93、ファッション門
「やぁみんな! 遊びに来た……んだけど……」
にこやかに手を上げる狼男の表情は、こちらへ近付いてくるにつれ徐々に苦いものへと変わっていく。もはや苦笑いとなった笑みを、狼男は吸血鬼へと向けた。
「また酷い格好だね。随分苦戦したの?」
「馬鹿言え、これはほとんど返り血だ」
吸血鬼は不機嫌そうに言いながらあらぬ方向へと視線を向ける。
体の傷は塞がっているものの、シャツにはあちこちに剣で斬られた破れが、そして腹には一際大きな穴が空いている。大量の血液で赤黒く染められ、もはや元の色が分からない状態だ。
ひねくれた主人とは裏腹に、彼の服は先程の戦いの厳しさを滔々と語っている。
「体だけじゃなく服も勝手に再生すればいいのにね」
苦笑いを浮かべたまま、狼男は呟くように言う。
だが彼が何気なく言ったその言葉こそ、俺が密かに考え続けてきたことであった。
「本当そうだよ! シャツなんかほぼ使い捨て状態だし、もったいない。体が治るなら服も一緒に治してよ」
「無茶言うな」
吸血鬼は口をへの字に曲げ、眉間に深いシワを刻みながら呆れたようにそう吐き捨てた。
そんな事は俺だって分かってる。が、そんな魔法のような方法を使わずとも、もう少しなにか工夫のしようがあるのではないか。
吸血鬼の服は使い捨てにするには高価すぎるのだ。
「そもそもそんな堅苦しい上に高い服着る必要ないじゃん、舞踏会に行くわけじゃないんだからさ。もっとシンプルで動きやすい服にしなよ」
そう提案するも、やはり吸血鬼は渋い顔で首を振る。
「ふざけるな、これは僕のアイデンティティだぞ。ダンジョンボスが粗末な格好をしていたら冒険者だってガッカリだろう」
「それはそうだけどさぁ、その服明らかに戦うのに向いてないじゃん」
本当は女性ものなのではないかと疑いたくなるくらいフリルで過剰に装飾されたシャツ、伸縮性のしの字もないスラックス、防御力のかけらもない割に無駄な装飾ばかりが体にのしかかるジャケット。
一日中部屋でワイングラスを傾けるだけの職業の人には良いかもしれないが、そうでない人の普段着として適したものとはとても言えない。
さらなる説得を試みようと口を開きかけたが、俺の言葉は狼男の声に掻き消された。
「なに言ったって無駄だよ、レイス君。服ってのはその人自身を映す鏡だからね、人から強要されたものは着れない」
いつになく落ち着いた声で狼男は俺にそう声をかける。
その言葉に吸血鬼は驚いたように目を丸くしながらもパッと顔を輝かせた。
「珍しくまともなことを言うじゃないか」
「うん、服って大事だよ。俺も女の子の服の系統で口説き方変えてるからね」
「まともでもなかったな」
吸血鬼はそう言って呆れたようにため息を吐く。
まぁ今更驚くようなことではない。彼の生活は全てそれを中心に回っているのだから。
が、ここで俺の頭に素朴な疑問が浮かんだ。
「狼男は女の子にモテるような服を選んでるの?」
女の子の気を引くために発情期の魚類のような派手な服を着ても良さそうに思えるが、狼男の服は吸血鬼にも見習ってもらいたいほどカジュアルかつ飾り気のないシンプルなものである。
よく分からないが、こういったものが女の子には受けるのだろうか。
だが狼男は笑いながら首を振ってみせる。
「いや、そんなことはないよ。ただできるだけ女の子に警戒されないよう意識はしてる」
「なるほどなー」
「あとはできるだけシンプルで動きやすい服にしてるよ。変に飾りとかあると逃げるとき邪魔だし、掴まれるし」
「あー……」
「お前はもっと他にトラブルを回避する方法を考えた方が良いんじゃないか」
吸血鬼は眉間にシワを寄せ、渋い表情を浮かべながら吐き捨てるように言う。
俺は吸血鬼の服装を改めて眺め、そしてポツリと呟いた。
「じゃあやっぱり吸血鬼みたいな服が女の子には好かれるのかなぁ」
だがこの言葉にも狼男は首を振る。
「いやぁ、吸血鬼君の服じゃ女の子にはモテないよ」
「えっ、そうなの?」
「大きなお世話だ! 勝手に僕の話を持ち出すな!」
