【大陸の抱える問題②】
みなさま、おはようございます(^▽^)/
今朝は昨日に引き続き『震電』のイラスト!
しかも構図もそのままで『震電改』(架空)を掲載してみました。
製作は本編の登場人物である、柳生さんです。
エンジンはハ‐140に過給機付き。
史実では複雑な構造の水冷エンジンの生産に戸惑った上に、過給機の開発もままならなかった日本ですが、今回は高性能な欧米の精密加工装置を沢山輸入しているうえ、その過程で多くの技術者が加工技術や生産装置の扱い方を習得するために海外に研修に行っておりましたので、ほぼアメリカと同程度の加工技術を持つことが出来ました。
現代でもそうなのですが、特に信頼性が求められる自動車部品を本気で作ったことが加工技術の向上には大きく反映したと言えます。
さて、この震電改は本来搭載されるはずの空冷エンジンではなく、水冷に変えたことで先ずエンジンの冷却に関する問題が解決したことで大きく実用化への目途が立ったと言えます。
なにせ空冷エンジンは元々機首の先頭に付けて、思いっきり風を浴びることが冷却の基本なので、それを最後尾に付けたのではまともに冷却は出来ません。
おそらく最後尾に付けたエンジンを冷却するには、開口部(空気を取り入れる口)を大きくすることが必要となり、そうすると機首前方に付けた従来の方式と似たような空気抵抗を受けると思います。
これはエネルギーの法則で、焼けたエンジンを機外から流入する自然の空気で冷やすのであれば、同じ量で同じ風圧の空気が必要だと言う事になります。
また後方に巨大なプロペラがある構造で、離着陸の際にそのプロペラが滑走路に着かないように長い主脚が必要となり、その場合主脚の強度や耐久性が問題になりました。
今回の『震電改』では大型の6枚プロペラを4枚の普通サイズとし、主翼は逆ガル式を採用することで後方の車輪軸を短くし、機首に垂直翼を配置することで捻じれに対応すると共に、その垂直翼の中に伸縮式の前輪を収納して強度を高めています。
「捻じれ」に関してなのですが、機首先頭にプロペラが付いている飛行機でも実はプロペラの回転方向に捻じれが発生しているのですが、実はその捻じれを主翼による浮力などの空気抵抗が抑える役目をしています。
つまりプロペラから出る捻じれた空気が、主翼により水平に戻されているのです。
(主翼が無いとプロペラ機は、回転方向に逆らうことが出来ずにグルグルとプロペラ回転軸に沿って回転してしまいます)
あと前翼が元の震電よりも下の方に付いているのですが、コレは逆ガル式の主翼と同じ様に、翼により出来る薄い空気の層をプロペラに当たることを防いでいます。(薄い空気は、プロペラの抵抗を抑えることが出来ますが、その分プロペラによる推進力は弱くなります)
また前翼が自動車レースのF1カーのように胴体から離れていますが、これは機首が引き裂く空気の波から離すことでより多くの浮力を生むことが出来ますので、震電の試験飛行で起きた低速時の機首下がりにも有効な手段とも言えると思います。
とにかく前翼を持つ航空機の空力特性はとても複雑なので、
執筆の励みになりますので、ブクマ&高評価をいただければ幸いです(⋈◍>◡<◍)。✧♡
それでは今日も体調管理に気をつけて、元気に笑顔で、いってらっしゃい(^▽^)/
問題が私が思うようにストレスだとするならば、過去の世界で起こったあらゆる事件は、時間と形を変えるだけで必ず起こるだろう。
それを回避できるのは武力ではない。
私は石原少将と共に南門から城郭要塞の中に入る。
南門のすぐ傍にはイギリス軍約250名が駐屯する宿舎があり、その直ぐ隣にある西門にはアメリカ軍1個大隊(約500名超)の宿舎、それを抜けると広い空き地が続く向こうの北門に日本陸軍の司令部と大隊宿舎、東門にはフランス軍約250名とイタリア軍約100名の宿舎が並んでいた。
広い空き地でフランス兵とイタリア兵がボールを蹴飛ばして遊んでいて、非番の者たちがヤンヤと声を上げて応援していた。
応援している者の中に日本兵も居た。
「あれは、何をしているのですか?」
「フットボールだ。欧州では流行っているらしいな」
確かにフットボールは体育の授業でしたことはあるが、それは筋力や持久力を養うためのもので遊びという認識は無かった。
まして、まるで野球を見るように応援している姿には驚かされた。
「まあ、彼らも俺たちと同じで、母国を離れての勤務だ。こういった事でストレスを発散しなくちゃやって居られない。まあ良いコミュニケーションにもなるから非番の者たちには積極的に参加するように言っているんだ」と、石原少将は言った
なるほど確かに他国の人たちとコミュニケーションを図る目的でこの城郭要塞を造った訳だが、このような副産物もあったとは予想外だった……!
