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【 第一幕 9 】

「ふざけんなよ。じじい」

 突然、それまで平然としていた鬼頭様が八尾狐(はちびきつね)に近づきながら怒鳴り始めた。一瞬前とは別人のような変化に、俺は止める事も出来ずに彼が足を進めるのを許してしまった。

「おいっ、坊や」

「邪魔するな」

 肩を掴み止めようとした黒さんの手も、簡単に払い除けられる。黒さんはくだらない意地を張って、と言うように肩を竦め溜息を吐いたが、それ以上行動しようとはしなかった。だが、俺は黙って見ているわけにはいかない。くだらない意地で鬼頭様を危険な目にはあわせられない。

「事実を知る事すら断るってのか」

 怒りに我を忘れているのか、鬼頭様は大股で歩いていく。向かう先には八尾狐。白さんをあっさりと打ち負かしてしまった相手。ただの人である鬼頭様が無防備に対峙して良い相手じゃない。

 黒さんは当てに出来ない。白さんは居ない。俺が止めなくては。

「坊や、黙って」

 体当たりでも何でもして鬼頭様を止める。そう勢い込んだ俺の耳に、不意に聞こえた声。それは間違えようもない白さんの声。俺は咄嗟に立ち止まり、打ち捨てられていた白猫に目をやった。

 魂の輝きのなくなった白猫の身体は既に床から消えていが、黒さんが何かを抱き抱えているのが見えたから、空の身体はそこにあるのかもしれない。だが、声がしたのはそこからではない。

「余計な口出しはしない。そう約束した筈よ、坊や」

 白さんの声と同時に、鬼頭様が動きを止める。それは何かに、無理矢理抑えつけられているかのような、不自然な動きだった。

「力に訴えられたくなければ、大人しくしなさいな」

五月蠅(うるさ)い、馬鹿猫。邪魔するな」

 見えない鎖で拘束された様に動けない鬼頭様と、何処から聞こえるのか分からない白さんの声。不思議な言い争いはそう長くは続かなかった。

 一瞬の後、俺の目の前で、鬼頭様の身体が白さんの姿に変わったから。

「邪魔してるのは坊やだって」

「こっちはそっちにそれなりの敬意を払って、礼を尽くしてるんだ。それを無下にして、じじいあんたこそ、それ相応の覚悟があるんだろうな」

「黙れって言ってるでしょ」

「これが黙ってられるか。馬鹿」

 白さんの口から交互に溢れ出すのは、白さんと鬼頭様の言葉。

「そうか。貴方は知っていたんですね、黒さん」

 驚きに停止していた頭がようやく回りだす。鬼頭様は白さんの変化。黒さんが抱いていた白猫は白さんがつくった影だった。だから、白猫が傷ついても黒さんは動揺しなかったんだ。

 鬼頭様の感情が爆発した所為と、影が傷ついた事で白さんの能力に制限が発生した所為。二つの要因が重なって、白さんの術が解けたのだ。

「あー、もう。本当に黙ってよ。おかげでこっちは珍妙な事になっちゃってるわよ」

「何だよ」

「今の坊やは私と繋がってるの。今の衝撃で変化の術は解けちゃったし。私の姿で、私の声で、坊やの言葉が語られてるところを想像してよっ」

「それは、かなり鳥肌ものだ」

 見れなくて幸いだな。身も蓋もない鬼頭様の言葉に肩を落とす。想像でなく、鳥肌ものの光景を目の前で見せられている俺の身にもなって欲しい。

「本当よ。後で参尾に謝ってよね」

「後でな。では改めて。じいさん、よく聞けよ。あんたの娘の気配を感じたのは、僕が探偵として派遣されている屋敷だ。その家は(かい)の、祈祷魁(きとうかい)の母の縁続きの家系でもある」

 白さんはそう出来るくせに、鬼頭様を力尽くで押さえ込もうとはしなかった。彼女の言葉で、鬼頭様は了解が出た事を悟ったのだろう。立て板に水と語りだす。

「本当に、計算通りに動かない子ね」

 突然、黒さんの腕の中にあった物体が喋りだした。

 白猫だと思っていたそれは、いつの間にか布で出来たぬいぐるみに変わっていた。

 人形が喋ったとて驚きはしない。白さんがこちらの器に移ってきただけだ。だが、その人形はお世辞にも可愛いとはいえない猫の人形。何でわざわざこんなものを依り代にしたのか。まさかとは思うが、白さんのお手製だったりするのだろうか。

 顔はお饅頭を潰したように歪んでいる上に、へんてこなつぎはぎが付いている。耳の大きさは左右で違うし、身体は寸胴で手足は短く丸い。尻尾だけは長く立派なものがご丁寧に二本付いていたが、それも全体から見れば調和が取れていず、滑稽(こっけい)な印象を与えるだけ。真っ直ぐ前を見据える大きな三白眼(さんぱくがん)は、正直言って怖い。

