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うわっ…俺達(アンデッド)って弱点多すぎ…?  作者: 夏川優希


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148、猫被り聖女と猫被り勇者





 通路に散乱する大量の骨。その上に胡座をかき、苛つきを見せつけるように貧乏ゆすりをしながら男は吐き捨てる。


「いくら骨野郎切ったってなんにも楽しくねぇ」


 その粗野な態度や言葉遣いとは裏腹に、彼の装備品はとても立派である。

 見覚えのある文様の描かれた青い鎧、肩に担いだ光り輝く大剣。これでもかと言うほど強烈に彼の肩書を主張しているようだ。

 スケルトンのSOSを受けて共にやってきた吸血鬼と顔を見合わせ、俺はため息と共に声を上げる。


「勇者がなんでうちに来るんだよ」

「もっと高難易度のダンジョンに行けば良いだろう。その聖剣より価値ある宝がうちにあるとは思えないぞ」


 若き勇者は俺たちの声にハッとしたように顔を上げたが、こちらの顔を見るなり不機嫌そうに口を尖らせる。


「うるせぇ! 別に宝箱漁りに来たわけじゃねぇよ。ただ……」


 勇者は肩に担いだ剣を下ろし、その輝く刃を指でなぞりながら血走った眼を虚空に向ける。


「最近、あんまり殺れてなくてな」

「ひっ」


 なんとなく嫌な予感はしていたが、どうやら俺の勘は当たっていたらしい。

 俺は勇者に勘付かれないよう、ほとんど唇を動かさず吸血鬼に耳打ちする。


「ゾンビちゃんが危ない……今どこにいるんだろ。うまく隠れててくれると良いんだけど」

「ああ、そうか。小娘を差し出せば帰ってもらえるな」

「酷いこと言わないでよ!」


 冗談か本気か分からない吸血鬼の企てを一喝しつつ、俺は必死に頭を働かせる。

 そもそも彼は、わざわざゾンビちゃんを痛めつけるためにこんな所へ来る必要は無くなったんじゃなかったか。


「……あの娘はどうしたの? 仲間ができたんでしょ、女の子の」


 恐る恐る勇者に尋ねる。

 このダンジョンを訪れた被虐趣味の聖女を勇者にけしかけたのは、もう数か月も前の話だ。

 一つ所に留まらない生活をしているとはいえ、聖女が彼を見つけるのはそれほど難しくないだろう。なにせこんなに目立つ格好をしているのだ。


「なっ、なんでお前が知ってんだよ」


 勇者はバツの悪そうな表情を浮かべ、どこか挙動不審になりながらそう呟く。

 やはり聖女とはすでに接触を済ませているらしい。


「えーっと、まぁ噂でね。目立つんだよ。そんな鎧着てるから」


 怪訝な表情を浮かべる勇者から視線を逸らし、俺はそう言い訳をする。

 俺たちとの関係を知らないならそれはそれで好都合だ。下手なことを言って怒られでもしたらたまったものじゃない。

 うまく誤魔化せただろうか。

 一瞬の間を置き、勇者の舌打ちがダンジョンに響いた。


「だからこんな鎧着たくないんだ」


 やはり良くも悪くも勇者というのは人の目を引く存在であるらしい。以前にもこういったことがあったのだろうか。あんな下手な言い訳ではあったが、どうやら納得してもらえたようだ。

 こうなれば話は早い。


「まぁまぁ、勇者なんだから多少は仕方ないよ。それで、新しいお仲間はどう? 今日は一緒じゃないの?」

「そりゃお前、こんなとこ連れて来られるわけないだろ!」


 そう声を上げる勇者の顔を見て、俺は驚きのあまり言葉を失う。

 酒を飲んでくだを巻く虚ろな目とも、ゾンビちゃんを狙って剣を振るうギラギラした目とも違う、勇者然とした輝きを携えた瞳がそこにはあったのだ。

 勇者は拳を振るいながら更に続ける。


「俺の新しい仲間はな、その辺のへっぽこ冒険者とは訳が違うんだ。聞いて驚くなよ。その方はな、神に仕える聖女様なんだ」

「え……えーっ、せ、聖女様ぁ?」


 無反応では流石に不味い。ドヤ顔を浮かべる勇者に、俺は全力のリアクションを見せつけた。視界の端に、顔を地面に向けながら肩を震わせる吸血鬼がチラつく。俺に実体があればヤツをぶん殴ってるところだ。

