68、おおきなマンドラゴラ
「やぁみんな、元気してた?」
暗く沈んだダンジョンに明るい声が響く。
声に引き寄せられるように顔を上げると、琥珀色の眼と銀髪の男が体に付いた雪の塊を払い落としながらこちらに笑顔を向けていた。
「ああ、狼男か……何しに来た」
雪の積もった森を抜けてわざわざやって来てくれた旧友に向けて、吸血鬼はニコリともせず低い声でそう言った。
吸血鬼は元々愛想の良い方ではない。なにかと厄介ごとを運んでくる狼男への対応は特に酷い。
だが今日のこの素っ気ない態度には「相手が狼男だから」という事以外に明確な原因があった。
端的に言えば、俺たちには愛想良く笑う元気もなかったのである。
「しばらく泊まらせてもらってた女の子の家を諸事情で追い出されちゃってさ、行くとこないから来てみたんだけど……なんかみんなやつれてない?」
「分かる? 今ちょっとゴタゴタしてて……」
「ゴタゴタ? ダンジョンって今の時期暇なんでしょ。森の中歩いて来たけど人間の足跡なんてほとんどなかったよ」
「うーん、まさにそれが原因なんだよね」
俺はそう言って苦笑いを浮かべ、少し離れた通路の先を見やる。
ちょうどその時、まるで俺の視線を感じ取ったかのように通路の先から奇妙な音が響いた。鎖のぶつかる甲高い金属音、そして飢えた獣が出すような低い呻き声だ。
狼男は音に反応したのかゆっくりと顔を上げ、のんびりあたりを見回す。
「なんか変な音しない?」
狼男は呑気にそう声をあげる。しかしこの音を聞いて平静でいられる者はもうこのダンジョンには狼男以外に存在していない。
吸血鬼などはいつも以上に優れない顔色を一層白くし、頭を抱えて小刻みに震えて出した。
「ヤツだ……ヤツが来る……ヤツが来るッ!」
「落ち着いて吸血鬼、まだ発作だって決まった訳じゃないから」
「な、なに? どうしたの?」
困惑気味に声を上げる狼男に向けて俺はポツリと呟いた。
「ゾンビちゃんだよ……」
先日の降雪により周辺の森が雪に閉ざされ、我がダンジョンは閑古鳥が鳴くような有様だ。そのせいで肉の供給が絶たれ、備蓄していた食料も極わずか。満足に肉が食べられず飢えたゾンビちゃんは知能の低下した馬鹿強いバケモノと化してしまったわけである。
「今は鎖で繋いでるけど、空腹発作が起きたら大惨事になるからね。みんな気が気じゃないんだ」
「発作が起きるたびに僕が小娘をねじ伏せて鎖を巻き直すんだ……みろ、まだ傷が治らない」
吸血鬼はそう言ってシャツの袖を捲り、狼男に腕を見せつける。彼の腕には肉の抉り取られた生々しい噛み跡が残っていた。
「うわぁ、ゾンビちゃん激しいなぁ」
「傷だらけになりながら必死に縛っても、僕を嘲笑うようにすぐ発作が起きるんだ。昼夜問わずだぞ」
吸血鬼は傷をさすりながら大きく息を吐く。その目の下には濃いクマが浮かび、今にもぶっ倒れてしまいそうだ。
俺たちの話から狼男もようやくこのダンジョンの置かれている状況が理解できたらしい。
「なんかタイミングの悪い時に来ちゃったみたいだね。また出直すから――」
「まぁ待てよ」
立ち去ろうとする狼男の腕を吸血鬼が掴む。
すこぶる具合の悪そうな吸血鬼の腕を無闇に振り払うこともできず、狼男は困惑した表情を浮かべて振り返った。
「えっ、なに……?」
狼狽える狼男に、俺たちは満面の笑みを向ける。
「寒い中わざわざ来てくれたんだ、もっとゆっくりしていけば良いじゃないか」
「せっかくだからゾンビちゃんにも会っていきなよ。女の子の扱いには長けてるでしょ」
俺たちの猛攻に狼男は頬を引きつらせながら首を振った。
「い、いや……俺ゾンビちゃんに嫌われてるし」
「大丈夫大丈夫、今のゾンビちゃんピーマン程度の知能しかないから個人の識別できないよ」
「な、なんか二人とも今日変だよ!?」
「もう疲れたんだ……」
吸血鬼はそう言ってガックリ肩を落とした。
雪は止んだものの、森に積もった雪の解けるスピードは俺たちの予測よりずっと遅かったのである。そのせいで飢えたゾンビちゃんとの戦いは長期化、終わりの見えない地獄の日々が続いているというわけだ。慢性化した疲労は俺たちから体力をゴリゴリ削っていく。
