140、小さな魔女の夏休み
それは酷い嵐の日だった。
横殴りの雨のせいだろうか、それともあたりに漂う不穏な空気を感じ取ったのだろうか。朝から冒険者もやってこず、あれほどうるさく響いていた蝉の声も聞こえてこない。
なんだか妙な胸騒ぎがする不気味な日ではあったが、まさかよりにもよって彼女が来るとは誰も思っていなかっただろう。
「こんにちは、アンデッドさん達! 久しぶりだね」
あいにくの天気とは裏腹の、雲一つない青空の似合う真っ白なワンピースに麦わら帽子、そしてその小さな顔に浮かべた屈託のない笑顔。
それを一目見た瞬間、俺たちはメデューサに睨まれたように体を強張らせた。
俺たちは知っているのだ。彼女がただの幼い少女ではないことを。その小さな手が血で赤く染まっていることを。
「ミ、ミストレス……!?」
俺の一言が合図となり、アンデッドたちは蜘蛛の子を散らすように逃げ出す。
しかし彼らがミストレスの目から逃れられるほど遠くまで行くことはなかった。数歩ほど進んだところで、彼らは石になってしまったかのようにピタリと足を止めたのである。
「なんで行っちゃうの? 遊ぼうよぉ」
「ひいいっ!?」
「ヤダヤダ! ヤダよッ!」
ミストレスの甘えるような言葉に、アンデッドたちは死刑判決を下された罪人のように震えあがる。スケルトンたちが歯を鳴らす音が四方八方から聞こえてくる。腕が取れても頭が割れてもケロリとしているゾンビちゃんすら、零れ落ちんばかりに見開かれた濁った眼に恐怖の色を浮かべている。彼女も忘れてはいないのだろう。遊びとは名ばかりの、ミストレスによる虐殺を。
だが、ミストレスは震えあがる俺たちを眺めながら笑顔で首を振る。
「なーんてね。残念だけど、今日は遊びに来たんじゃないんだ」
そう言って、ミストレスは呆然とする俺たちの前に一枚の紙を掲げる。
「そ、それは……?」
「夏休みの宿題一覧」
俺の問いに、ミストレスは「当然でしょ?」とばかりに答えた。
しかしその思いもよらぬ回答に、俺は怪訝な表情を浮かべた吸血鬼と顔を見合わせる。きっと俺も彼と同じような顔をしているに違いない。
俺たちは再びミストレスに視線を向け、口を開く。
「はぁ? 宿題……って」
「ミストレス、学校に行ってるの? 一体どこの?」
「うちの」
「う、うち?」
「うん、うちの屋敷に学校があるの。あるっていうか、私が作ったんだけどね。たまに先生やったりもしたんだけど、今回は生徒なの。だから、ちゃんと宿題をやらなくちゃ」
「……随分規模の大きいままごとだな」
吸血鬼の苦々しい呟きに、俺も思わず苦笑いを浮かべる。本当に、規模が違いすぎて言葉も出ない。
しかしミストレスはそれを誇示するわけでもなく、さらりと本題に入る。
「今日はね、自由研究をやるつもりだったの。でもこの雨でしょ? もう計画が台無し。でもここなら雨関係ないし」
「ダンジョンを屋内レジャー扱いか」
「大変申し訳ないんだけどね、俺達にも仕事があるからさ。ほら、今にも冒険者が襲撃して来るかもしれないし……ね?」
「大丈夫大丈夫、邪魔者がやってきたら私がパパっとやっつけてあげるから!」
「うっ……」
俺はそっと肩を落とす。そうだった、分かっていたことではあるが……俺たちには最初から拒否権などないのだ。
「いくつかテーマは考えてたんだけど……どうしようかな」
「ちなみになんだけど、どれで迷ってるの?」
嫌な予感を覚えながら、俺は恐る恐るミストレスに尋ねた。
するとミストレスは口を尖らせながらリストを睨む。