“そうだ、コレだ!”
私は北京にある日本領事館を目指した。
万一盧溝橋事件が起きた際に備えて、北京には宮崎龍介に待機してもらっている。
彼は孫文の盟友である、宮崎滔天の長男で蒋介石にも縁のある男。
過去の史実では盧溝橋事件発生のあと近衛総理から中国との和平工作の特使として命じられ蒋介石も同意していたが、神戸港から出発する長崎丸に乗船したところ上海に行く旨の電報が軍に傍受されていて待ち構えていた憲兵隊に捕まり渡航は叶わなかった。
領事館に入るとすぐに宮崎氏を探し、事の詳細を打ち明けた。
彼は慌てて飛び込んできた私を見て何事が起きたのかと驚いていたが、話を聞くと「なんだ、そんな事ですか」と、呑気に給仕が運んでくれたお茶を飲んだ。
「できますか⁉」
「まあ、特に問題は無いと思います。しかし、驚かさないでください」
「驚かす?」
「だって大本営の特命将校のアナタが血相を変えて領事館に飛び込んできたのですから、僕はてっきり盧溝橋の城郭要塞付近で何かとんでもない事件が起きたのかと心配しましたよ。でもまさかその話が北京と上海で、大学同士のサッカー大会を行いたいとは……」
宮崎氏は呆れたような口調で言った。
試合については、幾つかの注文を付けた。
まず試合内容は、観戦に来れない人にも分かるようにラジオで実況中継をすること。
そして試合の告知も兼ねて日中友好の文字とお互いの国旗の絵が入ったサッカーボールを北京と上海周辺の小学校に配ることとして、ボールの方は私が用意することを伝えた。
サッカーの試合には北京会場で北京大学と清華大学、上海会場で復旦大学と南京大学が同じ日に試合を行い、お互いの勝者が後日決勝戦を行う事となった。
ラジオ中継は上海のFFZ局と、北京のXPK局が担当するほか、現地に居る法人向けに日本からも放送局が参加するほか米英伊仏の駐留軍からも無線を使った放送が行われる事となり、小学校に配る記念ボールにも米英伊仏の国旗が追加された。
記念ボールは陸海軍が協力して各学校に配り、余分に作ったものは会場で販売することにした。
7月4日(日曜日)に、試合は行われた。
北京、上海ともに、会場に入れなかった人たちのために市街地の至る所に日中友好の垂れ幕を広げてラジオを置いた。
試合は両会場とも白熱した接戦となり、中継を担当したラジオ局のアナウンサーがその模様をエキサイティングに放送した。
これには試合会場のみならず、街頭ラジオの前に集まった多くの人たちをも魅了した。
「やあ。何を仕出かすのかと思ったら、サッカーの中継とは恐れ入ったね。しかし盛り上がったな」
「ありがとうございます」
試合が終わった後、城郭要塞に戻ると石原少将が労ってくれた。
そして運命の7月7日。
「中国軍の馬車が来ます!」
伝令の言葉に一瞬緊張が走り外を見ると、門の前に並ぶ数台の幌馬車の列が見えた。
「開門を要求していますが、どうします!?」
もしもアノ幌馬車の中に兵隊が隠れていたら、トロイの木馬同様に城内は大変な事になると思い石原の言葉を待つ。
だが石原は平然とした顔をして、通してやるように伝令に言った。
私は慌てて宿舎から飛び出し、門の方に向かった。
しばらくして門の方から、ワーっといった大きな歓声が上がる。
走っていた私の位置からは、ちょうど建物が邪魔をして何が起きたのか分からない。
歓声の後に続くのは、銃声か?
それとも……。