そんな俺たちとは対象的な狼男の健康でハツラツとした様子をジッと見つめ、そしてポツリと呟いた。
「成人男性一人分程度の肉があれば少なくとも発作は治まると思うんだよね……提案なんだけど、狼男餌になってくれない?」
「嫌だよ! っていうかゾンビちゃんの状態ってそんなにヤバいの?」
「ほっとくとスケルトンたちを食べようとするし、ダンジョン破壊するし、心休まる暇がないんだよ……ショットガン持った赤ん坊を世話してる感じ」
「随分と物騒な赤ん坊だねぇ」
「とにかく必要なのは肉だよ。せめて雪が解けてくれればもう少し冒険者の入りも良くなると思うんだけど」
「じゃあ雪が解けるまでの辛抱って事かぁ……うん、その程度の時間稼ぎならできるかも」
狼男はそんなことを言いながらポケットから小さな巾着袋を取り出し、それをひっくり返して中身をおもむろに手の中に転がす。
出てきたのは茶色い豆、もしくはナッツのような小さい粒である。
「なんだそれは?」
「マンドラゴラの種だよ」
狼男は吸血鬼の問いかけにさも当然のごとく答える。
だがマンドラゴラといえばなかなかに貴重な薬用植物だ。その薬効は数十種類以上あると言われており、様々な魔法薬の原料にもなっている。
中でもよく知られているのは媚薬や精力剤――
「……ちょっと待って。ソレでゾンビちゃんに一体なにする気だよ!」
俺は狼男の浅ましく猥雑な考えを断罪すべく声を張り上げる。ところが、彼は声を張り上げたこちらが恥ずかしくなるほど平然とした態度で口を開いた。
「あっ、やっぱりレイス君も知らなかった? マンドラゴラってさ、鎮静作用があるんだって」
「えっ、そうなの? 聞いたことないんだけど……」
「まぁマンドラゴラをわざわざ鎮静剤として使う人は少ないからね。もっと簡単に手に入る鎮静剤がいくらでもあるし。でもここまで強力な鎮静剤はそうそうないって話だよ」
死んだ魚のように濁っていた吸血鬼の目の中に微かな光が宿る。
「鎮静剤……じゃあそれを小娘に使えば」
「まぁ多少は落ち着いてくれるんじゃない?」
狼男のその一言に長らく沈んでいた吸血鬼の顔がパッと明るく輝いた。
絶望の底におり、ゾンビちゃんから最も被害を受けている吸血鬼が狼男の話に飛びつくのも無理はない。だが狼男の手の中にあるのはあくまでマンドラゴラの「種」だ。
「薬効があるのは根じゃないの? 種があったってどうしようもないんじゃ」
「まぁ見ててよ」
狼男はニッと笑い、おもむろにしゃがみこんで地面を掘り始める。犬のように穴掘りが上手いのかと思いきや、そういう訳でもないらしく五センチほど掘るのに数分かかった。
そして出来上がった小さな穴に種を蒔き、その上から優しく土を被せる。
「……まさかと思うけど、種から育てるの?」
「うん」
俺の問いかけに、狼男は悪びれる様子もなく平然と頷いてみせる。
俺は思わず吸血鬼と顔を見合わせた。吸血鬼は狼男の言葉によって再び絶望の底に叩きつけられてしまったらしい。下手に希望を抱いてしまっていたぶん、その衝撃は大変なものだったのだろう。今にも自殺しかねないような蒼白な顔をしている。
「それを収穫できる頃には雪じゃなく桜が舞ってるんじゃないのか」
「あはは。気持ちは分かるけどもうちょっと待っててよ」
「数ヶ月の辛抱をちょっととは言わな――」
吸血鬼の怒りを孕んだ言葉が不意に止まる。俺も驚きのあまり口を開いて立ち尽くした。俺たちは互いに顔を見合わせ、そして足元へと視線を落とす。
先ほど掘った地面から淡い緑色の新芽が顔を出しているのだ。それだけでは飽き足らず、まるでそこだけ時間の流れが早いかのようにみるみる芽が伸びて土が盛り上がり、大きな葉が茂った。
目を丸くする俺たちを横目に、狼男は感心したように青々した葉を眺める。
「うん、さすがは血の染み込んだダンジョンの土だね。よく育ってる」
「凄い……どうなってんのそれ?」
やっとの思いで声を絞り出し、俺は狼男にこの奇跡のような出来事のカラクリを尋ねる。
