに深めたいと望んでいたのを利用したのだな。確かに、ケーニッヒは皇帝陛下のご一族に連なる者。奴との婚儀は、クリミアーナ教からすれば願ったりかなったりだろう。これで奴はさらに強力な後ろ盾を得ることになるな。しかし、陛下にご養子を迎えるという話は解せぬ・・・。なぜそこまでするのだ?皇太后陛下も皇帝陛下も、なぜそんな話を許可したのだ・・・?」
カリエス将軍は、顔を強張らせたまま、ケーニッヒが歩いて行った廊下をじっと見据えている。
「・・・いずれにせよ、皇国は、クリミアーナ教の干渉を受けることになる。教会は・・・そんなに甘い連中ではない」
呆然とした表情で、マドリン宰相は呟く。
「宰相殿、それは、ケーニッヒの作戦が上手くいったらば、の話だ」
「何?将軍はまさか・・・公爵様の作戦が失敗するとでも・・・?」
「いや、そうならねばよいなと思うだけだがな。ケーニッヒも十分に作戦は練っているのだろう。私は、皇都を守りながら、戦いの趨勢を見させてもらうとしよう」
一人納得したようにうなずくカリエス将軍。その時宮殿内に、春の暖かな風が吹き込んでくるが、マドリン宰相以下、そこに集まった者たちには、その温もりを感じる余裕はなかった。
数日後、ラマロン皇国の宮殿内では、華やかな舞踏会が開かれていた。皇太后と皇帝が隣席の下、きらびやかに着飾った貴族たちが会場を埋め尽くしている。彼らは実に楽しそうだ。それもそのはずで、この場において皇国がアガルタ国に再度侵攻することと、その総司令官には、ケーニッヒ公爵が就任すること、そしてさらには、ケーニッヒの結婚と皇帝陛下に養子を、クリミアーナ教の教皇一族から迎えることが発表されたのである。
集まった貴族たちは、皇国の勝利と、その後の繁栄を疑わなかった。皇帝からは、この度の婚儀と養子縁組の祝いの一つとして、クリミアーナ教の教皇から十分な食料の支援が得られたと発表されていた。食料さえあれば皇国が負けるはずがない。誰もがそう信じていたのだ。
この舞踏会の主役はケーニッヒだった。彼は波のように押し寄せる貴族たちの挨拶を、満面の笑みで受け続けた。その一方で、これから先、どの貴族が自分の派閥に加わり、役に立ちそうであるのかを見極めることも、彼は忘れなかった。
舞踏会が一段落した頃、ようやく彼は休息をとることが出来た。彼は副官として務めている部下が差し出す飲み物で喉を潤しながら、ため息をつく。
「さすがは貴族の連中は鼻が利くね。今まで見向きもしなかった者たちが、しっぽを振って私に近づいてくる」
「それは仕方ありません。司令官殿は何といっても、クリミアーナ教皇聖下のお孫様を妻に迎えられる御方なのです。世界最大の宗教組織であるクリミアーナ教が背後にいる御方ですから、それは貴族たちも近づきになりたいと思うのは、当然のことです」
副官の男は、姿勢を崩すことなく、言葉を続ける。
「しかし、本日の催しには、閣僚と軍関係者が一人も参加しておりません」
「ああ、放っておけ。どうせ私に対する当てつけだろう。出陣の準備が忙しいとか何とか言って来ないというのは、まあ、彼ららしいじゃないか」
ケーニッヒはニヤニヤと笑いながら、グラスの中の飲み物を見る。
「他の司令官殿や閣僚らはやはり、教皇聖下のご一族を陛下のご養子とするのが、納得いかないようです」
「フフフ。カッセル様は御年8歳だ。カッセル様おひとりでは何もできないだろう。そこを上手く皇国側に取り込むのだ。当然、私の妻も、な」
「なるほど・・・それを聞いて安心いたしました。私のような凡庸な者では、思いもつかない戦略でございます」
「カッセル様は、まずは皇太后陛下のお側にお迎えする。そこで陛下直々にご養育をいただくのだ。妻は当然私が教育する。この二人からの要求は、さすがの教皇も首を縦に振らざるを得ないだろう。クリミアーナ教を取り込めば、皇国は労せずして、世界一の国家となる。フフフ、実に効率的だろ?」
「実に、お見事な戦略です。脱帽でございます」
副官の男は恭しく一礼する。その時、部屋の扉がノックされ、一人の男が入室してきた。それは、クリミアーナ教のアリスガードだった。ケーニッヒは椅子から立ち上がって、この男を大きく両手を広げて、大仰に出迎える。
「おお!これはアリスガード司教!なかなかごあいさつにも伺えず、失礼しました」
アリスガードは柔和な笑みを浮かべている。
「いえいえ。本日の主役は公爵様。こうした催しでは動けぬこともあるでしょう。その点は十分理解しておりますから、どうぞお気になされずに」
「いや、そう言っていただくと、助かります」
「私は明後日、クリミアーナ国に向けて出航いたします。本日、陛下から公爵様とヴィエイユ様の婚儀を発表していただきました。私は一刻も早くこの知らせを、教皇聖下にお伝えしなければなりません。婚儀の日取りは、討伐が終わってからになろうかと思いますが、吉報をお待ち申し上げております」
「ええ、首を長くして待っていてください。おそらく、アガルタの討伐は、時間はかからないかと思います。遅くとも、春が終わるまでには、アガルタ占領のお知らせすることが出来ると思います」
「さすがは、皇国の柱石と言われるお方。何と頼もしい」
「今後とも、皇国と、このケーニッヒをよろしくお願いいたします」
「こちらこそ」
二人の男は、笑顔でお互いの両手を握り合った。
二日後の朝、ケーニッヒは、意気揚々と皇国軍騎馬隊を連れて皇都を出た。それを見送る民衆の声と、軍楽隊が打ち鳴らす音は、広い皇都中に響き渡っていた。その喧騒の中、皇都防衛を任されたカリエス将軍は、宮殿の一室から静かにこの出陣を見送っていた。そして、別の部屋では、宰相のマドリンも、この出陣を不安そうな顔で見送っていた。
この皇都の盛り上がりは、出港しつつある船でも聞くことができた。その喧噪を聞きながらアリスガード司教は、ゆっくりと遠くなりつつある皇国の宮殿を見つめていた。
「我が主よ、我らに恵みを与え給え。そして、悪を、滅し給え・・・」
アリスガードは天を仰ぎ、主神、クリミアーナに敬虔な祈りをささげるのであった。