「白さん、不細工ですね」

「失礼な。これは鬼頭家に伝わる由緒正しき子守り人形よ」

 お疲れ様の一言もないなんて、薄情ね。そんな愚痴を呟きながら、白さんは悪戯っ子の表情を浮かべる。こんな単純な作りの人形の身で、感情表現できるのが不思議だった。

「鬼頭絢が泣いた時には慰めたし、眠れない夜には添い寝して子守唄を唄った。闇が怖くて夜に(かわや)に行けない時には先導もした」

「おねしょをした時には遠慮なくからかっていたな。おいたをした時には叱っていた。ああ、それは今もか」

 白さんと黒さんの昔話が続く。この会話には何か意味があるのだろうか。

「こんな変な顔じゃ、子供はますます泣きますよ」

「そんな事言って良いの。これの造形製作者は参尾の大事な(あや)ちゃんのご母堂(ぼどう)よ」

「鬼頭様の母上は不器用なんですね。芸術的才能もない」

「参尾あんた、私より酷い」

 本来ならば静寂に満ちている筈の神聖な場所で、俺達は取り留めのない軽口に興じる。

 そんな場合ではないのに。鬼頭様を護りに行かなければいけないのに。

「まあ、良いわ。兎に角この場は坊やに任せて、私達は傍観者を気取りましょう」

「良いんですか?」

 鬼頭様の傍に寄ろうとする俺を白さんが言葉で制する。黒さんが俺の腕を摘み行動で制する。

「うん。良い」

 鬼頭様だから仕方が無いと諦めたのか、白さんは本格的に鬼頭様の好きに語らせる事に決めたらしい。ならばと、俺も腹を括る。鬼頭様の行動を邪魔はしない。直ぐに動ける準備はしておくが、今は黙って見守ろう。

「聞いてるのか、じいさん」

 白さんの姿と声を持つ鬼頭様は、正直まだ気持ち悪い。だが、俺は背を這い上がる悪寒と、毛が逆立つ嫌な感覚に必死で耐えた。

「相手は白はもとより、参尾にとっても知らぬ仲ではない奴だと聞いた。だから、わざわざあんたに報告と相談に来てやったんだ」

 鬼頭様は怒鳴り続けている。

 この場で八尾狐相手に対等、と言うか、寧ろ上から目線で会話が出来る鬼頭様は凄い。たとえ、虎の威を借りているにしてもだ。大体この場合の虎である白さんは、滅多に威を貸したりしない。だが、本当にこれで良いのだろうか。俺達は八尾狐を怒らせに来たんじゃない。

 櫻ちゃんのために、葛様のために、長と対話をしに来た筈だ。

「良いんですか。あんな喧嘩ごしで」

「良いのよ。最初から作戦は八尾の感情を引き出す事だったんだもの」

「は?」

 思わず問うた俺に白さんは何でもない事のように答えた。黒さんは何も言わないが、眉ひとつ動かさない態度が、肯定の意を示している。

「んー、こういうの何て言うんだっけ?。押しても駄目なら蹴っ飛ばせ?」

「何が言いたいのかは分かりませんが、それは絶対に違うと思います」

 本当に分からない。

「んじゃ、毒をもって毒を制す?」

「何となく分かりますが、制してませんよ」

「んじゃ」

 何か良い喩えがあるかな。そんな事を楽しげに呟く、不真面目な白さんに少し腹が立った。いい加減にしてください。そう言う筈だった俺の言葉は、だが、声にならなかった。俺よりも先に静かな黒さんの声がしたから。

「藪を突付いて蛇を出す。だな」

 何が言いたいのか分かりません。そう言いたかった言葉はまたしても遮られる。

「あ、それそれ。本当は参尾に藪を突付く役をやらせようと思ってたんだけど、こうしてみると鬼頭絢の方が適役ね。下に見てる相手に、正論言われる事ほど腹の立つ事って無いからね。八尾みたいな権力持ちは特に」

 黒さんの言葉に、それを肯定する白さんの言葉に、胸がざわついた。

 俺に、何をやらせるって。

「《きとう》に連なる家系の家人に咎が及ぶようなら、俺達の命でそこの化け猫が直接手を下す事も吝かではない。それはじいさんも承知だよな。それでも俺たちと話をするのを断るってのか? それともあんた、葛とかいう狐が白と戦って無事で済むとでも思ってんのか」

 鬼頭様の言葉に胸を突かれる。

 鬼頭様はなんと言った。葛様と白さんが戦う。直接手を下す。

 俺達は櫻ちゃんを救うため、葛様を救うため、里に協力要請に来たのではないのか。

 聞きたくない言葉から逃げる様に、辿り着きたくない答えから逃げる様に。

 俺は両手で耳を塞ぎ、硬く瞳を閉じた。


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