すると狼男は特にもったいぶったりもせず、拍子抜けするほどあっさり種明かしを行った。
「よく分かんないけど、なにか魔法がかかってるんじゃないかな」
「そんなものどこで手に入れたんだ? また女から貰ってきたのか」
「まぁ女と言えば女かな。疲れた時にでも使えってミストレスがくれたんだ」
「ミストレス!? だ、大丈夫なのそれ……?」
俺の脳裏に可愛く恐ろしい魔女と屍の山と化したアンデッドたちの姿が鮮明に浮かぶ。たいした親交がある訳ではないが、彼女が純度百パーセントの善意を持って狼男に魔法アイテムを渡すとは到底思えなかった。
吸血鬼も同じことを思ったらしく、途端に彼の顔に疑いの色が広がる。
「あの魔女から貰ったモノをよくそんな簡単に使えるな。僕なら恐くて手を出せないぞ」
「うん、俺も恐いから今日初めて使ったよ」
「えっ……初めてって、じゃあなにが起こるか分からないってこと?」
恐る恐る尋ねると、狼男はヘラヘラ笑いながら悪びれる様子もなく頷いた。
「なんでそんな恐いものをわざわざこのダンジョンで使うんだ!」
「だって不良在庫を役立てられるチャンスだと思ったし……それにここならヤバい事になってもみんながどうにかしてくれるでしょ?」
「僕らは厄介事処理班じゃないぞ」
「喧嘩してる場合じゃないよ! 見てこれ、凄い大きさになっちゃってる!」
マンドラゴラの成長速度には全く衰えが見えない。
俺たちが言い争っている間にも成長を続け、今やその葉は狼男の身長を追い越そうとしている。
やはりミストレスの渡してきたマンドラゴラがただのマンドラゴラな訳ないのだ。
「どうするんだコレ!」
「どうするって、抜くしかないでしょ」
「そんな簡単に言わないでよ。マンドラゴラを抜くのって凄く大変だし、危険も伴うんだよ」
マンドラゴラを引き抜く際の絶叫が人の命を奪うという話はあまりに有名である。
安全対策に余念のない設備の整ったマンドラゴラ畑でさえ、一年に数件の事故が起きるのが普通だ。野生のマンドラゴラが市街地で見つかろうものなら住民の避難や交通規制が敷かれ、マンドラゴラ処理班が出動する大騒動となることだろう。
俺たちの目の前にあるのは、その辺の爆弾より危険なシロモノなのだ。しかも特大サイズのお化けマンドラゴラときている。
「でもこのままダンジョンに置いとくわけにはいかないでしょ?」
「それはそうだけど。でもどうやって抜けば良いんだろ」
「古典的な方法だが、犬に抜かせるってのはどうだ?」
「ああ、犬かぁ……」
吸血鬼の案を受け、俺たちはジッと狼男を見つめる。
狼男はしばらくキョトンとした表情で突っ立っていたが、やがて目をぱちくりさせて苦笑いを浮かべた。
「えっ、もしかして俺の事言ってる?」
「他に誰がいるんだ」
「嫌だよ! その方法だと俺死ぬじゃん!」
「自分で撒いた種だろ」
「まさしくその通りだけど、そんな事しなくても大丈夫だよ。ほら!」
そう言って狼男が手のひらに乗せて差し出したのは黄色い円柱型の小さなスポンジ二つ。
吸血鬼はそれを手に取り、怪訝な表情を浮かべる。
「……耳栓?」
「うん。ミストレスから種と一緒に貰った」
「古典的を通り越して原始的だな。そんなんで大丈夫なのか?」
「大丈夫大丈夫、シンプルイズベストだよ。俺の予備貸してあげるから」
「えっ、ちょっと待ってよ。俺はどうしたら良いの?」
二人は耳栓でマンドラゴラの絶叫を防げるだろうが、俺にはなんの策も見つかっていない。
慌てて声を上げると、狼男はヘラヘラ笑いながら頭を掻いて言った。
「ごめん、予備コレだけなんだ」
一方、吸血鬼はニヤニヤ笑いながら見せつけるように手の中で耳栓を弄ぶ。
「悪いなレイス、耳栓は二個しかないそうだ」
「いや、そもそも俺耳栓付けられない……っていうか吸血鬼はなんでそんな嬉しそうなんだよ」
「いつも事件の渦中にいながら君だけは物理的被害を被っていないからな。たまには痛い目見ると良い」
「痛い目どころか俺ここで君らに殺されてるんだけど!」
「まぁまぁ、レイス君なら大丈夫だよ。多分」
「適当なこと言うなよ……」
「無駄口は良いからさっさと抜くぞ。また発作が起きたら面倒だ」