怒り出す吸血鬼を無視し、狼男は勝手に吸血鬼のファッションと女の子の好みについての考察を始めた。
「吸血鬼君服にこだわりあるしオシャレなんだろうけど、オシャレすぎると女の子って引いちゃうんだよね。多分その格好で話しかけたら女の子警戒しちゃうと思うなぁ」
「あー、なるほどね。納得」
「ダンジョンボスが警戒されなくてどうする!」
吸血鬼は腕を組み、イラつきをアピールするかのごとく二の腕のあたりを人差し指で小刻みに叩いている。
先程の負け戦のこともあり、それなりに気が立っているのかもしれない。まぁそんなこと今はどうでも良い。
さて、狼男、吸血鬼と続けば、当然次は俺の番である。俺は期待と不安を胸に、やや前のめりになって狼男に尋ねた。
「俺は俺は? 俺の服はどう?」
俺の問いかけに対し狼男は三秒ほどこの透けた体を見つめ、そして期待と不安に胸膨らませたことを後悔したくなるほどあっさりした口調で答えた。
「んー、普通」
「な、なんだよそれ……」
あまりに期待外れな答えに俺は思わず肩を落とす。これなら「ダサい」と言われた方が幾分マシだったかもしれない。
だが狼男はヘラヘラ笑いながら落胆した俺の様子を眺め、そしてのんびりと口を開いた。
「いやいや、普通が一番なんだよ。キメすぎてもダサすぎても女の子に警戒されるからね」
「そ、そうなんだ。じゃあ俺の服合格?」
「まぁ及第点ってとこかな」
「おお! やった」
落胆から一転、俺は合格点を貰えた嬉しさに思わず歓喜の声を上げる。
だがそれが「不合格」だった者の神経を逆なでしたようだ。吸血鬼は喜ぶ俺の姿を悪意たっぷりに鼻で笑う。
「なにが『やった』だ、全裸のくせに」
「え? なんの話?」
その言葉の真意が掴めず呆然としていると、吸血鬼はこちらを真っ直ぐに見つめ、そして思わず後退りしてしまうほど力強く俺の顔を指差した。
「何すっとぼけた顔してる。お前のことだぞ」
「ええっ、俺!? いやいや、ちゃんと服着てんじゃん」
俺は慌てて手を広げ、自分の体を見せつけた。俺の透けた体はきちんと服を纏った状態で固定されている。死んだ時と同様、ちゃんと冒険者服を着用しているのだ。
ところが、吸血鬼は突き付けた指を俺の体へと向け、意地の悪い笑みを顔中に広げて言った。
「なら聞くが、お前は衣類を身に纏っているのか?」
「纏ってるよ! ほら見たらわかるでしょ」
「本当にそうか? お前のそれは服ではなく、いわば服の形をした肉や皮という位置付けなんじゃないのか?」
「う……」
吸血鬼の意地の悪い質問に俺は即座に言い返すことができなかった。
確かに俺の「服」は植物の繊維やシルクなどではなく、俺自身の霊体によって形作られている。服を着ていない、と言うことは全裸なのか? いや、そんなバカな。なら幽霊は全員全裸ということになってしまうじゃないか。そもそも何を基準に服と言うのだ? ああ、訳がわからなくなってきた――
「ほら全裸だ」
狼狽える俺を見下ろし、吸血鬼は勝ち誇ったように言う。
「そんな聞き方ズルいよ!」
「ははは、お前はダサいダサくない以前の問題だ。もっと羞恥心を持った方が良いぞ」
「確かに全裸はマズいかもねぇ」
狼男まで俺の体を指差してヘラヘラと笑う。なんたる屈辱。
「酷い、狼男まで! こんなの幽霊差別だッ!」
軽薄な化物共に「訴えるぞ」、とまで言いかけたその時。
ガシャガシャというけたたましい足音と共に数体のスケルトンたちが俺たちの前を駆け抜けていった。その手に抱えた箱型のネズミ捕りが激しく揺れ、罠にハマったネズミが振動の度にチュウチュウ鳴き声を上げている。
「なんの騒ぎだ」
怪訝な表情を浮かべた吸血鬼が声に出した疑問はすぐさま解消される事となった。
スケルトンのすぐ後ろをゾンビちゃんが追いかけるようにして走っていくのが見えたからだ。
「ニク! ニク! チョウダイ!」
「……アイツこそもう少し身嗜みに気を使ったほうが良いんじゃないのか」
スケルトンにタックルを食らわせ、嬉々としてネズミを奪い取るゾンビちゃんを眺めながら吸血鬼は呆れ顔でため息を吐く。
