第4話:ラジオ体操第一、そして鬼
清洲城下に夜明けの光が差す頃、俺は死人のような顔で戻ってきた。
隣には、道中の草という草を食い尽くし、俺を数回蹴飛ばした暴れ馬がいる。
荷台には十五本の槍と、二俵の米。
堀尾家の、なけなしの全財産だ。
「お、おう! 戻ったか茂助!」
木下藤吉郎が、猿のような顔をくしゃくしゃにして出迎えた。
俺の顔色など見ていない。視線は馬と荷物に釘付けだ。
「でかした! 馬に米に……おい、槍は何本ある!?」
「さ、十五本です……」
「十五!? そんなに持って帰ってきたのか!」
藤吉郎が驚愕の声を上げた。
そう、俺が所属する「木下組」は、藤吉郎が組頭?を務める、わずか二十名程度の小規模な部隊らしい。
「はあ、どうも。あの、この馬、実家に返さないと……」
「あ? 何言ってんだ。馬も貴重な戦力だ。没収に決まってんだろ」
「ええっ!?」
「その代わり、米を少し多めにやる。……よし、ご苦労! その槍、すぐに皆に配ってやれ!」
労いの言葉はそれだけだった。水一杯もくれない。
実家の親父さんが「家の命運」を託した荷物も馬も、このブラック上司にかかれば右から左へ消費される消耗品に過ぎない。
俺はフラフラになりながら、足軽たちがたむろする長屋の前へ荷物を下ろした。
ドサッ、と重い音がすると、薄汚れた男たちがわらわらと集まってきた。
総勢二十名。全員が集まっても、学校のいちクラスより少ない。
「す、すげえ……質の良い槍だ」
「竹槍じゃねえ、本物の槍だぞ!」
「穂先もついてる! しかも、全員分あるぞ!」
男たちは目を輝かせて槍に群がった。
実家の蔵で眠っていた、赤錆の浮いた中古品だ。柄なんて虫に食われている。
現代の感覚なら粗大ゴミだが、彼らにとっては「夢の最新装備」らしい。
「茂助様、ありがとうございやす!」
以前、アンズをあげた少年兵・弥七が、自分の身長よりも長い槍を抱きしめて涙ぐんでいた。
今まで彼が持っていたのは、先端を焦がして尖らせただけの竹の棒だったのだ。
「……大事に使えよ。俺の親父が、血の涙を流して出したもんだからな」
「はいっ! これでやっと、まともに戦えます!」
彼らの無邪気な喜びようを見て、俺は複雑な気分になった。
予備も含めて槍が余るほどの小部隊。
俺は改めて、自分が放り込まれた「木下組」という組織の小ささと貧弱さを思い知らされた。
***
翌日。
新しい(といってもボロい)槍を手に入れた木下組の士気は高まっていた。
だが、士気と実力は別物だ。
「おい、そこ! 列が乱れてるぞ!」
「え? どっちだ?」
「右だよ右!」
「箸を持つ方か?」
「俺、左利きなんだけど……」
河川敷の隅っこでの行進練習は、悲惨の一言だった。
たった二十人の足軽が、芋虫のようにうごめいているだけ。人数が少ない分、一人でもズレると目立って仕方がない。
見かねた俺は、つい口を出してしまった。
「あー、もう! ちょっとタンマ! 全員止まれ!」
俺が大声を出すと、男たちがキョトンとして俺を見た。
一七六センチの大男の言葉には、それなりに威圧感があるらしい。
「いいか、集団行動の基本はリズムだ! 俺が号令をかけるから、それに合わせろ!」
「りずむ?」
「そうだ。……いいか、まずは準備運動だ! 怪我したくなきゃ真似しろ!」
俺はその場に立ち、あの懐かしい音楽を脳内で再生した。
現代日本人が全員DNAレベルで刻み込まれている、あのピアノの旋律だ。
「ラジオ体操ー、第一ー! 腕を前から上にあげて、背伸びの運動ー! はいっ!」
俺が両手を挙げて背伸びをすると、二十人のおっさんたちが、困惑しながらも一斉にバンザイをして天を仰いだ。
「手足の運動ー! いち、に、さん、し!」
屈伸をする俺。真似をしてしゃがみ込む足軽たち。
こじんまりとした異様な光景だった。
戦国の河川敷の片隅で、少人数の薄汚れた集団が、謎の号令に合わせて無言で屈伸とバンザイを繰り返している。
「……茂助様、これは何のまじないです?」
「まじないじゃない。科学的な筋肉のほぐし方だ」
「かがく……? 天竺の仏さんへの祈りかなんかですか?」
「まあ、そんなもんだ」
説明するのが面倒で適当に答えたが、彼らは「天竺の秘術」と勝手に解釈し、真剣な顔で体を回し始めた。
遠くから見ていた藤吉郎が、気味悪そうに「あいつら、何かの宗教か?」と呟いたのが聞こえた気がしたが、俺は無視した。
***
その日の休憩時間。
俺たちが井戸端で水を飲んでいると、ジャラジャラと甲冑を鳴らす集団が現れた。
身なりの良い、立派な具足。手入れの行き届いた槍。
織田家の筆頭家老、柴田勝家様の部隊らしい。その数、優に百は超えている。
彼らは俺たち二十人の小集団を見ると、露骨に鼻で笑った。
「おい見ろよ。猿の組だぜ」
「ちっせえ集まりだな。吹き飛ばせば消えちまいそうだ」
「槍も見てみろ。錆だらけじゃねえか。ゴミ拾いでもしてきたのかよ」
嘲笑が飛んでくる。
木下組の男たちが悔しそうに下を向く。弥七が唇を噛んで、新しい槍を握りしめている。
俺はため息をついた。
大企業の正社員と、零細下請けのバイトの格差を見せつけられた気分だ。
「……おい、そこのでかいの」
柴田隊の一人が、俺に目をつけた。
筋骨隆々とした男だ。俺より背は低いが、横幅がある。
「てめえが噂の『デカブツ新入り』か? 名前は確か……茂助、だったか?」
「……」
怖い。名前を知られている。
俺は無視して水を飲もうとした。関わったら負けだ。
だが、男は俺の肩をドンと突いた。
「無視してんじゃねえよ。猿の飼い犬が」
「あっ」
手桶の水がこぼれて、俺の着物が濡れた。
冷たい。
さすがにイラッとした。だが、喧嘩は御法度だ。それに、俺は喧嘩なんてしたことがない。怖い。殴られたら痛い。
「……すみません。失礼します」
俺は頭を下げて立ち去ろうとした。
だが、男はそれが気に入らなかったらしい。
「待てよ! 逃げるのか腰抜け!」
男が俺の背後から、全力で体当たりをしてきた。
突き飛ばして、泥の中に転がして笑い者にするつもりだったのだろう。
ドンッ!
