141、はじめてのりゅうがく 準備編
「まったく、厄介事が次から次へと」
脇に従えたスケルトンに愚痴りながら、吸血鬼はゆっくりとダンジョンを進んでいく。彼らの通った後には、巨大なナメクジが這ったような跡が続いている。どうやら何かを運んでいるらしい。しかし、いったい何を運んだらこんな跡がつくのだろう。天井からでは吸血鬼が小脇に抱えた「それ」の正体がよく分からない。俺はすぐさま天井を離れ、彼らの元へと降りていく。
しかしそれを一目見た瞬間、俺は思わず顔を顰めて後ろへ飛びのいた。
「うわっ、なにその気持ち悪い……死体?」
陸に打ち上げられた深海魚にも似た、灰色のぶよぶよした何か。それは確かに人の形をしているように見えるが、しかし死体にしては何だか妙だ。いくらなんでもぶよぶよしすぎている。腐乱死体だってここまでぐにゃぐにゃにはなるまい。まるで骨と筋肉を根こそぎ抜き取られたみたいだ。
俺でも触るのを遠慮したくなるようなそのグロテスクな物体を軽く持ち上げ、潔癖症気味の吸血鬼は冷ややかな笑みを浮かべる。
「ただの死体だったら楽だったんだがな。これはミストレスからのプレゼントだ」
「ミストレスから!?」
その恐ろしい名前を耳にしたとたん、背筋を這うような寒気とともに俺の脳裏にあの日の地獄絵図が浮かび上がる。それは一種のアレルギーのように俺たちの心を蝕んでいるようだ。
「こここ、今度は一体なに!? 爆弾でも送ってきたの!?」
「間違ってはいないな。半分正解ってとこだ」
そういうと、吸血鬼は懐から一枚の紙切れを取り出す。感情に任せて握りつぶしたのだろう、紙が皺だらけだ。
「ミストレスからの手紙だ。このスーツと一緒に入っていた」
「スーツ……? スーツなの、それ?」
「ああ、悔しいがさすがはミストレスだ。凄いアイテムだよこれは」
「うーん、出来損ないの溺死体にしか見えないけどなぁ」
吸血鬼の言葉を踏まえて見ても、俺にはやはりそれが凄いアイテムなどには見えない。
しかし吸血鬼は怪訝な表情を浮かべる俺に向かってしたり顔で口を開いた。
「聞いて驚くなよ。これはアンデッドを人間に擬態させることができるスーツだ」
「はぁ!? なっ……どういうこと!?」
驚きのあまり声を上げる俺を満足げに見ながら、吸血鬼はまるで新しいおもちゃを自慢するかのように溺死体――いや、スーツを掲げて見せる。
「この何の役にも立たなそうな気色悪い『デロデロ』には魔女の英知がびっしり詰まってるってことだ。これがあれば僕たちは忌まわしい太陽が我が物顔で支配する昼間にだってダンジョンの外へ出ることができるってわけさ」
「す、凄いね……ただの狂ったサディストかと思ってたけど、こういうこともできるんだ」
「狂ったサディストな上、こういうことまでできるから恐ろしいんだ。奴は名目上、夏休みの宿題を手伝ったお礼ということでこれを送ってきたんだが……ようは体の良い人体実験さ。これを使って旅行しろとか書いてあった。データを収集したいんだろう。不必要なら倉庫にでもしまっておけ、そんな魅力のないアイテムは爆発させてしまうから……ともな」
「そ、それ……脅迫?」
確信を持ちながらも恐る恐る尋ねると、吸血鬼は引き攣った笑みを浮かべながら虚ろな目をどこかへ向ける。
「もちろんだ、僕らに拒否権などないさ。もし拒否しようものならダンジョンごとドカンだ。ま、ミストレスに来られるよりはよほど良い。僕が近くの街へでも出かけてデータを集めてくるとするよ」
「ちょ、ちょっと待ってよ。吸血鬼が昼間っから出かけるつもり?」
「大丈夫だ、試作段階とはいえミストレスの作ったアイテムだからな。スーツさえ着ていれば太陽の光だって――」
「そうじゃなくて! 吸血鬼が昼間っからいないのは問題でしょ。ダンジョン運営が立ちいかなくなるよ」
「う……そっちか」
「それに……押し付けられたとはいえせっかくのレアアイテムなんだよ。近所に散歩しに行くだけなんて、聖剣でマグロ解体ショーするようなものだ」
「じゃあどうしろって言うんだ」
拗ねたようにぶっきらぼうな言葉を放つ吸血鬼に、今度は俺が渾身のしたり顔を向ける。
