第百五十六話 感動の再会
リコが居る離れに入ると、赤ん坊の泣く声が聞こえる。ずいぶんと大きな声だ。
「さあ、どうぞ」
ローニが部屋のドアを開けようとする。
「ちょっと待ってくれ!」
「どうされました?」
「結界を張るから、ちょっと待ってくれ」
「け、結界ですか?」
「ほら、赤ん坊に俺の雑菌がうつったらだめだろ?手も洗ってないし・・・」
ローニはにっこりと笑う。
「そうですね。一応、その点は万全を期していますが・・・。結界を張っていただくと、さらに安全かもしれませんね。それでは、お願いします」
そして、結界を張り終えた俺は、ローニの案内で部屋に入った。
部屋の中は、最初にリコを連れて来た時のままだった。とても清潔で、整理整頓されていた。昨日、部屋の前で聞いた、リコの絶叫にも似た叫び声があったのを微塵も感じさせない。その部屋は白い布にくるまれた、赤ん坊の大きな泣き声で満たされていた。
リコはかなりやつれていたが、赤ん坊を幸せそうな顔をして抱いていた。俺はゆっくりとリコのベッドに近づく。
「リコ・・・」
「リノス・・・生まれましたわ」
「ありがとう。よく・・・やってくれた・・・ありがとう・・・」
何度も何度も涙を拭うが、涙がとまらない。リコの肩に手を置きながら俺は涙をぬぐい続ける。
「リノス・・・。泣いていないで、子供の顔を見てあげてくださいな」
リコから赤ん坊を手渡される。恐る恐る抱いてみると、予想以上に軽い。相変わらず大きな声で、腕の中でウゴウゴと動いている。
「元気な子だな。ちょっと・・・大きいか?」
「はい。かなり大きな赤ちゃんだと思います」
ローニがフォローを入れてくれる。
「ローニ、ありがとう。ご苦労様でした。ローニのお陰だ」
「いいえ。私はただ、お手伝いをしただけです。本当に頑張られたのは、リコレット様です。そして、ルアラさんとペーリスさんに、本当によく助けていただきました」
俺は子供を抱きながらルアラとペーリスを探す。彼女たちは部屋の入口の近くで、椅子に座ってグッタリとしていた。彼女たちもやつれているが、その顔には笑顔が浮かんでいる。
「ご主人様、おめでとうございます」
「本当に、よかったです。おめでとうございます」
「ルアラ、ペーリス。本当にありがとうな。お前たちのお陰だ。ありがとう」
ルアラもペーリスも、互いに笑顔で顔を見合わせている。
俺はゆっくりと赤ん坊の顔を見る。そして、思わず吹き出してしまった。それと同時に、涙が頬を伝う。
「どうしたのです?リノス?」
泣きながら笑っている俺を見て、リコがちょっと驚いている。
「この子はもしかして・・・女の子か?」
「はい、元気な女のお子様です」
ローニの声が俺の背中越しに聞こえる。
「リノス・・・ごめんなさい。男の子を生みたかったのですが・・・」
リコはしょんぼりと項垂れる。
「いや、いい。いいんだ。二人とも無事ならいいんだ。娘か・・・。華やかでにぎやかになるな」
そう言いながら俺は赤ん坊をリコに返す。母親に抱かれた赤ん坊は、安心したように手をキュッと握りしめたまま大人しくなり、パクパクと口を動かし始めた。
「リノス・・・この子の名前を決めなければいけませんわ」
「そうだな」
俺は再び赤ん坊の顔を覗き込む。しわくちゃの、まるでお猿さんのような顔だが、何故か眉間に一本、シワが刻まれている。俺はこの赤ん坊に鑑定スキルを発動させる。
「やっぱりな・・・」
「どうしたのです、リノス?」
リコが不思議そうな顔をしている。俺は笑顔を浮かべながらリコを見る。
「名前は、決まったよ」
「まあ、どんな?」
「エリルだ」
「エリル・・・。リノスが奴隷時代に剣術を教えていただいていた方のお名前・・・?」
「ああ。以前、エリルお嬢様が俺の夢に出てきたんだ。そして、俺を守ると言ってくださったんだ。その直後にリコが懐妊した。この子はきっとお嬢様の生まれ変わりだと思うんだ」
「バーサーム・ダーケ・エリル・・・。ウフフ、とってもいい名前ですわ」
