160、ドキッ☆死人だらけのお風呂大会
「あーあ、どうすんのこれ……」
ダンジョンを染める緑のゲルに、さきほどからため息が止まらない。
スケルトンたちがデッキブラシ片手に集結しているが、地面からベタベタが消えるのは一体いつになることか。
「三流テイマーめ、立つ鳥跡を濁さずという言葉を知らないのか……ああっ、靴が!」
ゲル溜まりにハマった靴を持ち上げながら、吸血鬼が嫌悪に顔を歪める。
ダンジョンに入ってきた冒険者が死の間際に召喚したのが、よりにもよって巨大スライムだったのだ。
スケルトンたちの奮闘によりスライムとテイマーは撃破したものの、やつらは“スライムの残骸”という厄介な置き土産を残していったというわけである。
「文句言ってないで吸血鬼も手伝ってよ」
「それは僕の仕事じゃない。アイツにでも任せておけ」
吸血鬼はそう言って通路の端に視線を向ける。
そこにあったのは巨大なゲルの塊――ではなく、ゲル塗れになったゾンビちゃんである。
彼女はベタベタになった手を一心不乱に口元へ運んでいる。
どうやらゲルに塗れながら、ゲルを食べているらしい。
「どう考えてもスライムの死骸なんて美味しくないでしょ……」
「それはどうでもいいが、コイツがこのまま歩き回ったらダンジョン中に汚れが広がるぞ」
「ああ、確かに。これオイルタイプのスライムだから落とすの大変だなぁ」
「風呂にでも入れるか」
吸血鬼の何気なく放った一言に、ゾンビちゃんが飛び上がる。
「エッ!?」
零れ落ちんばかりに目を丸くし、とんでもないとでも言いたげな表情で俺たちを見上げるゾンビちゃん。
だが吸血鬼の案は彼女にそんな表情をさせるほど突拍子のないものには思えなかった。
「そうだね、掃除の前にゾンビちゃんをどうにかしたほうが良さそう」
「エエッ!? ヤダヤダ! お風呂ヤダーッ!」
ゾンビちゃんは悲鳴にも似た声を上げ、体中にゲルを纏わせながら弾かれたように駆け出した。
「ちょ、なんで逃げるの!? ゾンビちゃん、温泉入ってるときあるでしょ!?」
「ヤダヤダヤダヤダッ!」
ゾンビちゃんは悲鳴を上げながら逃げていく。
その後ろ姿を紅い瞳で見つめながら、吸血鬼は顎をさすりニヤリと笑った。
「仕方ない。ヤツの始末は僕がやろう。スケルトンたちは掃除の続きと、それから風呂の準備を頼む。アツアツのヤツをな……!」
吸血鬼の大袈裟なセリフに、俺は思わず苦笑する。
「なんだよ、たかが風呂でずいぶん大袈裟だなぁ」
******
「ウー、風呂ヤダ、風呂ヤダ……」
体中からゲルを滴らせ、ゾンビちゃんはダンジョンを彷徨い歩いている。
彼女の歩いた後にはゲルがずっと続いている。まるでナメクジだ。
おかげでスケルトンたちの仕事が増えたが、彼女を追いかけることは容易かった。
だがゾンビちゃんを捕まえて風呂場に連行することは決して容易いことではない。
吸血鬼が全力を出しても無傷でというわけにはいかないだろう。
だから、俺たちは被害を最小限に抑えるために策を用意した。
「アッ! ニク!」
どうやら発見したらしい。
ゾンビちゃんは俺たちの思惑通り、ソレに走り寄っていく。
俺たちが用意したのは、いたって原始的な罠である。
ワイヤーで吊るされた肉。これを手に取ると天井から檻が降ってくるという仕組みだ。
「あんなもの、よくダンジョンにあったね」
ゾンビちゃんの様子を見守りながら彼女に聞こえないよう小声で呟く。
すると吸血鬼も小声で答えた。
「昔、冒険者殲滅用の罠の試供品を持ってきた業者がいただろう。その残りだ」
「でもさすがにわざとらしすぎるんじゃ。ほら、怪しんでる」
ゾンビちゃんは肉にかぶりつこうとはせず、宙に浮いたそれをじいっと見つめている。
「ほう、罠を疑う程度の知能はあるのか。スライムでも腹は膨れるらしいな」
「そんな悠長なこと言ってたら、ゾンビちゃんはいつまで経ってもスライム塗れのままだよ」
「安心しろ。これがダメだとしても、次の手は打ってある」
吸血鬼はそう言うと、ゾンビちゃんを眺めてニヤリと笑う。
彼女が行動を起こしたのはその時だった。
「うー……ニクッ!」
