5、お腹の中には
「起きて! 大変なんだ、起きてよ!」
ダンジョン内部とは思えない豪華な内装の部屋。黒で揃えられた豪華な家具に混じって配置されたキングサイズ棺桶の周りを行ったり来たりしながら中で眠るアンデッドを叩き起こす。
「んー、どうした青い顔して? あっ、元々青いな。ははは」
蓋が開き、眼をこすりながら体を起こしたのは水玉のナイトキャップを被った吸血鬼だ。
棺桶の中にはマットやらクッションやら毛布やらが敷き詰められ、とても寝心地が良さそう。しかし今はそんな事に注目している場合ではない。
「申し訳ないけど今はお目覚めアンデッドジョークに付き合ってる暇はないんだよ」
「な、なんだ。随分と深刻そうじゃないか」
俺は小さく頷き、彼に心の準備をするよう促す。
「驚きすぎて死なないようにね」
「なッ……あがッ……おまっ……これ……」
吸血鬼はあごが外れてしまいそうなほど口を開けるが、言いたいことが多すぎるのか、その口からは意味のある言葉が出てこない。
しかしそれは正常な反応だろう。俺も最初に見た時は吸血鬼とそう変わらないリアクションを取ったように思う。
「1時間くらい前にダンジョンを彷徨ってたらうずくまっているところを見つけたんだ」
「そ、そんな……ありえないじゃないか。だって昨日はなんともなかっただろう!?」
「まぁアンデッドがこんな事になるってこと自体がありえないことだし、何が起きても不思議じゃないよ」
「まぁ、それはそうだが……しかしこれは……いつ生まれてもおかしくないんじゃ」
「そうだね」
俺たちは何体ものスケルトンに付き添われてソファに座ったゾンビちゃんを改めて見る。そのお腹ははちきれんばかりに大きく、彼女は聖母の様な安らかな表情でそのお腹を愛おしそうに撫でていた。
そのせいでダンジョン中は大騒ぎだ。気の早いスケルトンなどはベビーベッドの制作なども始めている。
「それで、父親なんだけどさ」
「お、おお」
吸血鬼は深刻な表情で顔を寄せる。しかし俺も多くの情報を持っているわけではない。俺はため息混じりに話を続けた。
「ゾンビちゃん、聞いても教えてくれないんだよね。というか、何を聞いても話してくれないんだ」
「そ、そうか……それは困ったなぁ」
吸血鬼は眉間にシワを寄せながらゾンビちゃんの大きなお腹を見下ろす。気の早いスケルトンがどこから持ってきたのか、哺乳瓶やベビーバスを部屋の棚に並べていた。そして作業の合間、彼らはさり気なくこちらにちらりと視線を向ける。早く聞けということか。
俺は吸血鬼に恐る恐る切り出した。
「でもさ……父親になれる人って限られると思うんだよね。俺はこの体だし、スケルトンは骨だし。それでさ、その……言いにくいんだけどもしかして吸血鬼……」
「いやいやいやいや! 待ちたまえ、後ろから鈍器で後頭部を殴られた気分だ!」
吸血鬼は頭が飛んでいきそうな勢いで首を振る。しかしその慌てふためきようがなおさら彼を怪しく見せた。
「いや、良いんだよ別に? たださ、そういう責任を女の子に背負わせて逃げるって言うのは……」
「だから少し待ってくれよ! 誤解だし濡れ衣だ!」
「そうは言われても他にいないし……ねぇ、みんな」
こちらの様子をじっと伺っていたスケルトンたちに投げかける。すると、彼らは弾かれたように隠し持っていたプラカードを掲げた。
『アンデッド界の最低男』
『キングオブクズ』
『百万回死ね』
吸血鬼はプラカードとゾンビちゃんのお腹を見ながらガックリ肩を落とした。
