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うわっ…俺達(アンデッド)って弱点多すぎ…?  作者: 夏川優希


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112、トリック・オア・トリート




「やぁみんな! ハッピーハロウィン!」


 軽薄な声で浮かれたセリフを吐きながらダンジョンの通路を進むのは薄っぺらい笑みを浮かべた銀髪の男、狼男である。

 ……が、その格好はいつもの狼男のものと随分違っていた。

 気取った黒ずくめの夜会服を纏い、襟の大きい派手なマントを翻して歩く姿はまるで吸血鬼のそれだ。

 その姿を一目見て、我がダンジョンのボスは露骨に顔を顰めた。


「なんだお前、バカみたいな恰好して」

「それ吸血鬼君には言われたくないなー」


 狼男はそう言って苦笑いを浮かべる。やはり吸血鬼の服装を意識しているのだろう。

 この時期に吸血鬼の仮装をするなんて、理由は一つしか思い浮かばない。


「ああそっか。またハロウィンの時期が来たんだね……」


 狼男はニンマリ笑い、大袈裟な動作でマントを翻す。


「そういう事! じゃ、せっかくだし早速あの儀式いっとこうか」


 そう言って狼男が取り出したのは、小さなカボチャをくりぬいて作ったのであろうポットだ。三角形の目と三日月形の口からはカラフルな紙に包まれたキャンディが覗いている。

 だが俺たちはそのキラキラ輝く素敵なキャンディを素直に受け取ることはできなかった。


「いや、俺は別にいいよ」

「僕もだ、くだらん」


 冷たく突き放す俺たちに、狼男は口を尖らせて不満げな声を上げる。


「なんだよみんな、ハロウィンだってのにつれないなぁ。あーあ、少年の心を失った大人にはなりたくないもんだね」

「いや、はしゃぐのが恥ずかしいとかじゃなくて。そんなの貰ったって俺ら食べられないし」

「どうせならもっと良いものを手土産にしろ」

「……ネェネェ、ソレナニ?」


 口々に文句を言う俺たちの後ろで、今まで沈黙を貫いていたゾンビちゃんが不意に声を上げた。


「おっ、もしかしてゾンビちゃんは知らない? ハロウィンの『あの儀式』」


 問いかけに対しゾンビちゃんが小さく首を縦に振ると、狼男はパッと顔を輝かせてカボチャのキャンディポットを誇らしげに掲げた。


「ハロウィンってのはただ仮装して騒ぐだけじゃなくて、仮装して騒いだ挙句にお菓子を強請るっていうとっても愉快なお祭りなんだけど」

「悪意ある説明だな」

「狼男って本当にハロウィン好きなの?」

「もちろんだよ!」


 狼男はニッコリ笑って頷き、さらに続ける。


「お菓子を貰うにはある呪文を唱えなきゃいけないんだ。それが『トリック・オア・トリート』。お菓子をよこすかイタズラされるか選べって意味で、もし要求を拒否しようものならその報復として相手にイタズラを仕掛けることができる。どっちに転んでも美味しい呪文なんだよ」

「ヘー」


 さして興味なさそうに生返事をするゾンビちゃんに、狼男はキャンディポットを抱えて詰め寄る。


「さぁゾンビちゃんも言って言って。本来は仮装してる俺が言うべきなんだけど、さすがに人のダンジョンに押し入ってお菓子強奪するのはちょっとね」

「そんな常識持ってるならもっとほかの部分で発揮してほしいんだけど」

「さぁほら、早く早く」

「エート……トリックオアトリート」


 ゾンビちゃんはそう言って狼男に手を差し出す。

 すると狼男は満足気に頷き、キャンディーポットに手を突っ込んだ。


「うんうん、イイねイイね。やっぱりどうせならノリの悪い男なんかじゃなく、可愛い女の子にお菓子をねだられたいよね。じゃあゾンビちゃんにはキャンディーをあげよう」


 狼男はそう言ってポットから取り出したキャンディーをゾンビちゃんの手のひらに乗せた。

 しかしゾンビちゃんは手のひらに乗ったカラフルなキャンディーにはしゃいだりもせず、怪訝な表情でそれを眺める。しばらくそうしていたかと思うと、彼女はおもむろにそれを包み紙ごと口に放り込んだ。