リコは満面の笑みを浮かべて子供を見ている。眉間に刻まれた一筋のシワ、目を閉じた時にキュッと上がる眉毛。そして、生まれながらに持つ「剣術LV1」のスキル。きっとこの子は、エリルの生まれ変わりだと、俺は確信した。
「おかえりなさいませ、エリルお嬢様」
俺は赤ん坊に向かって、小さく呟く。その言葉に安心したかのように赤ん坊は、スヤスヤと寝息を立て始めた。
◆ ◆ ◆
「・・・妃殿下! お逃げください! 妃殿下!!」
「逃げよ! せめてそなただけでも逃げよ! 生まれてくる余の子供を守るのだ!」
ヒーデータ帝国の宮城内にある館において、反乱が勃発していた。反乱軍はその館の主人を侮り、皇帝が留守になる絶妙なタイミングを見計らい、周到な計画を立てて作戦を実行に移した。完全に虚を突かれた形となった館は、少ない手勢での迎撃を余儀なくされていた。
「ムダですわ。この屋敷は完全に包囲されています」
「それでは、地下の転移結界に!」
「おそらく、それも破壊されているでしょう」
ふっくらとしたお腹を撫でながら、妃殿下と呼ばれる女性はゆっくりと椅子から立ち上がった。
「そなたは・・・なぜそんなに落ち着いていられるのだ。怖くは・・・ないのか?」
顔を引きつらせながら、館の主人は声をかける。女性はため息をつきながら、ゆっくりと周囲を見回す。
「ですから、警護を怠らないようにと申しましたのに・・・。まあ、こうなっては仕方ありませんね。やるしかないでしょう」
「やるって・・・何をだ?」
「決まっています。戦うのです」
「なっ、バカな! 外にどれだけの兵が居ると思っているのだ! おそらく500はいるのだぞ?」
女性は目を閉じて何かを考えている。一瞬の静寂が部屋に訪れ、そして、彼女はゆっくり目を開ける。
「うーん呪いが付いてしまうわね。お父さんにお願いしないといけなくなるわね・・・。ママに怒られるのは確定ね。でも、これはしょうがないわね。カルン、あなたはこの部屋にある、すべての剣を持ってきてちょうだい」
「そなたは・・・本当に戦うつもりか?」
「当然ですわ。幸い、この部屋は一切の魔法が通じない結界が張られています。この部屋にいる限り、負けることはありませんわ」
「妃殿下、持ってまいりました。部屋にあるのは……これだけです」
カルンと呼ばれた侍女が、六本の剣を抱えるようにして持ってきた。
「こんなにもあったのね。十分だわ」
そう言いながら女性は、その内にあった愛用の剣を手に取る。そのとき、鎧兜に身を固めた兵士が部屋に乱入してきた。
「皇太子殿下と妃殿下とお見受けいたします。お命を・・・ぐええ!」
最後まで言葉を言わせることなく、妃殿下と呼ばれる女の剣は、兵士の喉笛を突いていた。その直後、周囲にいた兵士が一瞬のうちに斬り伏せられていた。
「……さすがはホーリーソード。切れ味が抜群ね」
女性は周りに転がる死体に目もくれず、剣の刃こぼれを確認していた。そして、兵士の叫び声を聞いて、さらに多くの兵士が部屋に乱入してくる。
「殿下、私の後ろに下がっていてください。動いてはなりませんよ?」
チラリと後ろを振り返りつつ、女性の剣が目にも止まらぬ速さで振り抜かれ、一瞬のうちに兵士たちは命を奪われた。
この夜、反乱軍はたった一人の女性によって壊滅させられた。乱の首謀者は、体を鎧兜ごと一刀両断にされるという、凄惨な死を迎えたのだった。
「暁の乱」と呼ばれたこの反乱を鎮圧したのは、ヒーデータ帝国皇太子の妻であった。このとき、返り血を浴びて真っ赤に染まった服を着ていたことから、その後、彼女は「鮮血の妃」と呼ばれ、歴史にその名を残すことになる。その名をエリルと言った。
彼女は後に、ヒーデータ帝国第十六代皇帝、ヒーデータ・シュア・アローズの皇后となり、帝国史上最強の皇后と呼ばれるのだが、それはまだ、数十年後のことである。
まさかこの赤ん坊に、そんな未来が待ち受けているとは、このときのリノスもリコも、知る由もなかった。