鈍い音がした。
だが、転がったのは俺ではなかった。
「ぐわっ!?」
体当たりをした男の方が、ゴム鞠のように弾き飛ばされ、尻餅をついていたのだ。
「え?」
俺は振り返って呆然とした。
俺は何もしなかった。ただ、怖くて足がすくみ、ガチガチに固まって動けなかっただけだ。
だが、考えてみてほしい。
俺は一七六センチ、体重八〇キロ。さらに背中には、さっきまで運んでいた水桶の重みで足腰が地面にめり込むほど踏ん張っている。
対する男は、一五〇センチぐらい。
物理法則だ。質量の大きい物体に、軽い物体がぶつかれば、弾き返されるのは軽い方だ。
ふふっ! そうだ! こいつらコロボックルだ!
漫画で読んだぞ? 体重が正義なんだ!
「痛ってぇ……な、なんだこいつ!?」
尻餅をついた男が、信じられないものを見る目で俺を見上げた。
俺は「不動の大木」のようにニヤニヤ突っ立っている。
その姿が、周囲にはどう映ったか。
「……おい、見たか?」
「ああ。体当たりを受けて、一歩も動かなかったぞ」
「まるで岩だ……」
柴田隊の男たちが息を呑む。
そして、誰かが震える声で呟いた。
「まるで鬼だ……『鬼の茂助』だ……」
その言葉が、さざ波のように広がった。
木下組の連中も目を丸くしている。
「す、すげえ……鬼の茂助様、すげえ!」
「あの柴田隊の荒くれを、気合だけで弾き返した!」
違う。気合じゃない。質量と摩擦係数だ。
しかも何だ「鬼」って。
そんな怖いあだ名、やめてくれよ。俺は心優しい現代人だぞ。ただちょっと体がデカくて、反応が遅いだけなんだ。
だが、弁解する空気ではなかった。
俺はニヤニヤした顔で、尻餅をついた男に手を差し伸べた。事なかれ主義の本能だ。自信がついたとは言え、相手は刃物を持った奴等だ、仲良くしとく事に越したことはない。
「だ、大丈夫ですか? 足元が滑ったみたいですね」
俺なりの精一杯のフォローのつもりだった。
だが、男はその手を払いのけ、真っ赤な顔で立ち上がった。
「く、くそっ! 覚えてやがれ!」
男は仲間と共に逃げるように去っていった。
後に残されたのは、歓声を上げる木下組の二十人と、困惑する俺だけだった。
***
その夜。
長屋の空気は一変していた。
いつもは湿っぽい夕食の時間だが、今日はどこか明るい。
「いやー、スカッとしましたね!」
「あいつらの驚いた顔! ざまあみろだ!」
弥七が俺の隣に来て、自分の椀から漬物を一つ、俺の椀に入れてくれた。
「茂助様、これどうぞ。俺、一生ついていきます」
「……いや、俺は何もしちゃいないんだが」
「ご謙遜を! あの『不動の構え』、さっきの体操のおかげですか?」
だから、ビビって固まってただけだって。
だが、否定しても無駄だろう。彼らは今、自分たちの誇りを守ってくれた「象徴」を求めているのだ。
たった二十人の、掃き溜めのような部隊。その中で、俺は祭り上げられてしまった。
俺は漬物をかじった。
やっぱり塩辛い。でも、昨日までよりは少しだけ美味く感じた。
小太郎だか、茂助だか、吉晴だか。
それに加えて今度は「鬼」か。
名前とあだ名ばかりが増えていく。中身はただのビビリな現代人なのに。
「……まあ、悪くはないか」
俺は小さく呟いた。
だが、俺はまだ知らなかった。
この日を境に、清洲城の下級兵士たちの間で、とんでもない噂が流れ始めることを。
『猿の組に、岩のような巨漢がいるらしい』
『柴田隊の荒益男を、指一本触れずに弾き飛ばしたとか』
『なんでも、天竺の秘術を使って体を鉄に変えるらしい』
『あれぞまさしく、鬼だ。鬼の茂助だ』
そんな噂が独り歩きすれば、どうなるか。
当然、腕に覚えのある荒くれ者たちが、「俺と勝負しろ」と次々に絡んでくることになる。
俺が望んでいるのは、布団で寝て、美味い飯を食うだけの平和な生活だ。
なのに、なんで俺は自分から「鬼」なんて看板を背負い込んでしまったんだ。
「……はあ」
俺は深いため息をつき、硬い床に横になった。
遠くで、夜番の太鼓が鳴っている。
戦争なんて起きなくても、俺の明日は十分に前途多難だった。
筋肉痛と、勘違いと、終わりのない暴力の日々。
俺の戦国スローライフは、まだ始まったばかりだ。
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