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こゆるぎさんはゆるがない  作者: 水月 灯花
第二章 推しと謎の関係性

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9/9

こゆるぎさんはおちつかない2

 

 あっという間に、撮影の日がやってきた。

 あやうく寝不足になりかけたが、根性で寝た。

 あらゆる不眠方法を調べておいたのが良かったのかもしれない。

 いつもより少し睡眠時間は短めだった上に飛び起きたが、許容範囲と言える。


 夏休みの為に学生の姿は疎らで、高等部での撮影がメインとはいえ、念の為撮影は早めに始められることとなっていた。

 出勤後、事務局内でのミーティングで今日の流れをおさらいし、自分の役割の最終確認をしている内に、受付から番組スタッフが到着したとの連絡が入る。

 職員間に、緊張から少し張り詰めた空気が流れた。


「では、お出迎えしてきます」

「ええ、よろしくね」


 上司に頭を下げて、事務局を出る。

 仕事モードに入ったからには、ミーハー心は封印だ。

 AKIは仕事の都合でスタッフより少し遅れると聞いているので、まだ気持ちは楽だった。


 気を引き締めて、正門側の受付に向かい、警備員に引き継がれる形で、S:yncの8周年記念企画を担当する撮影スタッフを出迎える。


「おはようございます。常羽ノ宮学園、事務局の小動と申します。本日はよろしくお願いいたします」


 最初の挨拶を済ませると、五名程の機材を抱えた撮影スタッフの方々が、丁寧に挨拶を返してくれた。

 本来ならスタッフを見ただけでテンション爆上がり案件だが、仕事モードに切り替えた凪沙は落ち着いて対応することができた。

 そのまま、高等部へと案内する。


 常羽ノ宮学園は、初等部から大学まであるので、総面積は広く、それぞれ校舎が分かれていて、初めて来た人は迷いやすい。

 当然ながら、様々な学科や設備があるため、大学が一番広い。

 大学の右隣に高等部の校舎、その向かいに中等部と初等部合同の校舎という配置で、徐々に規模が小さくなっている。

 義務教育の小中学生となると公立校に通う子どもが一般的である為、規模がそれ程でもないのも当然と言える。

 とはいえフリースクールに似た校風から一定の人気があり、初等部から在籍する場合は高等部や大学までエスカレーター式で通う傾向が高いそうだ。


 初・中等部と高等部、大学の各境目にはフェンスが設置されている。安全管理上、一般人も立ち寄る大学の方から高等部以下に理由なく立ち入ることは禁止されていた。

 大学側に設備が揃っているのに、普通は下の学年の元へわざわざ向かう理由もない。


 逆に、初等部から高等部の生徒までは、昼休みと放課後の一定時間は、屋外に限り大学側へも行き来が自由で、独立した売店やカフェ、ベーカリー、食堂、図書館などが利用可能だ。

 体育館や広大なグラウンドを共用で利用することもある。

 時には学生証が必要になることもあるが、高校生以下でも大学の設備を利用出来ることは人気が高い。

 ベーカリーのパンと学食のカレーは、安くて美味しいと一般人にも人気だとか。


 そんな中、高等部に存在する芸能科は、芸能活動をしている生徒の安全の為に、高等部の校舎の中でも区画分けされており、普通科とは別棟になっている。

 出入りの際は学生証や職員証、電子ロック解除の為のキーが必要で、モニター付きで管理されていた。

 警備が厳重なので、実は凪沙も芸能科に行ったことはまだ二回程しかない。

 芸能人のプライバシーに配慮されていることは間違いなく、保護者や芸能事務所からも信頼されているシステムらしい。


 大学側から案内して、一連の手続きを済ませ、撮影スタッフ達と無事に高等部芸能科の棟に足を踏み入れた。

 控室として指定された会議室へと促して、机の上に用意しておいたお茶と紙コップをご自由にどうぞと伝える。

 その後、流れを再確認することとなった。


「お伝えしていた通り、今回はAKIが母校を訪問する企画なので、校舎の色々な所で写真を撮り、在学時の先生へのインタビューをお願いします」

「はい。当時の職員の中でお話ができそうなのは、お答えしたように――」


 ディレクターやADと最終スケジュール確認を行っていると、廊下の向こうから足音が近づいてきた。

 ノックの後、開かれた扉の向こう側で、凪沙の上司に連れられて来た二つの人影。


「おはようございます。遅れてすみません」

「遅くなりました! すみません。今日もよろしくお願いします」


 マネージャーの田中さんの後に続く、聞き慣れた声。

 テレビ越しで聞くよりも少し低く艷やかに感じることは最早知っている。

 まだ撮影のライトに当てられていないのに、存在だけで眩しい青年——アイドルグループS:yncのAKI。

 少しラフな印象を受ける半袖のシャツから覗く、逞しい二の腕が眩しい。

 推しの美貌と声に、先日の通話が思い起こされて、凪沙の手が一瞬だけ止まった。


(仕事中仕事中仕事中)


 心の中でお経のように唱え続け、冷静な仮面を貼り付ける。

 我慢、忍耐。

 入室したAKIはスタッフ達と挨拶を交わし、ごく自然に凪沙とも視線を合わせた。


「S:yncのAKIです。今日はよろしくお願いします」


 会釈しながら、AKIの笑みがわずかに深くなった気がした。


(かっっっっわいい仕事中!!)


