第八十三幕 終わりの始まり
ハイヤード植物学研究所。
城と同敷地内にあるそれは、世界屈指の研究施設だ。所長はバーズ様。
国王としての執務を行いながら、そちらの研究にも勤しんでいらっしゃる。
植物のお話をなさっているバーズ様は実に生き生き。
この間も新しい植物を発見され喜ばれていたわ。
ゆっくりと研究に専念なさって欲しいけれど、国王の執務を手伝うなんて出来ないし……
それはラズリも同じだったらしく、昨日のお茶会の時、「そろそろどうですか? 国王の方は僕に任せて研究所の所長だけなされては? 僕ではまだまだ未熟ですが、幸いな事に支援者も多々いますし」とバーズ様に優しい気配りを見せてくれていた。
でもなぜかバーズ様青ざめて、「なんで家族の楽しいお茶会に隠居勧告なんかするわけ!? わしまだ現役でやれるから!」と叫んでいたけど。
私は本日そのハイヤード植物学研究所へとやってきていた――
「シルクとラズリがここへ来るなんて久し振りだね。小さい頃はよく来ていたけど」
「えぇ。そう言えばそうでしたね。ラズリとお花で王冠作ったりした記憶がありますわ」
辺りを綺麗な花々や変わった形状をした植物に囲まれ、私達はバーズ様に先導されながら歩いている。
この施設は毒花も多々扱っているためか、中の警備は城以上に厳しい。
扉一枚開けるのも金庫の鍵を開けるように、ダイヤルを回して一枚一枚開けていかなければならないのだ。そのため外部の者が入れるのは、一部エリアだけ。
他は研究者だけになってしまう。
だから私達はバーズ様に先導して貰い、そのエリアにある温室を歩いていた。
外は肌寒いけれどもここは人工的に温度調節されている。温かいを通り越し、鼻の頭に汗をかくぐらいに。
ここには温室の他に寒冷地用の部屋もあるの。そこは氷の中のように反対に凍えそうになる。
「姉上、覚えてて下さっているのですか? 僕と姉上の麗しき思い出の数々を」
「勿論よ。あの頃は想像出来なかったわ。泣き虫だったラズリが今ではこんなに頼もしくなるなんて。本当に大きくなるのは早いわね」
「姉上、そんな頼もしいだなんて……」
隣を歩くラズリは、目元を潤ませた。
やはり泣き虫は変わってないわねと、苦笑いを浮かべた。
私の中では時間が止まったままだ。
幽閉され、地下牢から出て来たらなぜか弟がこんなに成長していた。
七年の月日は実に大きい――
「頼もしすぎるのもどうかと思うよ。なんかさ、まだ十六じゃないか。全然早すぎるって。
もう少し成長が遅くて構わないよ。わし」
「まぁ! バーズ様ったらラズリが大人になるのが寂しいんですね」
そうよね……ラズリは元々なんでもこなせるタイプだったけど、もう少し子供のままで
居て欲しいって思うわ。
だってなんだか置いていかれちゃうようで寂しいじゃない?
「……そういう事ではないのだが」
「ではどういう事ですか?」
首を傾げていると、隣から「姉上」と声をかけられそちらに気を取られてしまう。
視線をラズリに移せば、いつもの笑顔でこちらを見つめていた。
「温室には花を観賞に?」
「ううん。バーズ様にナナツの花を少し分けて欲しいの。サシェを作りたくて。リクが最近キリリグスの花に嵌っているのか、サシェとかキリリグスティーとして楽しんでいるんですって。なんでもとある方に大量に貰ったそうなの。キリリグスのドライフラワー」
「は?」
その言葉と共にぴたりとバーズ様の足が止まり、こちらを振り返った。
顔を引き攣らせて私の隣をじっと見ている。
その視線を受けたラズリは、ただ微笑んでいるだけ。
――何かおっしゃりたい事でもあるのかしら?
