20、笑わないせぇるすまん
日も暮れ、ダンジョンの外の森が闇に包まれる頃。
会議をするため会議室へと向かった我々を出迎えたのは、黒いスーツに黒いネクタイを締めた見慣れない男であった。呆然とする俺たちに向かって、男は静かに頭を下げる。
「わたくし、セールスマンでございます。いわくつきの素敵な品々をお持ちしました」
セールスマンと言う割に男は全く愛想がなく、まるで仮面のように無表情だ。人形のように整った容姿をしているのもさらに不気味さを増している。人間ではないようだが、その正体は良く分からなかった。
「あの、誰に呼ばれてきたの?」
俺は吸血鬼を横目に見ながらセールスマンに尋ねる。
このダンジョンで最も浪費癖があるのは吸血鬼だ。この前も馬鹿みたいに高い高級ブランドのマントを買ったばかりで、あまり無駄遣いしないようにと苦言を呈したところであった。このような人間を呼ぶのはほぼ間違いなく吸血鬼だろう。
ところが、吸血鬼は他の皆と同じようにきょとんとした顔をしているし、セールスマンもまた俺の言葉にゆっくり首を振った。
「いえ、飛び込みです」
「飛び込みって……じゃあ呼ばれてもないのに勝手にここに入って俺たちを待ってたってこと?」
「はい」
セールスマンは悪びれる様子もなく平然と頷いて見せる。呆れを通り越して恐怖まで沸いてくるようだった。
「いきなり来られても困るよ。それにここは関係者以外立ち入り禁止の部屋なんだから、勝手に入っちゃダメでしょ」
「しかし日が暮れればもう冒険者は来ませんでしょう。すぐに終わりますから」
「いや、そういう事じゃなくって――」
「とっておきの商品をお持ちしたんです。お話だけでも」
さすがはセールスマン、なかなかのしつこさだ。しかしここで弱みを見せるとますます帰ってくれなくなる。俺はセールスマンに負けじと口を開きかけたが、俺が言葉を出すより先に背後から声が飛んできた。
「まぁ良いじゃないか、少し見るくらい。すぐ終わるんだろう?」
声の主はやはりというかなんというか、吸血鬼であった。
こんな怪しい者の話を聞くなんてとんでもない。俺はそう思い、反対の声を上げようとしたがすぐに思いとどまった。吸血鬼だけじゃない、スケルトンやゾンビちゃんもこの怪しげな男に眩いばかりの好奇心を向けていたのである。
そうだった。彼らはダンジョン暮らしが長い。恐らくセールスというものに慣れていないのだろう。これではいくら俺がなんやかんやと言ったところでむしろ彼らの好奇心を煽るだけだ。俺は渋々ながらそれ以上声を上げることを断念した。
「では皆様、どうぞお座りください。きっと気に入る商品があるはずです」
セールスマンは我がダンジョンの椅子を我が物顔で勧め、そして俺たちが椅子に座り終えると机の下から風呂敷に包まれた大荷物を取り出した。その黒いスーツに恐ろしく似合わない唐草模様の風呂敷を解くと、中から雑多なガラクタが現れる。その中から男は一振りの細身の剣を取り出した。
「どんな素人でもこの剣を握ればたちまち百戦錬磨の剣士に早変わり。目を奪われるほど華麗に戦うことができるのでございます」
「おお、それはすごいじゃないか」
食いついたのは吸血鬼である。
確かになかなか美しい装飾のほどこされた剣ではあるが、いくらなんでもそんな都合の良い話があるわけない。俺は目を輝かせる吸血鬼の頭を冷やすため、そっと耳打ちした。
「こんなの怪しいよ、騙されちゃダメだって。っていうか吸血鬼とゾンビちゃんは武器持つの禁止って言ったでしょ」
「い、いや、たまには良いじゃないか。周りにはきちんと注意するから……なぁセールスマン、ちょっと試しに持たせてくれないか?」
「ええもちろんでございます」
セールスマンは意外にもあっさりと吸血鬼に剣を手渡した。
吸血鬼は嬉嬉としてそれを受け取り、颯爽と鞘から抜いて見せる。見事に光る美しい刃がその姿を現した。なるほど、その剣は確かに目を奪われるほど美しい。だが剣が美しいのと「華麗に戦える」というのは全く別の話だ。
「どう吸血鬼? 別に普通でしょ?」
