153、魅惑の忘れ物
ダンジョンには落とし物が多い。
なにせ激しい戦闘の繰り広げられる場所だ。飲みかけのポーション、薬草、ナイフ、時には寝袋や上着など、戦闘に関係ないものを落としていくこともある。
もちろん冒険者がダンジョンを出ていった場合、それらのアイテムは俺達が回収して処分したり、物によってはありがたく使わせて貰ったりもする。
しかし、この落とし物は俺の知る限り初めてのパターンだ。
スケルトンがダンジョンの通路で拾ったというその布切れを眺めて、俺は首を傾げる。
「……ダンジョンで一体どうしたらパンツが落ちるんだろ」
過剰なまでのフリルに覆われた、ピンク色の女性用下着。サイドがリボンになっているが、片側のリボンが刃物か何かで切断されている。
「剣の先でも当たって切れた……? いや、そんなまさかね」
「さすがに履いてたものじゃないだろう。鞄から落ちたんじゃないか」
頬についた血を拭いながら吸血鬼がつまらなさそうに言う。
「なるほど、その可能性もあるのか。でもリボン切れてるし……ねぇねぇ、吸血鬼ちょっと嗅いでみてよ」
「なんでだ」
「俺、この体になってから鼻が悪くてさ」
「そういうことを聞いてるんじゃないんだが」
「まぁそう言わず――」
そこまで言ったところで、俺は慌てて言葉を飲み込んだ。
射貫くような視線をこちらに向けるゾンビちゃんと目が合ったからだ。
「ひえっ……いつからそこに」
「嗅グの?」
「いやっ、吸血鬼が……」
「僕に押し付けるな!」
絶体絶命のピンチ。
このままでは築き上げてきたゾンビちゃんからの信頼がパァだ!
そんな時、俺を救ったのは通路に飛び込んできたスケルトン達のけたたましい骨音であった。
『敵襲!』
「わぁ大変だ。みんな、配置につかないと。冒険者は今どのへんなの?」
『それが……』
スケルトンは困ったように互いに顔を見合わせる。
どうやらまた厄介事が転がり込んできたらしい。
でも良い!
ゾンビちゃんのあの視線から逃れられるならどんな厄介事でも歓迎しよう!
スケルトンに誘導されるがまま、俺は逃げるように敵の元へ向かったのだった。
*******
スケルトンに連れられてやってきたのは、外に通じるダンジョン入口。
確かに冒険者の一団がいるものの、彼らはダンジョンの奥へ進もうとも街へ帰ろうともしない。
ただただ声を荒げて喚くばかりだ。
「話の通じる奴出しなさい! 早く!」
金切り声を上げる女の冒険者。長い髪をサイドテールにした、快活そうな少女だ。短いスカートから伸びる白い脚が眩しい。
それを囲むようにして、男の冒険者が3名。いずれもパッとしない風貌である。
彼らの顔には見覚えがあった。
奴らはついさっき吸血鬼を倒し、宝と共にダンジョンを意気揚々と出ていった冒険者パーティである。
「一体なんの用だろ」
「もう少し中に入ってくれれば喉を掻き切って黙らせてやるんだが、あそこにいられるとその前に僕の手が灰になる」
ダンジョンの入り口に足を踏み込んではいるものの、彼女たちの体は傾きかけた太陽の光の中にある。
戦うつもりはないということか。
放っておいた方がいいのかもしれないが、あんなとこにいられては他の冒険者の邪魔になるし、なによりうるさくて仕方がない。
「あー……一体なんの用?」
俺は恐る恐る声をかけてみる。
すると彼女は目を見開き、そして急にもじもじし始めた。視線を落とし、短いスカートを手で押さえ、視線を泳がせる。
「あ、あの……その……お、落としちゃった物を取りに来たの!」
「落とし物ぉ? そんなの勝手に探してよ」
「動けないからこうして頼んでるんじゃないのよ……!」
「なんだよ、武器かなにか落としたの?」
「そうじゃなくて、あの……」
女は言葉をもにょもにょと口の中で転がすばかり。
いい加減話が進まないことに仲間たちもウンザリしだしたらしい。
「パンツだよ」
彼女を囲む男の一人が代わりに声を上げる。
その言葉に、忘れかけていたレースで飾り立てられたピンク色の布切れが頭に浮かぶ。
「パ、パンツ? あっ、パンツってまさか」
「あんた覚えがあるのね!? 早く返しなさい!」
女が必死の形相でこちらに手を伸ばす。
なるほど、あの下着は彼女のものだったか。
貴重な魔法具や武器ならともかく、わざわざ下着を取りに戻ってくるとは。
もちろん、俺の返答は決まっている。
「ダメ」
「は……? な、なんで!」
「もしかして、ダンジョンに忘れ物センターとか迷子センターがあると思ってる? ダンジョンは生きるか死ぬか、弱肉強食の世界だよ。忘れ物がどうとか、甘っちょろいこと言うな!」
「くっ……」
こちらを睨みながら唇を噛む冒険者。
