44、人狼が来たぞー!
日が沈んでダンジョンの外が闇に包まれた頃、不意に上階の知能なきアンデッドたちが騒ぎ始めた。冒険者襲撃の合図である。
夜は魔物の動きが活発になり、夜目の効かない人間たちが外を出歩くのは危険だ。しかもこのダンジョンが位置するのは木々の生い茂る森の中。無事ダンジョンを抜けられたとしても血の匂いを嗅ぎつけた魔獣に襲われて全滅と言うことも考えられる。
なので夕方になるとダンジョンを訪れる冒険者はほぼいなくなり、日が沈めば宝箱も回収してしまう。
だからまさかこんな時間にダンジョンを訪れる者がいるとは誰も予想していなかったのだ。
油断しきっていた俺たちは大慌てで支度を整え、大した情報もないまま急遽冒険者と対峙する羽目になった。
みんなのモチベーションも最悪だ。せっかく仕事が終わったと思ったのにまた出動。嫌になる気持ちも分かる。
「ここはサクッと終わらせて早く休もう」
俺の言葉にスケルトンたちが力強く頷く。
相手は単独、目立った武器や防具の類はない。もしかすると魔獣に追われた旅人が迷い込んだのかもしれない。細かい作戦は必要ないだろう。
「全員配置に!」
俺の合図にスケルトンたちが通路を飛び出し、冒険者の後ろ姿を捉えて素早く弓を構える。
「撃て!」
スケルトンから放たれた矢は真っ直ぐに通路を飛び、雨のごとく冒険者の背中に降り注ぐ。防御魔法はおろか、ろくに防具もつけていなかったらしい。矢は冒険者の体中に突き刺さり、まるで剣山かハリネズミのような姿になって地面に転がった。これで死なない人間はそうはいまい。たくさんの矢を受け地面に倒れた冒険者に俺もスケルトンも安心しきり、弓を下ろしたその時。
「あ痛たた……」
「えっ」
その光景に思わず目を疑う。
放たれた矢のほぼ全てをその身体に受けた冒険者が呻き声を上げながら起き上がったのだ。何か特殊な防具でもつけていたのか――そう思って注意深く男を見下ろすが、その背中からは血が流れ、身体を貫通している矢もある。
止めを刺そうと再び弓を構えるスケルトンを右手で制し、冒険者はその琥珀色の眼を俺達にむけた。
「あっ待って! ……ええと俺、冒険者? とかじゃないんで。それ下ろして貰えると助かるんだけど」
スケルトンたちは顔を見合わせ、困惑したように骨をカタカタ揺らす。そして助けを求めるように俺にその暗い眼窩を向けてきた。
俺は少々考えた挙句、背中から矢を抜く男に尋ねる。
「君、何者? 冒険者じゃないなら何しに来たの?」
「吸血鬼君いるよね?」
「吸血鬼? いるけど……」
男は俺の返答に満面の笑みを浮かべ、大きく頷く。
そしてその口から大きな牙を覗かせながら悪戯っぽく言った。
「伝えてよ、狼が来たぞーってさ」
********
「何しに来た」
吸血鬼はその男と顔を合わせるや、うんざりした表情を浮かべて冷たくそう言い放った。
男は吸血鬼の事を「古くからの友人」と称していたが、吸血鬼もそう思っているとは言えないようだ。
「近くに寄ったもんだからさ、元気してるかなーって思って」
愛想が良いとはとても言えない吸血鬼の言葉にも動じず、男はそう言って明るく笑って見せる。そして目を輝かせながら興味深そうにダンジョン内を見回した。
「それにしてもさすがはダンジョン、瘴気が濃いね。傷の治りも早いや」
彼の服には確かに矢を受けた時にできた穴や血液が付着しているものの、体の方の傷はすでに跡形もなく消えてしまっている。アンデッドである吸血鬼にも劣らない回復力だ。普通の青年に見えるが、ただの人間でないことは明らか。
「ええと、その人は一体……?」
「狼男だ」
吸血鬼はつまらなさそうにそう吐き捨てる。
だが吸血鬼のその一言は俺に軽い衝撃を与えた。
「狼男!? 俺初めて見るよ」
「そう? ならゆっくり見ていってよ」
男はそう言って茶目っ気たっぷりに両腕を広げる。
