107、地下のアイドル
秋雨の降るある日の午後。雨のお陰で冒険者の襲撃も途絶え、束の間の休息を楽しんでいた時。
その男――ボロ布をパッチワークのように継ぎ合わせて作られたぬいぐるみのような魔物は何の前触れもなく我がダンジョンに足を踏み入れ、こう名乗った。
「『地下アイドルプロジェクト総合プロデューサー』……?」
挨拶もそこそこに男から差し出された名刺を読み上げ、吸血鬼は怪訝な表情で首を傾げる。
ぬいぐるみ男はそのつやつやした黒豆のような目を可愛らしく輝かせながら頷いた。
「主に地下劇場を周り毎晩ショーを行っています。僕はそのプロデューサーなのです」
ぬいぐるみ男はその巨体に似合わぬ少年のような可愛らしい声でそう言って見せる。
その魔物、遠目から見れば巨大なテディベアに見えなくもない。しかしその体を構成しているボロ布のような何かがどうやら様々な動物の革であるらしいこと、そして明らかに人間の顔の皮膚らしきものも混じっている事に気付いてしまった今、その魔物に生理的な嫌悪感を抱かずにはいられなかった。
そんなのに「プロデューサー」なんて名乗られても気味の悪さしか感じられない。俺としては早くも何か適当な理由を付けて帰ってもらいたい気分だったが、吸血鬼はそうでもないようだ。
彼は受け取った名刺をまじまじ眺めながらのんびりと口を開く。
「それで、アイドルのプロデューサーがうちに一体なんの用だ?」
「うちは劇場じゃないし、アイドルに興味もありませんよ。公演ならよそで――」
「いいえ、公演のお願いに来たのではありません」
俺の言いかけた言葉を遮り、ぬいぐるみ男が勢い良く口を開く。
「実は我がグループに欠員が出まして。新メンバーをスカウトするために来たのです」
「えっ、それって……?」
ぬいぐるみ男はゆっくりと地面に黒豆のような目を向ける。その視線を辿ると、地面に寝転がって無意味に土を掘っているゾンビちゃんにぶつかった。
俺はその意味について数秒考え、そして予想外の展開に思わず素っ頓狂な声を上げる。
「……いやいや! 彼女ゾンビですよ!?」
俺はぬいぐるみ男にそう訴えかけるも、彼は「当然じゃありませんか」とばかりに頷いた。
「はい、我がグループは全員ゾンビ女子で構成されています」
「マジか……」
「随分とニッチなところを攻めたな……」
「お陰様で公演は毎回満員、ゾンビ女子の人気が年々高まっているのをひしひしと感じております。しかし舞台に上がれる素質を持つゾンビというのはほんの一握り。そこでスカウトマンがあちこちを駆け回り、目星を付けたのが彼女と言う訳です。そちらのお嬢さん、報告に違わぬ……いや、報告以上の逸材ですよ。是非とも、是非とも我がグループに欲しい!」
言葉を失う俺たちとは裏腹に、ぬいぐるみ男はどんどん饒舌になり、その声は徐々に熱気を帯びていく。そして異様な熱気とその奇怪な姿が相まって、胡散臭さもプンプン漂ってくる。
俺は自分が客人の前でするのに相応しくない表情を浮かべていることを自覚しながら、吸血鬼に低い声で尋ねた。
「……どうする吸血鬼」
「無理に決まっているだろう。この忙しい時期に小娘がいなくなったら仕事にならない。力になれなくてすまないな」
申し訳ないなんてこれっぽっちも思っていないケロリとした表情で吸血鬼はそう言って見せる。
だがプロデューサーもそう簡単には引かない。
「もちろん今すぐ、フルで出演してほしいとは言いません。冒険者の来ない夜中だけ、ダンジョンの閑散期だけなど空き時間だけでも結構です」
「そうは言ってもな」
「もちろん報酬も弾みますよ。人気次第ではこのダンジョンの一週間……いや、一ヶ月分の利益を一晩で稼ぐことも夢じゃありません」
「……よし、もう少し詳しく話してみろ」
「ちょっ、吸血鬼!?」
「案ずるな、話を聞くだけだ」
そうは言うものの、吸血鬼はソファにもたれかかっていた体を起こし、前のめりになってぬいぐるみ男に真面目な表情を向けている。ぬいぐるみ男の言う「報酬」に引かれていることは明らか。これは良くない傾向だ。
この流れを断ち切るべく、俺は慌てて声を上げる。
「い、いくら条件が良くたって無理なものは無理ですよ。ゾンビちゃんはダンジョンの外に出られないんだから!」
「運送上の問題ですね。確かにゾンビは生モノです。劇場自体はこのダンジョンのように整った環境ですが、運送中はそうもいきません。日中なら日差しもありますし、温度もまちまち……ですがご安心ください!」
どうやら俺は敵に塩を送る発言をしてしまったらしい。
ぬいぐるみ男は狼狽えるどころか、水を得た魚のごとき怒涛の勢いでしゃべり始めた。