 しかし、勇者はそんな俺たちの異変にも全く気付いていない。アンデッドには眩しすぎる「少年の目」をこちらに向け、得意気になって言う。


「聖女様が本気を出せば、お前らなんて一瞬で昇天だぜ。連れてこなかったことに感謝してもらいたいくらいだ」

「へぇ、怖いなぁ。聖女様って言うけど、実際どんな人なの?」

「そりゃあもう、清廉で高潔で優美で綺麗で気高くて……とにかく凄い人なんだ!」


 勇者は子供のように目を輝かせながら聖女を褒め称える。

 まったく、笑いをこらえるのが大変だ。


「で、もう殺ったのか?」


 さらに続けようとする勇者の言葉を遮り、吸血鬼が冷ややかな笑みを浮かべながら尋ねた。

 ……気持ちは分かるが、いくらなんでもその聞き方はないんじゃなかろうか。

 吸血鬼の身も蓋も品もない言葉に、勇者は目をひん剥いて怒りを顕にする。


「聖女様をそんないやらしい目で見るわけないだろ。聖女様は神に最も近い人間なんだ。そんな対象じゃない!」


 予想通りの回答ではあるが、それにしても凄い怒りようだ。勇者は顔を真っ赤にしながら聖女がどんなに凄い人間であるかを説き始める。

 これではもはや仲間というよりも信者と言った方がしっくりくる。


「……あの聖女、すんごい猫被ってるみたいだね」

「ああ。ここまで来ると猫というより化け猫だな」


 吸血鬼はそう言って意地の悪い笑みを浮かべる。

 勇者の妄信っぷりに一番困っているのは、おそらく聖女自身だろう。ここまで慕われてしまったんじゃ、なかなか「聖女」としての殻を破るような行為はできまい。


「ただ、そのせいで困ったことにもなっててな……」


 聖女の素晴らしさを説いていた勇者の声量が急に下がり、俺たちは再び視線を移す。

 先程までとは打って変わった沈んだ表情を浮かべ、足元に視線を落として勇者は言った。


「さっきも言ったが、最近全然魔物を殺れてないんだ」

「……心強い仲間ができたんでしょ。そりゃあもう、どんな高難易度ダンジョンでも殺りたい放題なんじゃないの?」

「心強すぎるのが問題なんだ。魔物と出会っても、俺が剣を抜く前に魔法で始末されちまう。俺の出る幕がねぇんだよ」


 勇者は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべてそう吐き捨てる。


 確かにあの女は強い。本気を出せばそれなりに戦えるはずだ。だが彼女は聖女である。その能力はおそらく神官や司祭の上位互換。自分が直接戦うよりも回復魔法や補助魔法で仲間のサポートをする方が得意なはず。