 キャンディーをボリボリかみ砕きながら、ゾンビちゃんは首を傾げる。


「……石?」

「いやいや、キャンディーだってば」


 狼男もゾンビちゃんの言葉に困惑したように首を傾げる。

 俺はイマイチ話の噛み合わない二人を助けるべく、狼男に声をかけた。


「ダメだよ、ゾンビちゃんにあげるならお菓子じゃなくて肉でないと」

「ええ、さすがに肉は持ってないなぁ。困った困った……」


 狼男はそう言いながらキャンディーポットを懐にしまう。

 そして彼は両手を大きく広げ、爽やかかつ軽薄な笑みを浮かべて言った。


「じゃあ仕方ない、これはもうイタズラして貰うしかないね」

「イタズラ?」


 そうは言われても、突然すぎて何をしていいのか分からないのだろう。

 ゾンビちゃんは狼男の前で腕を組みしばらく悩んだ挙句、彼の鳩尾に重いパンチを放った。


「ガッ……」


 もっと可愛いイタズラを期待していたに違いない。狼男は予想外のバイオレンスなイタズラにたまらず体を折り曲げ、地面にうずくまる。

 だがゾンビちゃんの猛攻は止まらない。


「うわっ、やめて! 顔はやめて!」


 うずくまった狼男をゾンビちゃんは執拗に攻め立てる。

 攻撃の手を緩めようとしないゾンビちゃんを止めるべく、俺は慌てて声を上げた。


「それイタズラじゃないよ、ただの暴力だから!」


 俺の言葉にゾンビちゃんはピタリと手を止め、困ったような表情をこちらへ向けた。


「違ウ?」

「違うよ! イタズラっていうのはなんというか……もっと陰湿で笑えるやつでないと」

「ンー、難シイ……」

「ま、まぁ初めてなら仕方ないよね。何度でも挑戦すると良いよ」


 あれだけの攻撃を受けたにもかかわらず、狼男は自分をボコボコにしたゾンビちゃんに優しい言葉を掛けながら起き上がる。この優しさとタフさが女の子にモテる理由なのだろうか。

 だが彼の言葉はゾンビちゃんにとっては優しい言葉に違いないが、他のアンデッドにとっては決して優しい言葉とは言えなかった。


「トリックオアトリートー」


 ゾンビちゃんが次に手を差し出した相手は、よりにもよって吸血鬼である。

 突然矛先を向けられた吸血鬼は心底迷惑だと言わんばかりの表情で呆れたように目をまわす。


「馬鹿馬鹿しい。なんで僕がこんな茶番に付き合わなければならないんだ」

「あれ? これはお菓子拒否ってことで良いかな?」


 煽るような狼男の言葉にも動じず、吸血鬼は薄笑いを浮かべてゾンビちゃんを手招きしてみせる。


「勿論だ。来いよ小娘、返り討ちにしてやる」

「大人気ないなぁ」


 思わず呟くと、吸血鬼はこちらを向いて不服そうな表情を見せた。


「君は小娘をやけに子供扱いしたがるが、ヤツは少なくとも君より年上だと思うぞ」

「い、いやいや……アンデッドに実年齢の話しないでよ」


 そんなくだらない事を話してよそ見をしている間に、視界の端でゾンビちゃんが静かに動き出したことに気付いた。吸血鬼も攻撃の気配を感じ取ったらしく、素早く体をゾンビちゃんの方に向ける。

 だがゾンビちゃんが動いたのは、どうやら攻撃するためではなかったらしい。彼女はこちらへ向かってくるどころか、俺たちに背を向け、しょんぼりと肩を落として離れていったのである。