尋ねるが、吸血鬼はじっとその刀身を見るばかりで返事はない。分かっていて無視しているというよりは聞こえていないといった風であった。
「吸血鬼?」
吸血鬼は突然剣を振り上げ、近くにいるゾンビちゃんの首を刎ねた。
その剣さばきは流れる様に美しく、俺たちは一瞬にして目を奪われてしまった。確かに華麗である、この世のものじゃないくらいに。
だが今はそんな流暢な事を言っている場合ではない。なおもその剣を血に染めようと暴れる吸血鬼を、スケルトンたちが必死に押さえつけた。しかし吸血鬼の興奮はなかなか収まらない。
「離せッ! もっと血を見せろ!」
「どうしちゃったんだよ吸血鬼。そんなにお腹すいたの!?」
スケルトンたち一人一人の力は本気の吸血鬼には到底及ばない。特殊な道具でもなければ束になってかかっても押さえつけるだけで精いっぱいだ。ゾンビちゃんがいれば剣を取り上げることもできたかもしれないが、彼女の首は転がって行ってしまい、その体はどこかへ行った首を文字通り手探りで探している。さすがに彼女の手を借りることはできないだろう。困り果てていたその時、ふいにセールスマンが立ち上がり、大きなナイフで剣ごと吸血鬼の腕を落とした。地面に剣の落ちる音が響くとともに、あれだけ大暴れしていた吸血鬼の動きが急に止まる。
そして彼は自分を押さえつけるスケルトンたちを見上げながらきょとんとした顔を見せた。
「あ……あれ?」
「吸血鬼! なんだったの今の!」
「いや……鞘から剣を抜いた途端、急に斬ってみたくなって」
「もう正気とは思えなかったよ、本当に大丈夫? ドクターとナースさん呼ぶ?」
「いえいえ、それはこの剣の効果なのですよ」
セールスマンが剣を鞘に丁寧に収め、切り取った腕を吸血鬼に渡しながら言う。
「この剣には呪いがかかっていまして、握ると無差別殺人マシーンと化し、血を見たいという衝動を叶えるために手近な人を斬り続けるのです」
「それ先に言ってくれませんか!?」
「まぁこうして腕を切り落とせば正気に戻りますから。それで、どうですか? この剣があれば冒険者など瞬殺できます」
もちろんお断りだ。吸血鬼はすぐにそう言うと思ったが、いつまでも返事がない。
そっと吸血鬼を見ると、なんと腕を組んで思案顔をしているではないか。
「ちょっと吸血鬼!? なんで悩んでるの!」
「いやぁ、あの剣と一体化した感じが何とも言えなくてな。小娘の首を切り捨てたときの爽快感もなかなか――」
「絶対ダメだからね。もしどうしても買うというなら俺はこれから毎晩吸血鬼の棺の周りを歌い踊り続ける」
「なんだその嫌がらせ」
「とにかく絶対それは買いませんから! すぐしまってくださいそんなの!」
セールスマンにそう言うと、彼は「それは残念です」などと言いながら風呂敷の中へと剣を隠した。しかしその顔は大して残念そうにも見えない。
そんなやり取りをしているうちにゾンビちゃんは無事に首を見つけることができたらしい。両腕で頭を固定しながら怒りの表情を浮かべたゾンビちゃんがこちらへ歩いてきた。
「ナニスル! イタイ!」
「まぁまぁゾンビちゃん、吸血鬼もわざとじゃないから。喧嘩しないで」
そう言って宥めるものの、ゾンビちゃんの怒りはなかなか収まってくれない。まぁ首を刎ねとばされて怒るなという方が無理ではあるが。
幸い、彼女の両腕は頭を支えるのに使われているため吸血鬼に殴り掛かったりはできないが、切り口が滑らかだったおかげか、もうすぐ体と首がくっついてしまいそうである。
とその時、セールスマンが風呂敷からまた何かを取り出した。
「ゾンビの御嬢さん、美しいドレスはいかがです?」
それは赤と白の模様が入ったシンプルな形のドレスであった。
しかしどんなに美しくても、ゾンビちゃんがドレスに興味を持つとは思えない。何か魅力的な商品で気を引いてもらえるとこちらもありがたいが、ゾンビちゃんにとってドレスは魅力的な商品ではないのだ。
「ゾンビちゃんはドレスに興味ないよ、なにかもっと別な――」
そこまで言ったところでゾンビちゃんの方を見やると、彼女の目の色が変わっているではないか。