「俺、いい方法思いついたんだ」
*********
会議室の中央に置かれた大きなテーブルをぐるりと囲むようにアンデッドたちが席についている。
こんなに大規模な会議は久しぶりだ。机の上に積もった埃がそれを物語っている。
どうしてわざわざこんな会議を開いたのか。それは、これから彼らに告げる話が相当なリスクを孕んでいるからである。
俺はスケルトンに目線で合図を出し、チラシを机の上へと置かせる。
「なんだそれは」
吸血鬼はチラシを眺めながら怪訝な表情を浮かべる。
この小さな紙に書かれた内容を広い会議室中に伝えるべく、俺は口を開いた。
「ダンジョン留学制度の案内だよ。これ、前から結構気になってたんだ。みんな他のダンジョンなんてほとんど行ったことないでしょ? 俺も魔物の立場から他所のダンジョンを見たことはないし、他のとこはどんな感じでやってるのかなって」
「それがなんだ。僕らは今スーツの話をしているんだぞ。見ろ、ヤツがスーツに目を付けた」
吸血鬼はそう言ってゾンビちゃんを指さす。
ゾンビちゃんはスケルトンの抱えたミストレス特製スーツをその濁った眼でじいっと見ている。まったく瞬きをせず、まるで獲物の様子を窺う獣のようにまったく身動きしない。
もしかしたらこのスーツ、材料には人間の皮も使われているのかもしれない。わずかに残った血の匂いにつられて食欲が刺激されたのだろうか。
このままでは確かに危ない。このスーツを使用する前に齧られでもしたら、ミストレスからどんな目に合わされるか。想像するだけで震えが止まらなくなる。
しかし、だからこそ、俺はこのチラシを持ち出したのだ。
「俺らの中だと、ダンジョンの外に出られるのは吸血鬼だけだ。でもダンジョンボスが真昼間からいないってのは具合が悪いから諦めてたんだよ。でもそのスーツがあれば」
「……は? ちょっと待て、一体誰に行かせる気だ?」
「もちろん、スケルトンだよ」
そう口にした途端、会議室が骨のぶつかる軽やかなざわつきで溢れかえった。
突然この会議の主役となったスケルトンたちは、皆一様に不安とも歓喜ともつかない光をその一見真っ暗な眼窩に宿している。
「大丈夫だよ、そんなに遠い場所じゃないからさ。もちろん少しは歩くけど、乗り合い馬車だって使えるとこだし」
スケルトンたちを少しでも安心させようと呟いた俺の言葉に彼らは頷くどころか首を傾げ、紙にペンを走らせる。
『ノリアイ?』
『なにそれ』
「えっ……知らないの? 乗り合い馬車だよ。大きい馬車がいろんな馬車停を周って、いろんな人が乗って、運賃払って……」
俺の言葉にピンと来ていないのか。
スケルトンたちは困ったように互いに顔を見合わせては首を横に振っている。
「君達、最後にダンジョン外へ出たのはどのくらい前になる?」
『わからない』
『ずっと前』
吸血鬼の問いかけにも、スケルトンたちは困ったように首を傾げるばかりだ。
俺は吸血鬼と苦笑の浮かんだ顔を見合わせる。
「……本当にスケルトンに行かせていいのか?」
「う、うーん……やっぱやめとく?」
********
会議から数日後。
とうとうその日はやってきた。旅立ちの朝である。
しばしの別れを惜しみ、旅の無事を願う言葉をかけるためだろう。ダンジョン入り口には多くのアンデッドたちが集まっていて、まるでお祭りのような騒ぎだ。
その人混みの中心にいる人物こそが留学任務を課されたスケルトンである。しかし今の彼はどこからどう見ても至って普通の人間だ。人間の中へ自然に紛れ込むための工夫だろう、中肉中背のその男の顔には特徴というものが一切ない。数時間顔を突き合わせて語り合ったとしても、次の日にはもうその顔を思い出せなくなっているに違いない。
準備に手間取ったせいで遅れを取ってしまったが、今からでも十分時間はあるはずだ。俺たちもスケルトンに餞するべく人混みをすり抜けていく。
しかし輪の中心から聞こえてきた言葉は、決してスケルトンを激励するような言葉ではなかった。
「僕はスライム印の整髪料を頼む。あとマンドラゴラ入りの洗顔料と、石鹸と、それから歯磨き粉と……ああ、歯ブラシも新しいのが欲しい」
「……何してんの?」
