第1話 「ヌルゲー乙」と書き込んだら、泥の中
令和8年2月12日投稿開始
深夜二時。
俺のちっぽけな全能感は、二十四インチの液晶モニタの中で怪しく発光していた。
『>>1 イッチ(1)、相変わらず浅いなw』
『戦争は補給と根回しだろ。ゲーム脳乙』
通知音が鳴り止まない。
堀尾小太郎、二十五歳。職業、自宅警備員。
俺は今、某巨大掲示板の「戦国シミュレーションゲーム」のスレで、史実厨たちを相手に孤軍奮闘していた。
俺の主張はシンプルだ。「昔の奴らは効率が悪すぎる」。
マップを見れば抜け道は一発だし、最短ルートで本陣を強襲すれば戦争なんて三日で終わる。そう書き込んだら、史実厨共から総叩きにあった。
『は? お前、山道歩いたことあんの?』
『現実は「疲労」も「空腹」もあるんだよ。お前みたいなモヤシは、戦場に着く前に野垂れ死ぬわ』
カッとなった俺は、震える指でキーボードを叩きつけた。
『うるせーよ! リアルとか関係ねーよ! 要は「結果」だろ! 俺が戦国に行ったらな、現代の合理的思考で無双してやるよ! 信長も秀吉も、俺の効率プレイの前じゃ赤子同然だわ!』
送信。論破完了。
だが、即座にレスがついた。
『はいはい、ワロスワロス』
『じゃあ行ってこいよ。どうせ開始五秒で泣いて謝るに一票w』
ふざけるな。
俺が戦国に行ったら、天下統一なんてヌルゲーなんだよ。実際に歴史知らなくても、ゲームでは余裕で天下取ってるしな。
そう思った、瞬間だった。
バチッ。
モニタがショートし、視界が白く染まった。
目が覚めると、口の中がジャリジャリとする。
俺は反射的に上体を起こし、盛大に嘔吐した。胃の中は空っぽで、酸っぱい胃液だけが喉を焼く。
「……げぇ、ッ、はぁ……なんだこれ」
涙目で周囲を見渡す。
六畳一間の俺の城がない。あるのは、鉛色の曇り空と、鬱蒼と茂る杉林。
そして、鼻をへし折るような強烈な悪臭。
足元を見る。そこには、矢が数本突き刺さった人間の死体が転がっていた。うつ伏せになった背中には、ハエが数匹たかっている。
「……なんか、撮影、か?」
俺はぼんやりと考えた。
ドッキリか? それとも大掛かりな映画のロケ現場に迷い込んだのか?
「すげえリアルだな……特殊メイクか?」
俺は恐る恐る、その死体の肩に触れた。
生温かい。まだ熱が残っている。
指先についた血を見る。ドロリとしていて、鉄の臭いがする。
そして何より、その死体の首筋には、虫が卵を産み付けていた。
――作り物じゃない。
脳が理解を拒絶しようとして、失敗した。
この圧倒的な「死」の質感。CGでもセットでもない。
ここは、本物の戦場だ。本当に戦国時代に来ちまったのか。
「ひっ、……ぅ、わあああああああ!」
俺は無様に尻餅をつき、後ずさった。
掲示板の予言通りだ。開始五秒で腰が抜けた。
スマホを探すが、ポケットには何もない。現代との繋がりは完全に断たれていた。
「――おい。そこで何をしている」
背後から、押し殺したような低い声。
心臓が跳ね上がる。
恐る恐る振り返ると、そこには数人の男たちが立っていた。
その中心に、一際小柄な男がいる。
俺は一七六センチある。平均より少し高い身長だ。
だが、その男は俺より頭三つ分は低い。一五〇センチにも満たないだろう。
顔中が泥と煤で汚れ、目は異様にぎらついている。まるで猿だ。
だが、その体格差など意味をなさないほど、男から放たれる殺気は濃密だった。
手には、赤黒く変色した槍。
「おい、返事がねえな。落ち武者か? それとも追いはぎか?」
猿男は俺のジャージ姿を不審げに見回した。
「見ねえ格好だが……図体ばかりやけにデカいが、中身は腑抜けか。……おい、やれ」
猿男が短く命じた。部下が刀を抜く。
殺される。事務的に処理される。
俺はパニックになりながら叫んだ。
「ま、待って! 俺は怪しいもんじゃありません! ただの一般市民です!」
「イッパンシミン? どこの民だ。どこの村の、誰の家の者だ。答えられなきゃ間者とみなす」
切っ先が喉元に突きつけられる。
冷たい感触。
名前。住所。それを言えば助かるのか?