「んーとねぇ……まず生物の研究。アンデッドと人間の違いについて調べたいんだ」
「そ、それはどういう……?」
「例えば反射。アンデッドにも反射ってあるのかな。瞳孔反射とか、膝蓋腱反射とか。神経に刺激を与えるとどう? それから、筋肉に電流を流すと痙攣する? 脳は? 死んでいるのに体が動くなんて不思議だよね。一度きちんと調べてみたいとは思ってたんだ」
「そそそ、それはちょっと……」
「ほほほ、他のテーマは?」
ミストレスの言葉に、吸血鬼は苦虫を噛み潰したような表情で首を振る。当然だろう、もし実験台にされるとしたら筋肉や神経を持ち合わせているだろう吸血鬼かゾンビちゃん……いや、両方ともだろうか。
俺たちの言葉を受けて、ミストレスはまたリストに目を向ける。
「あとは……あっ、標本作りでも良いかも! 皮膚を溶かして人体模型作ったり、剥製も面白いよね。ああそうそう、今は魔法に頼らない新しい標本技術も開発されてるんだよ。プラスティネーションって言ってね、内臓や筋肉を標本にできるの。アンデッドを材料に標本を作るとどうなるのかなぁ」
「ひええっ……」
「ほ、他! 他のはないのか!?」
「うーん、そうだなぁ……写生でも良いかな。本当はね、天気が良かったら風景画を描くつもりだったんだ」
待ちに待った子供らしい回答。ようやく夏休みの宿題っぽい課題を引き出すことができた。これを逃す手はない。
天から降りてきた細い糸を掴むように、俺たちは一斉に声を上げた。
「そっちにしよう!」
「そっちだ!」
「ソッチ!」
声帯を持たないスケルトンたちも、声を上げる代わりに頭蓋骨が飛びそうなほど激しく頷く。
「そう? じゃあそうしよっか」
必死の形相の俺たちとは対照的に、ミストレスはあっさりとそれを了承した。
彼女はどこからかパレット、キャンバス、そして筆を取り出し、準備に取り掛かる。まだ油断はできないが、彼女が取り出したのはいたって普通の画材であるように思える。拷問道具を取り出さなかったことに安堵しつつも、まだ油断はできない。
「で、誰を描くの?」
「誰って、あはは。私は別に肖像画を描きたいんじゃないよ」
「そ、そっか。そういえばさっきも風景画を描きたいって言ってたしね。じゃあ俺達は邪魔しない方が良いだろうから……」
ここぞとばかりに、俺たちはそそくさとその場を離れようとミストレスから後退りをする。
「待って」
ミストレスの低い声に肩を掴まれたようにして俺たちは渋々足を止めた。
被害を最小限にとどめるためにはミストレスから離れるのが一番だが、そう簡単には逃がしてくれないようだ。
「そうだなぁ。じゃあユーレイ君は……この辺!」
ミストレスは大きな通路の中心に俺を導く。
もちろん彼女の指示に従わないわけにはいかない。俺は言われた通りの場所に立ち、じっと次の指示を待つ。
「よし、良いよ。じゃあ次はそこで思いっきり叫んで」
「えっ、さ、叫ぶの?」
「そうだよ。ほら、早く!」
「……うわあああ」
俺は戸惑いながらも指示通りに声を上げる。
しかしミストレスはお気に召さなかったようだ。頬を膨らませ、腰に手を当てながら激しく首を振る。
「ダメダメ! 全然なってないよ」
「え……ダ、ダメだった?」
「そんなヘロヘロの悲鳴上げる人いないよ? もっと身悶えながら! 口から内臓吐き出すみたいに! 死んだ時のこと思い出して!」
「えっと……うわああああああッ!」
「何その隙間風みたいな声。バンシーに弟子入りさせてあげよっか」
ミストレスの声が一気に低く、そして冷たさを帯びる。
彼女のことだ、このままでは本当に弟子入りさせられそうである!