「酷い……僕はそんなに信用がないのか」
「みんな気が立ってるんだよ。ゾンビちゃんはみんなの妹……ていうか近所のアホな小学生みたいな感じだからさ。でも俺は自由恋愛主義だから二人が良いならそれで良いと思うよ。まぁ合意の上でならだけど」
「なにもやってないと言ってるだろう!? だいたい僕はこう見えて割りと潔癖症なんだ。腐りかけた冷たい女なんて頼まれたってゴメンだな」
「えっ……妊娠させた上にそれを隠すため女の子を突き放すなんて」
『アンデッド界の最低男』
『キングオブクズ』
『百万回死ね』
スケルトンたちは威嚇するように骨を鳴らしながらプラカードを上下させる。
吸血鬼は鬼のような顔で『キングオブクズ』のプラカードをスケルトンから奪い、膝でへし折って投げ捨てた。
「だから違うと言っているだろ! 証拠もないのに人をクズ男扱いするな!」
「でも他にいないんだよう。父親がいないなんてことはないでしょ?」
「うぐっ……」
吸血鬼は鬼の形相のまま、汗だくになりながら腕を組んで必死に何かを考えている。しばらくの沈黙のあと、パッと顔を輝かせて手を叩いた。
「ダンジョン内に父親がいるとは限らないだろう。他のダンジョンとか外の森を彷徨くモンスターとか、あるいは冒険者とか」
「うぇっ、冒険者だとしたらそいつかなりの変態だなぁ」
「世の中には色んな種類の変態がいるんだ、何が起きても不思議じゃないさ。それより、そもそもゾンビに子供ができるのか?」
「うーん、どうなのかな。でも幽霊が赤ん坊を育てた話もあるし」
「幽霊」という言葉が出るや、吸血鬼はしめたとばかりにニヤニヤと笑みを浮かべる。
「なら父親はお前じゃないのか? 幽霊が子供を育てられるなら父親になることも可能だろう」
吸血鬼の突然の反撃に俺は慌てて首を振る。
「ええっ!? 急に矛先を向けないでよ!」
「はっはっは。まぁゾンビが妊娠すること自体が常識外れの塊なんだ。お前でも、スケルトンが父親でもおかしくないと僕は思う。なんなら小娘の腹にいるのは神の子で、父親はダンジョンの神かもしれんぞ」
「ううっ、ゾンビが母親なんてとんだ邪神だなぁ」
「まぁとにかく父親探しなんて意味のないことだ。それに子供が生まれれば父親も自然と分かるだろう。透けてたらレイスの、骨ばっていたらスケルトンの子だ」
「確かにそうだよね、まぁ俺の子ってことはないけど」
「僕の子ってこともないからな」
お互いに念を押しつつ、とりあえず父親論争は一時休止となった。
吸血鬼はやれやれとばかりにその辺にあったソファに腰掛け、ゾンビちゃんのお腹を改めて見やる。
「それにしても凄いなぁ。なんだか神秘的な気さえしてきた」
「そうだねぇ……あっ、そうだ。お腹に手を当ててみてよ。よく『今お腹蹴ったよ』とか若夫婦がやってるじゃん。赤ちゃんの存在を感じられれば父性も芽生えるかもよ」
「ま、まだ言うか……まぁ良い。どの程度赤ん坊が育っているのか知る必要もあるからな。おい小娘、手をどかせ」
吸血鬼は立ち上がりゾンビちゃんの大きなお腹に手を伸ばす。しかしゾンビちゃんはお腹をその両手で包み、体を捻って吸血鬼から逃れようともがいた。
「ヤダー!」
「大丈夫だ、悪いようにはしないから大人しくしろ」
「ヤダっ……うぷっ」
ジタバタともがいたのが悪かったか、ゾンビちゃん口を抑えて大人しくなった。その隙に吸血鬼はそのお腹に手を当てる。
「どれどれ……」
