127、ゾンビ少女の日記
「おい、そっちの罠はどうだ!」
吸血鬼の声とスケルトンたちの足音がダンジョンの壁に反響して響き渡る。
少し前までの平穏な静けさとは打って変わって、ここのところ我がダンジョンは酷く慌ただしい。
「ゾンビちゃん、まだ見つからないの?」
少し先を歩く巡回中のスケルトンに尋ねると、彼はちらりとこちらを向いて小さく頷いた。
前回の事件の解決――泥棒魔物がゾンビちゃんの腹の中にめでたく収まったすぐ後、喜びを分かち合う暇もなくゾンビちゃんが姿をくらましたのである。
この状況でゾンビちゃんが身を隠した理由はただ一つ。ボリューミーな魔物三体をいっぺんに平らげた事により、ゾンビちゃんは飢餓状態の獣から賢者へ華麗なる変身を遂げたのだ。
現在ダンジョンは厳重警備状態にある。アンデッド総動員でゾンビちゃんを探し回っているのだ。かく言う俺も壁を透過するこの体を存分に駆使し、あちこちの部屋を探し回った。にも関わらず、我々は今に至るまでゾンビちゃんを発見できていない。
道行くスケルトンの表情は暗い。表情筋がないにも関わらず、彼らの恐怖や焦燥が伝わってくるようだ。無理もない。彼らはすでに一度、賢者状態のゾンビちゃんに大事な骨格模型を人質を取られているのだから。彼女を野放しにしておくのは確かに危険だ。
とはいえ、肉を食べ続けなければゾンビちゃんはその狡猾さを維持することができない。
「心配しなくても、そのうち自分がなんで逃げてるのかも忘れてひょっこり戻ってくると思うよ。魔物を食べてからそれなりに時間経ってるし、もうそんな狡猾なことはできなくなってるかも」
あと数時間で世界が終わるのではないかと思えるほど深刻な様子のスケルトンたちに、俺は努めて楽観的なセリフを馬鹿みたいに明るい声で言う。
しかしスケルトンたちは相変わらず不安そうに肩を落としながらのそのそと紙の上にペンを走らせる。
『だと良いけど』
『万一ってこともある』
『レイスも一緒に探して』
「俺だって結構探してるんだけど、なかなか――ん? なんだあれ」
俺の呟きにスケルトンたちは素早い動きで剣に手を掛け、キョロキョロと辺りを見回す。俺がゾンビちゃんを発見したとでも思ったのだろう。そのあまりに殺気立った雰囲気に俺は苦笑いを浮かべながら首を振る。
「違う違う、ゾンビちゃんじゃなくて……これだよ」
俺はスケルトンたちを宥めながら通路の端にぽつんと置かれたノートらしきものを指差す。しかし近付いてみると、それはノートというよりスケッチブックといった方が良い大きさであることが分かった。
つるつるとした表紙は土で薄汚れており、よく見るとうっすら血も付いている。冒険者の落とし物かとも思ったが、なんとなく見覚えがある。
「これ、スケルトンたちの筆談用紙?」
尋ねると、スケルトンたちは一斉に頷く。
誰かが落としたのだろうか。スケルトンが拾い上げて表紙を確認するが、ノートには持ち主の判別ができるような名前や目印になりそうな印の類はない。しかし中身を確かめれば誰のものか見当がつくかもしれない。
俺たちは持ち主を探すべく、そのノートを取り囲んでページをめくった。
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頭にかかった靄が一気に晴れたようだ。
深く細かなところまで思考を巡らすことができる。
考えるというのは良いことだ。それにとても気分が良い。
でもまだ駄目、時々思考にノイズが走る。空腹のせいだ。
まだまだ全然肉が足りない。もっともっと肉が欲しい。
何か策を講じなければ。頭の中が澄んでいるうちに。
思いついたことや今の状態をこのノートに書きとどめておこうと思う。自分の状態を冷静に見つめ、今後の計画を練っていくためだ。
何も考えられなくなっても、ここに記した作戦を実行するくらいはできるだろう。
しかし願わくば、そうなる前に肉を手に入れる手段を確立しておきものである。
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ノートの一ページ目に書かれた文章にざっと目を通したあと、俺たちはそれぞれ怪訝な表情を浮かべてお互いに視線を交わす。
この字、明らかにスケルトンの物ではない。彼らにとってこのノートは筆談のための道具であり、筆談のためにわざわざこんなに丁寧に文字を書く者はいない。そして、このノートの内容。
『これ書いたのって』
「うん、ゾンビちゃんだね」
俺は顔が強張るのを感じながらスケルトンの言葉に頷く。
ゾンビちゃんが字を書くとは……どうやら彼女の知能は俺が思っていたよりずっと高くなっているようだ。