俺は必死に、正直に答えた。
「ほ、堀尾です! 堀尾小太郎!」
猿男の眉がピクリと動いた。
「堀尾……? 名字持ちか。どこの堀尾だ? まさか岩倉じゃねーよな?」
猿男は、背後で燃え盛る城――をチラリと見た。
俺もつられてそっちを見る。
岩倉? そうだ、俺の実家の住所は岩倉だ! ここで嘘をついて不審がられたら殺される。
「い、岩倉です! 岩倉の堀尾です!」
その瞬間、猿男の目がカッと見開かれた。
「本気かよ……岩倉城の重鎮、堀尾一族……その縁者か?」
「え?」
「とぼけるな! 名字を持ち、岩倉と認め、その体格に……その白い肌」
猿男は俺の手首を掴み、まじまじと観察した。
「鍬も握ったことのねえ柔らかい手だ。百姓じゃあねえな。それにこの肉付きの良さ……ただの雑兵がこんなもん食って育つわけがねえ」
親のカードで自由にウー〇ーしてる俺の栄養状態の良さが、ここでは「名家の育ち」に見えるらしい。
俺は否定しようとしたが、口をつぐんだ。ここで「ただのニートです」と言えば殺される。
「へへっ、でかしたぞ! こいつは金脈だ!」
猿男は下卑た笑い声を上げた。
「岩倉城は落ちたが、堀尾の一族を捕らえたとなれば、お館様へのいい手土産になる。……おい、連れて行け」
猿男は俺の襟首を掴んで立たせると、ニヤリと笑って名乗った。
「運が良かったな、坊主。俺の名は木下藤吉郎。織田弾正守家に仕える者だ」
キノシタトウキチロウ?
誰だそれ。聞いたこともない。
まあいい。有名な武将じゃなくてよかった。こんな雑魚キャラなら、隙を見て逃げ出せるかもしれない。
そんなことより織田?
もしかして織田信長に会えんのか?
歴史を知らない俺でも知ってる、あの信長に会えるのとか、ワクテカがとまんねーよ。
連行された先は、小高い丘の上だった。
陣幕が張られ、その中央に一人の男が小さい椅子に座っていた。
その男を見た瞬間、俺の全身が粟立った。
鋭い眼光。
そして、周囲を圧倒する衝撃的な威圧感。
――織田信長だ。
歴史知識ほぼゼロの俺でも、こいつだけは分かった。
教科書の肖像画なんてレベルじゃない。ゲームのラスボスよりも遥かに怖い。
この「魔王」っぽいビジュアル。どう見ても織田信長だ。
その隣には、ボロボロの鎧を着た初老の武将が、青い顔で土下座している。
「……猿。なんだ、その妙な格好の男は」
信長が、俺をゴミを見るような目で見下ろした。
藤吉郎が前に出る。
「へへっ、戦場をうろついていたのを捕らえました。殺そうかと思いましたが、こやつ、名を堀尾、住まいは岩倉だと申しておりまして」
その言葉に、隣で平伏していた初老の武将が、バッと顔を上げた。
「なにっ!?」
「泰晴。貴様の一族か?」
信長が面白そうに目を細める。
初老の男は目を白黒させて俺を見た。
「い、いえ、某の一族に、このような奇妙な着物を着た大男は……! 小僧、貴様、名を何と申す!」
「ほ、堀尾小太郎です……」
俺がそう名乗った瞬間。
泰晴の表情が、驚愕から、深い動揺へと変わった。
「小太郎……? まさか……」
泰晴は、亡霊でも見るような目で俺を見上げた。
「……堀尾、小太郎。……確か、某の死んだ嫡男の幼名が、小太郎……でございました」
「えっ」
俺は思わず声を上げた。なんだその偶然。出来すぎだろ。
信長は、興味深そうに俺を見つめているようだ。
「ほう。お前の息子と言うのは、この戦が初陣にも関わらず一番首を上げたという……」
信長の言葉に、泰晴は涙を浮かべて頷いた。
「はい……。武勇に優れ、将来を嘱望された自慢の息子でございました……」
場が重くなった。
すごい奴だったんじゃないか、この時代の小太郎。
それに比べて俺はどうだ。ただのニートで、腰を抜かしているだけだ。
俺は地面に額をこすりつけた。土下座だ。
だが、落ち着かない。
現代人の俺には土下座の習慣がない。敷いて言えば、コンビニで絡まれたヤンキーとかに土下座させられてきたから、俺は慣れているが、土下座を続けるのは首が痛い。
何より目の前にいるのが「あの織田信長」だと思うと、好奇心が抑えきれない。
俺はチラッ、チラッと、上目遣いに信長の顔を盗み見た。
怖い。でも見たい。有名人だ。
その時。
信長の眼光が、俺の目とカチリと合った。
「……貴様」
低い声が飛んできた。
「さっきから何を見ておる」
「ひっ!」
俺は飛び上がった。バレた。
殺気。物理的な圧力を伴って、首筋に刃物を当てられたような寒気が走る。
藤吉郎が青ざめ、泰晴が震え上がった。
やばい! 殺される!