吸血鬼は笑みを浮かべながらお腹の中の小さな鼓動に神経を集中させる。しかしじきにその穏やかな表情は一変した。
冷や汗を浮かべ、目を見開いて俺とお腹を交互に見やる。
「なに? パパって聞こえた?」
「そんな生易しい音じゃない……お前も腹に頭を突っ込んで聞いてみろ。僕の勘違いかもしれないが……」
「えっ? う、うん」
俺は言われたとおりゾンビちゃんのお腹に頭を突っ込む。暗くて何も見えないが、その音は鮮明に俺の耳へ届いた。
絶対に胎児のものではない……グルギュルという怪獣の鳴き声のような音が絶えず鳴っている。
「……これは、まさか!」
俺は慌てて地面をすり抜け、ある秘密の部屋へと向かった。それは俺や吸血鬼、そして一部のスケルトンしか知らない場所にあり、絶対にゾンビちゃんに近寄らせないようにしていた場所――非常食用の貯蔵室だ。
その部屋の中を見て愕然とした。昨日まで潤沢にあった干し肉が忽然と姿を消したのだ。何ヶ月も掛けて少しずつ貯めた干し肉が……
俺はフラフラになりながらゾンビちゃんの元へ戻る。
「どっ、どうだった?」
吸血鬼は恐る恐るという風に俺に尋ねる。
その質問に答える気力も湧かず、ただ黙って首を振った。吸血鬼もその顔をサッと青くする。そして俺たちはゾンビちゃんの腹を見た。
「つまり……この腹に入っているのは赤子ではなく……」
「干し肉」
俺たちの名推理に、ゾンビちゃんはぺろりと舌を出した。
「バレタカ」
ゾンビちゃんが自白した瞬間、俺たちは頭を抱えて悲痛な叫びを上げた。スケルトンたちも驚いたように骨を鳴らし、バタバタ部屋中を駆け回る。
俺たちは全員、ゾンビちゃんに騙されていたのだ。
こんなのは詐欺だ、いや窃盗だ!
「こいつッ! 腹が満たされて賢くなりやがった!」
「怒られないよう妊娠にみせかけたのか……恐ろしい女だ」
吸血鬼はゾンビちゃんの肩を掴み、その体を揺する。その激しさといったら、ゾンビちゃんの体の縫い目が解けてしまいそうなほどであった。
「おい、賢くなったんなら分かるだろう。その肉は重要な非常食なんだぞ。もしも冒険者が来ない日が続いたらお前肉が食べられないんだぞ!?」
「また貯めれば良イジャン」
ゾンビちゃんはケロリとして口周りを舐める。その舐めた態度に、我々はしばし呆然とした。
吸血鬼は魂が抜けたような顔をしながら、スケルトンたちに手を差し出す。
「……よし、誰か剣を持ってきてくれ」
「エッ、なにするの」
慌てて逃げようとするゾンビちゃんを、スケルトンたちががっしりと押さえつける。食べ過ぎで苦しいお腹を抱え、満腹により力の鈍ったゾンビちゃんの動きを奪うことなど容易い。
吸血鬼はゾンビちゃんの張ったお腹を太鼓でも打つようにリズミカルに叩き、怖い顔をした。
「帝王切開だ」
その名案に、俺は笑顔で指を鳴らす。
「取り出して、もう一度干しちゃえば変わらないよね。あったま良い〜」
賢くなったゾンビちゃんはその意味をすぐに理解したようである。そのツギハギだらけの青い顔がサッと白く変わった。
暴れようにもスケルトンに四肢をガッチリ抑えられ、見動き一つできない。
彼女は唯一自由を与えられているその口を目一杯開き、悲痛な声を上げた。
「せ、せめて麻酔を」
「そんなものはない!」
吸血鬼の無慈悲な言葉の後に響いたのは、ダンジョンの壁を崩してしまうほどの絶叫。
その光景はさながら出産をしているようだったと、あるスケルトンは後に語ったとか。