 一流アタッカーの勇者を差し置いて魔物を潰す理由が分からない。それはともすれば勇者のプライドを踏みにじる行為にだってなり得るのに。

 しかし俺の疑問は、勇者がなんの気なしに呟いた一言によってあっさり解決した。


「特に良い感じの女の魔物の時に限って瞬殺されるんだ。たまったもんじゃねぇ。だからって聖女様に『女の魔物を斬らせて下さい!』なんて言えないしな」

「……なるほど」


 事態は多分、思っていたより単純だ。「聖女」だなんて呼ばれてはいるが、彼女も年相応に湧き出る感情を抑えきれていないらしい。

 凄いのは、彼女が勇者にそれを悟られぬよう上手く取り繕っていることだろう。


「みんなアンデッドダンジョンでは本性をさらけ出すけど、外では一応自分の役割を演じてるんだね」


 勇者に悟られぬよう、俺はごく小さな声で呟く。

 しかしいくら待っても、吸血鬼からの反応がない。


「吸血鬼?」


 改めて横を見ると、先ほどまでそこにいたはずの吸血鬼の姿がどこにも見当たらない。

 いつの間にいなくなったのか。いや、それよりも――一体どういう理由でいなくなったのか。

 勇者と関わるのが面倒になって、とかそんな理由ならまだ良いのだが。なんだか嫌な予感がする。


「ねぇニクどこ? ニク」


 不意に背後から聞き覚えのあるたどたどしい声が聞こえてくる。

 恐る恐る振り向くと、目を輝かせながらこちらへと向かってくるゾンビちゃんの姿が見える。

 俺は再び、恐る恐る視線を前方へ戻した。すると今度は、目をギラつかせた勇者がゆらりと立ち上がるのが見える。


「ヤバイッ……! 逃げろ!」


 勇者が地面を蹴ったのは、俺が叫びだすのとほぼ同時であった。

 俺の体を風のようにすり抜けて、勇者はゾンビちゃんに襲い掛かる。


「ヒッ!?」


 ゾンビちゃんは体を翻し、勇者の強烈な一太刀を寸前のところで避ける。

 獲物を捕らえ損ねた光輝く大剣は、砂煙を上げながら地面にめり込んだ。あんなのに当たったらゾンビちゃんといえどひとたまりもない。

 勇者の刃から逃れるべく、ゾンビちゃんは脱兎のごとく逃げ出す。


「寄ルナ! ヘンタイ!」

「へへへ、逃げんなよ」


 ゾンビちゃんを追いかける勇者の目は、狩人というよりもはや獣だ。

 聖女から賜ったという巨大な聖剣を、勇者はまるで木刀のように軽々振り回す。本気になればすぐに仕留めることもできるだろうに、彼はゾンビちゃんをネチネチ嬲るように、少しずつ追い詰めていった。

 どうにかしてゾンビちゃんを助けたいが、この半透明の体ではどうすることも――いや、俺に実体があったとしても勇者を止めるなんて無理だ。それこそ、勇者に対抗しうる強力な力を持った者でないと。


「おーい、レイス」

「……あっ!」


 勇者とゾンビちゃんが命懸けの追いかけっこを繰り広げる中、吸血鬼が暢気な声を上げながらのんびりとこちらへ歩いてくる。

 よくもまぁいけしゃあしゃあと戻ってこれたものだ。俺は怒りに任せて声を上げる。


「なにやってんだよ吸血鬼!」

「えっ、なんだ一体」

「なんだじゃないよ! ゾンビちゃんを生贄にするなんて、いくらなんでも酷すぎる!」

「は……?」


 吸血鬼は怪訝な表情を浮かべながら、ゆっくりと通路の方に視線を向ける。そこでは相変わらず、砂煙と血飛沫が舞い散る壮絶な戦いが繰り広げられていた。少し見ない間にゾンビちゃんの体には新しい刀傷がいくつも増やされ、彼女のワンピースは元の色が分からないほど血に染まってしまっている。


「あぁ。肉を裂く感触、血の匂い……!」


 血に濡れた剣をなぞりながら、勇者はギラギラした目をゾンビちゃんに向けていた。

 まだ致命傷ではないものの、ダメージは確実にゾンビちゃんの動きを鈍らせている。勇者からの攻撃をギリギリで避けながら逃げ惑うゾンビちゃんを見て、吸血鬼は慌てたように首を振った。


