理を超えた影響
「――というわけで、魔法教会は正式にアデル様を三属性混合であることを認め、魔法学校卒業と共に三属性混合魔法使いの資格を与えることに決めました」
ピンクの髪が視線の下へと流れた。
深々と頭を下げたミーニャが、クリフォード宅にて最終的な報告にやってきたのだ。
魔王撃退後、世界から大きな脅威は消え去った。
生き残った魔物の掃討や、四天魔最後の生き残りであるメーの捜索は今だに続いているが、平和と取り戻したと呼べるぐらいには世界は落ち着きを取り戻している。
そして、俺とフォオネたちは無事に進級試験に合格し、レイシアも会場の外まで埋め尽くす大観衆の中、華々しい記録を残すとともに魔法学校を卒業した。
「そっか。んじゃ、もう監視の任は解かれたんだな」
「はい。お世話になりました」
ミーニャはさみしげに笑う。
こいつは結局、魔法教会で生きていくことを決めたらしい。
自分の今の地位に甘んじることなく。
我を通し続けて戦うのだとか。
「ミーニャさん。せっかくですし、お食事を召し上がっていかれませんか?」
厨房から戻ってきたレイシアがそう言った。
最近レイシアは、今までメイドにまかせていた作業などをすべて自分で行っている。
一人立ちの準備を始めているというわけだ。
「よろしいのですか?」
パアッとミーニャの顔が明るくなった。
こいつってこんなにレイシアのこと好きだったっけ?
「ええ、もちろん。アデルもね。ちょうど今、お姉ちゃん特製のレシピが形になったから。皆に食べてもらおうと思って、今回は多めに作ったの」
ついにきたか。
ミーニャに妨害されてから、レイシアの手作り料理は結局おあずけ状態だったからな。
リビングでミーニャと一緒に待っていることにする。
「魔法教会のやつらは、そんなすぐに俺のことを認めたのか? 一時的とはいえ俺から目を離してたわけだけど」
「それが、私も疑問だったのですが。拍子抜けするぐらいあっさりでした。異議を唱える者も一切おらず、今までの厳戒な審査はなんのためにあったのかと、私も肩の荷が降りるどころか力が抜けてしまいました」
「そうなのか」
英雄たちが俺のことを秘密にしてくれてるのはいいんだけど。
魔法協会側の動向が謎なんだよな。
それからミーニャから色々と情報を聞いてみたが、俺のことは上層部の特にトップの方の人間でしか話し合われていないのだとか。
そりゃわからないわな。
「はい。お待たせしました」
出てきたのは、比較的小さい器に盛られたスープパスタらしきものだった。
女子らしいといえば女子らしい。
しかし、なんだろうこの香りは。
俺はグルメじゃないからわからないが。
とにかく食欲をそそる。
いや、これは感覚が敏感になっていると表現したほうが良いのか?
こいつは食わずにはいられない。
目の前で裸の美女が誘っているような、そんな本能に直接語りかけてくる罪深い香りをしている。
「いただきます」
俺とミーニャは同時にフォークを取り、それを口に含んだ。
その直後。
俺の意識は飛んだ。
失神したというわけではない。
飛翔したのだ。
この魂が、天まで。
魔法少女の変身シーンをなぞるように。
あるいは某ロボットアニメの精神世界に入りこんだように。
さきほどまでテーブルに着いていたはずの俺とミーニャは、謎に生まれたままの姿になって、ワープ空間に浮遊していた。
遠くに光が差し込んでいる。
俺はミーニャと手をつなぎ、頷きの後にその出口らしき場所へと進んだ。
「こ、これは……!」
そして、至ったのは、天空に浮かぶ雲と植物の楽園。
その日。
俺とミーニャは、天国というものを知ったのであった。
△▼
この世の中には魔法学校という機関がある。
一般教養から魔法の基礎、応用、それは将来の職に関わることまで幅広く教え込まれる。
初等部は6年間の教育を義務としており、これを乗り越えなければ公的な仕事に就くことはできない。
高等部への進学は任意ではあるが、平和が続いた今の世の中では即戦力よりも将来性に重きが置かれており、ほぼ義務教育のようなものになっている。
つまり人生のうちの9年間はほとんどの人間が学生として過ごす。
辺境の地でも派遣された教師と正式な契約を結べば簡易的な学位を取得することも可能なので、特殊な事情でもない限り田舎者であろうと金持ちであろうとこれにほぼ例外はない。
俺の現在の学年は初等部の5つ目。
これから先も学生としての時間はたっぷりある。
もともと、可愛い女の子といちゃらぶしながら余生(アデルとしての一生)を送ることという非常に簡素で快楽的なものこそが俺の人生設計であり、神の言っていた悪いやつとかが来なくなればこっちでの生活は完全にギャルゲーコースへと突っ込むことになるだろう。
ついには魔王まで出てきて、さあもうエンディングじゃないか。
ここから先は後日談ということできっと次の世代くらいまでは平和な日々が続いていく。
フィオネと、アーイェと、レイシアと、他にももっとたくさんの女の子をいちゃいちゃしながら、楽しい学園ラブコメを堪能するのだと。
――「貴様が歪めたのは我の存在ではない……世界の……理だ……」
第五学年最初の授業の準備をしながら机で呆ける俺の頭の中に、不意によぎった魔王の最期の言葉。
たしか魔王は勇者によって倒されなければならないだとか言ってたな。
勇者、そもそも出てきてないんだけど。
もしかして俺の知らないところで召喚でもされていたのか?