首と体が完全にくっ付いたその瞬間、ゾンビちゃんは吸血鬼ではなくセールスマンの掲げたドレスに飛び掛かった。ゾンビちゃんも女の子なんだな、ドレスに興味があったのか――そう思ったのもつかの間、ゾンビちゃんはそのドレスを着るでも眺めるでもなく、口の中に押し込みはじめる。
「ちょ、ちょっとなにやってんの!」
「腹が減りすぎておかしくなったのか?」
「……いや、待って。もしかしてこれ」
赤と白で染められた模様のドレスだと思っていたが、よくよく見ればうっすらと違う物が浮かび上がってくる。
それは布ではなく、上から下まで生肉で作られた「肉ドレス」だったのだ。肉ドレスをぺろりと完食したゾンビちゃんは、満足げに唇を舐める。もはや自分が怒っていたことすら忘れてしまったようである。
それは良いのだが、無慈悲にもセールスマンは俺たちに向かってこう言い放った。
「毎度ありがとうございます。後で料金を請求させていただきます」
俺たちは顔を見合わせ、大きなため息を吐く。
「それはちょっとズルいよ……」
「卑怯な……」
だがゾンビちゃんが商品を食べてしまったことは事実。支払いから逃れることはできないだろう。
俺たちが暗い表情をしているにも関わらず、セールスマンはさらに風呂敷に乗ったガラクタの山から何かを引っ張り出す。
「さて、今回はスケルトンの皆様にも満足いただける商品をお持ちしましたよ」
そう言って取り出したのは手のひらに収まるほどの大きさの人体骨格模型であった。
「みてくださいこの美しさ。職人が一体一体丁寧に作り、骨の美しさを余すことなく表現しました。関節可動式でポージングも自由自在」
そう言いながらセールスマンは骨格標本を動かしていく。あっという間に美少女フィギュア顔負けの可愛らしいポーズが出来上がった。
確かになかなか精巧につくられたものだが、こちらは「本物」を毎日腐るほど見ているのだ。いまさら骨の人形を見せられても――俺と、恐らく吸血鬼もそう考えたのだが、スケルトンたちにはこの人形が俺達とは違った風に見えているらしい。
みんな我先にとセールスマンの元に集まり、その暗闇と情熱を湛えた眼窩を熱心に小さな骨人形へ向けている。相当気に入ったらしい。
「……ええと、それのどういうとこが良いの?」
理解できず尋ねると、スケルトンたちは一斉にプラカードを掲げた。
『可愛い!!』
『肋骨の丸みが絶妙』
『色白たまらん』
『背骨のカーブがセクシー』
「そ、そう……なんだ」
いくら骨の人形を眺めても「可愛い」だの「セクシー」だのといった感想は浮かんでこなかったが、スケルトンにはスケルトンの美的感覚があるのだろう。
「まぁ小さいものだし、呪いもかかってないし、自分たちの小遣いで買うなら止めはしないけど……」
そう言うとスケルトンたちは興奮したように骨をガタガタ言わせたり部屋中を跳びまわったりしてみせた。これほどまでに喜ぶとは。彼らにはこの人形がどう見えているのか、気になるところである。
「お買い上げありがとうございます。ところで、スケルトンの方々にもう一つお勧めしたい商品があるのですが」
「ま、まだあるの……?」
セールスマンはまたガラクタの山から何かを引っ張り出し、机の上にポンと置く。
それは先端が太くなった白い棒きれのようなものであった。なんなのかは良く分からないが、妙に既視感がある。
「それは一体?」
「これは右上腕骨のパーツです。毎週届く骨のパーツを組み合わせることで等身大骨格フィギュアが完成します」
セールスマンの言葉にスケルトンたちが色めき立つ。俺は慌ててスケルトンたちに言った。
「いやいや、骨のパーツって200以上あるし完成まで何年かかるんだよ! お金だって凄くかかるし、場所もとるでしょ」
多くのスケルトンはその言葉でシュンとなったが、数人のスケルトンたちはまだ諦めきれないらしく抗議のプラカードを掲げている。
しかしセールスマンの方は意外にもあっさりと上腕骨パーツを風呂敷の中へとしまいこんだ。
「まぁこちらは敷居の高いフィギュアなので、ゆっくり考えてください。まだまだご紹介したい商品がありますので」
「ええ、もう十分ですって……」
「では最後に致しますから。次の商品は幽霊のお兄さん、あなたにオススメの商品です」