「ウワアアアアアアアアアッッ!」
「んー、60点ってとこかな。まぁいいや、続けて」
言われるがまま、俺は全力の絶叫を続ける。
しかし一体何を描くつもりだ。このダンジョンの日常そのものを描こうとでもいうのか。だとしたらミストレスの指示は的外れも良いとこである。俺はバンシーでも、ましてや音響係でもないのだ。
しかしミストレスのよく分からない指示は続く。
「ツギハギちゃんは……そうだね、まず衣装からかな」
どうやらミストレスの次の標的はゾンビちゃんであるらしい。
ミストレスが腕を一振りすると、無数の星屑がゾンビちゃんの体に纏わりついて緋色のドレスへと姿を変えた。普段はボサボサの髪も美しく纏め上げられ、その姿はまるで貴婦人のようである。体がツギハギだらけなことに目を瞑れば、ではあるが。
「なかなか良いじゃないか。馬子にも衣装だな」
吸血鬼も同じ意見であるらしい。ゾンビちゃんを眺めながら感心したように頷く。
しかし本人は不服そうだ。いつもの身軽なワンピースとはかけ離れた服に戸惑っているのか、彼女は眉間に皺を寄せながら緋色のドレスに目をやる。
「これヤダ。動きニクイよぉ」
「少しの間だろ。それくらいは我慢して――」
次の瞬間、吸血鬼の顔から急速に笑顔が消えた。
ゆっくりと持ち上げられたゾンビちゃんの腕。そのフリルたっぷりの袖の隙間から、金属の腕輪と彼女の腕に巻き付く太い鎖が見えたからである。いや、恐らく腕だけではない。彼女が少し身動きをするだけで重厚な金属音が響く。
彼女の言う「動きにくい」というのは体に纏うフリルのせいではなく、彼女を拘束する鎖のせいだったのである。
「な、なんの真似だ……?」
不穏な気配を感じ取った俺たちは、ゆっくりとゾンビちゃんから離れる。ミストレスが何をするつもりかは知らないし想像もできないが、ろくな事じゃないのはみんな分かっている。
案の定、ミストレスは涼しい顔でとんでもないことをやってみせた。彼女はしれっとマッチを取り出し、なんの躊躇いもなくゾンビちゃんに火を付けたのである。
小指の先程しかなかったマッチの火がドレスに燃え移ると、それは数メートル離れた俺達の頬を赤く染めるほどの大きな炎へ姿を変えた。火の周りはあまりに早く、そして炎の威力は恐ろしく強い。恐らくドレスにもより強く、より長く燃えるような細工がしてあったのだろう。
「ギャアアアアアッ!?」
「うんうん、良い悲鳴だね。74点」
ミストレスはまるでケーキについた蝋燭でも眺めるような笑みを浮かべ、炎に焼かれるゾンビちゃんを見つめる。ゾンビちゃんは炎から逃れようと必死にもがくが、ミストレスの鎖はゾンビちゃんの怪力を持ってしても破ることは困難であるらしい。
炎は彼女の喉をも焼いたのか、じきにゾンビちゃんは悲鳴を上げることすらなくなった。
「ッ……」
いよいよ不味いことになった。写生と言われて油断していたが、やはりミストレスがやろうとしているのは虐殺そのものだ。そして、ミストレスがゾンビちゃん一人を殺るだけで満足するはずない。
次の犠牲者になるのは真っ平だとばかりに、吸血鬼とスケルトンたちはそろりそろりと後退りをしてミストレスから離れていく。
しかし、皆本当は分かっているだろうが、ミストレスから逃れるなど不可能なのだ。
ミストレスがおもむろに振り向いて視線を向けると、スケルトン達は糸を切られた操り人形のごとく一斉に地面に崩れ落ち、あっという間にバラバラの骨の山となって地面に散乱した。さらにミストレスが腕を一振りするとバラバラの骨が素早く集まり、リズム良く積み上がって禍々しい玉座へと姿を変える。
「くっ……!」
残ったのは吸血鬼ただひとり。次の標的になる得るのはもう彼しかいない。もたもたしている暇はないと判断したのか。吸血鬼は砂煙が上がるほどの勢いで地面を蹴り、脇目も振らず駆け出した。風のように通路を掛けていく吸血鬼の背中は、ほんの数秒でもう見えないほどに小さくなっている。これならば、もしかしたら逃げられるかもしれない。あれほどの距離を稼いだのだ、ミストレスも追いかけるのを面倒くさがるのではないか。吸血鬼本人もそう思っていたに違いない。