狼のような姿の魔獣はそう珍しい物でもない。だが人と狼両方の姿を持ち、満月の晩に人間を襲うという「狼男」は冒険者の中でも伝説と呼ばれるほど希少な魔物だ。凄まじい生命力を持ち、アンデッドでないにもかかわらず不死身に近い存在であると伝えられている。
俺は人の良さそうな笑みを浮かべる狼男を改めて見つめる。
その琥珀色の眼、肉食動物の様に大きく尖った牙、そして銀色の髪はどことなく狼を彷彿とさせるが、人懐っこい表情などから連想されるのはどちらかといえば犬である。吸血鬼にも匹敵するほど整った容姿をしているが、若者の好みそうなカジュアルな格好をしているせいか吸血鬼の様な近寄りがたさは無い。誰もこの好青年が満月の夜に人を襲う人狼だとは思わないだろう。
彼はしかめっ面の吸血鬼に臆することなく明るい声を上げる。
「それにしても吸血鬼君は変わらないなぁ、その仰々しい格好も懐かしいや。相変わらずどっかの伯爵みたいだね」
「変わらないのはお前の方だろう、相変わらず女の尻を追い掛け回して野良生活送ってるのか」
「酷い言い草だなぁ。自由気ままに生きる旅人と言ってよ。吸血鬼君こそよくこんなとこで暮らせるよね、やっぱ女の子以外の血も飲む?」
「そうだな、女の冒険者は少ない」
狼男は口に手を当て、信じられないと言った風に目を見開く。
「おえっ、俺おっさんの肉とか絶対無理だわ。やっぱり獲物は自分で選びたいよね」
「余計なお世話だ」
二人の会話が一区切りしたところで俺は間髪入れず声をかけた。
「あーえっと、じゃあ俺もう行くね。どうぞごゆっくり……」
「いや、ちょっと待て!」
吸血鬼は慌てたように右手で俺を制した。
「どうしたの?」
「コイツと二人でいると疲れるしロクなことがないんだ。頼むからそこにいてくれ」
「ええ? なんで俺が……じゃなくて、二人でしたい昔話とかもあるでしょ。俺がいたら話し辛いんじゃないの」
「コイツと話したい昔話などあるものか。嫌な思い出ばかりだ」
吸血鬼はなにか嫌な事を思い出してしまったらしい。苦々しい表情を浮かべ、呻き声の混じったようなため息を吐いた。
それに追い打ちをかけるかのごとく狼男が口を開く。
「酷いなぁ、楽しい思い出いっぱいあったじゃん。一緒に合コン行ったりさぁ」
「えっ、合コン!?」
驚いて吸血鬼の方を見ると、彼は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべながら唇を噛んでいた。
「コイツが血相変えて付いてきてくれなんて言うから行ったんだ。連れて行かれた先にあったのは合コン会場の酒場だった」
吸血鬼とは対照的に、狼男は明るい声で笑う。
「いやぁ、人がどうしても足りなくてさぁ。でも可愛い娘ばっかりだったでしょ?」
「ああ、死ぬほど可愛い『魔法使い』だったな。奴らが酔って光魔法の詠唱を始めた時は心臓が止まるかと思ったよ」
「そ、それは大変だったねぇ……じゃあごゆっくり」
「待て待て!」
流れるように部屋を出ていこうとする俺を再び吸血鬼が呼び止める。行ってしまっても良いのだが、その必死さに俺は渋々ながら振り返った。
「なんだよもう、スケルトンたちと賭けトランプの途中なんだよ」
「そう言うな。僕一人じゃコイツを追い出せない」
「えー、なんで追い出すんだよ。せっかく来たのに」
狼男はそう言って口を尖らす。
吸血鬼も負けじと狼男を睨みつけた。
「お前がいるとロクな事が起きないからだ!」
「酷いなぁ、人を疫病神みたいにさ。まぁそれはそうとあのカワイコちゃんは誰?」
狼男は目を輝かせながら俺と吸血鬼の後ろを指差す。振り向くと、通路の曲がり角に身体を隠してこちらに目を向けるゾンビちゃんの姿があった。
「あっ、ゾンビちゃん。なにしてるのそんなとこで?」
ゾンビちゃんは半眼で狼男をジーッと見つめて言う。
「……ソイツ誰?」
「ええと、吸血鬼の知り合いの狼男だって」
「フーン」