「いや、待て。もしかして僕が小娘をけしかけたと思っているのか?」

「え、違うの? じゃあなんでゾンビちゃんがここに」

「知るか。人間の匂いでも嗅ぎ付けたんじゃないのか。まったく、君は失礼なヤツだな。人を責めるときはきちんと確認してからにしたまえ」

「ごめんごめん……じゃあ吸血鬼は一体なにしてたの?」


 尋ねると、吸血鬼は「よくぞ聞いてくれた」とばかりのしたり顔を浮かべる。


「近くにいたから、連れてきたんだ。本命の女をな」

「本命……って、まさか」


 俺は慌てて、ゾンビちゃんと勇者の方へ視線を向ける。今まさに彼らの死闘……いや、勇者の「狩り」は終わりを迎えようとしていた。


 もはや動くこともままならないのだろう。満身創痍のゾンビちゃんは自身から滴り落ちてできた血の海に尻もちをついたような格好で、ただただ勇者を見上げる。

 一方、勇者は肩で息をしながら、ゆっくりと剣を振り上げる。薄笑いを浮かべながら舌なめずりをするその顔は、魔王よりもよほど邪悪に思えた。

 そして彼は溜まりに溜まった色々を吐き出すように、全身の力を込めた強力な一太刀をゾンビちゃんに浴びせる。


 しかしその光輝く巨大な刃がゾンビちゃんの体を切り裂くことはなかった。


「なっ……この力は」


 ゾンビちゃんの鼻の先で動きを止めた聖剣に、勇者は目を丸くする。

 まるで透明人間に剣を掴まれたような不可思議な動きであったが、よく目を凝らすと勇者とゾンビちゃんの間に光り輝く半透明の壁が確認できた。

 聖剣と同じ種類の輝きを放つ障壁が、アンデッドであるゾンビちゃんを守ったのである。


 しかし勇者もそう簡単には剣を下ろさない。彼はますます目つきを鋭くしながらもう一度、今度は素早く聖剣を振り上げた。


「くそッ……!」


 勇者はその大剣を軽々と振るい、ゾンビちゃんを包む障壁を無茶苦茶に殴りつける。しかし障壁は壊れるどころかヒビも、小さな傷すら付かない。


「ダメですよ勇者様。その剣を誰が授けたか、お忘れですか」


 聞き覚えのある声だ。しかしその声は凛としていながらも根底に優しさ含んでおり、俺たちと会話した時とは別人のようである。

 勇者は、暗い通路の向こうから歩いてくる光輝く金髪の少女――いや、「聖女」に怒声を浴びせた。


「今日はオフだって言ったはずですよ!」

「いいえ、勇者様。世界を救う宿命を背負った勇者にオンもオフもありませんわ」


 闇を切り裂くようにして現れた聖女は、勇者の言葉を冷静に跳ね除ける。

 勇者は一瞬たじろぐも、血塗れの獲物を前にしながらみすみす逃すなんてことができるはずもない。たとえそれが敬愛する聖女の言葉だったとしても。


「……俺は勇者として悪しきアンデッドと戦っているだけです。勇者の使命を全うしている最中なんですよ。邪魔をしないでください」


 勇者はもっともらしい大嘘を言って、さらにゾンビちゃんを守る障壁を斬りつける。しかし障壁はますます輝きを増していくばかりだ。


「勇者様、勇者の力を使うべき場所はほかにありますわ。私がもっと勇者様の実力を高められるダンジョンへ案内しますから」


 仕草、歩き方、喋り方、雰囲気。その姿はどこから見ても慎ましやかな神職の女性そのものだ。彼女に「あんな趣味」があると、一体誰が信じるだろう。

 何も知らない勇者は完璧な聖女を前に、八つ当たりのように剣を地面に突き刺す。


「畜生……また、これだ」

「ここは瘴気が濃い。こんなところにいつまでもいてはお体に触ります。さぁ、一緒に帰りましょう」


 母親が息子にかけるような優しい言葉と共に、聖女は勇者に手を差し伸べる。

 しかし勇者はその手を取らず、聖女に縋るような視線を向けて言った。


「お願いですから放っておいてください。せめて今日一日だけでも」

「そういう訳にはいきません。私の使命は勇者様をサポートすることですから」


 聖女の言葉は優しさに満ちているが、聖職者特有の厳格さも漂っている。駄々をこねる子供のように地面を転げ回って泣き喚いたとしても、彼女が勇者の願いを聞くことはないだろう。