べらべらと矢継ぎ早に商品名を口にする吸血鬼に、俺は静かに冷たい視線を向ける。熱心にスケルトンと話しているにも関わらず、吸血鬼のその赤い瞳にスケルトンは映っていない。
俺が話しかけると、吸血鬼は悪びれる様子もなく笑顔すら浮かべながら口を開いた。
「土産の相談だ。留学先のダンジョンへの通り道にリヴァーブルグがあるって言うじゃないか。リヴァーブルグと言ったら、世界有数の商業都市だろう? 土産の一つでも買ってきてもらわないと」
「何言ってんの、全然一つじゃないじゃん……買い出しに行くんじゃないんだからさ。だいたい、そんなのリヴァーブルグじゃなくたって買えるでしょ。ただでさえ長旅なんだから余計な荷物増やさないでよ」
俺の説教に、吸血鬼はバツの悪そうな表情を浮かべて渋々ながら頷く。
「分かった分かった。じゃあ整髪料だけでも頼むよ。スライム印のヤツはなかなか売ってないんだ。リヴァーブルグの市場ならあるはずだからな」
するとスケルトンはメモ用紙を取り出し、いつもと同じ調子でペンを走らせた。
『分かった』
やはりスーツで擬態できるのは見た目だけのようである。いくらスーツが優秀だからと言ってスケルトンが声を出せるようにはならないのだ。しかしスケルトンが声を出せないのはむしろ好都合かもしれない。余計なことを口走って怪しまれるより、何も喋らない方が100倍良い。できることなら、人間と目を合わせることさえ避けてほしいくらいだ。
「……リヴァーブルグを通るのは仕方ないけど、人間との接触は最低限にした方が」
「何をもったいない事を。他所のダンジョンを見学するのはもちろんだが、人間の生活を体験するのも勉強だろう」
俺の主張に、吸血鬼がもっともらしい言葉をもって異議を唱える。
確かに吸血鬼の言い分も分からないではない。彼の瞳の中で物欲がギラギラと輝いているのが気になるところではあるが。
「私モ! 私モ『オミヤゲ』欲シイ!」
土産を欲しているのは、どうやら吸血鬼だけではないらしい。
ゾンビちゃんすら、目を輝かせながら「お土産」という甘美な響きに夢中になっているようだ。
『なにがいい?』
スケルトンが尋ねると、ゾンビちゃんは間を置かずに嬉々として声を上げる。
「ニク!」
『分かった』
「いやいや、分かっちゃダメだから! ダンジョンの外でむやみに人間に手を出さないでよ。トラブルはできるだけ避けたほうが良い。スーツを破られたら死んじゃうからね、いろんな意味で。ゾンビちゃんには……そうだな、新しいワンピースとか良いんじゃない?」
『分かった』
「エー!?」
スケルトンはゾンビちゃんの不満げな叫びをBGMにしながら、今度は俺にメモ帳を見せる。
『レイスは? 何が欲しい?』
「えっ、俺? い、いやぁ、別に俺は良いよぉ」
突然の申し出に、俺は驚きながらも半ば反射的に手を突き出してそれを断る。もちろん、少しでもスケルトンのリスクを減らしたいと思ってのことだ。
しかしスケルトンの申し出を断ったわずか数秒の後、俺の中の悪魔が囁いた。「ほかのアンデッドたちの分のお土産も買うのだ。俺の分が一つ増えたところで大した手間ではあるまい」「大体、他の者がお土産を受け取る中それをただ見ているだけというのはあまりに寂しくはないか」。なにより、もはや物をこの手で持つことすら叶わない俺ですら、「お土産」という甘美な響きに逆らうのは難しい事であった。
「でもせっかくだし、そうだなぁ……やっぱ本が良いかな。スケルトンが面白そうって思ったやつで……できれば表紙の絵が綺麗なヤツが良いんだけど」
『分かった』
「ああ、無理しなくて良いからね。荷物に余裕があったらで良いから――」
そう言いかけたところで、俺はハッと我に返った。
そうだった。俺はなにもこんなことをするためにスケルトンに会いに来た訳ではないのだ。
「ちょ、ちょっと待って。そんな事より……実は、スケルトンに渡したいものがあるんだ」
俺はそう言って、引き連れてきたスケルトンたちに合図を送る。すると彼らは、旅立つ仲間へのプレゼントをもって前へと歩み出た。