「えっ、俺に?」
まさか自分が商品を勧められることになるとは思っていなかったため、思わず聞き返してしまった。この体になってから俺は食べることも触れることもできなくなったため、そもそも自分に扱える商品が無くなってしまったのだ。「カッコイイ」「欲しい」と思う商品があったとしても自分に扱えなければ買ったところで意味がない。
そんな俺にセールスマンが何を勧めてくるのか、非常に興味があった。
「今回ご紹介させていただくのは、こちらの商品です」
そう言ってガラクタの山から取り出したのは、古びた人形であった。
その皮膚は少し黒ずみ、ドレスもなんとなく埃っぽいがなかなか綺麗な顔をした人形だ。目はクリクリと丸く、ウェーブのかかった豊かな金髪が眩しい。しかしなぜ人形なのか。人形収集の趣味はないが、他人からは人形収集癖のありそうなレイスだと思われているのか。俺は目を点にしてセールスマンに尋ねる。
「ええと、これはどういう?」
「これは少女の怨霊が取りついた人形なのでございます」
セールスマンは人形を手に持ち、遠くを見ながらなにやら語り始めた。
「数百年前、ある地方を治めていた貴族の家がございました。この人形はその家の少女が小さい時から大事にしていた人形なのでございます。人形は少女の部屋に置かれ、いつも彼女と共にありました。ところがある時、彼女の欲深い叔父が彼女の父を殺し、母を殺し、そして力無き少女をも殺してしまったのです。現当主と跡継ぎを殺すことで彼は目論見通り一族の当主となりました。しかし少女の魂はこの人形に宿り、両親と自らを殺した叔父に復讐を果たしたのです。そして今もなお、彼女の魂はこの人形の中に」
ありがちな話ではあるが、こうして人形を前に語られるとそれなりに恐い。
吸血鬼は気味悪そうにしてその人形から距離をとった。
「なんでそんな人形をわざわざ金を払って買うんだ。気味が悪いじゃないか、なぁレイス?」
俺は思わず吸血鬼から目を逸らす。
「いや……」
「レイス? あっ、お前まさか」
吸血鬼は目を見開き、凄い勢いで立ち上がって俺を指差した。
「幽霊のガールフレンドが欲しいのか!」
「い、いやいやいやいやいやいや。そんなわけないじゃん、そんなわけないじゃん」
慌てて首を振るが、吸血鬼は執拗に俺を問い詰める。
「お前そんなそんな姿になってもまだ下心が残っているのか、呆れた幽霊だ」
「だから違うってば! ただ同じ幽霊として彼女を慰めてあげたいなーって、それだけ!」
必死に言い繕うが、攻撃はあちこちからから飛んできて俺の透明な心を突き刺していく。スケルトンたちまでプラカードを俺に向けてきたのだ。
『まさか女の子の幽霊に飛びつくとは』
『なんて浅ましい』
「お前らだって可愛い骨格模型に飛びついただろ!」
吸血鬼はここぞとばかりに俺の言葉に食いついた。
「おい、今『お前らだって』と言ったな? と言う事はお前も可愛い幽霊に飛びついたということじゃないか」
「うぐっ……べ、別にいいだろ! たまには俺にも買い物させろ!」
俺の言葉に、吸血鬼は勝ち誇ったような笑みを浮かべる。
「ははは、初めての買い物が少女の幽霊憑き人形とはな。もう貴様に人の買い物をゴチャゴチャ言う資格は無いぞ」
「ぐうっ……」
「そうだセールスマン、その幽霊とやらはどんな人物なんだ? ちょっと見せてくれたまえ」
「はい、良いですよ」
セールスマンはあっさりと頷き、なにやら人形に耳打ちする。すると人形の頭のてっぺんから白い糸のようなものが立ち上り、少しずつ少女の形を作っていった。
彼女は半透明な体をこちらへと向け、はにかんだような笑みを浮かべる。
しかし、俺の想像していた少女と彼女は少し……というか随分と違っていた。
「ああ……これはなんというか」
吸血鬼は口ごもりながらそっと少女から視線を逸らす。
そうだ、俺たちは「非業の死を遂げた貴族の少女」という言葉だけで勝手なイメージを創り上げていたが、別に彼女が美少女であるとは明言されていなかった。
俺は胸を張り裂かれそうな罪悪感を抱きつつ、彼女から目を逸らす。
「あの……やっぱキャンセルで」