しかし吸血鬼の全力のスピードを持ってしてもミストレスには敵わなかった。
「行け」
ミストレスの一言で、燃え盛るゾンビちゃんのドレスから、真っ赤に焼けた何かが飛び出した。それは矢のように真っ直ぐに吸血鬼を追いかけ、ものの数秒で彼の背中を捉えた。
「熱ッ!?」
飛び掛かられた勢いで地面へ転がった吸血鬼の体には、赤く焼けた鎖が這うように巻き付き、彼の自由を奪っている。
しかしよくよく見れば、それはただの鎖ではなかった。蛇だ。焼けた鎖の体を持つ双頭の蛇が白煙を上げながら吸血鬼の服を焦がし、肉を焼きながら彼の体を這っている。
熱さに耐え、歯を食いしばりながら吸血鬼は鎖を引き千切ろうともがく。しかしあのゾンビちゃんすら破れなかった鎖だ。そう容易くは行かない。
吸血鬼が鎖と格闘している間にも、ミストレスの新しい魔の手が彼のすぐ後ろに迫っていた。
「吸血鬼! 後ろ!」
俺の悲鳴にも似た声に促され、吸血鬼は素早く背後を確認する。しかし迫りくるそれの存在に気付いたところで、体の自由を奪われた吸血鬼にはどうすることも出来ない。
「な……んだ、これ」
呆然と呟いた次の瞬間、吸血鬼は通路を塞ぐような巨大な黄色いバケツにすくい取られてしまった。
「冷たッ!?」
気管に入った水を吐き出しながら、吸血鬼は黄色いバケツから濡れた顔を覗かせる。どうやらバケツの中は水で満たされているようだ。そのバケツの大きさから見るに、明らかに水深五メートルはあるだろう。吸血鬼が多少は泳げるらしいのが不幸中の幸いである。
とはいえ、フリルだらけの派手な服を身に着けた上、鎖まで巻きつけているのだ。そう長く泳ぎ続ける事はできまい。吸血鬼は体力を温存するようにゆっくりと縁まで泳ぎ、そこに手を伸ばす。
しかし吸血鬼がバケツの縁を掴むより早く、彼の体に巻き付いた蛇たちが伸ばした手に噛み付いた。
「痛ッ……!? うわっ――」
悲鳴を上げる暇もなく、吸血鬼は足を踏み外したように勢い良く水の中へ沈んでいく。しかししばらくすると、吸血鬼はその蒼い顔と蛇の絡みついた腕を勢い良く水面から突き出した。どうやら蛇に水底へ引きずり込まれようとしているらしい。
吸血鬼は溺れまいと必死になって手足をバタつかせているが、彼の手足は既に蛇の鎖が絡みつき、ガッチリ拘束されている。その上、水の中では鎖を引きちぎる程の力も出せまい。
「よーしっ、準備オーケー!」
吸血鬼が絶望と寒さで元々蒼い顔をさらに蒼くさせていく中、ミストレスは禍々しい髑髏の玉座の上で子供らしい明るい声を上げる。
燃え盛る炎の中でもがくゾンビちゃん、溺死寸前の吸血鬼、ミストレスの椅子と化したスケルトン。
今回は穏便に済むかと思ったが、そうもいかなかった。またしてもダンジョンは地獄絵図と化してしまったのだ。
……いや、そうか。ミストレスが書きたかったのは地獄だ。それならばこの光景にも納得がいく。いかにもミストレスの好きそうな題材である。これならばさぞリアルな地獄絵図を描くことができるだろう。
俺は上機嫌で筆を動かすミストレスを横目で見つつため息をつく。
もはや彼女を人だと認識しない方が良い。髑髏の玉座で目を輝かせながら絵を描いているアレは、少女の形をした天災なのだ。対処方法は嵐が来たときと同じ。俺たちはじっと耐えて、不運が過ぎ去るのを待つしかない。
そう、じっと……
「ちょっと、なにぼーっとしてるの。悲鳴さぼらないでよ!」
「あ、すいません……」
********
すっかり燃え尽き、灰となったゾンビちゃん。
溺死し、水面に仰向けで浮かぶ吸血鬼。
椅子の形を失ったスケルトンの骨の山。
叫んでいるだけとはいえ、俺もなんとなく疲れた。