彼らが差し出したのは、スケルトンの体を覆い隠してしまうほどの巨大なリュック。それも、針で突けば破裂してしまうほどパンパンに膨れ上がっている。
「随分大きいな。一体何が入っているんだ?」
「備えあれば憂いなしって言うでしょ。できるだけの備えをしたいと思って色々集めたんだ」
目を丸くする吸血鬼を横目に、俺は人の姿をしたスケルトンへ満面の笑みを向ける。俺たちに見守られながら、スケルトンはリュックを受け取ってその留め具を外し、少々ぎこちない動きで中に腕を突っ込む。
まず彼が取り出したのは一枚のカードだ。
「何だそれは?」
首をかしげることしかできないスケルトンの代わりに吸血鬼が疑問を声に出した。もちろんその疑問に、俺は懇切丁寧に答える。
「ギルドカードだよ。もちろん失効してるけどね、持ち主は故人だからさ」
「冒険者の遺品か。だがそんなもの何の役に立つんだ?」
「身分証代わり。失効してるからどこでも使えるってわけじゃないけど、結構便利なんだ。衛兵に職質されてもそれを見せれば大抵見逃してもらえるし、宿屋の割引サービスもあるし、レンタルビデオ屋の会員カードも作れるよ」
「会員カードがスケルトンに必要かどうかは疑問だが……ま、身分証は重要だな」
吸血鬼は怪訝そうな表情を浮かべながらも、俺の言葉に頷いた。
しかしもちろん、スケルトンのリュックに入れたのはこれだけではない。彼らは次々リュックからアイテムを取り出し、俺にその使い道を尋ねる。
『こっちは?』
「浮き輪だよ。水に入るときはもちろん、中に水を詰めれば水筒にもなる」
「これはなんだ? 銃か?」
「いや、それは空砲だね。大きな音が鳴るから、ハーピーの群れを追い払う時とかに使えるよ」
「コレナニー?」
「ベーコンだよ。旅人の荷物の中に食料が一切ないってのは不自然だからね」
「ヘー。オイシイね」
「そりゃそうだよ、それ結構良いベーコン――ちょ、なに食べ……あーもう」
大の男の手にも余るほどの巨大ベーコンを一瞬で口の中に収めながら、ゾンビちゃんは白々しいほどにきょとんとした表情で首を傾げる。せっかくの貴重な「人間用の食糧」を横取りしたことを非難したい気持ちも、彼女が肉を飲み込むとともに消え失せてしまった。
「おいレイス、これはなんだ」
次に吸血鬼がリュックから取り出したのは手のひらサイズの布だ。
そうだ、大丈夫。肉なんて、それこそどこの街でだって買える。あのリュックにはもっと大事なものが山ほど入っている。吸血鬼の持っているソレもそのうちの一つだ。
「それは骨磨きクロスだよ」
「それこそ何の役に立つというんだ。ダンジョンの外にいる間、ほんのわずかだろうとスーツを脱ぐことはできないぞ。これは潜水服と同じだ。スーツを開いて骨を磨くなんて以ての外」
「ああ、大丈夫大丈夫。それは骨を磨く用のクロスじゃないから」
「骨磨きクロスで骨を磨かずに何を磨くって言うんだ」
「うーんと、強いて言うなら精神かな。スケルトンってこれがあると落ち着くんだって。安心毛布――いや、安心クロスってやつ?」
「……本気で言っているのか?」
吸血鬼は呆れたように目を回し、クロスをカバンの中に放り込みながら大げさに首を振って見せる。
「ああもう、やめだやめ。あれはなんだ、これはなんだといちいち説明を求めていたら日が暮れてしまう。全く、何を持ってきたかと思えば……十中八九役に立たないものばかりじゃないか」
「10パーセントでも役に立つ可能性があるなら持っていったほうが良いと俺は思うけどなぁ」
「僕はレイスの持たせたアイテムが役に立つ可能性より荷物の多さに苦しむ可能性の方が高いと思う……ま、スケルトンが良いなら僕も止めはしないがな」
安心クロスを拾い上げて手のひらの上で撫でまわすスケルトンに引き攣った笑みを向けつつ、吸血鬼はそれ以上リュックの中の道具に文句を言うことはなかった。
どちらにせよ、出発の時間はすぐそこまで迫っている。もうのんびりお喋りしている暇はない。
スケルトンは静かにリュックを背負い、ダンジョン入口に体を向ける。外の風景を丸く切り取った入口からは、俺たちが思わず顔をそむけたくなるような黄金色の光が差し込んでいた。
「……気を付けろよ、スケルトン」