辺りにまとわりつくような重苦しい空気が流れる。スケルトンたちはノートに視線を落としたままただの屍のごとく動かない。
とはいえ、このノートが俺たちにもたらしたのはなにも悪いことばかりではない。
「むしろこれって好都合じゃない? ノートを読んでいけば、ゾンビちゃんがどんな悪巧みしてるのか分かるじゃん」
俺は明るい声を上げ、スケルトンにノートを捲るよう促す。そして俺たちは再びノートを覗き込み、食い入るように綺麗に整った文字の羅列を目で追った。
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肉が食べたい。
本当は死にたて新鮮なやつが良いけど、干し肉でもいい。
でも倉庫の場所が分からない。鍵も。
なんとかしてスケルトンのお人形をさらえないかな。
そしたらきっと、スケルトンたちも私に肉を食べさせてくれる。
でも思うように動けない。みんなが私を探してる。
作戦を立てて、慎重に行動しなくちゃ。
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「……骨格模型の警備は大丈夫?」
『一応警備は付けてあるけど』
ノートに綴られた恐ろしいアイデアに、辺りを包む空気がどんどん重くなっていく。
もちろん対策はしてあるのだろうし、さすがに同じ轍を踏むことはないと思うが……大事な骨格模型を奪われた過去はスケルトンたちのトラウマとなって彼らの心を蝕んでいるのだろう。
いてもたってもいられなくなったのか、何体かのスケルトンたちが脱兎のごとく走り去っていった。骨格模型の安否を確かめに行ったのだろう。
徐々に遠ざかっていく足音を聞きながら、俺は残ったスケルトンたちと共に再びノートに目を落とした。
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あちこちに罠が置いてある
私を捕まえようとしてるんだ
罠のひとつにネズミがかかってたので、食べた
おいしい
もっと食べたい
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「ネズミを食べて飢えを凌いでたのか。でもこれは、なんというか……」
俺の言葉にスケルトンたちも小さく頷く。
最初のページと比べ、明らかに文字のクオリティが落ちているのだ。不揃いで読みにくく、まるで利き手じゃない方の手でペンを握ったみたいである。均衡の取れた文字が綺麗に並んでいた一ページ目と同じ人物が書いたものとは思えない。
しかしこれだけの情報ではまだ判断が付かない。
それ以上誰も何も言わず、俺たちは静かに次のページへ視線を落とした。
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いたい
ネズミ追いかけてたらワナふんじゃった
はずれないから、足をちぎった
いっぱい血がでて、おいしそうだったから足食べた
ぜんぜんおいしくなかった
むかついたからきゅう血きのへやにワナをおいた
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「これは……あとで吸血鬼に教えてあげないとなぁ」
俺は思わず苦笑いを浮かべながらそう呟く。
直後、金属音と共にどこからか悲鳴が上がった。
「ギャーッ!?」
まるで猫を蹴飛ばしたような悲鳴である。しかしその声は明らかに我がダンジョンのボス、吸血鬼のものであった。
俺はますます苦笑いを深くしながら呟く。
「間に合わなかったみたいだね」
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ネズミすばしっこくてたいへん
でも 3 つかまえた
ゆびかまれたから おこってアタマちぎった
おとなしくなった
たべやすい
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「誰だ僕の部屋にトラバサミ置いたヤツは!」
血塗れの足を引きずりながらやってきた吸血鬼は「怒髪天を衝く」という言葉がピッタリハマる程度に怒りのオーラをその身に纏っていた。彼は血塗れになった足をこちらに見せ、怒りをぶつけるように声を上げる。
「見ろ、靴に穴が開いた!」
「そこかよ……」
一通り怒りを放出したことで多少冷静になり、周りが見えるようになってきたのだろうか。
吸血鬼は俺たちが囲んだノートに視線を映し、怪訝な表情を浮かべた。
「なんだそれは」
「ゾンビちゃんの書いたメモって言うか、日記だよ」