 勇者はガックリと肩を落とし、そして諦めの色の滲む声を漏らした。


「やっぱり……最初からこうしておくべきだったんだ」

「勇者様?」


 すこし間をおいて、勇者は静かに、しかし強い意志を感じる声を上げた。


「聖女様、申し訳ありません。もう旅は終わりにしましょう。……大聖堂へお帰りください」


 勇者の言葉に、聖女の顔色がサッと変わる。


「どうしたのです勇者様。冗談でもそんな事おっしゃらないで」

「冗談でこんなこと言いません。聖女様は素晴らしい方です。まさに聖人です。でも、俺はそうじゃない。ダメなやつなんです。これ以上一緒にいたら、きっと聖女様をガッカリさせてしまいます。だから――」

「そ、そんな事ありません! 勇者様は立派な方です」


 聖女は苦しそうに顔を歪めながら勇者の言葉に首を振る。

 しかしもはや、聖女の言葉など勇者には響かないらしい。彼はさらに言葉を続ける。それは聖女に語り掛けているというよりは、自らに言い聞かせているようだ。


「……すみません、もっと早くからこうしておけば。いや、そもそも最初から断っておけば良かったんですよね。俺、聖女様が一緒に旅してくれるって聞いて、凄く嬉しかったんです。その言葉だけで満足しておけばよかったのに、つい欲が出て身の程知らずなことを……本当にすいません」

「違います! 絶対……絶対にそんな事ありません!」


 言い訳と謝罪を繰り返す勇者に、聖女はさらに強い口調で繰り返す。

 だが勇者も頑なだ。


「ですから、そんな事あるんですよ。聖女様は俺の正体を知らないから――」

「知っています!」

「へ?」


 思いもよらぬ聖女の言葉に勇者は素っ頓狂な声を上げる。

 一瞬の沈黙の後、聖女は勇者に一歩、二歩と近付き、アイスブルーの瞳を真っ直ぐ向けながら口を開いた。


「全部知っていました。知った上で……いえ、知っていたからこそ来たんです」

「そそそ、それはどういう」


 勇者の顔から汗が噴き出す。視線があちこちに飛びまくり、今にも目を回して倒れてしまいそうだ。

 頭がパンクしそうになっている勇者に、聖女はさらなる追い打ちをかける。


「私の行いが勇者様をこれほどまでに苦しめてしまっていただなんて、知りませんでした。でもどうしても我慢ならなかったんです……あなたが他の女性にばかり剣を向けるのが……」

「……へ?」


 とうとう頭が爆発したか。泳ぎまくっていた勇者の目がピタリと止まる。

 聖女は神妙な面持ちでさらに続けた。


「私だって、本当はそんなに立派な人間じゃないんです。さっきだって障壁を伝ってくる衝撃に意識が飛びそうになりましたし、それを他の女性に向けているという事実に気が狂いそうになりました」