吸血鬼はいつになく神妙な表情でスケルトンの背中に声をかける。
「スライム印の整髪料は割れやすい」
「まだ言うか……」
ゾンビちゃんも小走りでスケルトンに近寄り、囁くように声をかける。
「……ニク、ヨロシク」
「小声で言っても駄目だよ、ゾンビちゃん」
俺たちに見送られながら、スケルトンはゆっくりと陽だまりの中に足を踏み出す。
数十年ぶり……あるいは数百年ぶりの太陽は、人間にそうするのと同じようにその黄金色の光でスケルトンを優しく包み込んだ。
「頑張ってね、スケルトン。でも無理はしないでよ」
スケルトンは振り返って俺の言葉に頷くと、そのままダンジョンを出て外の森をずんずん進んでいく。スケルトンが後ろを振り返ることはもう二度となかった。
「はぁ、大丈夫かなぁスケルトン……やっぱり留学なんてさせるんじゃなかったかなぁ」
「なに言ってるんだ、君が言い出した事だろう。あんな大量の荷物まで持たせて」
吸血鬼は俺の顔を見ながらそう言ってため息を吐き、どんどん小さくなっていくスケルトンの後姿を見てさらに一つ追加のため息を吐いた。
「……ま、僕が一番不必要だと思うのは、アレなんだが」
吸血鬼の視線が注がれているのは、蝙蝠の翼をもつ目玉である。それは一定の間隔を保ちながらスケルトンを追いかけるように飛行している。見たところ、飛行能力に問題はなさそうだ。
「あとは『視力』の確認だね」
俺はそう呟きながら、地面や壁をすり抜けて最短距離で先日会議を行った会議室へと入った。
すでに準備は整っているようだ。所狭しと並べられた椅子はどれも同じ方向を向いており、空席は一つもない。決して居心地がいいとは言えない空間で、この前の会議に参加した人数より明らかに多くのスケルトンたちが熱心に壁を見つめている。そこに映っているのは、鬱蒼とした森を進む男の背中であった。
見覚えのあるパンパンのリュックを見つめながら、俺は安堵のあまり大きく息を吐く。
「よかった、視力も完璧。誰かステルス機能をオンにしといて」
「わざわざこんな物を買う必要があったのか? 安いものじゃないんだろう?」
俺よりは少し遅かったものの、吸血鬼もかなり急いで会議室を目指したらしい。
吸血鬼は呆れたように言いながら、机の上の目玉をつつく。スケルトンの周りを飛んでいた目玉より数倍大きく、羽がない代わりにその蒼い瞳からは強い光が発せられている。それが壁に投射され、男の背中と森を映し出していた。スケルトンについた目玉カメラが見た光景を、この映写機が映し出しているのである。
「無事に留学先に辿り着けるか心配なんだよ。万一のことがあっても、これがあれば助けにいけるでしょ」
「なに子供みたいな扱いをしているんだ。別に魔物や人間と戦うわけじゃないんだろう? ただダンジョンへ行くだけだ。確かに外出経験は乏しいかもしれないが、スケルトンは君よりずっと年上だぞ。君に心配される謂れは――」
しかし次の瞬間、吸血鬼は言葉を、熱心に壁を見つめていたスケルトンたちは息を飲み込んだ。
木の根に足を取られたのだろうか。結構な勢いでスケルトンが地面に転がったのである。
「……なるほど、心配だな」
吸血鬼は額に汗を浮かべながら、蒼い顔でそう呟く。スケルトンが立ち上がるのを見て、俺たちは一斉に安堵のため息を吐いた。スケルトンのことももちろん心配だ。しかし決して忘れてはならない。彼の纏ったスーツがミストレスの物であるということを。もしもスーツに穴でも開いたらそれを着ているスケルトンはもちろん、俺たちもミストレスに切り刻まれるに違いないのだ。
だいたい、ダンジョンと森では環境が違いすぎる。
ダンジョンみたいに地面だって平らじゃないし、毒虫、有毒植物、魔獣だっている。木の根に引っかかったくらいで良かったが、沼に落ちていたりしたら、さっそくゲームオーバーだった。草原も、岩山も、街だってそうだ。ダンジョンとは全然勝手が違う。
なにより。
「これがあれば俺たちもダンジョンの見学ができるでしょ。それに、たまには外の世界を見ておかないと」
「……なんだ、君が外を見たいだけじゃないか」
後編は夕方辺りに投稿します