さらに口を開こうとする冒険者を、仲間の男たちがなだめる。
「ほら、言ったじゃん。もういいでしょ、帰ろうよぉ」
「そろそろ暗くなってくるよ」
「夜の森は怖いよぉ?」
「イヤッ! あんたらスカートの中覗くつもりでしょう」
「ハァ、そんな事するワケないじゃん。俺らもう大人だよ?」
男のうちの一人が何食わぬ顔で言いながら、きらりと光るなにかを彼女の背後からその短いスカートに近付ける。男の手と女のスカートの距離が短くなるほどに、男の鼻と上唇の距離が離れていく。
しかしそれがスカートの中に潜り込むより早く、女が素早く踵を上げて光る何かを蹴り上げた。
ガシャン、という派手な音と共に欠片が辺りに飛び散る。
地面に散らばった細かなそれは、空の青を映していた。鏡だ。
「アイタタ」
男は可愛こぶったようにギュッと目をつむり、女に蹴り上げられた手を擦る。
額に鏡の破片が刺さっていることには気付いていないみたいだ。
「言ってるそばから……!」
「デヘヘ」
なるほど、下着ナシの上にあんなやつらが一緒では街へ帰る気が起きないのも頷ける。
ちょっと可哀そうな気がしてくるような気も……
いやいや。ちょっと待てよ。
「だいたいさ、なんでダンジョンでパンツ落とすわけ? まさか神聖なダンジョンでいかがわしい事を……」
「馬鹿言わないで! 骨野郎たちが変なとこ切るからじゃないの!」
女は声を荒げ、手で押さえたスカートを視線で指す。
スカートの裾から腰の辺りにかけて、確かに剣で切ったようなスリットが入っていた。
「こんなとこ狙うなんて、わざとやってるとしか思えないわ。女子のパンツを奪うなんて、とんでもなく卑劣なダンジョンね。ほかの冒険者に言いふらしてやるんだから!」
「スケルトンがそんな事するわけないだろ。奪うんならパンツじゃなくて仙骨とか尾骨あたりだよ」
『そんなハレンチな事はしない!!』
スケルトンたちはガチャガチャ音を立てながら続々と抗議の札を上げる。
怒るのも当然だ。彼らは清廉潔白な紳士。肉の付いた女になど興味があるはずもない。
「だいたいさぁ、冒険者がなんでそんな短いスカートでダンジョンに来ちゃうの? どう考えても戦い向きの服じゃないよね? もう自ずからパンツ見せにかかってるじゃん」
「そ、そんなわけないじゃない! ……動きやすいからよ」
「動きやすい? スカートが?」
「うるさいわね、これが私のスタイルなの! だいたい、あんたのとこのモンスターの方がよっぽど戦いにくそうな服着てるじゃないのよ」
女はヒステリックな声を上げながら、奥でこちらを眺めていた吸血鬼とゾンビちゃんを指差す。
二人は困ったように顔を見合わせ、肩をすくめた。
「どう言われても構わないが、僕は少なくとも下着を落とすような服は着ていない」
「ドウやったらパンツ落チルのー? なんでパンツにピンクのワカメ付いテルのー? レイスが嗅ゴウと――」
「ゾンビちゃん! それは言わなくて良い!」
俺たちの言葉のどれか、あるいは全部が彼女の逆鱗に触れたようだ。
彼女は可愛らしい丸い眼球が零れ落ちそうなほどに目を見開き、虚空から身の丈ほどもある杖を取り出す。
「……そうね、お前らが落とすのはパンツじゃなくて首よね!!」
「ハルちゃんヒーラーでしょ。無茶なことしないでよ」
仲間の男は呆れたように言いながら、どこからか取り出した釣り竿を振り上げ、釣り針をスカートに向けて放つ。
しかし女は杖で針を引っ掛け、逆に男を釣り上げる。よろよろと引っ張られていく男を、女は杖で殴りつけた。
「アイタタ」
傍目から見ても分かる大きなたんこぶを擦りながら、男は可愛こぶったようにギュッと目をつむる。
負傷者二人目である。
「仲間割れはやめようよ。ハルちゃん、替えの下着は持ってきてないの?」
唯一負傷していない最後の男が、宥めるようにして女に話しかける。
すると女はうつむきながら口を尖らせた。
「……ない。カバンに入れた気がするんだけど、宿に置いてきたかも」
「取りに戻ってたら夜になっちゃうし……俺のパンツ貸すから、それで」
「ヤダッ!! 野郎のパンツなんて汚くて履けないわよ!」
「ええ……まぁ気持ちは分かるけど、今回は仕方ないでしょ」
「ヤダヤダヤダヤダ、絶対イヤッ!」
叫びながら、女は杖で男をぽかぽか殴る。
「痛い、痛いってば。ワガママもいい加減に――」
その時。
突如強い風がダンジョンに吹き込んだ。
風は草木を揺らし、砂埃や枯れ葉を巻き上げ、そして杖を使っていたため両手が塞がっていた女のスカートを捲り上げる。
「あっ……」
女は杖から手を離し、慌ててスカートを押さえる。
しかし今更隠したところで何にもならない。