 アイスブルーの瞳を潤ませる聖女に、勇者はきょとんとした間抜け面を向ける。


「すみません、ちょっと意味が……」

「だから! 斬るなら私を斬ってくださいって事です!」


 聖女の声がダンジョンに響き渡る。

 ……とうとう言いやがった。

 思わず、吸血鬼とゾンビちゃんの顔を盗み見る。二人とも、心底興味のなさそうな表情を浮かべていた。

 一方、勇者は困惑気味に、そして気持ちが悪いくらい優しい声を聖女にかける。


「ほ、本当にすみませんでした。そんなに思い詰めてるとは知らなくて……でも死にたくなるくらい心を病んでるなら、それこそ大聖堂に帰った方が」

「い、いえ! あの、そうじゃなくて……」


 聖女は慌てたように首を振る。

 どうやら今の言葉では勇者に真意が伝わらなかったようだ。まぁ、考えてみれば当然である。聖女にそのような趣味があると、誰も予想できまい。

 しかし改めてカミングアウトするのは気が引けるのだろうか。聖女は急に女学生のごとくもじもじし始める。

 正直言うと、他所でやって欲しい。


「その……あの……私……勇者様に……そ、その……」


 勇者は怪訝そうな表情を浮かべながら、聖女の言葉をじっと待つ。

 その様子から見るに、どうやら聖女の好意そのものにすら気付いていないらしい。オブラートに包んだような表現を使っていては、百年経ってもヤツに想いは伝わるまい。

 そのことを聖女も察したのだろう。彼女は大きく息を吸い込み、そして肺の中の空気と共に胸の中を満たす想いを一気に吐き出す。


「い、痛くしてもらいたいんです!」


 ……これでもまだ、すぐには聖女の言葉の真意に気付かなかったらしい。勇者はしばらく口を半開きにした間抜け面で聖女の顔を見つめていた。しかし、やがて勇者は口を閉じ、代わりに大きく目を見開く。聖女の表情を見ているうちにようやくその言葉の意味を察したのだろう。

 そして勇者は、恥ずかしさから伏し目がちになっている聖女に向かって口を開いた。


「えっ、気持ち悪い」

「……は?」


 勇者の思いもかけない言葉に、こんどはこちらが目を丸くする。

 石のように固まる聖女に向かって、勇者はさらに続けた。


「正気ですか? 自分から『斬ってくれ』とか『痛くしてくれ』とか……まるで変態じゃないですか」

「ええ……」


 勇者の心無い言葉に、俺たちも思わず声を上げてしまう。


「なんだよ、俺なんか間違ったこと言ってるか?」

「確かに間違ってはないよ。間違ってはない……けど……」

「お前がそれを言うとはな」


 思いも寄らない展開に、吸血鬼も呆れたように、そしてどこか楽しそうな声を上げる。

 しかし勇者は俺たちの非難など気にもせず、さらに聖女に向けて口を開いた。


「いやいや。だってあなた聖女ですよね。神に仕える聖女がそんなんで良いと思ってるんですか。なんか、ちょっとガッカリです。というか、幻滅です」


 勇者は配慮のかけらもない言葉を次々に聖女に向かって吐き捨てる。それに伴って、聖女の顔色がみるみるうちに変わっていった。最初は赤く、次に蒼く、さらに白く。

 やはり聖女にとって――いや、一個人としても、勇者というのは特別な存在なのだろう。吸血鬼に似たようなセリフを言われたときは喜んでいたが、今の彼女にそんな素振りは見えない。

 聖女は勇者の非難から逃れるように足元に視線を落とす。


「良いですわ。ええ、良いですとも。そうよ、最初からこうしていれば良かったのだわ」


 聖女は誰に聞かせるでもなく、まるで独り言のように呟く。

 しかしその声はいたって冷静であった。慕い、慕われていた勇者にボロクソ言われたのだ。取り乱したり、勇者に平手打ちをかましたっておかしくない状況なのに。この冷静さが、かえって俺の恐怖を激しく煽る。