仮にそうだったとして……どうなるっていうんだよ。
「アデル」
ぐるぐると答えの出ない問いが巡る脳内に、最近すこし低くなったというか落ち着き始めた少女の声が響き渡った。
「んあ。おはよう」
その聞き慣れた声に俺は生返事を返す。
複数椅子が並べられている教室の中で、わざわざ俺の真隣に座ってきた赤髪の少女が鞄を机の横にかけながらポツリとつぶやいた。
「あの銀髪の小さいの。学校を辞めたらしいわよ」
「……は?」
聞き違いか? と思ったが。
思わず顔を上げた先で交差したフィオネの視線から、それが勘違いでも冗談でもないことがわかった。
「アーイェが? なんで?」
「さあ。エイミー先生にその旨だけ伝えられたから。どうして私に話したのかはわからないけれど。私たちがつるんでるのを見てたのかしらね」
俺はただ呆気に取られていた。
先にも言った通り、今の世の中では学校を卒業しないということは普通ではない。
仮に国家魔法士の子供であれば、おそらく事実上の人生ドロップアウトになるだろう。
アーイェの実家は本屋を営んでいたはずだから、その後を継ぐことを決心したのだとも考えられる。
だがそれでも不自然だ。
どうしてこんな時期に。
「確かめに行くか」
放課後、俺はフィオネを連れてアーイェの家に行くことにした。
アーイェの家はとなり町にある。
学校までの無料送迎バスがでているのでそれで移動することにした。
そこは道も建物も、ひたすらレンガが続く住宅街と商店街を切り抜いて一つの町にしたような場所だった。
これといって目立つ建物があるわけではないが、生活するだけならここで全て完結してしまえるようなところである。
「ここか。古そうな本屋だな」
俺はアーイェの家を見上げる。
大きさとしては標準的なコンビニくらいと言えばわかるだろうか。
個人でやっている分には大きいほうか。
「普通に営業してるわね」
「そうだな」
学校を辞めるってのは別の場所に移るって可能性もあるにはあったのか。
でも、この様子じゃそれもなさそうか。
中に入ると、予想通りの紙の香りが。
俺はそんなに本屋に関わりがあったわけじゃないからな。
嗅ぎ慣れた匂いってわけでもないが。
えっと、レジに座っているのが……アーイェの家族か?
父親、ではないよな。
かなり老けこんでるし。
祖父か。
「あの、すみません」
俺が声をかけると、レジの老人はムクリと顔を上げた。
立ち寄る客には特に気を向けないらしい。
「おやいらっしゃい。あんたみたいな若いのがこんなところに珍しいね。何が欲しいんだ」
「いえ。俺たちが用があるのはアーイェなんですけど」
それだけ端的に言うと、老人はやや顔をしかめた。
「ふむ。君たちはアーイェの友達か。悪いな。今は会わせるわけにはいかない」
「なぜですか?」
俺が質問をすると、老人は大きくため息をついた。
「彼女は好奇心が過ぎた」
語り口調。
しばらくは付き合ったほうが情報が貰えそうだな。
「学年代わりの休みにな。旅行に行っていたのだよ。そこで良からぬ病気を拾ってきたらしい。どの医者に診せてもうんともすんとも言わんでな。そのうち一人が似たような症状で倒れてしまっての。結果、今は栄養を摂って安静にするしかないのだ」
病気?