彼女の服は戦闘や食事によるシミが至るところに広がり、平気で地面に寝そべるものだから土で薄汚れ、裾も擦り切れてしまっている。その上もはやどれが元の生地なのか分からないほどツギハギだらけだ。
だがゾンビちゃん自身はそんな事気にしていないのだろう。箱をこじ開けて手に入れたネズミに頭から齧り付き、服に新しいシミを生み出している。
「アイツいつも同じ服を着ていないか? 破れたり汚れたりしたらどうしているんだ」
「破れたとこはスケルトンがツギハギしてるみたいだよ。汚れは……ああ、スケルトンたちがゾンビちゃんにお湯ぶっかけたり温泉に突き落としたりしてるのは見たことあるな。洗濯っていうか、体と一緒に洗ってるんじゃない?」
「もはや服というより皮膚だな……」
「狼男的にはどうなの? ゾンビちゃんのファッションは」
「うん、全然アリ」
「マジか……」
「お前、本当は服なんてどうでもいいんだろ」
吸血鬼の指摘に狼男は目を細め、牙を剥いてニヤリと笑う。
「そうだね、大事なのは中身だからね。服の」
「なぁレイスこいつ殺していいか」
「良いよ」
「じょ、冗談だよ冗談冗談! そ、それより俺が気になるのはスケルトン君たちだなー」
物騒な方向に向かい始めた話の流れを変えるためか、狼男は冷や汗を首に伝わせながらネズミを取られて呆然と立ち尽くすスケルトンに目を向ける。
「スケルトン君たちこそもっとオシャレを楽しむべきじゃないかな? 細いし色白いのに、オシャレしなきゃもったいないよー」
「そりゃ骨だからね。細いし白いよね」
「なんだそのとってつけたような話は。何の興味もないくせに」
「そ、そんなことないって。だってほら、スケルトン君たちってみんな機能性重視! って感じの武骨な鎧とか、じゃなかったらエプロンくらいしか着けてるとこ見たことないからさ」
肉食獣にネズミを奪われて意気消沈したスケルトンが、新たな肉食獣の苦し紛れの言葉に色めき立つ。
『金ぴかのが良いな』
『肩にトゲがついてるやつとかどう?』
チラチラこちらを向きながら、スケルトンたちは紙の上で理想の鎧について語らい合う。
鎧の値段というのは本当にピンキリだ。その中でも華美な飾りのついたものなどは一気に価格が釣り上がる。その上、買うとしたら無数にいるスケルトンたち全員に平等に用意しなければならない。
俺たちは期待に満ちたスケルトンの視線から逃げるように顔を背ける。
「スケルトンたち全員にオシャレ鎧なんて買ってたら破産しちゃうよ」
「どうするんだ、スケルトンちょっとその気だぞ。どうにかしろ」
吸血鬼は恐ろしく低い声を上げながら狼男に詰め寄る。ますます自分の首を締めてしまった狼男は、少々固くなったヘラヘラ笑いを浮かべながら軽薄な声を上げる。
「え、ええと……そうだ、オシャレはなにも洋服だけじゃないよ。スケルトン君たちにはもっと足りないものがあるじゃん!」
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闇に包まれたダンジョンの片隅に白く細い肋骨と背骨がぼんやり浮かび上がる。人気のない静かな通路にて、スケルトンがたった一人で地面にうずくまっていた。
俺は恐る恐るスケルトンへと近付き、やや離れたところから彼の背中に声をかける。
「スケルトン、一応聞くけど……なにやってるの?」
俺の声にスケルトンは機械仕掛けの人形のごとくゆっくりとこちらを振り向く。彼の手には黒黒した細長い糸のようなものの束が握られ、そして彼の前には息絶えた冒険者の亡骸が横たわっていた。
スケルトンは手に持った束と紙とを嬉々として掲げ、ウキウキ骨を鳴らす。
『この髪でウィッグを作るんだ』
「ああ……なるほど」
狼男の「やっぱり大事なのは髪型だよ」との一言により、スケルトンたちはすっかりその気になってしまったらしい。
競うように死体から髪を引き抜き、今や様々なスタイルのカツラを乗せたスケルトンたちが肩で風を切りダンジョンを闊歩している。
髪などゾンビちゃんだって好んでは食べないし、スケルトンたちが活用するのは一向に構わないが……
