第6話 魔王の査定、圧迫にもほどがある
その日の朝、俺、堀尾茂助?は、自分の葬式が行われる夢を見ていた。
棺桶の中で安らかに眠っていると、突然、蓋がバコーン!と蹴り飛ばされた。
「起きろ、茂助! 吉報だ、吉報だぞ!」
飛び起きると、目の前に猿顔の上司、木下藤吉郎がいた。
満面の笑みだ。だが、この男が笑っている時、ロクなことが起きた試しがない。
「……なんですか。また相撲ですか? もう勘弁してくださいよ。体がバキバキなんです」
「相撲どころの話じゃねえ! お館様だ!」
藤吉郎は、興奮して鼻の穴を膨らませた。
「お館様が、『あのデカブツを連れてこい』と仰せだ! 噂の鬼の顔を拝みたいとな!」
俺の心臓が、早鐘を打ったのを通り越して、一瞬停止した。
お館様。織田信長。
あの雨の降る泥の中で、俺の「堀尾小太郎です」との一言で、面白がって「ならば今日から堀尾の嫡男として死ぬ気で働け」と命じた、絶対的な支配者。
「……ま、まさか、俺がサボってたのがバレたとか?」
「馬鹿野郎! 逆だ! 『鬼の茂助』の噂がお館様の耳に入ったんだよ! 『あの時の口だけ男が、本当に化けたのか見てやる』ってご機嫌だったぞ!」
顔面蒼白になった。
信長は俺を「面白い予言をする木偶の坊」として生かした。
だが、今の俺に貼られているレッテルは「柴田隊を弾き飛ばし、相撲で人を絞め落とす鬼」だ。
会えばバレる。
俺が中身空っぽのビビリだということが、あの鋭い眼光の前に晒される。
そうなれば、「期待外れだ」と首を刎ねられるに決まっている!
「……い、行きたくない」
「ああん? 断ったら俺もお前も切腹だ。とっとと支度しろ!」
「はい喜んで!」
俺は涙目で立ち上がった。
これは栄転じゃない。
「俺がカタログスペック通りの性能か確かめる」ための、魔王による品質検査だ。
不良品だとバレたら、即廃棄だ。
***
清洲城、大広間。
俺は板の間の冷たさを額に感じながら、平伏していた。
隣には藤吉郎が、これ以上ないほど小さくなって平伏している。
空気が重い。
部屋の左右には、偉そうなジジイどもが、織田家の重臣たちがズラリと並んでいる。
彼らの視線が痛い。「こいつが噂の」「猿の部下のくせに」「本当に強いのか?」という値踏みする視線だ。
そして、正面。一段高い場所。
「……面を上げよ」
低い、よく通る声。
俺はガタガタと震える首を、油の切れたロボットのように持ち上げた。
織田信長。
戦場で会った時よりも、さらに研ぎ澄まされた刃物のようなオーラを放っている。
信長は、ニヤリと口の端を吊り上げた。
「久しいな、大男」
「は、ははっ……! ご機嫌麗しゅう……」
「泥の中で震えていた貴様を拾い上げて、まだ一月足らず。……聞けば、随分と勇ましい二つ名がついたそうではないか。『鬼』、だと?」
信長が身を乗り出した。その目は笑っていない。
「わしは貴様に『泰晴の息子として役に立て』とは言ったが……まさか、柴田の手勢を子供扱いするほどの豪傑になるとはな」
横に控えるヒゲおやじが、苦虫を噛み潰したような顔をした。こいつが柴田様か。
気まずい。最高に気まずい。
「だが、解せぬな」
信長は立ち上がり、スタスタと俺の前に歩み寄ってきた。
そしていきなり、俺の二の腕を掴み、ギュッギュッと揉んだ。
「……やはり、妙だ」
「へ、へい……?」
「筋肉はついているが、剣ダコがない。肌も相変わらず白く、柔らかい。……戦場で人を殺してきた手ではないな」
ギクリとした。
バレてる。完全にバレてる。
俺は現代っ子だ。紫外線対策もしていたし、ハンドクリームも塗っていた。戦国の荒くれ者とは肌の質感が違う。
「見た目は優男、中身は鬼か。……それとも、ただのハッタリか」
信長の目が、俺の奥底を見透かすように細められた。
ヤバい。
「ハッタリでした、ごめんなさい」と言えば、この場で斬られる。
かといって、「鬼です」と嘘をつき通せる自信もない。
「面白い。試してやろう」
信長はパンと手を叩いた。
小姓が走ってきて、長い鉄の筒を持ってきた。
鉄砲だ。
信長はおもちゃのようにそれを弄んだ。
「わしが拾ったのが『本物』か『偽物』か。……その胆力、見せてもらおうか」
信長は火縄に火をつけた。
ジュッ、と火薬の匂いが漂う。
信長は鉄砲を構え――その銃口を、真っ直ぐに俺の顔に向けた。
「ひっ」
俺の喉から、短い悲鳴が漏れた。
黒い銃口が、巨大な穴に見える。
死ぬ。撃たれる。
「鬼ならば、鉛の玉ごとき、瞬きせずに受け止められるであろう?」
信長は狂気的な笑みを浮かべた。
俺は叫ぼうとした。「無理です!」「俺はただのデブです!」「助けて!」
逃げようとした。
だが、体は動かなかった。
恐怖。
圧倒的な死の恐怖が、俺の脳の指令系統を完全に遮断したのだ。
フリーズ。
パソコンなら再起動案件だ。
俺は膝をついた姿勢のまま、目を見開き、口を半開きにしたまま、石像のように硬直した。
――動け、動け、動け!