「我々はゾンビの体を守るため、徹底された温度管理を可能にし、高濃度の瘴気で体を包む『瘴気カプセル』を導入しております。ゾンビ嬢たちのエンバーミング……じゃなかった、スキンケアもお任せください! 様々なメーカーの防腐剤をご用意しております。専属の納棺師もついておりますから、体の破損などのトラブルにもいち早く対処することができます。彼らの裁縫技術にはきっと目玉が飛び出ますよ。ですがご安心ください、もしもの時のために義眼の用意もありますから」
「い……いやいや、待ってください。でもほら、本人にやる気がないことにはどうしようもないですよね?」
俺はそう言ってゾンビちゃんにそっと視線を送る。彼女はこちらの話にまるで興味がないらしく、俺らの方を見てすらいない。
だがぬいぐるみ男はそんなの問題ないとばかりに余裕ぶって口を開く。
「アイドルに憧れない女の子なんていません。ゾンビだって同じです。キラキラ輝くライト、素敵なドレス――一目で目を奪われること請け合いですよ」
「うーん……そうは思いませんけどね……」
彼女がライトや服なんかに目を奪われるとは到底思えない。
すると男はナイフで真っすぐ切ったような口の両端を持ち上げ、気味の悪い笑みのようなものを浮かべて言った。
「なら試してみましょう」
そう言うなり、ぬいぐるみ男は自分の体の縫い目に手を突っ込み、中から布に包まれた「何か」を取り出した。
その瞬間、今までボーっとしていたゾンビちゃんが突如として目を見開き、ぬいぐるみ男をジッと見つめる。
「えっ……そ、そんなまさか」
信じられないことに、ゾンビちゃんの熱い視線は確かにぬいぐるみ男の手元に向けられている。俺たちが息を呑んで見守る中、ぬいぐるみ男は布の結び目を解いて中から真っ赤なドレスを取り出した。
その瞬間、ゾンビちゃんはまるで獲物を狩る獣のような素早さでそのドレスに飛び掛かる。
「お、俺は夢を見てるのかな……ゾンビちゃんがドレスに夢中になるなんて」
「いや、よく見ろレイス。あれは肉だ」
「は? 何言って……あっ」
それは血のように赤いしっとりした布をふんだんに使用したドレス、などではなかった。ドレスの形をしているものの、その材料は布ではなく肉だ。霜降りの肉を繋ぎ合わせて作られた「肉ドレス」である。
ぬいぐるみ男はドレスに飛びかかるゾンビちゃんを猫の相手をするようにいなしながら、得意げな表情を浮かべる。
「どうです、大興奮でしょう?」
「確かに大興奮には違いないが、思っていたのとはだいぶ違うな」
「こんなの着せたってすぐ食べちゃうじゃないですか。他のメンバーもゾンビならなおさらですよ。これじゃアイドルじゃなくてストリップだ!」
俺の言葉に、一瞬ぬいぐるみ男から表情が消えた。
「…………」
「……え?」
「そうそう。そのドレス、ミニスカバージョンもあるんですよ」
「いやいや、なんで話そらすんですか? そうだ、そもそもゾンビちゃんに歌や踊りなんて無理です。ゾンビちゃんに限らず、他のほとんどのゾンビにも無理じゃありませんか? 一体舞台上でゾンビたちに何をさせているんです?」
「そ、そりゃあ色々ですよ。そうですね、例えば……イリュージョンとかもやります」
「イリュージョン……? ゾンビが?」
「はい。胴体切断マジックなど」
「それってちゃんとタネや仕掛けあります?」
「……チッ……分かりました、演目の一例をお見せします」
「今舌打ちしました?」
「いえ」
「ま、まぁ良いや……」
俺はそう言ってぬいぐるみ男がテーブルの上に出した紙を覗き込む。
真っ白な紙の上には高級感ある字体で演目らしき様々な言葉が並んでいるものの、どれも名前から行為を連想するのが難しいものばかり。まるで高級レストランのメニューを眺めているような気分だ。
吸血鬼も紙を眺めながら怪訝な表情を浮かべて首を傾げる。
「これだけじゃ何をするのか全く分からないな」
「うん……いや、ちょっと待って」
次の瞬間、意味の分からない言葉の羅列に埋もれていた不穏な演目に俺の目は釘付けとなった。俺は震える手でそれを指差す。
「こ、この『まな板ショー』ってのは……?」
俺の言葉に、ぬいぐるみ男は露骨に嫌そうな表情をその顔に浮かべる。だが俺が「まな板ショー」の文字を指差したままぬいぐるみ男の顔から目を離さず待っていると、彼はため息を噛み殺したような小さな息を吐き、静かに口を開いた。
「ああ、それはですね。客席から希望者を募って舞台に上がってもらい――」
「ひえっ、それって」
「まな板に縛り付けられたゾンビ女子を三枚におろして頂くというショーです」
「……さ、三枚おろし……?」
その瞬間、俺の頭に浮かんでいた卑猥な光景が砕け散った。どうやらとんでもない勘違いをしてしまっていたらしい。
俺はぬいぐるみ男の言葉にホッと胸を撫で下ろす。
「なんだ、そっちか……いやいや、そっちでもダメだから!」