二人は念入りに耳栓を装着し、さっそくマンドラゴラの収穫に取り掛かる。
だが特大サイズのマンドラゴラは地面にしっかり根を張っているらしく、大の大人……いや、大の化け物二人がかりでもなかなか抜けない。
「強情なヤツだ……レイス、スケルトンたちに応援頼んでくれ」
「何言ってんの。耳栓もないのに呼べないよ」
鼓膜のない彼らにマンドラゴラの絶叫がどう作用するかは分からないが、とにかく彼らまで危険に晒すわけにはいかない。どうしてもスケルトンの助けを借りるというならなにか対策を講じる必要がある。
だが俺の断りの言葉は耳栓を装着した吸血鬼たちの耳には届いていないようだ。
「……まぁ良いか」
二人の頑張りにより土が徐々に盛り上がってきた。これならスケルトンたちを呼ぶまでもなく収穫できるだろう。
つまり、もうすぐ人の命を奪うほどの絶叫が響き渡るということだ。不要な犠牲が出るのは避けたい。スケルトンたちに避難命令を出したいところだが、先程からスケルトンの影どころか足音や気配すら感じられない。
どうしたのかと首を傾げてあたりを見回した次の瞬間、その理由が分かった。
「ゾ、ゾンビちゃん!?」
マンドラゴラ収穫に勤しむ俺たちの後方十数メートル先にゾンビちゃんの姿を発見し、俺は思わず素っ頓狂な声を上げた。
「みんな逃げて! ゾンビちゃん来たよ!」
俺は二人に慌てて声をかけるが、やはり反応はない。耳栓のせいだろう。
ゾンビちゃんはすぐそばまで迫っており、目の前のご馳走にありつこうと一心不乱にこちらへ向かっている。今からどうにかして二人に耳栓を外させ、ゾンビちゃんの存在に気付かせることが果たして可能なのだろうか。一方、地面にはマンドラゴラを中心にヒビが入り、収穫へのカウントダウンが始まっている。
一瞬迷った挙句、俺は一か八かの賭けに出ることにした。
ヒビが入り盛り上がった地面に飛び込み、そして土の中で目をつむって不機嫌そうな表情を浮かべるマンドラゴラを思い切り怒鳴りつける。
「起きろよこのニンジン野郎!!」
刹那、マンドラゴラの潰れたような細い目がギョロリと開いてこちらを見た。
それが引き金になった……かは分からないが、マンドラゴラは俺を見つめながら吸い込まれるように上へ、つまり土の外へ向かって上っていった。その瞬間、先ほどまでマンドラゴラのハマっていた穴にこの世のものとは思えない金切り声が豪雨のごとく降り注ぐ。
二度目の死を覚悟してしまうほど酷い声ではあったが、マンドラゴラの絶叫も俺の体に害を及ぼすには至らなかった。不便な体ではあるが、今はこの透けた霊体に感謝しなくてはならない。
だが上の状況はどうだろう。
俺は地面に血溜まりができていないことを祈りつつ、恐る恐る土から顔を出す。
まず俺の目に飛び込んできたのはオークほどの大きさもある巨大マンドラゴラの下敷きとなった吸血鬼と狼男。そしてその僅か数メートル手前で行き倒れたようにうつ伏せに倒れたゾンビちゃんだった。彼女の右手は助けを求めるように……いや、目の前のご馳走を掴もうとしているかのように真っ直ぐ伸びている。
「よ、良かった。なんとかセーフ。おーい二人とも起きてよ! ねぇ……あ、あれ?」
反応のない二人を妙に思い、恐る恐るその顔を覗き込む。二人共眠っているように目を閉じて動かない。
まさかと思い彼らの胸に耳を当てるが、いくら耳を澄ましても心臓の音は聞こえてこなかった。
「し、死んでる……?」
やはり特大マンドラゴラの至近距離からの絶叫がこんな耳栓では防げるはずなかったのだ。
途方に暮れていると、不意に狼男の言っていたミストレスの言葉を思い出した。
『疲れた時にでも使えってミストレスがくれたんだ』
その死に顔はとても安らかで、心臓が止まっていることに目をつむれば三人とも眠ってしまっているかのようだ。
いや、考えようによっては普段休まず働いている心臓などの臓器すら休めていると言えなくもない。これこそ完全なる休息だ。
俺はそんな考えを胸に、横たわる三人に向けてそっと声をかける。
「……みんな疲れてるもんね、ゆっくりお休み」