「アンデッドダンジョンって言うから期待してなかったけど可愛い娘いるじゃん!」
狼男は臆することなく通路の影に隠れたゾンビちゃんの元へと駆け寄り、人懐っこい笑顔を浮かべる。
「おいおい正気か? ゾンビだぞ」
吸血鬼は呆れたようにそう言うが、狼男は聞く耳を持とうとしない。
「こんなに可愛かったらゾンビでも構わないよ! ところでゾンビってやっぱ身体冷たいの?」
そう言うと狼男は流れる様に手を伸ばしてゾンビちゃんの手を握る。
次の瞬間、狼男の口から出たのは甘い口説き文句でもデートの誘いでもなく、ダンジョン中に響き渡るような悲鳴であった。
狼男はゾンビでも構わないなどと言ったが、ゾンビちゃんは狼男に近付かれるのを「構わない」とは思わなかったようだ。ゾンビちゃんは無表情で狼男の手を握り潰し、指があらぬ方向に曲がったその手を投げ捨てるようにして振りほどいた。
「サワルナ」
「あっ……あはは、ガード固いなぁ」
笑みを絶やしてはいないものの、その顔は痛みからか少々青ざめている。
ゾンビちゃんは狼男の脇をすり抜け、俺の背中にその小さな身体を隠した。だが俺の身体は透けている上に地面から浮いているため、身を隠せているかは微妙だ。
「私アイツキラーイ」
「そんなぁ、俺なんか悪い事した?」
狼男は折れ曲がった指を無理矢理伸ばしながら首を傾げる。
ゾンビちゃんは俺の透けた身体を通して狼男を半眼で睨み、ボソッと呟く。
「ナンカ、変なニオイする」
「ええっ? そうかな」
狼男は苦笑いを浮かべながら自分の袖を鼻に寄せる。
「ごめんごめん、走ったからかも」
「チガウ、甘ったるいニオイ。キモチワルイ」
「ああ、香水か。色んな女の子のが移っちゃって」
そう言って爽やかに笑う狼男に、俺たちは思い思いの視線を向ける。
「サイアク」
「女の敵の匂いって訳か」
「うわぁ、俺もそのセリフ一度で良いから言ってみたかった……」
ゾンビちゃんは嫌悪感の滲む視線を狼男に向けつつ、さらに続ける。
「ソレカラ、爆弾のニオイもスル」
「爆弾? 火薬の匂いってこと?」
「なんで火薬なんか。今度の女は爆弾魔かなにかか?」
吸血鬼の言葉に狼男の顔が引き攣るのを俺は見逃さなかった。
「はは……そんな訳無いじゃん……」
口元はなんとか笑えているがその眼は明らかに光を失っており、声のトーンも低い。吸血鬼やゾンビちゃんが近くにいるのであまり目立たないが、心なしか顔色も悪くなっているようだ。
狼男の変化に気付いたのは俺だけではなかったらしく、吸血鬼が怪訝な顔で尋ねる。
「お、おい。どうしたんだ」
「別にどうもしてないよ……」
狼男は魂の抜けたような表情を隠そうともせずにそう言う。なにかあることは確かだ。吸血鬼は頬を引き攣らせて狼男ににじり寄る。
「いや、やはりおかしい。よくよく考えてみれば用もないのにお前がこんなとこに来るわけない。本当は何しに来たんだ」
吸血鬼が恐い顔で睨みつけると、狼男は割とあっさり口を開いた。
「実は追われててさぁ……」
「また女か」
狼男は特に悪びれる様子もなく素直に頷く。吸血鬼は呆れたように目を回し、わざとらしくため息を吐く。
「お前は本当にそればかりだな。で、爆弾巻いた女に無理心中でも迫られたか」
「ああ、それだったらもう少しうまく逃げられたんだけどさ。彼女狩人で――」
「は?」
吸血鬼は目を点にし、口を半開きにする。
それにも構わず狼男はさらに続けた。
「狩人だよ狩人。化け物退治専門で、本業はバンパイアハンターだってさ」
「なっ……なんでそんなのに手を出した!」
吸血鬼は恐怖からか体を震わせて声を荒げる。だが狼男はしたり顔でこう言い放った。
「人狼と狩人が禁断の恋……燃えるでしょ?」
吸血鬼は石になってしまったかのように口を半開きにしたまま動こうとしない。
代わりに俺が狼男に尋ねる。
「狼男ってことがバレて追い回されてるってこと?」