俺はハッと我に返り、慌ててぬいぐるみ男に抗議する。
想像していた物とベクトルは違えど、18禁には違いない。今ので確信した。「アイドル」という言葉が持つキラキラしたイメージで誤魔化してるが、この男がやっているのはもっと怪しくて猥褻で猟奇的なショーだ。
「そんな公序良俗に反する副業、絶対認めませんよ!」
俺は声を大にし、改めてぬいぐるみ男のスカウトを拒絶した。すると男はこの期に及んでカワイコぶった表情を作り、黒豆のような目をいっそう潤ませて首を傾げる。
「ダメですか?」
「ダメです」
即答すると、ぬいぐるみ男はがっくりと肩を落とし、足元に視線を落とした。
「そうですか……分かりました。残念だったね、みんな」
ぬいぐるみ男が「どこか」へ声をかけた瞬間、男の体が突如として激しく波打つ。まるでその体内にワタではなく生きた猫でも詰まっているみたいだ。
「ひっ!? な、なんですかそれ!?」
思わず声を上げると、ぬいぐるみ男は皮膚を揺らしながら平然と口を開く。
「グループのメンバーたちですよ。アイドルたるものスキャンダルなど許されませんから、僕が彼女たちの清く正しい環境と生活を提供しているのです」
「もしかしてさっき言ってた『瘴気カプセル』ってのは……」
「はい、僕ですよ。総合プロデューサー兼瘴気カプセルやってます。でもこの子たち、油断すると僕の中で共食い始めちゃうんですよね。腕の一本や二本欠損してる程度ならまだ良いんですけど、この前なんて入れた時は五人だったのに出してみたら三人になってて――」
ゾンビちゃんを諦めたからだろうか。ぬいぐるみ男はヘラヘラ笑いながらメンバーに欠員が出た理由を包み隠さず吐き出していく。
とても気分が良いとは言えない話を延々聞かされ、流石に辟易してきた頃。ぬいぐるみ男は次にこんな事を言い出した。
「そうだ。舞台に立って頂けないのは仕方ありませんけど、それならせめて腕を頂けませんか?」
「はぁ、腕? なんでまた腕なんか……」
「お願いしますよ、もちろんタダでとは言いませんから」
そう言ってぬいぐるみ男が提示したのは、冒険者の必需品である武器や防具などを一通り揃えられるほどの金額であった。ゾンビの腕の相場を知らないから何とも言えないが、少なくともそう安い値段ではない。
とは言え、こんなやつに腕を売るなんて恐ろしい事をさせる訳にはいかない。
「せっかくですけどお断りします、そろそろお引き取りください」
俺はかなり強い口調でぬいぐるみ男にそう告げる。
ところが、俺の言葉に予想外の場所から異議が上がった。吸血鬼である。
「腕くらい良いじゃないか、生えてくるんだし」
ぬいぐるみ男の提示した金に目がくらんだに違いない。吸血鬼は軽い口調でそう言ってみせる。
するとぬいぐるみ男は嬉々として立ち上がり、自分の体の縫い目の隙間から錆び付いたナタを取り出して構えた。
「ありがとうございます! では早速」
「ダメですよ! ダメだってば!」
俺は慌ててぬいぐるみ男の前に立ち塞がるが、この透明な体では大した抑止力にもならない。ぬいぐるみ男は冷徹な目でこちらを見つめる。
「あなたに止める権利はありませんよ、ご本人が良いと言っているんです」
「えっ、本人って……」
キョトンとした表情で固まる吸血鬼の右手を机の上に押し付け、ぬいぐるみ男はその上にナタを振り下ろした。
何が起こったのか理解ができなかったのだろう。吸血鬼は肘のあたりにできた切断面から溢れ出る血を数秒間眺め、それからようやく苦痛に顔を歪めて悲鳴を上げた。
しかし何が起きたのか理解できていないのは俺も同じである。
「腕って、ゾンビちゃんの腕じゃなかったんですか?」
恐る恐る尋ねると、ぬいぐるみ男はニッコリ笑って頷く。
「お陰様で近頃は女性のお客様も多くいらしてくださるんですよ。しかし残念ながらまだ男性アイドルの結成には至っておりませんので、取り敢えず腕だけでも。アイドルといえば握手会ですから」
ぬいぐるみ男はそう言いながら嬉々として吸血鬼の蒼白い腕を布で包み、自分の体に収納する。その代わりとばかりに、彼は体内から取り出した小さな麻袋を血で汚れたテーブルの上に置いた。その時の金属音と重量感から、麻袋の中身が金貨であると推測するのは容易かった。
「それじゃ、僕はこれで」
収穫を得るなり、ぬいぐるみ男はその巨体に似合わぬ軽い足取りで部屋を後にした。
とめどなく血の流れ出る腕を押さえながら地面にうずくまる吸血鬼と麻袋に入った金貨を見下ろし、俺は彼に声をかける。
「他人事だと思って適当なこと言うから……。体の一部を売った気分はどう?」
すると吸血鬼は真っ青になった顔を上げ、今にも死にそうな顔で言う。
「ああ、腕以上の何かを失った気分だ……」