「小娘の? ……アイツ、字が書けるのか? というか、なんで日記なんか」
「あとで渡すから読んでよ。取り敢えず最後まで読み進めるからね」
輪の中に吸血鬼を引き入れ、俺たちは改めて次のページに視線を落とした。
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おなか さく
なか まぜる
ち が いっぱい
おいしい
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ノートから顔を上げると、吸血鬼の苦虫を噛みつぶしたような酷い表情が目に飛び込んできた。
「……なんだこれは、一体何がしたいんだアイツは」
「うーん、最初はもっとちゃんとしてたんだけど。やっぱり頭いい状態ってそんなに長く続かないんだね」
いきなりこのページだけ見たって意味が分からないに違いない。
吸血鬼は相変わらず渋い表情を浮かべながら、やや乱暴に次のページをめくった。
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ねずみ
おいし
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「……これはもう、わざわざゾンビちゃんを捕まえる必要はなさそうだね」
血のベッタリついたページに字を覚えたての子供が書き殴ったような文字。もはや彼女に狡猾な悪巧みができるほどの知能があるとは思えない。
どこからか話を聞きつけたのか、気付くとノートを取り囲むスケルトンの数もかなり増えているようだった。そのうちの一体がこちらに向けて紙を掲げる。
『骨格標本も大丈夫だった』
「なんだ。こんなに探したのに、杞憂だったね」
張り詰めた空気が一気に和らいでいくのを感じる。ゾンビちゃんの恐怖からようやく解放されたのだ。長く辛い戦いが、たった今終わったのである。
にもかかわらず、吸血鬼だけは今だ硬い表情でノートを見つめている。
「何か引っかかるな」
吸血鬼の口から出たのは歓喜の声ではなく、唸るような疑いの声である。
彼はノートを食い入るように見つめ、パラパラとページをめくりながら眉間に深い皺を寄せる。
「これは……知能の低下に伴って日記の内容や文字が変化しているという事か?」
「そうそう。見てよこの文章、もうすっかり元のゾンビちゃんに戻ってる」
「……ネズミを食うことしか考えられないような知能なら、そもそも文字なんて書けなくなっているんじゃないのか? 狡猾なアイツのことだ。知能の低下を装った文章だって書けると思うんだが」
吸血鬼の一言により、あたりが水を打ったように静まり返った。
まるで冷たい水を浴びせられたように背筋がゾワゾワする。
よくよく辺りを見回すと、ノートの周りには結構な数のスケルトンが集まっていた。
という事は今、このダンジョンの警備はどうなっているのだろう。
「……みんな、ちょっと様子見てきてくれる?」
俺の言葉によりノートを囲んでいたほとんどのスケルトンたちがそれぞれ四方八方に駆け出し、ダンジョン中に散らばっていく。
それからわずか数分。
あれほど探し回っても見つからなかったゾンビちゃんを、スケルトンたちはいとも容易く連行して帰ってきた。
しかし捕まえるのが一歩遅かったらしい。
たくさんのスケルトンたちに神輿のごとく担がれながらも、ゾンビちゃんはなにかをもちゃもちゃ咀嚼している。
先頭を歩いていたスケルトンは分かりやすく肩を落とし、視線を足元に落としながらゆっくりと紙を掲げた。
『食料庫内の肉、70パーセント消失』
『ほとんど肉残ってない』
最悪の結末に、俺は思わず頭を抱えて悲鳴にも似た声を上げた。
「やられた……!」
「警備が手薄になったとこを狙ったな。こんな小道具まで用意して」
吸血鬼は吐き捨てるように言うと、忌々しそうに「ゾンビちゃんの日記」を地面に叩きつける。
捕まってはいるものの、大量の肉を食べることができてゾンビちゃんは非常に気分が良いらしい。彼女は口の中に残った肉を飲み込むと、舌なめずりをしながらにんまり笑う。
「えへへへ」
「準備しろ、埋葬してやる!」
ゾンビちゃんがどんな悪巧みをしようと、どんな物を人質にしようと、もはやダンジョンに肉の備蓄はほとんどない。無い袖は振れないのだ。
そんな状況にもかかわらずゾンビちゃんを埋める最も大きな理由は、いわゆる「腹いせ」である。
しかしやり切った達成感と満足感からか、これから生き埋めにされるにも関わらずゾンビちゃんの表情は眠っているように安らかであった。