「ううん、バレたのは浮気。割りと早い段階で人狼ってこともバレてたんだけど、向こうも禁断の恋に酔いしれちゃってさ。でも俺、正直飽きちゃった」
「サイテー」
ゾンビちゃんは間髪入れず狼男を非難する言葉を吐く。吸血鬼も「もうたくさんだ」とばかりに首を振った。
「どいつもこいつも馬鹿ばかりだな」
「まぁそう言わずしばらく匿ってよ、殺されちゃうよー」
狼男はそう言って吸血鬼にすがるが、吸血鬼の態度は相変わらず冷たい。
「巻き添えはごめんだ、今すぐ出ていけ。お前は一度と言わず二度三度死んだほうが良いぞ」
「酷いよ、俺達の仲じゃないか。せめて一晩だけでも――」
そう言いかけたその時。
上階からのけたたましい銃声がダンジョン中に響き渡った。その音はまるで時間を止める魔法のように俺達から動きを奪う。少々の沈黙の後、狼男がサラリと口を開いた。
「あっ、やっぱ俺帰るわ。出口どこ?」
そう言って逃げようとする狼男の腕を容赦なく吸血鬼が掴む。
「待て」
「いやいやいやいや、俺吸血鬼君と違って痛みに慣れてないんだよ!」
「馬鹿言うな、なんで僕がお前の尻拭いをしなきゃならないんだ! それにお前が死ねば向こうの気も晴れて穏便に済むかもしれん」
「それ全然穏便じゃないじゃん! ああああああ嫌だッ、まだ死にたくない!」
「そんな事知るか、一人で勝手に死ね! 僕は逃げるからな!」
そう吐き捨て、上階から迫りくる脅威から逃げようと背中を向ける吸血鬼。だが吸血鬼がどこかへその身を隠すことは叶わなかった。自らがされたように、狼男も吸血鬼の腕を掴んで離さなかったのである。
「……な、なんのつもりだ」
「一人は恐いから一緒に謝って」
「ふざけるな! 僕は1ミリも関係ないだろう」
「お願い! 一生のお願いだから、マジでお願い」
「お前一生のお願い使うの何度目だ!」
「今度こそマジマジ!」
「断る、離せ!」
小競り合いを続ける吸血鬼と狼男。それを横目にゾンビちゃんは何も言わずスタスタとどこかへ行ってしまい、見事に迫りくる「脅威」からその身を隠した。
二人が騒いでいる間にも「脅威」はどんどんダンジョン奥へと足を踏み入れていき、とうとう彼らの背後にまで迫る。
俺がそれを二人に知らせるより早く、けたたましい銃声とほぼ同時に吸血鬼が地面へ崩れ落ちた。胸からはとめどなく血が流れだし、心臓を一発で破壊したことが窺える。
ピクリとも動かず地面に這いつくばる吸血鬼を見下ろし、狼男はゆっくりゆっくりと振り返る。
そこには銀色の二兆拳銃を構えた若い女性が微笑みと銃口を狼男に向けて立っていた。彼女は顔に笑みを張り付けたままおもむろに口を開く。
「今度は逃がさないよ」
*********
「うわぁ、酷い」
壁の中から一部始終を見ていた俺は、その凄惨な光景に思わず顔を顰めた。
心臓を一発で破壊された吸血鬼などはまだマシだったのだ。必死の謝罪も言い訳も開き直りも虚しく、狼男はあえて急所を外してじわじわとなぶり殺され、最後にはハチの巣にされてしまったのである。
怒った女性、そして狩人の恐さは俺の透けた脳裏にきざみこまれることとなった。
「銀の弾丸……アイツ本当に殺す気だったな」
吸血鬼は自らを貫いた弾丸を手の内で弄びながらため息を吐く。銀の弾丸で心臓を貫かれたためか、回復にはそれなりの時間がかかるらしい。
「いやぁ、これダンジョンじゃなかったら死んでたなぁ」
体のあちこちにあいた穴から血を噴出させながらも、狼男はそう言って気丈に笑って見せる。痛みのせいかやや表情が引き攣ってはいるが嵐が過ぎ去った後のようにどこか清々しい表情にも見える。
「でもまぁこれで一応清算できたし……次は海のある街にでも行ってみようかなぁ」
血塗れの地獄絵図のごとき光景には似つかわしくない穏やかな声で狼男はそう呟く。血だまりに身体を沈めた吸血鬼は間髪入れず狼男へ言った。
「どこへ行っても構わないが二度とここへ来るなよ」




