9、全てはダンジョンの闇の中
「おーい、みんなこっちだよ」
吸血鬼とスケルトン数体、それからゾンビちゃんを連れて俺たちは上層階へと向かった。
侵入者がダンジョンに足を踏み入れたのだが、どうやら上層階にいる知能無きゾンビにやられたらしいのだ。知能無きゾンビは動きも遅く、体力はあるが対アンデッド用の装備があってなおかつそれなりの経験があればそれほど苦労せず倒せる相手。その相手に負けるということは、大した下調べもせずダンジョンに足を踏み入れた初心者か、よほどの戦い下手ということになる。
しかし今回の犠牲者は今までのパターンには当てはまらないようだ。
「んん? 変わった装備だ。なんの防御力もない布の服……それも半袖」
ゾンビの群がる無残な死体を眺めながら吸血鬼は冷静に分析していく。そしてちゃっかり死体にありつこうと忍び寄るゾンビちゃんの襟を掴み、猫のように持ち上げた。
「横取りはダメだ。喰われるぞ」
「ゾンビちゃんついさっきお肉食べてたじゃん」
「ちぇー」
ゾンビちゃんは不満げに口を尖らす。
とはいえ、死体はゾンビに食い荒らされて食べられそうなところはほとんど残されていない。
俺たちがここに来た目的はその肉ではなく、装備や持ち物などを回収すること。ダンジョンの掃除兼、金目のものはないかと探しに来たわけである。
しかしこの死体は大した装備どころか、最低限必要と思われる道具も持っていないようだった。身に纏っているのは普通の布の服だけ、しかもかなりの軽装。ハイキングをする老人だってもう少しマシな装備をしてくるだろう。
「一応丸腰ではないようだな。見ろ、銀製のナイフだ。純度の低い安物だが」
死体からやや離れた場所に落ちていたナイフを拾い、吸血鬼は呆れたように息を吐く。
「冒険者どころか旅人でもないようだし、この服の感じだと近隣の街の人間か。ここがどういう場所か知っているだろうに、一体何をしに来たんだ?」
「うーん、自殺以外に思い浮かばないね」
「命どころかその体までアンデッドに捧げるとは殊勝な人間だな。おっ、荷物もあるようだ」
言われて見てみると確かに死体はリュックを背負っていた。さらに死体の傍らにいる一体のゾンビが抱きかかえるようにして旅行用のような大きなバッグを持っている。
「お食事中失礼」
吸血鬼は群がるゾンビを掻き分け、死体からリュックを拝借する。さらにゾンビの抱きかかえたバッグも奪おうとしたが、なぜかゾンビはバッグを離そうとしない。
「お前にそれは必要ないだろう……まぁ良い。小娘、奪い返しといてくれ」
「はいサー」
ゾンビちゃんと知能無きゾンビの仁義なきバトルを横目に、我々はリュックの中身を漁っていく。リュックの中にも大した物は入っていないようだ。財布、ちり紙、小瓶に入った聖水、薬草が少しと水筒、そして小豆色の布に包まれた箱。箱を空けると色鮮やかな食材が目に飛び込んできた。久々に見る人間の食べ物――弁当だ。
「うわぁ、懐かしいなぁ」
「全く、コイツはダンジョンへ遠足に来たのか?」
吸血鬼は呆れたように目を回すが、やがてその興味は弁当そのものに移ったようである。
「レイス、この白いのはなんて言ったかな」
「ええと……ポテトサラダかな?」
「この横のは?」
「リンゴだね。外では旬なのかも」
「ふうん」
しばらく弁当を見つめた後、吸血鬼は何を思ったかリンゴをヒョイとつまんで口に放り込んだ。まさか吸血鬼でもリンゴを食べることができるのかと思ったが、そうでもなかったらしい。険しい顔をしてすぐにリンゴを吐き捨てた。
「うえっ……吸血鬼の食うもんじゃないな」
「当然でしょ! 何やってんの」
「いや、なんだか昔これが好きだったような気がしてな。気のせいだったかもしれないが」
「……まぁ、俺も好きだったけどね。リンゴ」
アンデッドは元は人間。俺にも、吸血鬼にもリンゴを頬張っていた時代があるはずなのだ。
しばしノスタルジーに浸っていると、横からゾンビちゃんの明るい声が飛んできて現実に引き戻された。
「こっちのお弁当はオイシイよー」
「弁当?」
ゾンビちゃんの抱えている物を見て、俺たちを目を見張った。
女だ。女の死体を抱えている。その白いシャツの中心は真っ赤に染まり、腹には大きな穴が開いているらしい。
「そ、それどこから……?」
「ん」
ゾンビちゃんは死体の服を染める血を舐めながら地面に転がった大きなバッグを指差す。
慌ててバッグを見ると、中は血で汚れており、さらに血のベッタリ付いた大きなナイフまで出てきた。
ここでは死体など珍しくないが、外部から死体が持ち込まれるというのは今までにないほど珍しい事である。
吸血鬼は血の付いたナイフを取り出し、興味深そうに眺めながら言った。
「なるほど、死体の隠し場所に困って慌ててこのダンジョンへ来たという訳か。ゾンビに喰わせれば証拠を完全に隠滅できる。安易だがなかなか良いアイデアだったかもな。まぁ本人がゾンビに喰われてはどうしようもない事だが」
「いろいろと杜撰な人だね。感情に身を任せて計画性もなく殺して、思いつきでここに死体を運んだんだよ、きっと」
「ま、そんなところだろうな」
吸血鬼は冷ややかな目でゾンビの群がる死体を見下ろす。
断末魔の叫びを上げたのだろうか、その死体の口や目は大きく開かれたまま固まっており、「安らかに眠っている」という言葉とは対極にある表情をしている。
一方、女性の死体は思いのほか安らかな表情をしていた。一突きで息絶え、叫びをあげる暇もなかったのかもしれない。少なくともゾンビに踊り食いされるよりはマシな死に方だったろう。
ふと女性の死体の指先を見て、俺はあることに気が付いた。
「この死体、指輪つけてる……こっちも」
ゾンビに喰われ、無残になった死体の残骸の指にはバッグから出てきた死体が着けていたものと同じ指輪が銀色の光を放っていた。夫婦、もしくは恋人だったのだろうか。
「まさかこのお弁当、この人が作ったのかなぁ」
「さあ、どうだろうね」
「ねー、これ食べても良いー?」
ゾンビちゃんがじゅるりと舌なめずりをしながら尋ねる。本当に無尽蔵の食欲だ。
「ああ、良い――いや、ちょっと待て」
「えー、なんでー?」
ゾンビちゃんは不満げに眉間にしわを寄せる。しかし吸血鬼はなにもイジワルをしてゾンビちゃんに待てをしたわけではなかった。
「……えっ?」
俺は自分の目を疑った。
ゾンビちゃんの腕の中で、女の死体が「目覚めた」。
目を開け、そしてフラリと立ち上がったのだ。
「ど、どうなってんの?」
思わずつぶやくと、吸血鬼が薄らと笑みを浮かべながら答えた。
「ゾンビ化したんだ。ここの瘴気が体に合ったんだろう」
「へぇ……外で殺されてもゾンビ化するんだ」
彼女は他のゾンビと同じようなおぼつかない足取りで自分を殺した男の元へと歩き、そして彼の肉に噛り付いた。
犯人が死に、そして死体が生き返る。なんとも皮肉な話である。
「一体二人に何があったんだろう」
「さぁ、真相は藪の中……いや、ダンジョンの中さ」
侵入者を完全に骨にしたゾンビたちはフラリと立ち上がり、ダンジョンの闇の奥へと消えていった。




