124、ダンジョン湯けむり殺魔物事件(事件発生編)
その日、ダンジョンの外は酷い吹雪に見舞われ、まさに陸の孤島と化していた。ダンジョン入り口から外を見渡せど、吹きすさぶ猛吹雪のせいで冒険者どころか森をうろつく動物や魔獣、生きとし生けるものの気配を感じることができない。俺は行けなかったが、死後の世界があるとすればこんな感じなのではないだろうか。
こんな猛吹雪の中、森を通ってダンジョンへやってくる冒険者もいまい。食料を確保できないのは非常に困るが、天気など俺たちにはどうすることもできない。果報は寝て待てとの言葉通り、俺たちはこの暇な一日をのんびりと過ごし、吹雪が止むのを待つはずだった。
しかし平穏なはずの一日は空気を切り裂くような甲高い悲鳴により終わりを告げることとなった。
ダンジョンに悲鳴が響くのは珍しいことではないが、ダンジョンに魔物の死体が転がっているというのは俺の知る限りかなり珍しいことである。
「一体どういうことだ、これは」
騒ぎを聞きつけて部屋へやってきた吸血鬼が、その凄惨な光景に目を見張った。
見慣れぬ三体の魔物、そして大勢の温泉従業員たちに囲まれて部屋の中心に横たわっているのは、白い毛皮を赤く染めながら血溜まりに沈む化物である。立派なたてがみを持つ獅子の頭、蛇の尻尾、そして蹄のある山羊の胴体――特徴的な姿から、その化物がキマイラであると判断するのにそう時間はかからなかった。その山羊と獅子の境目、首のあたりの肉が大きく抉られて血溜まりの源流となっている。
「……温泉客だってさ」
なにも分からないであろう吸血鬼に被害者の情報を端的に伝える。すると吸血鬼は怪訝そうな表情を浮かべて首を傾げた。
「なんで温泉客が死んでるんだ。足でも滑らせて転んだのか? 浴室でもないこんな場所で」
「そんな訳ないじゃない!」
吸血鬼の声は少々大きすぎたらしい。
キマイラの死体を囲んでいた魔物の一人がヒステリックな声を上げた。長い蛇の下半身を持つ半人半蛇の魔物、ラミアだ。
「取り乱すのも分かるけど……ちょっと落ち着くんだな」
「ああ、そうだ。騒いだって何にもならないぞ」
そして髪を振り乱しながら喚くラミアを、彼女の仲間であろう魔物たち――二足歩行の小さな犬のような魔物コボルトと青い肌の屈強な肉体を持つ一つ目の鬼サイクロプスが宥める。
しかしラミアは髪を振り乱し、血走った目でキマイラの死体を見下ろしながらますます大きく耳障りな金切り声を上げた。
「落ち着いていられるものですか! 仲間が死んだのよ!?」
仲間が死んだ際の反応としては極めて正常であるが、死というものが非常に身近なアンデッドとして長く生きてきた者にはラミアの反応が奇怪に映るのだろうか。吸血鬼は苦虫を噛み潰したような顔で彼女を眺めながら、非常に小さい声で呟く。
「……なんだこの女は」
「第一発見者の一人だよ。部屋に入ったときにはこの状況だったって」
「魔物同士で共食いでもやったのか? まったく、いい迷惑だ」
吸血鬼はそう言ってため息を吐く。
俺も最初は彼と同じ考えを持っていた。魔物というのは人間以上に気性の激しい個体が多いのだ。温泉でも度々喧嘩が起こると聞くし、喧嘩がエスカレートした結果の死者だとばかり思っていた。
しかしどうやらそういう訳ではないらしい。死体を最初に見つけたのは、キマイラと同じ温泉客である4体の魔物たちだ。
今日温泉を利用していたのはこの5人組の魔物のみ。彼らは事件直前、体調不良のため部屋で一人休んでいたキマイラを置いて4体で食事を摂っていたのだという。そして食事を終え、部屋に戻ったときにはすでにこの状況だったと彼らは口を揃えて主張している。
そのことを吸血鬼に説明すると、彼はまるで他人事のように呟いた。
「へぇ、良く分からないが、なんだか物騒だな」
「そうだねぇ」
俺も吸血鬼と同様、どこか他人事のような気持ちで彼の言葉に同意する。
ダンジョンで起きた事件ならともかく、ここは温泉だ。関係ないとは言わないが基本的にはスケルトンたちが主体となって切り盛りしているため、正直言って野次馬気分だったのかもしれない。
しかし次の瞬間、ラミアが口にした言葉によってざわついていた部屋が一気に静まり返る事となった。
「こんなことできるの、ゾンビしかいない」
ラミアはそう言いながら明らかに敵意のこもった目で俺たちアンデッドを見回す。
「あんたのとこのゾンビがやったんだわ……人間じゃ物足りなくて魔物にまで手を出したんでしょう!」
「ま、待ってくださいよ。なんでそうなるんです?」
「決まってるじゃない、この傷よ!」
そう言いながらラミアが指を指したのはキマイラの死体だ。その首元についた何者かに噛み千切られたような傷を見下ろし、ラミアは声を震わせる。