――土下座しろ! 泣いて謝れ!
脳内では警報が鳴り響いているのに、指一本動かせない。
視界の中央に、銃口がある。
信長の指が、引き金にかかる。
カチッ。
火皿の蓋が開く音が、スローモーションのように聞こえた。
ズドンッ!!!
鼓膜を破るような轟音。
部屋中に白煙が充満する。
俺は……死んだのか?
ゆっくりと、煙が晴れていく。
俺はまだ、そこにいた。
膝をつき、目を見開いたまま。
俺の右耳のすぐ横、太い柱に、親指ほどの穴が空いていた。
木片がパラパラと俺の肩に落ちる。
弾丸は、俺の耳を数センチ掠めて、柱を貫通していたのだ。
……あ、あ、あ……。
腰が抜けた。
いや、既に座っているので分からないが、下半身の感覚がない。
股間がじんわりと温かい。
漏らした。
完全に漏らした。二十五歳、元現代人、織田信長の前でお漏らし。
だが、恐怖で声も出ない。ただ白目を剥きそうになりながら、虚空を凝視していた。
その時。
静まり返っていた広間が、どよめきに包まれた。
「……見たか?」
「ああ。瞬き一つしなかったぞ」
「銃口を向けられて、微動だにせず……なんと太い肝っ玉だ」
髭面ジジイが、信じられないものを見る目で俺を見ていた。
藤吉郎が、あんぐりと口を開けている。
え?
違う。
ビビってフリーズしてただけです。腰が抜けて動けなかっただけです。
「……ふっ、くくく」
信長が鉄砲を放り出し、愉快そうに笑った。
「見事だ。……泥の中で『天下』を口にしただけのことはある。わしの目は節穴ではなかったか」
信長の中で、あの時の「俺の天下統一発言」と、今の「不動の姿勢」がリンクしてしまったらしい。
勝手に評価が上がっていく。やめてくれ。
「気に入った! 藤吉郎!」
「は、ははっ!」
「こやつを使いこなせ。……近々、大戦になる。その胆力、最前線でこそ輝こう」
「今川義元、二万五千の大軍。……我らは三千。勝てると思うか? 茂助」
急に話を振られた。
俺はビクッとした。
二万五千と三千。戦力の差は歴然だ。歴史に疎い俺でも、それが「無理ゲー」であることくらい分かる。
それにしても、ここは暑い。信長のプレッシャーだけでなく、単純に暑い。クーラーはないのか?
現代人の俺は、不快指数が高いとやる気が出ないんだ。
こんな暑い中で走り回りたくない。せめて雨でも降ってくれれば。
俺は汗を拭いながら、心の底からの「願望」を口にした。
「……そんなの勝てるわけ……。というか、暑い。雨が降れば少しは……」
「雨?」
「いや、こんな暑いし……雨でも降ってくれれば、走り回るのも楽になるし、もしかしたら向こうも攻めてこないかもでしょ? 遠足みたいに延期になりませんかね……」
俺が言いたかったのは、「雨が降って中止になれば、俺は戦わなくて済む」という、究極に情けない希望的観測だった。
だが、信長はそれを聞いて、ハッと目を見開いた。
「……雨か。なるほど」
信長はニヤリと笑った。その目に、狂気じみた光が宿る。
「敵の足を止め、こちらの気配を消すための雨か。……貴様、やはり何かが見えておるな?」
は?
「よい、覚えておこう。その予言、吉と出るか凶と出るか」
信長は袖を翻し、奥へと去っていった。
残されたのは、重臣たちの畏敬の視線と、お漏らしをした大男(俺)。
藤吉郎が俺に抱きついてきた。
「やったな茂助! お館様に認められたぞ! 『最前線』だ! 名誉なことだぞ!」
名誉?
ふざけるな。最前線ってことは、一番最初に死ぬってことじゃないか。
俺は涙目で天井を仰いだ。
股間の温かさが、急速に冷たくなっていく。
鬼の茂助。
その虚像は、魔王のお墨付きを得て、もはや俺自身の手でも制御できない怪物へと成長してしまった。
しかも、俺は「雨が降ればいいな」というタダの独り言を、軍略的予言と勘違いされてしまった。
これで雨が降らなかったら?
嘘つきとして処刑か?
俺は心の中で、現代の神様に祈った。
頼む、梅雨前線でも台風でも何でもいい。
とりあえず雨を降らせてくれ。じゃないと俺の命がない。
……気象庁、頼むぞマジで。
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