 ゾンビちゃんがこのような反応をするのは非常に珍しい。どうしていいか分からず立ち尽くしていると、狼男が呆れたように声を上げた。


「もう二人とも、女の子に年齢の話しちゃダメだって」

「ええっ……? 落ち込んだ理由そっちじゃないでしょ、ゾンビちゃん絶対歳なんか気にしないって」

「二人とも女心が分かってないなぁ。仕方ない、俺が慰めよう!」


 狼男はそう言うと、獲物を発見した肉食獣のごとく嬉々としてゾンビちゃんを追いかけていった。




*********




 ゾンビちゃんと狼男の背中を見送ってから一時間程度経過しただろうか。

 未だにゾンビちゃんは……いや、狼男すらその姿を現そうとしない。


「二人ともどこ行ったのかなぁ」

「放っておけ、どうせ腹が空いたらひょっこり戻ってくるさ」


 興味なさそうにそう言うと、吸血鬼はソファに座っていつものようにDanzonカタログの最新号を手に取る。その拍子にカタログの隙間から何かがポトリと落下した。


「ん? なんか落ち――」


 吸血鬼は落ちたものを目で追い、自らの足元に視線を向ける。すると彼は腐ったものでも食べたような顔をして体を強張らせた。


「えっ? なになに?」


 好奇心にかられて、俺も吸血鬼の足元を覗き込む。だがその瞬間、俺は軽い気持ちでそれに視線を向けた事を後悔する羽目になった。

 吸血鬼の靴に、八本の細長い足を広げた手のひら大の黒いものがへばり付いていたのである。


「ひえっ、蜘蛛!?」

「い……いや、待て」


 吸血鬼は極めて冷静に靴についた蜘蛛をつまみ上げる。

 自分より遥かに巨大な生物に掴まれているにも関わらず、蜘蛛は身をよじらせて逃げようとも、噛み付いて戦おうともしない。吸血鬼にされるがまま、ピクリとも動かないのだ。

 もしかすると死んでいるのだろうか。いや、この足のしなり具合。まさか――


「この蜘蛛、ゴム製だ」


 吸血鬼が蜘蛛の胴体を突きながら言った言葉に、俺はほっと胸を撫で下ろす。


「な、なんだおもちゃか……でもなんでこんなとこに」

「ケケケ」


 俺の問いかけに答えるように、どこからか悪鬼のような笑い声が聞こえてくる。

 声の方に視線を向けると、僅かに開いた扉の隙間から薄笑いを浮かべてこちらの様子を伺うゾンビちゃんと狼男の姿が目に飛び込んだ。

 恐らくは狼男に付けられたのだろう、ゾンビちゃんはその頭に悪魔の角のようなものを二本生やしていた。


「あっ、お前らの仕業か!」


 吸血鬼が声を上げると、二人はまるで警戒心の強い小動物のごとき素早さで頭を引っ込め、扉を閉めてしまった。

 俺は苦笑いを浮かべながら机の上に置かれたゴム製の蜘蛛を見下ろす。


「肉あげなかったから、その報復ってわけね」

「くだらない上にベタな事を……」

「まぁまぁ、可愛いイタズラじゃん」

「全く、ヤツらはこんなので僕が驚くとでも思ったのか?」


 もはや読む気になれないのか、吸血鬼はブツブツ文句を言いながら手に持ったカタログを机の上に戻す。冷静を装ってはいたが、もしかすると案外効果があったのかもしれない。

 そして次に吸血鬼が手を伸ばしたのは机の上に置かれた血液入りのボトルである。

 ……だが、吸血鬼がそのボトルを手に取ることはできなかった。


「ああくそっ! こっちもか!」


 吸血鬼は腕に力をこめながら明らかにイラついたような声を上げる。どうやらボトルの底が机に固定されているらしい。

 しばらくボトルと格闘していたが、業を煮やしたらしい吸血鬼はソファから立ち上がって片手を机の上に起き、もう片方の手でボトルを強引に机から引き剥がす。

 接着剤でも使われていたのか、ボトルの固定されていた部分の塗装が丸ごと綺麗にはげてしまった。


「あーあ、無理やり剥がすから。綺麗な机が台無しだよ」

狼男ヤツに弁償させる!」


 吸血鬼は吐き捨てるように言うと、そのイライラをぶつけるようにボトルに口をつけて中の血液を一気にあおる。

 刹那、吸血鬼は流し込んだ血液を勢い良く逆流させて口から吹き出した。


「うわっ、なに!?」


 一気に飲んだものだから気管にでも入ってむせたのかと思ったが、どうも様子がおかしい。