「こんな野蛮な殺し方、ゾンビ以外あり得ない。ここに腹を空かせたゾンビがいるってのは知ってるんだからね……だからアンデッドダンジョンなんて来たくなかったのに!」
確かにキマイラの首に付いた傷を見る限り、恨みを持って殺されたというよりは単に捕食のための殺しと言った方がしっくりくる。
他の者もそう思ったのだろう、彼女に寄り添う二体の魔物もラミアの言葉に同意した。
「確かに、僕らの中にこんな事できるヤツがいるとは考えられないんだな」
「どうしてくれんだよ、お前らのゾンビのせいでキマイラは……!」
急に矛先が向けられ、俺たちも正直慌ててしまった。
しかしそう簡単に犯人だと決めつけられてはかなわない。第一、ゾンビちゃんは冒険者通路を彷徨っており、この付近にはいないはず。
「待って下さい、まだそうと決まったわけじゃ」
「おい、捕まえたぞ」
俺の言葉を遮るようにして部屋に入ってきたのは、キマイラの仲間の温泉客、牛の頭と毛皮に覆われた屈強な肉体を持つミノタウロスだ。彼は犯人を捜すだのなんだのと言いながら闘牛のごとき勢いで俺と入れ違いに部屋を出て行ったのだが、どうやら彼は目的を果たしてこの場所へ戻ってきたらしい。
……問題は、彼が抱えている「犯人」が大きな干し肉の塊を貪るゾンビちゃんだったことである。しかもその口周りには血がベッタリと付着していた。
「ギャアアアアアッ!」
ラミアが耳をつんざくような悲鳴を上げると同時に、室内が大きなざわめきに包まれる。
そのざわめきにも負けない大きな声を上げながら、ミノタウロスはどこか誇らしげにゾンビちゃんを掲げた。
「暴れて大変だったぞ。たまたま肉を持ってたからそれで大人しくさせたが……まるで飢えた獣だ」
「こいつよ! 絶対こいつの仕業だわ」
ラミアはそう言いながらますますヒステリックにそう喚きたてる。
このままでは本当にゾンビちゃんが犯人にされてしまう。そう思った俺は、気が付くと大した策も持たず反射的に声を上げていた。
「ちょっと待って! やっぱりおかしいですよ」
「どこがおかしいんだ」
「こんなに証拠が揃ってるんだぞ」
キマイラの仲間たちは次々に反論の声を上げる。
一応、何の根拠もなくゾンビちゃんをかばったわけではない。いくつか不自然な点があるし、このゾンビちゃんの逮捕劇はどこか出来すぎている。夢魔の見せる甘い夢のようなわざとらしさがあるような気がしてならないのだ。しかしどれも他者を納得させられるほど決定的じゃないし今はまだ上手く言葉にできない。そもそもこの状態の彼らが俺の話を素直に聞くとは思えなかった。
数秒考えた挙句、俺は誰が見ても明らかな物理的証拠を探すべく死体に近付いていった。
「その傷、本当にゾンビちゃんの歯型と合っていますか? ちょっと見せて――」
しかし俺が死体を間近で見ることを、被害者の仲間たちは許さなかった。
彼らは死体を守る様に、俺の前に立ち塞がったのである。
「勘違いするなよ。俺はお前らのことだって信用してないんだ」
「我が同胞の死体には触らせないぞ。証拠隠滅を狙ってるかもしれんからな」
「そうよ……もしかしたら最初から魔物を食べるために温泉経営なんてしてるのかも」
ラミア、サイクロプス、ミノタウロスは明確な敵意のこもった言葉を口にしながら俺をジッと睨みつけるる。
しかしそこまで言われるのは心外だ。
俺に加勢するように、吸血鬼もまた威圧感を放ちながら立ちはだかる三体の魔物の前へと向かっていく。もちろんその目的は死体を調べることではない。
吸血鬼は彼らにどこか鋭さのある視線を向けながらも、努めて冷静に口を開いた。
「随分な言いようじゃないか」
「死に損ないの人間にはお似合いだろ」
部屋の中に瞬きするのも躊躇われるような険悪な空気が流れる。
あわや一触即発か、となったその時。にらみ合う両陣営を横から眺めていたコボルトがこの空気を緩和するような明るくのんびりした声を上げた。
「まぁ落ち着くんだな。外は酷い吹雪だから、少なくとも吹雪が止むまでは嫌でもここに滞在しなくちゃならないんだな。心配しなくても、証拠を集める時間はたっぷりあるんだな」
コボルトの言葉に、魔物たちはため息を吐きながらも俺たちを睨みつけるのをやめた。
どうやら衝突は避けられたようだ。しかしこれですべてが終わった訳ではない。
吹雪が止めば、きっと彼らはゾンビちゃんが犯人だと思い込んだまま帰ってしまう。魔物の世界に警察のような組織はあるのだろうか。その辺は良く分からないが、少なくとも客を殺したとの話が広まれば我が温泉の評判がガタ落ちするのは間違いない。
どんな手を使ってでも犯人を捜さなければ……吹雪が止む前に。
長くなったので分割しました。
今日中に続きを投稿します。