「ふうん、勇者様はこういう娘がお好きなんですねぇ……」


 聖女はおもむろにゾンビちゃんに向き合い、どす黒い感情のこもった声でそう呟く。そして彼女はゾンビちゃんの頬を走る刀傷をその白い指でそっと撫でた。

 たったそれだけの事なのに、次の瞬間、ゾンビちゃんは劈くような悲鳴を上げる。


「ギャーッ!?」


 ゾンビちゃんの頬から輝く煙が立ち昇る。見ると、聖女のなぞったところが真っ赤に焼け爛れてしまっている。


「な、なにやってんだよ!」

「あらごめんなさい、魔力が漏れてしまいました」


 聖女は微笑みを浮かべてそう言いながらも、ゾンビちゃんの頬から手を離そうとはしない。

 勇者には襲われ、聖女には嫉妬され、ゾンビちゃんにとっては散々な日である。一体彼女が何をしたというのだ。


「俺が殺るんだ、横取りしないで下さい!」


 そう言って勇者は聖女に飛びかかろうとするが、彼女はまたしても障壁で勇者を阻んだ。

 しかし、今度の障壁はただの壁ではない。

 輝く障壁は勇者をぐるりと囲み、シャボン玉のように勇者を包み込む。


「なっ、なにす――うわっ!?」


 中に勇者を閉じ込めたまま、輝く球状の障壁がふわりと宙に浮く。

 勇者は自慢の聖剣を振り回して障壁の中で無茶苦茶に暴れるが、相変わらず障壁はびくともしない。

 無駄に体力を消耗していく勇者を憐れむように、聖女は声を上げた。


「ああ、可哀想な勇者様。こんな平和な世界ではあなたに敵う敵もなく、いつまで経っても井の中の蛙。格下の魔物を刻んでは悦に浸るお山の大将。このままではその素晴らしい才能も鈍らのまま錆び付いてしまう。でもご安心ください。私と共に鍛錬を積めば、あなたはきっと素晴らしい力を手に入れることでしょう」

「余計なお世話ですよ! ここから出してください! 早く! 出せッ!」


 勇者は半狂乱になって剣を障壁にぶつけ続ける。あの一撃が魔物に向けられたものであったなら、もはやターゲットは塵と化していることだろう。

 ……しかし相手が悪かった。

 今の彼は、まるで癇癪を起こして暴れる子供だ。あれだけ暴れて何も壊せず、血の一滴も流せていないようでは、巨大な聖剣もプラスチックのおもちゃに見えてしまう。

 障壁の中に囚われた哀れな勇者を見上げる聖女の顔は自分の息子を見守る母親のように穏やかで、それでいて彼女の目は財宝を前にした盗賊のようにギラついていた。


「うふふ、ダメですよ。勇者様はまだ自分でターゲットを選ぶ段階にない。魔物討伐なんて早すぎたのです。せめて私の障壁を破れるようになりませんと……」

「ふざけんな、この剣じゃ障壁破れないって言ったの聖女様じゃ――」


 次の瞬間、透明だった障壁が一瞬で白く曇った。同時に勇者の声もくぐもってよく聞こえなくなる。

 俺たちは誰も声を発さず、ただ勇者の囚われた光り輝く球を見つめていた。微かに聞こえてくる勇者の怒声を除けば、ダンジョンは怖いくらいの静寂に包まれている。

 この永遠にも思えるような恐ろしい静寂を破ったのは、ほかならぬ聖女であった。


「……お騒がせしましたわね。でもご安心ください。彼がこちらのダンジョンにお邪魔することは、しばらくないと思いますから」


 聖女はこちらに視線を向け、満足気な、しかしどこか恐怖を感じさせる笑みを浮かべてそう言う。

 そして彼女……いや、彼女たちは俺たちに背を向け、悠々とした足取りで出口へと向かっていく。

 小さくなっていく背中を見つめながら、俺は我慢できずに呟いた。


「どこ行くんだろ。っていうか、これからどうす――」

「やめておけレイス。詮索するな。ああいうのには可能な限り関わらない方が良い。碌な目に合わないぞ」


 吸血鬼は苦々しい表情を浮かべ、聖女の背中から視線を逸らす。


「……ロクな目に合ワナイよ」


 爛れた頬を撫でながら、ゾンビちゃんも吸血鬼の言葉に頷く。

 彼女の言葉に、俺は思わず息を呑んだ。


「説得力が違うね……」

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