 一瞬で煩悩にまみれそうになる己に喝を入れ、凪沙は深く頭を下げた。


「小動と申します。よろしくお願いいたします」


 ほんの一瞬、彼が目を眇めたような気がしたが――瞬きの間に元に戻っていた。

 田中さんとも会釈を交わす。

 遅れて来た二人を案内してきた上司は一言「何かあればすぐ連絡ね」と声をかけると、事務局の仕事に戻っていった。


「それじゃあAKIも来たことだし、まずは撮影から――」


 ディレクターの指示のもと、スタッフが動き出す。

 推しの撮影現場を間近で見るだなんて信じられない程の幸運が怖い。

 やっぱり推し運を使いすぎて今後のひどい不運がやってくるのではないか、とひやりとする凪沙だった。



 ◇ ◇ ◇



 プロ、とは凄いものだと思う。

 見慣れた校舎の中でも画になる場面を切り取って、鮮やかにスタジオのような背景に変えてしまう。

 AKIの存在だけでなく、スタッフの努力あってこそのS:yncなのだと改めて実感した。


 撮影が始まると凪沙はただの傍観者だ。

 尋ねられるままに案内する。

 AKIが過ごした教室、レッスン室、階段の踊り場――


(私、こんな本人の聖地巡り一人でやっちゃっていいのかな?)


 かくなる上は同志たちのために、少しでも良いものが出来るよう自分も仕事に専念しなければ、と気合は十分だ。

 薄い営業スマイルを貼り付けて、落ち着いている風を装いながら、興奮で小刻みに震える手を押さえつける。

 顔がいいとか仕草にときめくとか、その辺りのファン心理はまるっと封印して、脳裏に刻みつけて帰宅してから思う存分萌え転がると決めている。


「あっつ……」

「あ、それいい! ちょっとアンニュイな感じで!」


 夏の暑さに辟易したような表情で、軽く汗をかきながら、髪の毛をかきあげるポーズは垂涎もの。

 7月の校舎はエアコンが効いているとはいえ、移動中、特に渡り廊下ではむわっとした熱気を感じても仕方がない。

 風も抜けるが、生温さは否めない。

 慣れている凪沙でも暑いものは暑い。


「次、AKIさん空見上げてー」


 廊下の窓際で空を見上げる推し、尊い。

 夏空に浮かぶ雲が、AKIの爽やかさを引き立てている。

 横顔の美しさと洗練された見上げる角度に、ほうとため息が少しこぼれた。

 ファインダーにおさめた姿はきっと、息を呑むほどに美しいのだろう。

 滅多に来ることはないと思うけれど、次から芸能科に来たら幻覚を見そうで今からこわい。渡り廊下は高等部に来れば通る場所なので余計に。


「はーい、OKでーす」


 高等部での撮影も無事終わり、推しの生撮影に歓喜するファン心と、仕事中だと戒める理性との狭間で翻弄されていた凪沙は、ほっと小さく息を吐いた。

 大学側の図書館や学食なども撮影案に挙がったが、動線を考え、まずは恩師へのインタビューを済ませてから向かうことになっていた。

 正直、今回のイベントは学園のPRにはもってこいなので、高等部だけでなく大学の方も宣伝してくれると有り難いという上の気持ちもよくわかる。

 是非、撮っていってほしい。


 もう二時間ほど撮りっぱなしだったことと、スムーズに行き過ぎて当時の担任との約束の時間まで三十分ほど間が空くので、一旦休憩を挟むこととなった。

 スタッフは機材の確認などに余念がない。

 凪沙は、熱中症対策として、学園側として用意していたスポーツドリンクと塩分補給のタブレットを一人ひとり配った。


「どうぞ」

「ありがとうございます」


 もちろん、推しにも。

 にこやかに穏やかに、理想的な事務員として対処出来たと思うのに、何だかAKIは面白くなさそうな顔をした。


「……中ちゃん、せっかくだし俺ちょっと母校見てきていい?」

「常識の範囲内でならいいだろう。すぐ戻って来いよ。――学園側がOKならな」


 田中さんがこちらを向く。


「小動さん。AKIが少し校舎を歩くのは問題ないですか?」

「はい。芸能科と一部の場所は立ち入り許可が出ています。お一人で、学生が利用している場所はなるべく控えて頂きたいのですが……」

「そんなに遠くに行かないから大丈夫。じゃ、案内してもらえます?」


 さらっと言われて、一瞬目が点になった。


「……え?」

「なぎ――小動さんに案内してもらえれば間違いないだろ?」

「わがままですみません、よろしくお願いいたします」

「あ……はい……?」


 田中さんにも頭を下げられ、にやっと悪戯っぽく笑ったAKIが、じゃあ行こうと歩き出したのを慌てて追いかけて、思った。


(私が案内担当だから正しいはずだけど――あれ? 何が起こってるの?)