 ひとしきり咳き込んだあと、吸血鬼は涙目で首を振った。


「こ、これっ……酷い味だ!」

「まさか腐ってた?」


 そう尋ねるが、吸血鬼はまたもや首を振る。


「違う。血になにか混ぜられているんだ」

「なにかって?」

「分からん! 凄まじく不快な味のするなにかだ」


 本当によほど酷い味だったのだろう。

 吸血鬼は一通り喋り終わると、再びゴホゴホとむせ込み始める。

 吸血鬼のその様子に、再び悪鬼のような声が上がった。


「ケケケ」


 見ると、またもや僅かに開いた扉の隙間からゾンビちゃんと狼男が薄笑いの浮かんだ顔を覗かせていた。


「またお前らか! 一体なにを入れた」


 吸血鬼が怒気をはらんだ声で二人に問うも、二人は互いに顔を見合わせてヘラヘラと笑うばかりだ。


「いやぁ、聞かない方が良いんじゃないかなぁ。ね、ゾンビちゃん?」

「ケケケ」

「やめろ! 逆に色々考えちゃうだろうが!」


 吸血鬼が引き攣った表情を浮かべるのを見て、二人はまた意地悪くケタケタ笑う。


「何を入れたんだッ! 答えろ!」


 怒鳴るように声を上げながら、吸血鬼はソファから立ち上がる。すると二人は扉から顔を引っ込め、廊下に足音を響かせながら逃げ出した。

 だが今回ばかりは吸血鬼も引き下がらない。


「待て! もう許さないぞ、とっ捕まえて内臓ごと吐かせてやる!」


 吸血鬼は地面を蹴って部屋を飛び出し、逃げ出す二人を追跡する。


「ちょっとした悪戯じゃん、大人気ないよ吸血鬼君」

「お前こそこんな子供じみたイタズラをするな!」


 狼男の軽口をはねのけ、吸血鬼は鬼の形相で二人の背中に迫る。怒りを脚力に変換しているのか、その速さは戦闘時以上だ。

 このまま真っ直ぐ走っていてもいずれ捕まると察したのか、二人は通路の端にある階段を駆け下りていく。

 もちろん吸血鬼も彼らを追って階段へ飛び込む。が、その瞬間吸血鬼の姿が俺の視界から消えた。


「うわッ!?」

「ちょっと、大丈――うわっ……」


 地下に続く階段を覗き込んだ瞬間、俺は狼男とゾンビちゃんがただ闇雲に逃げていたわけではなかったと言う事を察した。彼らは吸血鬼をここに誘導していたのである。

 階段には大量のビー玉が撒かれており、吸血鬼はそれに足を取られたのだろう。そのまますごい音を立てながら階段を転げ落ちていく。

 そして転がり落ちた先に設置されていたのは剣山のように地面から生えたナイフだ。吸血鬼はなすすべなく階段を転がり落ち、ナイフの上に背中から着地する。

 たまらず悲鳴を上げる吸血鬼に、悪鬼のような笑い声が容赦なく浴びせられた。


「ケケケ」


 痛みに顔を歪める吸血鬼を、ゾンビちゃんが数メートル先から嘲笑っている。


「こッ……のッ……」


 吸血鬼は怒りのこもった目を見開き、背中から血を流しながらも立ち上がる。

 だが今まさにゾンビちゃんに飛び掛かるべく地面を蹴ろうとしたその瞬間、彼の鼻をかすめるようにして巨大な鉄の塊が天井から落下した。


「ひッ……」


 砂煙を上げながら足元におちた鉄塊を見下ろし、吸血鬼はふらりと座り込む。


「あー、ちょっと早かったか。吸血鬼君なら飛び出していくかなーと思ったんだけど」


 軽薄な声が通路の奥から聞こえてくる。見ると、ゾンビちゃんのさらに後方からひょっこり顔を覗かせる狼男が目に飛び込んだ。手にはロープが握られており、それは天井を伝って吸血鬼の足元の鉄塊に繋がっている。


「や、やりすぎだよ! こんなのイタズラってレベルじゃない!」

「ケケケ」

「ははは」


 俺の訴えも虚しく、二人は悪鬼のような声を上げながら通路の暗がりに消えていった。




**********




 さすがは吸血鬼である。小さなナイフでつけられた傷などすぐに塞がってしまった。

 しかし心に負った傷は体と同じようにとはいかない。


「大丈夫だよ、この部屋の周辺にゾンビちゃんたちはいなかったから」

「そ、そうか……」


 吸血鬼はそう言って頷いたものの、俺の報告に安心する気配はない。相変わらず落ち着きなくあたりを見回し、部屋の真ん中で立ち尽くしている。あの襲撃からずっとこの調子だ。