「なんだか気味が悪いなぁ」
髪をなびかせて歩くスケルトンたちを通路の陰から眺めながら、吸血鬼がボソリと呟いた。
「……言わないようにしてたのに」
見慣れないせいもあってか、皮も肉もないスケルトンに髪だけあるというのはなんとも奇妙に見えるのだ。だがそんな事スケルトンたちに言えるはずもない。
「スケルトンたちってみんな似たような格好してるからね。個性を主張したいのも分からないではないけど……」
「はぁ、狼男は本当に余計なことしかしないな」
「でもまぁ、これでスケルトンたちの士気が上がるならね」
「士気が上がってるのか?」
「冒険者の髪の毛は仕留めたスケルトンが貰うっていうルールらしいから。そりゃあもう、すごい士気の上がり方で――」
「なるほど、そのようだな」
言ったそばから、どうやら冒険者たちの襲撃があったらしい。地響きのような足音と砂煙を上げ、髪の毛をなびかせながらスケルトンたちが大挙して通路を駆け抜けていく。
「死んでるとは思えないくらい生き生きしてるでしょ」
「これは凄いな。よし、ちょっと見に行こう」
吸血鬼はそう言うとなに食わぬ顔してスケルトン軍団の最後尾にくっついていく。俺も慌てて吸血鬼の背中を追った。
ダンジョン上階にて冒険者を見つけるとスケルトンたちのテンションも最高潮に達した。
相手は五人組の若い冒険者パーティ。鎧と兜を装着した男を除き、全員が潤沢な髪の毛を揺らしながら戦っている。
こんなのは馬の目の前に人参をぶら下げるようなものだ。スケルトンたちは意気揚々と剣を構えて冒険者へと襲いかかる。首を掻っ切り、潤沢な髪の生えた冒険者の頭部を手に入れるつもりだ。
五人もいる上に冒険者一人一人の実力もかなりのものである。だが気合の入った無数のスケルトンたちの勢いに気圧されているのか、冒険者たちは前に進むことを許されず徐々に後退していく。
優勢な戦況によりスケルトンたちにも余裕が生まれたのか、彼らの興味は兜によって頭部が隠れている冒険者へと向いたようだった。スケルトンたちは兜をかぶった冒険者へと押し寄せ、プレゼントの包装紙を破るかの如く嬉々として兜に手をかける。冒険者は鬼気迫る表情で必死にスケルトンたちを振り払うが、倒しても倒しても波のように次々新たなスケルトンが兜に手を伸ばす。
そしてとうとう兜はスケルトンの手によって強引に外された。
瞬間、あれだけ騒がしかったスケルトンたちが水を打ったように静まり返る。兜を脱いで露わになったのは、髪ではなく頭皮だった。
「うわ……」
「若いのにな……」
通路の陰から戦況を見守っていた俺たちもその衝撃に思わず呟く。
そんなつもりはなかったのだが、静かなダンジョンに俺たちの声は大きく響いてしまった。まずいと口を押えたときにはもう遅い。お祭り騒ぎから一転、ダンジョンには重たく気不味い空気が漂う。
仲間の冒険者すら彼の抱える秘密を知らなかったのだろう。光り輝く頭頂部を見つめ、みな口をあんぐり開けている。
そんな中で沈黙を破ったのは、兜をとられた冒険者自身であった。
「お前ら髪が欲しいんだってな? 俺もだ」
感情のない低い声でそう言うと、冒険者はスケルトンの頭から自慢のカツラをむしり取り、おもむろに自分の頭に乗せた。
「頭が寒くて仕方がないんだ。お前らのそれだって人から奪って作ったんだろう。俺を責める権利などない。恨むなよ」
そう宣言すると、冒険者は身の毛もよだつ鬼のような形相でスケルトンを薙ぎ払い、吹っ飛ばされ地面へと落下したカツラを素早く拾い集める。そして大量の髪を抱えた冒険者は、仲間にもお宝にも目をくれず元来た道を駆け抜けていく。
冒険者の姿は瞬く間にダンジョンの闇に溶けて見えなくなってしまった。
「お、おい。ちょっと待てよ!」
「大丈夫だから逃げんな! みんな薄々気付いてたから!」
呆然と立ち尽くしていた冒険者たちもハッと我に返り、心に深い傷を負った仲間の後を追いかけていく。
後に残ったのはあちこちに散らばった屍の山と僅かに残った髪の束のみ。
冒険者の行方は誰も知らない。