 短時間とはいえ、推しと二人きり。

 仕事の一環でもこれってありなのか? と、困惑しながら、迷いなく進むAKI――案内とは――の背中を追い、向かった先。

 彼が足を止めたのは、芸能科別棟の奥にある、人気のない外階段だった。

 扉を開けて、手すりから下を見ているAKIは懐かしそうに目を細めていた。

 非常階段も兼ねており、降りた先には小さな植え込みと、校舎の非常用発電機や空調の室外機が置かれているだけのスペースで、表には行きにくい。

 冷房が効いた中の階段やエレベーターと違い、屋根はかろうじてあるけれど暑いので、配置的に生徒はほぼ通らず、用務員が点検の際など利用する位の場所だと聞いている。


「ここさ、エアコンないし、夏暑くて冬寒いから、みんな避けるんだよね」


 AKIは手すりに手をかけて、軽く肩をすくめた。

 コンクリートに溜まった熱が、じんわりと足元から伝わってくる。 遠くで蝉の声が鳴いていた。


「でも、風が通って、空がよく見える」


 言われてみれば、ふとした拍子に風が吹き抜ける。渡り廊下よりよっぽど涼しく感じた。


「雑音が少ないし。レッスンの合間とか、本番前とか……よくここで息整えてたんだ」


 階段の手すりに軽く体重を預けて、AKIは視線を上に上げて空を見る。

 さっきまでカメラの前にいた人とは思えないほど、肩の力が抜けていた。


 本番、という言葉に、凪沙は反射的に腕時計を見た。

 休憩終了まで、まだ二十分以上あることにほっとして。

 吸い寄せられるように、AKIの顔にまた目線が戻ってしまう。


(……だめだ、仕事中)


 そう思うのに、どきどきと、鼓動がうるさい。

 ――独り占め、しているようだ。


「――凪沙さんさ」

「っはい」


 不意に向けられた視線に、踵が僅かに浮いた。


「今日ずっと、事務の顔してるよな」


 不意に向けられた視線に、心臓が跳ねる。


「……仕事なので」

「うん。わかってるけど、なんか面白くなくて、ちょっと誘ってみた」


 悪戯っぽく言われて、言葉に詰まった。

 首を傾げて笑う顔がどこか庇護欲を誘って、きゅんと胸が跳ねた。

 顔が良い。これは何かの番組のシチュエーション企画だったかと、脳がバグる。


「真面目に仕事してて格好良いけどさ。……俺の仕事っぷりはどう?」

「完璧です! 同志に届けるための作品作りに微々たるものですが助力を惜しみません!」


 今日は徹底徹尾事務として私情を持ち込まず頑張ります! と告げると、AKIはふぅん、と言う。


「でもファン心を乱す位の仕事は出来てないかな?」

「かっこよすぎて乱されっぱなしですけど!?」


 思わず突っ込んだら、目を丸くされた。


「そっか、良かった」


 ふっ、と安堵したようなはにかんだような笑顔に、脳内で花火と共に凪沙が打ちあがった。

 推 し が と う と い。


 ぎりぎりと歯を噛み締めて、AKIが存分に懐かしさを堪能するのを待ってから、時間に余裕を持って移動を促す。


 その後の恩師とのインタビューで、AKIの学生時代のエピソードや苦手な科目について笑いが起こったり、図書館や学食で遠巻きに騒ぐ人々に気持ちを同調させたりしている内に、あっという間に時間は過ぎた。


「本日はありがとうございました」


 スタッフ一同と頭を下げ合って、手を振るAKIに貼り付けた笑顔で応えて。

 その背中が駐車場のロケ車に消えていき、車もまた見えなくなったのを見送ってからようやく、凪沙は天を仰いだ。


「……死ぬかと思った……」


 まだ報告や残務をこなさねばと思いながらも、ふーっと長く息を吐いて、がくがくする足を労うのだった。




 夜、家で心ゆくまであーもう! けしからん推しだ! と記憶を肴に悶える凪沙。

 平日は基本飲酒しない上にそんなに強くないが、飲まないとやってられないとやけ酒していた。

 そこに届いたのは、また推しからのメッセージで。


『今日はありがとう。かっこいいって言ってもらえて良かった』


「だから、もう!」


 萌えボルテージが爆発し、凪沙は危うく酒が進み過ぎる所だった。

 翌日は気を抜けばAKIのことが思い出されて、なかなか仕事に集中出来なかったので、社会人失格ではと思い悩んでしまった。


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