ゾンビちゃんは独特の掛け声を上げながらぶら下がった肉に素早くかぶりつき、そして肉をくわえたまま風のように駆ける。
天井から降ってきた巨大な檻が、ゾンビちゃんの背中を掠めて地面へと叩きつけられた。
「あー、ほらやっぱり不発だ」
「大丈夫だと言っているだろう」
せっかく仕掛けた罠をかいくぐられたにもかかわらず、吸血鬼は涼しい顔だ。
一方、ゾンビちゃんも余裕の表情でのんびり歩きながら、勝ち取った肉塊にかぶりつく。
しかし次の瞬間。
「ウアッ」
短い悲鳴を残し、彼女は突然消えた。
――いや、消えたのではない。落ちたのだ。
これが吸血鬼が用意していた“次の手”ってやつか。
「結局落とし穴かぁ。古典的だなぁ」
「こういう単純なものが一番引っ掛かりやすいんだ」
吸血鬼はしめしめと笑いながら落とし穴の中を見下ろす。
底に設置された何本もの槍に貫かれ、穴の中はまるで血の海である。
「風呂に入れるだけなのに、ここまでする必要あるの?」
「コイツが暴れなければここまでしなくて済むんだが、残念ながらそういう訳にはいかない」
吸血鬼はそうぼやきながら体中穴だらけになったゾンビちゃんを穴の底から引っ張り上げる。
さすがはゾンビちゃん。全身から血を滴らせクタクタになっているにもかかわらず、まだ意識があるようだ。
「うー……お風呂ヤダ……」
吸血鬼に担がれながら、ゾンビちゃんはうわ言のように呟く。
「なんでそんなに怯えるの? 大丈夫だよ、綺麗にするだけだから」
「そうだぞ、グズグズ言うな小娘。どうせ死なないんだから別にいいだろう」
そう言って意地の悪い顔をする吸血鬼。
……風呂に入ることとゾンビちゃんが死なないことにどういう関係があるのだろう。
首を捻りたくなる事は他にもあった。
「ねぇ吸血鬼、どこに向かってるの? 温泉はそっちじゃないよ」
「そんなことは分かっている」
吸血鬼は温泉とは逆方向へズンズン進んでいき、そしてダンジョンのある一室へと入っていく。
そこにいたのはたくさんのスケルトンたち。そして液体の張られた巨大な桶。周囲には美しいガラスの瓶がいくつも転がっている。
「これもしかして……聖水?」
「ああ、元冒険者の君なら知ってるだろう。油性スライムの汚れは頑固だ。水をはじき、熱にも強く、そんじょそこらの界面活性剤程度ではびくともしない。だがスライムは魔物だ」
「そうか、聖水ならスライムを溶かせる……けど、それじゃあゾンビちゃんも」
「ああ、そうだな。だがスライムと違って、小娘の体は再生する」
「あ、うーん、まぁそうだけど……」
なるほど、ゾンビちゃんが嫌がって逃げ回っていた理由が分かった
ゾンビちゃんを“風呂”に沈めながら、吸血鬼は大きく息をつく。
「まったく、手間をかけさせる。おかげで僕まで血と粘液でベタベタだ」
「ナラ、風呂に入ルべきジャない?」
刹那、桶から伸びたツギハギだらけの青白い腕が吸血鬼の手首を掴んだ。
「なっ……!?」
聖水により少しずつ体の形を失いながらも、ゾンビちゃんは吸血鬼の腕を力任せに引く。
「ぐっ……うわあああッ!?」
吸血鬼の腕が聖水に引き込まれる。白煙を立てながら、吸血鬼の腕の皮膚が溶けていく。
「やめろ馬鹿!」
「ヤメナイよ?」
槍で全身を貫かれて聖水に漬けられているにも関わらず、ゾンビちゃんの怪力は未だ健在であるようだ。
ゾンビちゃんは次に吸血鬼の襟首をひっつかみ、そのまま勢いよく聖水の中に引き込んだ。
フライを揚げているときのような音と共に濃密な白煙が上り、桶を覆い隠す。
白煙が晴れるころには、桶の中にはゾンビちゃんの姿も吸血鬼の姿もなく、ツギハギだらけのワンピースと派手なシャツと黒いズボンが浮いているだけであった。
「あーあ、やっぱりこうなったか……ま、かえってダンジョンの掃除がしやすくなるかな」
俺は視線を桶からスケルトンたちへと移す。
「二人が形を取り戻す前に、ダンジョンの掃除終わらせちゃおうか」
デッキブラシや箒を手にしたスケルトンと共に、俺はゲル塗れの通路へと向かう。
俺たちはアンデッドだ。時間は文字通り無限にある。二人が体を取り戻すのにも、それなりに時間がかかるはずだ。
それまでは、のんびり掃除を進めるとしよう。