「ッ!?」


 吸血鬼は不意にファイティングポーズを取りながら部屋の隅に素早く視線を向ける。そこにいたのは灰色の毛皮を纏った小さな生き物だ。


「……ただのネズミだよ」

「いや、油断するな。爆弾でも付けられているかもしれない」


 どうやら悪鬼二人のイタズラを恐れ、過剰反応してしまっているようだ。

 暗殺の恐怖というのは醜い怪物を見た時のそれよりもずっと強く、確実に吸血鬼の心を蝕んでいる。


「もういっそのこと肉あげちゃえば? 倉庫行く?」


 そう提案するも、吸血鬼はとんでもないとばかりに首を振る。


「そんな事できるか! それじゃあ僕が脅しに屈したみたいじゃないか」

「んー、気持ちは分かるけど。でもハロウィンってそういうもんだしさ」

「ハロウィン……ああそうか、そういえばこれはハロウィンのイタズラだったな」


 難しい顔で呟いた瞬間、塞ぎ込んでいた吸血鬼が急に憑き物の落ちたような晴れやかな表情を浮かべた。


「それならこちらもハロウィン流の対応をしてやらねばな」




*********




 通路の陰からゾンビちゃんと狼男が顔を覗かせてこちらの様子を伺っている。警戒心をあらわにする彼らに向かって、白衣を纏った吸血鬼がにこやかに呼びかけた。


「僕の降参だ。いやぁ、参った参った。これは僕からのトリートだ」


 そう言うと、吸血鬼は皿に乗った肉を簡易な持ち運び用の机にそっと置く。小器用な吸血鬼により、皿に乗った干し肉は可愛らしいジャック・オ・ランタンの形に形成されていた。

 だが先程まで烈火の如く怒り狂っていた相手から食べ物を貰うなんて、そんな恐ろしい事はなかなかできないのが普通であろう。

 狼男は怪訝な表情で肉と吸血鬼を見比べ、明らかに警戒した声を上げる。


「怪しいよ。気を付けてゾンビちゃ――」

「ワーイ! ニク!」

「ちょ、ダメだって!」


 狼男の制止を振り切り、ゾンビちゃんは通路から飛び出して真っ直ぐに肉へと駆け寄っていく。そして彼女はなんの警戒もなく肉に齧り付いた。

 吸血鬼は相変わらずニコニコと笑いながら肉を貪るゾンビちゃんの様子を眺めている。そして不意に顔を上げ、怪訝な表情を浮かべる狼男に手招きをした。


「どうした狼男、お前のも用意してあるんだぞ」

「俺は良いよ……大人だし……」

「ハロウィンは別に子供だけのものじゃないだろう? さぁ、遠慮はいらないぞ。それとも僕からの『トリート』は受け取れないか?」

「そ、そういう訳じゃ……」


 妙な威圧感を放つ吸血鬼からの強い勧めを断り切れなかったようだ。狼男はしばらくまごついていたものの、意を決したように通路からそろりそろりと出てこちらへと歩いて来る。

 そして彼は肉の乗った皿を手に取ると、ゾンビちゃんの様子を横目で伺いながら注意深く肉の臭いを嗅ぎ、そしてほんの少量口に含む。

 どうやらおかしな味はしなかったらしい。ガチガチだった狼男の表情が少しだけ緩んだ。


「それにしても、突然どうしたの吸血鬼君」


 狼男は恐る恐るという風にそう尋ねる。

 だが吸血鬼は笑みを浮かべたまま静かに首を傾げた。


「なにがだ?」

「この肉もそうだけど……ハロウィンに興味なさそうだったのに、そんな仮装までしてさ」

「ん? 白衣これか? これは別に仮装じゃないぞ」

「え? じゃあなんで白衣なんか――」


 狼男がキョトンとした顔でそう尋ねた瞬間、早くも皿を空にしたゾンビちゃんに異変が起こった。

 ゾンビちゃんの口から噴水のような勢いで血が噴き出したのである。人が血を吐くのを見るのは今日で二回目だ。しかし吸血鬼の時と違い、彼女が吐いたのは飲み込んだ他人の血ではなく、自分の体から出た血である。

