【盧溝橋要塞③】
みなさま、おはようございます(^▽^)/
今日から8月!と、言っても暑い日が続くばかりですが、唯一のお楽しみは「お盆休み」‼
その日に希望を持って頑張りましょう(^▽^)/
さて今朝のイラストは、大鯨型強襲揚陸艦!
大鯨は、もともと空母「龍鳳」に改造され、「瑞鳳」と共に南洋で活躍し最後は練習艦として呉空襲で損害を受け終戦を迎えました。
アメリカの小型空母(護衛空母)は、そこそこ活躍した感があるのですが、日本の場合、やはり隼鷹や飛鷹くらいでないと活躍したような感じがしません(;^_^A
珊瑚海開戦で沈んだ「祥鳳」みたいに米空母部隊が潜む海域で、船団の護衛!
そしてまるで囮のように撃沈してしまいました(-_-;)
それに比べると米軍は護衛空母と言っても単艦で船団を護衛することはなく、チャンと機動部隊っぽい布陣を敷きます。
なにしろこの護衛空母は数が半端なく多いですから(;^ω^)
(カサブランカ級航空母艦の同型艦は50隻‼です)
もともと海軍の中には空母機動部隊の運用に明るい人たちが殆どいませんでしたので、実用性の高い大型空母でもろくに扱えないのに小型空母などの運用など出来るはずもありませんでした。
それなら上陸部隊の支援を兼ねる強襲揚陸艦の運用の方が目的も確り分かりますから無難かなって思います。
(ただ史実では、開戦緒戦では困難が予想された戦域への上陸作戦も、意外に何の苦労もなくスイスイ上陸し占領してしまいましたので、この大鯨型強襲揚陸艦の出る幕もなかったことでしょうね(^^ゞ
執筆の励みになりますので、ブクマ&高評価をいただければ幸いです(⋈◍>◡<◍)。✧♡
マダマダ暑い日が続きますが、体調管理に気をつけて、今日も笑顔で、いってらっしゃい(^▽^)/
盧溝橋の城郭要塞案がまとまり、準備段階に入ると私は陸軍参謀本部の石原課長とともに現地に赴く。
目的は盧溝橋要塞の建設だが、中国側と演習地確保のために準戦争装備の状態で駐屯地から外に出ることで起こる偶発的な事件などを未然に防ぐ目的のため、盧溝橋付近一帯に部隊駐屯地及び演習場を兼ねた施設設営の旨、申し入れを行うことにした。
この駐屯地は日本陸軍だけのものではなく、北京市街に住む自国民保護の目的で駐留しているアメリカ、イギリス、フランス、イタリア軍の安全も守るため共同で使用することとした。
北京に各国の軍隊が駐留するのは1900年に起きた義和団の乱のような事件を起こさせないために駐屯している。
義和団の乱とは、宗教的秘密結社義和拳教による排外主義運動を清国の西太后が支持して同年6月21日に欧米列国に宣戦布告したために起きた国家間戦争。
場所は日本陸軍が演習場として使用していた盧溝橋鉄道橋の北側に約5㎢の広大な土地を得ることが出来た。
これなら盧溝橋要塞内で訓練も出来るから、偶発的な事件は起こらないだろう。
「おつかれさま」
日本に戻ると、東京飛行場に結城薫が出迎えに来てくれていた。
東京飛行場は国際空港として1931年(昭和6年)に開港したばかりだ。
場所は穴守稲荷神社にほど近い羽田町にある。
「ただいま。でも、どうして、ここに?」
大本営には「アス、カエル」と、だけ電報を打っておいただけで、飛行機で帰るとは記載していなかったのに……。
「だってアナタ、飛行機が大好きですもの。違う?」
たしかに私はサンパンまで94式水上偵察機に乗って行き、そこから硫黄島、小笠原を経由して戻った。
だが好きなわけではなく、それ以外に帰る方法が無かったから。
薫さんの運転する車に乗って帰る。
いくら未来から来たとはいえ、車の運転までするとは、なんという “おてんば” なのだろう。
それとも、未来では、これが普通なのか?
「ところで、一夜城は、どうだったの?」
「ああ。大成功だったよ。中国の人たちは、皆びっくりしていたさ」
驚いたのは中国人だけではなかった。
諸外国の派遣部隊も突如現れた城に驚いていたし、まさか日本人が造った城に自分たちも招待されるとは思ってもいなかったらしく「一緒に北京に住む同胞を守りましょう」と提案すると各々が本国へ問い合わせて許可をもらい入城してきた。
驚いたのはそれだけでなく、諸外国の兵と共に過ごす事になった日本軍の兵士たちも変わった。
この頃はまだ鬼畜米英ではなかったにしても、いずれは彼らと戦う事になるのだろうと思いピリピリした雰囲気があったが、いざ一緒に城の中で過ごすようになると一緒に食事をとり一緒に酒を呑み、一緒に遊ぶようになり友好のムードが広がったことに私自身が驚いた。
しかしよく考えてみると当然と言えば当然な話で、アメリカでの武官経験のある海軍の山本五十六大将も陸軍の栗林忠道中将も親米派で、だからこそアメリカの実力を侮らずに良い戦いが出来たわけだ。
敵を知らずして戦争など出来ない。
まさに私の居た頃の日本は、敵を知らない者たちが主導して戦争をしていたのだから勝てるはずもない。
「そうよね。まさかハリボテなんて思わないでしょうから。アンタって見かけによらず、とんだ歌舞伎者なのね」と薫さんに言われた。
この言葉は現地で陸軍の石原課長にも言われた。
彼は私にこういった。
「アッと驚くような見世物を見せられているうちに、戦争を起こそうとする者たちがいつの間にか平和主義者になってしまったね」と。
石原課長は、かつて満州で柳条湖事件を起こした立役者である石原莞爾大佐だから、私はその場で切られるのかと思い覚悟を決めた。
だが彼はそのあと楽しそうにベースボールをして遊んでいる日米の兵士たちを見ながら、俺も少しだけアメリカ人が好きになったかもしれない。まったく君はとんだ歌舞伎役者だよと言って笑った。
宿舎に帰ると柳生さんが居ないことに気付いた。
「あれ、柳生さんは?」
「あー……そうか、知らないよね。柳生は満州に行ったの」
「満州⁉」
「そう。満州の要塞造りの監督として」
「そんなの、私が行ったのに……」
「史実通りならソビエトが満州に攻め込んでくるのは昭和14年のノモンハン事件のときと、あとはドイツとの戦争が終わった後のこと。だから忙しいアナタの手を煩わせてはいけないって」
「そうか」
薫さんはそのあと夕食の支度をしてくれ、それを一緒に食べた。
暮れも押し迫る寒い夜、強い風に叩かれるように曇ったガラスがカタカタと鳴っていた。