俺はパニックになり、頭の中で渦巻いていたことをそのまま口走ってしまった。
「い、いや、すみません!!! 信長様って、あの、天下統一した有名人だよなーって思って……」
言ってから、俺は自分の記憶の曖昧さに気づいた。
……あれ?
待てよ。天下統一したのって信長だっけ?
秀吉だっけ?家康だっけ?
やべえ、歴史の授業寝てたからわかんねえ。間違ってたらどうしよう。
俺は慌てて、小声でボソッと付け加えた。
「……いや、してなかったか?どっちだっけ?」
シーン、と場が静まり返った場で、思ったより聞こえてしまったようだ。
藤吉郎が「ひっ」と息を呑み、泰晴が泡を吹いて倒れそうになった。
しまった。
本人の前で「お前成功すんの? 失敗すんの?」なんて言ってしまった。
だが、次の瞬間。
信長が、低く喉を鳴らした。
「……クックック」
信長は、自分の掌をじっと見つめ、それから俺を見た。
その目には、殺気ではなく、奇妙な熱が宿っていた。
「尾張という小さな国を、齢三十にしてやっと統一した……」
信長は立ち上がり、ゆっくりと俺に歩み寄ってきた。
「このわしが、天下を統一するだと?面白い」
え、怒ってない?
「誰もがわしを『うつけ』と嘲笑い、誰もが『尾張の統一すら不可能』と囁いた。だが貴様は……この泥の中で震えながら、わしの『天下』を口にしたな」
いや、うろ覚えだっただけです。
「気に入った!その図体も、そして未来を見透かすような不遜な物言いも。」
いや、ただの無知です。
ただのアホなだけです。
信長は扇子で俺を指した。
「泰晴! こいつが今日からお前の嫡男だ!」
「……は?」
俺と泰晴、そして後ろに控えていた藤吉郎の声が、見事にハモった。
「お、お館様!? 正気でございますか!?」
「不服か? 名は死んだ息子と同じ『小太郎』。わしの覇道を予言する奇妙な男だ。これ以上の適任はおらん」
「り、理由が雑すぎませんか!?」
「くどい! 俺が決めた。決定だ」
信長は面倒くさそうに手を振った。
なんだこいつ。サイコパスか。
「名前が同じ」で「歴史を知らない発言を予言と勘違いした」から。ただそれだけの理由で、赤の他人の家族構成を改変しようとしている。
「泰晴、そいつが跡取りだ。 やらねば家を潰す。……おい猿!」
「は、はいっ!」
「こいつの教育係は貴様だ。この図体だけの予言者を、使える武士に仕立て上げろ」
藤吉郎の顔が引きつった。
俺を利用して点数を稼ごうとしたら、面倒な教育係を押し付けられた。そんな顔だ。
ざまあみろ。
だが、藤吉郎はすぐに媚びへつらう笑顔を作り、平伏した。
「しょ、承知いたしました! この藤吉郎、必ずやお役に立ててみせます!」
そして、俺の方を向き、小声でドスを利かせた。
「……てめえ、余計なこと言いやがって。あとでたっぷりと扱いてやるから覚悟しろよ、木偶の坊」
俺は天を仰いだ。
衣食住は確保できたが、就職先は超ブラック企業、直属の上司はパワハラ気質の雑魚キャラ。
さっき掲示板で「俺なら効率よく無双する」と書き込んだ自分を殴りたい。
効率? 合理性?
そんなもの、魔王の「思いつき」の前では何の役にも立たないじゃないか。
今日は連続で5話投稿します。
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