砂埃が口に入るのも構わず、口をあんぐり開ける冒険者たち。
見えちゃいけないもの、というか「彼女」にあるはずないものがそこにはあった。
「えっと、男性の方……?」
静まり返る冒険者たち。
女……いや、ええと、なんと呼べばいいのか。“ノーパンの人”はうつむいたまま表情を見せず、おそらくパンツを履いているだろう男たちは口を開けたまま石化してしまったように動かない。
「は……?」
「ね、ねぇハルちゃん。どういうこと?」
「そんなわけない! そんなわけない! 幻術だ。卑劣なアンデッド共に幻術をかけられているんだ!」
男は顔を引き攣らせながら俺たちを糾弾する。
だが、そんなはずないと彼らだってわかってるはずだ。俺は彼らに冷静に言葉を返す。
「さっきの戦闘で俺たち幻術使ってなかったでしょ……もう良いよ、今回は特別にパンツ返すよ。公然猥褻で憲兵に捕まったら大変だしね」
しかし“ノーパンの人”はあれだけ欲しがっていたパンツに飛びつく事もせず、それどころかヒステリックに喚き散らした。
「もう良い! そんなものもういらない! 死ね! みんな死ね!」
「既に死んでます……」
俺たちも十分困惑しているが、一番困惑しているのは恐らく仲間の男たちだろう。
「ね、ねぇどういうこと? ちゃんと説明してよ」
「なにかの呪いにかけられたとか? だったら、俺たちも呪いを解く手伝いするからさ」
震える声を振り絞る冒険者。
しばらくの沈黙の後。
女は背筋を伸ばして視線を上げ、力のこもった視線を男たちに向ける。そして怯える小動物のように小さくなっている彼らに向かって、毅然とした態度で言い放った。
「俺の名はレオンハルト。この世に生を受けて23年、心も体もずっと男だ」
急なカミングアウトに、ダンジョン入り口はあっという間に地獄絵図と化した。
「16歳の女の子っていうの、全部ウソ!?」
「うわああああッ、毎晩成人男性のパンツを嗅いでたのかよ!」
「俺たちは必死になってノーパン成人男性のスカートの中を覗こうとしてたのか? な、なんでだよ。なんでこんな事……!」
崩れ落ちるように地面に膝をつく男、地団駄を踏んで泣きわめく男、背中についた火を消そうとしているかの如く地面を転がる男。
反応は三者三様だが、彼らが深く絶望しているのは確かだろう。
しかし“ノーパンの人”はたじろぐ事もなく、後ろめたい事など何も無いとでも言いたげな口調で男たちに言い放つ。
「俺はヒーラーだ。非力で、まともな攻撃手段を持たず、戦闘中は前衛の仲間に守ってもらう必要がある。今回の戦闘でも、お前らは俺を守ってくれた。だが、俺が男の姿だったら、俺のことを咄嗟にかばってくれたか? ピンチの時、命を懸けて俺を守ってくれたか?」
「開き直るな!」
「守る訳ねぇだろ、男なんて!」
「……いや、ありかも」
男の一人が、地面に横たわったまま夢でも見ているような声でそう呟く。
もちろん、他の二人は目を丸くした。
「正気か!?」
「可愛くても男なんだぞ!?」
「逆だ。男だけど、可愛い。可愛い以上に重要なことがあるか?」
「……確かに」
「ええっ、そうかなぁ」
妙な方向に話が流れ始めたのを見過ごせず、俺は咄嗟にそう呟いた。
「黙れバケモノがァッ!」
「テメーは黙ってルォ!!」
ああ、ダメだ。目がイッちゃってる。
俺がすごすご引っ込むと、男のうち一人が白い布を取り出した。
白旗かなにかかと思ったが、違う。
あれはパンツだ。女性物のパンツである。
「ハルちゃんゴメン、戦いの最中君のパンツを切ったのは俺だ。君のカバンからパンツを一枚抜いたのも俺だ。君の体を傷付けずパンツだけを切れるよう、必死に剣の腕を磨いてきた。慣れない勉強をして、盗賊スキル『追い剥ぎ』も取得した。全ては君のパンツのためだった。でもこれからは、俺の技術の全てを君を守ることに使うよ。これ履いて、一緒に帰ろう!」
冷静に考えてドン引きである。
しかし奴らの脳内回路はすでにショートしているらしい。
「やめろよ……泣けてきちまうじゃねぇか!」
もう一人の男も、懐から取り出した青い布で涙を拭く。
ハンカチかと思ったが、違う。
あれもパンツだ。女性物のパンツである。
「ふっ……バカな奴らだ。でもそんなお前らが嫌いじゃないぜ」
もう一人の男も赤い布を掲げ、風にそれをたなびかせる。
もう説明はいらないだろう。パンツである。
「帰ろう、ハルちゃん!」
声を揃え、輝くばかりの笑顔を浮かべる三人の男たち。
“ノーパンの人”は、スカートが揺れるのも構わず三人に駆け寄る。
そして身の丈ほどもある杖を構え、腰の入った杖さばきで三人を薙ぎ払った。
「いい話風にするな変態共が!!」