 彼女の吐いた血は飛沫となって吸血鬼の白衣に赤い斑点を作る。汚れた白衣を見下ろし、吸血鬼は驚くような素振りも見せずにこやかな表情のまま口を開く。


「おっと、やはり白衣を着ていて良かった」

「や、やっぱり毒!?」


 狼男は怯えた表情を浮かべ、小さな齧り跡の付いた肉をぼとりと地面に落とす。


「毒とは失礼だな、バチが当たるぞ」


 体を小刻みに震わせる狼男をジッと見つめながら、吸血鬼はせせら笑うようにそう言う。

 そして彼は白衣のポケットから透明の液体が入った小さな小さなカプセルを取り出し、自慢げに掲げた。


「さっきまである実験をしていてな。聖水を煮詰めて濃縮するという実験だ。完成したものをカプセルに詰めて肉に仕込んでみた」


 苦しみ悶え、血を吐きながら地面に爪を立てるゾンビちゃんを見下ろし、吸血鬼はこれ以上なく愉快そうな声を上げる。


「よく噛まずに飲むから胃で溶け出したんだな。これは面白い」


 吸血鬼は苦しむゾンビちゃんと彼女の周りに広がる血溜まりを興味深そうに眺めていたが、やがて彼の興味は狼男へと移っていった。


「ほら、お前も早く喰えよ。僕のお手製『トリート』だ」


 にこやかかつ穏やかな表情の吸血鬼とは対照的に、狼男は脂汗を流しながら小刻みに体を震わせている。


「ご、ごめんって吸血鬼君。ゾンビちゃんとイタズラ考えてたらついつい盛り上がっちゃって……やりすぎた事は謝るから」

「謝る必要なんてないぞ。だってこれはただのイベントだ、そうだろ?」


 吸血鬼はそう言うなり、狼男の落とした肉を鷲掴みにして拾い上げる。


「喰え」


 そして吸血鬼は狼男の銀色の髪を引っ掴み、その口に無理やり肉を押し込んだ。到底一口では食べることができない大きさの上、水分を失って固くなった干し肉をごりごり食道に押し込んでいく。

 肉に仕込まれたカプセルが割れたり溶けたりするより先に、狼男は肉を喉に詰まらせた事による窒息で意識を失ったようだ。

 白目を剥き、受け身も取らず仰向けに倒れる狼男を見下ろして吸血鬼は満足げに頷いた。

 一方、ゾンビちゃんは一通り血を吐き終わり、だいぶ楽になったらしい。赤く濡れた髪から血を滴らせながら、ゾンビちゃんはゲッソリした表情で起き上がる。


「さすがに回復が早いな。もう一個行っとくか?」


 吸血鬼が薄笑いを浮かべながらそう言うと、ゾンビちゃんは血に塗れた手を目に当てて大きく口を開いた。


「エーン、ゴメンナサーイ」


 ゾンビちゃんはイタズラがバレた子供のような幼い声で謝罪の言葉を口にする。

 彼女が謝るところなんてなかなか見れるものではない。驚くと同時に、俺は反射的にゾンビちゃんを擁護する言葉を口走っていた。


「謝ってるんだから、もう良いじゃん。ね?」

「謝ってるわけないだろう! 見ろ、コイツの白々しい嘘泣き!」


 吸血鬼は明らかにイラついた表情を浮かべてゾンビちゃんを指差す。

 確かにゾンビちゃんの目に涙は浮かんでいないし、両手で目を覆っているものの、たまにこちらへチラチラと視線を送って様子を伺っている有様だ。「反省しているフリ」である事は明白だが、それにしたって下手すぎる。


「でもまぁ今日はほら、ハロウィンだし……」

「チッ、ハロウィンを免罪符のように使うな」

「あっ、ネェネェレイスー」


 「ハロウィン」という言葉に反応し、ゾンビちゃんは泣き真似をピタリと止めて俺の方へと手を差し出した。


「トリックオアトリート」


 大きな血溜まりの中心にうずくまり、手も髪も、ツギハギだらけの顔も血まみれ。聖水によるダメージのせいで消化管はボロボロの状態であるに違いない。

 つい先程まで悶え苦しんでいたにも関わらず、よく食欲が湧くものだ。

 だが呆れると共に感心したのもまた事実。

 その上、こんな期待に輝く目を向けられたら首を横に振ることなど到底できない。


「……スケルトン、肉持ってきて」

「馬鹿か君は! 小娘に甘すぎるだろう!」


 とんでもないと目を剥く吸血鬼に、俺は苦笑いを浮かべながら呪文のようにあの言葉を繰り返した。


「まぁ、ほら。今日はハロウィンだし……ね?」





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