Ch1.9 女神(3)
「――あれが伝説の女神様だっていうのか」
コクリ、とナッチョが僕の腕を止血してくれながらうなずく。……ちくしょう。本当に実在したのか。
『ドウイウげんりの魔法なのかのう。……女神さまには一瞬でわかるかもしれんが、わしではたぶん無理じゃろうなあ』
長老の言葉が思い出される。彼は信仰対象である女神が実在するかのように言葉を紡いでいた。というよりもまるで面識があるかのようにも今では聞こえる。……長老は一体なにものだったんだ。
また先の炎の儀式では、ゴブリンたちはあたかも犠牲をささげることで、日常生活を生きながらえてきたかのように祈っていた。
『女神様、どうか我らをこれからもお救いください』
なにをどう、救ってもらってきたのだろうか。あんな残虐性が一目で分かるような、一目で僕の肘を食いちぎるような化物に。
「……ちくしょう……痛え」 もう無い左腕が痛くて、痛くて、思考が回らなくなってくる。おもわずうずくまってしまう。
『恩人様……』 『ナッチョ、逃げるぞ。多分、今にでも着く』 『で、でも』 『ナッチョ! いいから行くぞ!』
焦ったようナッチョの腕を引っ張るトッツォ。今にでも着く、だって? そんなことが、あってたまるか。
僕たちは幸運にも、本島から離れた孤島の近くの海に勢いよく不時着した。すぐに孤島の砂浜に避難し、息を整えているのが現状だ。
正確な飛距離はわからないが、大分長い間飛んでいたと思う。そんな距離をこの一瞬でつめられてたまるか。
『――さて、キサマら、作戦会議はもう済んだか?』
シュン、という一瞬の音の後、淡い期待を裏切るように先ほどの化物が急に現れた。空中に、優雅に立っていやがる。……くそが。
化物は数拍僕らを見下ろした後、退屈そうにこう付け加えた。
『なんじゃ。つまらん。もう終わりか』
なるほど、僕らの顔はそんなにも絶望に染まっていたか。全く、反吐がでるような話だ。
脈絡もなく、悪意にさらされる経験は始めてだ。こんなゲームの世界で経験することになろうとは。
トッツォもナッチョも恭順したように頭を垂れて、槍と手を捧げ始めた。……僕もそれに倣うべきか。
思い返せば、この世界にきた当初も土下座で道を切り開いた。
しかし、今回は状況がちがう。彼女は捕食者だ。シカが頭を垂れても、ライオンは狩りをやめないであろう。
僕は、おもむろに立ち上がる。四肢に、いや三肢に力を込める。状況を打破するスキルも、能力もないが、そうせずにはいられない。
その僕の様子を三者は一様に横目で見ていた。
『立ち上がるか。……しかしオマエ、つまらんのお。味も悪いし、見るからに魔法の素養も常人なみ。かつその素養は1つの魔法にのみ全てリソースが使われておる。……オマエは先ほどの魔法の使用者ではないな』
フッ、と女神は僕への興味をすぐに失くした。そして二人のゴブリンへと顔を向ける。……マジか。僕の覚悟なんて、なんにも興味は示されないのか。
『して、どちらが先ほどの魔法を考え出したのだ? 使い方も悪くなかった。そいつだけは、食わんでおこう。さてどちらじゃ。急く答えよ』
そこで即座に、トッツォが迷いなくナッチョを指さす。ナッチョがそれを受けて、声を発しようとする。
『待っ――』
『そうか。まあわかっておったのじゃがな。あいわかった。そいつは生き残らせてやろう』
女神が腕を振る。トッツォが蜃気楼のように消えていく。
その顔は、静かに笑っていた。
『――待って! トッツォ!!!! なんで――』
蜃気楼は閉じていく。ナッチョが急いで彼のもとへ駆けていくが、間に合わない。
数瞬後、トッツォは完全に消えて見えなくなった。
『…………なんでぇ。……トッツォぉ……』
トッツォが持っていた槍だけがその場に残されている。それをナッチョはぎゅっと握りしめ、うずくまってしまう。
『ふむ。安心せえ。まだ死んではおらん。……まああとでゆっくりと、日をかけて食べてゆくがな』
よい栄養価になりそうじゃ、などと裏腹に全く慰めにならないことを口にする怪物。
『……のせいだ』
強くトッツォの槍を握りしめ、ナッチョが何かをつぶやいている。その瞬間、僕の視界がブレた。
「――あえ?」
ここは、この位置は先ほどトッツォが消えた場所だ。
――ナッチョと僕の位置が入れ替わっている!
『……うおおおオオオ!』
すぐに振り返ると、僕がいた場所で、ナッチョが怪物に向けて槍を振りかぶっていた。
いままで見てきたトッツォのやり投げの姿勢と、イメージが重なる。
『――オオオ!』
槍が、怪物目掛けて、一直線に放たれる。
空中に確かな威力を持って伸びていくその槍は ――しかし女神が優雅に空中で一ステップ踏むだけで、躱されてしまった。
……悔やまれるのは、トッツォと比べて槍のスピードが遅すぎたことか。
『――全く、芸のない』
しかしなぜか女神は笑いながら視線を槍が放たれた虚空へと向ける。
そこには、槍と位置を入れ替わったナッチョが、自分の身長の数倍になる大きな炎を、手のひらから展開している姿があった!
『うあああああああ! 消命火!』
火炎が、放たれる。炎の規模が大きすぎるためか、先ほどと違い逃げるスペースはない。
そして、炎は女神に吸い込まれるように直撃する。
カッ、と爆ぜる音が聞こえた。視界と意識が、吹っ飛んでいく。
「――――っは」
水蒸気が辺り一面に広がり切っている。白くてなにも見えないし、聞こえない。キーン、と三半規管がやられたのか、立ち上がれない。
しかしそれも徐々に収まってくる。状況を、把握しなければ。
だんだんと、視界もクリアになっていく。
『――しまった。勢い余って、殺してしまったか』
水蒸気が晴れ渡ると同時に見えたのは、胴体を切り裂かれてたおれているナッチョと、いまだ優雅に空中に立っている女神だった。