バーズ様は口元を何度か動かしながら、視線を泳がせていた。
「そ、それ誰から貰ったかわかるかい?」
「さぁ、そこまでは……」
この間リクのお母様がいらっしゃった時に伺ったから、よくわからないのよね。
ギルアでは違うけれど、キリリグスってあまりこっちの国では相手に送る花としては相応しくない。
花に黄色リボンを巻き相手に送ると、縁切りになってしまうから。
そのため相手に不愉快な思いをさせてしまう可能性もあるので、贈り物としては滅多に送らないんだけど……しかも大量にって……
ちょっと心配になったけど、相手がその件を知らなかっただけかもしれないし。
それに黄色のリボンさえ結ばれていなければ、問題ないしねと納得した。
「それで今度リクが来る時にナナツのサシェをプレゼントしたいのです。香りの系統が似ていますし」
そのためお花を分けて貰うためにやってきた。
それをドライフラワーにしてサシェを作って、この間のプレゼントのお礼にしたいなぁって思っているの。
「えっ!? ちょっと待って。馬の骨来るの!?」
馬の骨……リクの事だよね?
「えぇ、一昨日フィオナ様がご滞在なさりましたでしょ? その時に二ヶ月後にリクがこちらに来る事を伺ったのですわ」
「へー。リクイヤード王子来るんですか。楽しみですね」
「うん。そうなの」
ラズリは自分の事のように喜んでくれているのか、声も弾み凄く素敵な笑顔を浮かべている。
一時期は仲が悪かったって思っていたけど、どうやら大丈夫みたい。
「ラズリ! いいのかい!? シルクがあの何処の知らぬ馬の骨に奪われるかもしれないんだよ?」
「えぇ。僕としても彼の訪問を楽しみにしてますよ。是非来て頂きたいですね。頑張ってここまで」
ラズリは余程リクが来るのが嬉しいのか、神々しい笑顔をバーズ様へと向けた。
すると、それを見て「あぁ……」となぜかバーズ様は納得され頷かれる。
「そうだよね。やっぱり君はそうだよ。うん、さすがだよね」
その台詞に私はわからず首を傾げた。
*
*
*
真っ暗闇の中、枕元にあるランプが淡い光を放っている。
なかなか眠れなかったので私はふかふかのベッドの上でうつぶせになって本を広げていた。
真夜中に図書館まで借りに行くのもあれなので、部屋にあった本を適当に選んだのは、昔懐かしいハイヤードの精霊王とお姫様の絵本。
子供の頃読んだもので、所々に破けたり染みになっていたりとても味わいがある。
「やっぱり今読んでも悲しいわよね……」
精霊王とハイヤードのお姫様の恋愛は、精霊界と人間界のタブー。
その恋は戦の火種となり、二国を巻き込んだ大戦へと発展。
やがて平和が訪れてたんだけど、お姫様は双子の王子様を生み、産後の肥立ちが悪く亡くなられてしまったの。しかも一方の子供が精霊の血を大きく受け継いでしまい、人間界には住めなくなってしまった。
そのため彼は精霊界へ。
兄弟は生まれてすぐ引き離されてしまった。
「……なんか、本読んだらますます目が冴えちゃったわ」
寝台から起き上がり、私は窓際へと向かった。
きっと星を見ればきっと心も落ち着くわよね。
と、カーテンを開き、目にした光景にたまらずに扉を開きバルコニーへ走り出した。
「嘘……」
遠くの方に輝く淡いオレンジ色のような光。
闇夜に浮かぶそれは、蝋燭の火のように内側に向かうにつれ、濃くグラデーションを描いていた。
――あれはニケア村! まさか火事?
「誰か来て!」
大声で叫べば廊下で見張りをしてくれていた騎士が、扉を蹴り破る勢いで飛び込んできてくれた。
腰に手を添え周りを警戒している。恐らく暗殺者か何かだと思ったのだろう。
「どうなさいましたか!?」
「あれ見て!」
私が指を差している方向を見て、二人の騎士が顔を強ばらせるまで時間が掛からなかった。
「私、バーズ様とラズリに知らせてくるわ。貴方達はシドにお願い」
「なりません! 誰かを一緒にして下さい! こいつが姫に着き参ります。騎士団に連絡は俺が」
「わかったわ」
騎士と一緒に外へ出ようとした瞬間、体に違和感が走った。
またあの喉を押しつぶされるような息苦しさに、強ばる体。
つい数日前に庭園で起こった感覚だ。
――嘘でしょ……どうして……