今、このダンジョンでこんなに元気なのは彼女だけに違いない。
「描けた描けた! よーしっ、完璧」
犠牲者たちには目もくれず、ミストレスは自らが描き上げた大きな絵を持ち上げ、満足げに頷く。
「そ、それは良かったね……」
「うん! ねぇ見てよ、上手くかけたでしょ?」
ミストレスはそう言うと、キャンバスをくるりと回してこちらに絵を向けた。
彼女が俺に絵を見せてくることは想定の範囲内だ。というより、ミストレスの絵を見られる状態のアンデッドが俺以外にいない。
だから考えてはいたのだ。ミストレスのご機嫌を損ねないよう、そしてこれ以上被害を増やさないために、ミストレスの絵画に百点満点のリアクションを取らねばならないと言う事を。
ところが、ミストレスの絵を一目見た俺の口から飛び出たのは、言葉にもなっていない素の声であった。
「……は?」
ミストレスが絵を描いている間、俺は様々なシミュレーションを重ねていた。ミストレスの見せてきた絵が上手かったときの感想、そして見た目の年相応に下手だったときの感想、癖のある絵だったときの感想、前衛的な絵だったときの感想。
しかしこの絵は、俺の想像したどの絵にも当てはまらなかった。
下手ではない。むしろかなり上手だ。写真と見間違うような素晴らしい出来なのだが――
「あの、確認なんだけどこれって……何を描いたの?」
「えー? 何描いたか分かんないくらい下手? 結構上手く描けたと思うんだけどな。あれを描いたんだけど」
ミストレスが口を尖らしながら指差した先にあったのは――岩だ。絵画の中にあるものと全く同じ、なんの変哲もない岩。こんな地獄絵図が目の前に広がっているにも関わらず、彼女のキャンバスには岩だけがぽつんと寂しげに描かれているのだ。
「ちょ、ちょっと待って……俺たちを描いてたんじゃ?」
「あはは! そんな絵、学校に提出できるわけないじゃん。生徒が泣いちゃうよ」
「なに馬鹿なこと言ってるの」とばかりに、ミストレスはケタケタ笑う。まぁ、確かに言われてみればそうだ。「地獄絵図」が夏休みの宿題に相応しいとは思えない。
とはいえ、ミストレスの目の前に広がっているのは紛れもなく地獄の光景であるし、なによりこの地獄を作ったのはミストレス自身だ。
「じゃあ俺たちは何のために……岩を描くだけなら、こんなことする必要がどこに」
「だって、ずーっと岩を見て、それを紙に写していくなんて退屈でしょ?」
「まさか、暇つぶしのため?」
「それだけじゃないよ。ほら、ここは暗くて手元がよく見えないから照明が欲しかったし」
そう言って、ミストレスは未だに白煙を上げているゾンビちゃんに目をやる。
そして次に、ミストレスはゾンビちゃんから俺に視線を移して悪びれる様子もなくケロリとした表情で言い放つ。
「眠くならないようにBGMも欲しかったし」
俺の表情が引き攣っていくのも気にせず、ミストレスは絵画を置き、筆とパレットを持って吸血鬼の方に顔を向ける。
「それに、筆洗いバケツも欲しかったしね」
その言葉とともに、ミストレスは吸血鬼の浮かぶバケツにパレットと筆を放り込んだ。
灰色の絵の具がついた道具達は双頭の蛇がそれぞれキャッチし、吸血鬼にそうしたように暗いバケツの底へ引きずり込んでいく。
俺たちは絵のモデルですらなく、暇潰し兼絵を描く為の環境作りとして利用されていたのだ。
この魔女め、なんて理不尽な事をするのだ。そう罵ってやりたい気持ちにならない訳ではなかったが、もちろんそんな事ができるはずもない。
いや、そもそも理不尽だなんて思うのが間違いなのかもしれない。彼女は災厄。最悪の災厄だ。理に叶うとか叶わないとか関係ない。世の中の理とは外れた場所に彼女はいるのだから。
「ふわーあ、ここって本当に静かで退屈だね。眠くなってきちゃった」
積み上がった屍を横目に、ミストレスは勝手なことを言いながら大きく伸びをした。