あのアーイェがか。
馬鹿は風邪引かないってタイプの人間だったのに。
まあ、それなら俺が治せばいいか。
「わからないわね」
キツめの口調でフィオネが割り込んできた。
ん、どうしたんだ。
「それがなぜ、休学ではなく退学になるのかしら。治る見込みのない病気なら、世間で全く騒がれていないのはなぜ? 一番近くにいるはずのあなたが元気そうにみえるのはどうしてかしら? ご両親や兄弟は? 感染した医者はどうしているの?」
フィオネが問い詰めると、今度は意気消沈した面持ちで老人はそれに返す。
「世間で騒がれていないのは騒がせたくないと国が判断したからだ。感染者はみな、政府が特別な場所に連れて行ったよ。感染は誰にでもというわけではないらしい。あの子の両親はな……もう随分前に亡くなっている」
ゆったりとした口調で。
しかし全ての問いに見事に答えていく。
「そうだったのか。あんまり根掘り葉掘り聞いて悪かったな」
俺が横槍をいれる。
どういう病気なんだかはわからないが。
まああいつと病気との繫がりを消してしまえばいいだけの話だ。
「フィオネ。行くぞ」
「なによ。信じるの?」
「なんで信じないんだよ」
「胡散臭いじゃない」
「本人の前でお前な……」
フィオネが動こうとしない。
こいつなりに何か勘がはたらくものがあったのかもしれないが。
「真実を明かせぬ話だ。信じられんのもわかる」
老人はそれだけ言うと黙りこんだ。
傍らに置いてあった本を指で擦りながら。
帰れと言われているような気もする。
「どこが信じられないんだ?」
「全部ね。とりあえず、あの子がどこにいるのか、感知しなさい」
「政府にお目通りすればいいだけの話だろ。こっちはコネがあるんだから」
「そこにいれば、ね。いいからやるのよ。あんたならできるでしょ」
あいつの魔力は覚えてるからな。
俺の能力を使えばこの星の裏側にいたって感知することはできる。
「……あれ?」
近い。
思ったよりも、かなり。
アーイェの魔力をすぐ近くに感じる。
でも、なんだろう、この位置は。
上、じゃない。
地下……?
「やっぱりね」
俺の状況を察したフィオネがズカズカと奥の部屋へと入りこもうとする。
おい、許可もとらないでそれはさすがにマズいだろ。
「やめなさい」
老人が咎める。
それはたしなめるような優しいものではなく、殺意さえ滲み出るような忠告だった。
「あの子は君たちが考えているよりずっと複雑な事情を抱えている。一般人が関わるべきじゃない」
「そう。だったら嘘なんてつかないでさっさとそれを言えばいいじゃない。あなた、あの子にやましいことでもしてるの?」
はあ、と老人は大きなため息を再び。
フィオネのやつはさっきから眉毛一つ表情を変えやしねえ。
見てるこっちがハラハラする。
「命に関わることだから忠告をしているのだ。君たちも、あの子も。見ることも、触れることも、知ることすら許されぬ。どうか引いてくれ。あの子のために」
交わる二人の視線。
さて、フィオネはどうするかな。
「オズマルド魔法学校に現れた怪物の話は知っているかしら?」
「それがどうした」
「そこにいる男はね、その学園の全生徒を単身で救ってみせた阿呆なのよ。一般人が触れるべき話ではないのかもしれないけれど。今回は別と思いなさい。事態が深刻であればあるほど、話したほうが身のためになるわ」
阿呆とはなんだ阿呆とは。
ヒーローと言いなさい。
「そうか」
ぽつり。
老人から敵意が消える。
「やたらと強きに出ると思ったらそういうことか。ありがたい話ではある。たしかに、今まで話したことはデタラメだ」
だが、と老人は強い口調で続ける。
「今度ばかりは手を引け。君たちでどうにかなるレベルの問題ではない。これは“理”をどうこうしようという話なのだ。我が、一族のな」
その言葉に、俺の頭が何か軽く小突かれたような気がした。
理、だって?
おい、まさか。
「俺が、魔王を殺ったせいか……?」
混乱した頭が勝手に吐き出した言葉。
それを聞いて老人は、椅子を蹴り飛ばして立ち上がった。
「それは、真か」
あまりの凄みに俺は人形のように首を縦に振る。
「そうとなっては、帰すわけにもいかぬか」
この急変っぷり。
やっぱり、俺のせいだったのか。
「案内しよう。だが」
背を向ける老人。
裏の暖簾を手で退けながら立ち止まった。
「わしを恨まんでくれよ。それが筋違いだとわかる程度には、大人であってくれ」
切実に告げる老人の声。
あいつはいったい、今、どうなってるんだ。




