104、稲妻の杖
ガシャガシャガシャガシャとダンジョンに骨のぶつかり合う音が響いている。
保存用干し肉の製作や欠けた骨の修復、冒険者の所持していた荷物の整理など様々な仕事に追われるため、冒険者との戦闘終了後もスケルトンたちは慌ただしく動き回っているのだ。
が、今日はいつにも増して骨の音が大きく響いていた。同じフロアにいるゾンビちゃんの肉を貪る音すら掻き消されるほどに。
「やけにはしゃいでいるな。どうしたんだ」
一際けたたましい音を響かせるスケルトンの集団を眺めながら、吸血鬼が怪訝な表情を浮かべて首を傾げた。俺は苦笑いを浮かべながら吸血鬼の疑問に答える。
「冒険者の荷物の中に面白いものがあってさ」
「なんだ、肉付き骨でも入っていたか」
吸血鬼は適当なことを言いながら興味なさげにスケルトンたちを見やる。
だが次の瞬間、ダンジョンを明るく照らす光の線と体を震わせるような轟音がスケルトン集団の中から飛び出たのを目の当たりにし、吸血鬼の表情は一気に固くなった。
「な、なんだあれ」
「『稲妻の杖』だよ。派手なエフェクトだよね」
スケルトンたちの掲げる杖を眺めながら俺はそう答える。
やや短めの杖の先端に付いた雨雲を思わせる黒い靄の閉じ込められた玉。先ほどの雷撃はあそこから発せられたものだ。
冒険者の鞄の中からあれが出てきて以来、スケルトンたちはその小さな稲妻に夢中なのである。
「あんなものを隠し持っていたのか……だが冒険者はなぜ戦いにあれを使用しなかったんだ? あれを鞄から取り出していれば戦況も変わっていたかもしれないのに」
吸血鬼はその派手な電撃に目を丸くしつつ怪訝な表情を浮かべる。
ダンジョンの暗闇を切り裂く光、思わず耳を塞ぎたくなる雷鳴――この杖から放たれる電撃はダンジョンを訪れる魔法使いの攻撃よりずっと派手で強力そうに見える。
だがそれは「見える」だけなのだ。
「ダメダメ、見た目ほどの威力はないんだ。そもそも戦闘用の武器じゃないし魔物に向けたって威嚇にしかならないよ。まぁ魔力無しで使えるし、獣を追い払うのには役立つみたいだけど」
「なんだ。良い武器になるかと思ったんだが、残念だ」
「魔法攻撃って憧れるよねー。派手だし、カッコいいし。でもこの杖じゃ冒険者は倒せないよ」
「ふうん……だが面白そうだな。僕にも少し貸してくれ」
吸血鬼はそう言ってスケルトンの手から稲妻の杖をかすめ取る。
恐らくその瞬間、吸血鬼の手が杖の起動スイッチに触れたのだろう。杖の先端からけたたましい雷鳴と共に電撃が飛び出した。
「ギャッ!?」
刹那、フロアの隅から悲鳴が上がる。
不運にも稲妻の餌食になったのは吸血鬼でもスケルトンでもなく、一人黙々と冒険者の肉を貪っていたゾンビちゃんであった。
小さいながら強力な稲妻に貫かれたゾンビちゃんは大きく体を仰け反らせた後、糸の切れた操り人形のごとく死体に体を埋めるように倒れこんだ。
「うわあっ、大丈夫!?」
「おっと、死んだか?」
吸血鬼は誤射を悪びれる様子もなく、モルモットでも観察するような目でゾンビちゃんを見下ろす。
「ウウ……」
だが彼女は目を回し、うめき声を上げながらもすぐに起き上がった。
「なんだ、やっぱり大した威力はないな」
ゾンビちゃんを見下ろして吸血鬼はつまらなさそうにそう呟く。
その一言により、肉に夢中でこちらを見てもいなかったゾンビちゃんもこの状況を理解したようだ。虚ろだった目に申し訳程度の生気と溢れんばかりの殺意が宿る。
「オマエか」
「すまない、手元が狂った」
「許サナイ!」
ゾンビちゃんは吸血鬼に復讐をするべく彼に飛びかかる。
だが次の瞬間、凄まじい轟音と共に杖から飛び出た稲妻がまたもやゾンビちゃんを貫いた。彼女の体は硬直し、そのまま崩れ落ちるように地面へ膝をつく。
吸血鬼は杖とゾンビちゃんを交互に見比べ、感心したように声を上げた。
「おお、この杖なかなか使えるじゃないか」
「ちょっと、二回も何やってんだよ!」
「さっきのは事故、これは正当防衛だ」
「だとしても、やられた方はそうは思ってないよ」
俺はそう言って恐る恐るゾンビちゃんを見やる。膝をついてはいるものの、その目に宿った敵意と殺意はいまだ消えていない。
ゾンビちゃんがこのままおとなしく引き下がるとは到底思えなかった。
******
通路を暢気に歩いている吸血鬼。
その様子を通路の陰から虎視眈々とうかがうゾンビちゃん。
吸血鬼が十字路に差し掛かったその瞬間、ゾンビちゃんが通路から飛び出し吸血鬼に襲い掛かった。
だがその瞬間、彼女はまばゆい光に貫かれうつぶせに倒れこむ。
「ははは、お前も懲りないヤツだな」
ゾンビちゃんを見下ろし、吸血鬼は勝ち誇るように笑う。
十数回目のゾンビちゃんの奇襲攻撃は、またしても失敗に終わった
彼女はあれから何度も復讐の機会を狙っているのだが、稲妻の杖を手にした吸血鬼に全敗中である。あまり俊敏に動けないゾンビちゃんが吸血鬼に奇襲を仕掛けることがそもそも無謀なのだ。その上吸血鬼の持つ稲妻の杖の遠距離攻撃のせいで吸血鬼に近付けず、その怪力を存分に振るうこともできない。
稲妻の杖、戦闘用でないからと侮っていたがなかなかに強力な代物だったようだ。だからこそ、このまま稲妻の杖を乱用させるわけにはいかない。
「むやみにそれ使うなってば!」
「大袈裟だな、こんなの少し大きめの静電気みたいなものだろう。僕が素手で応戦するより穏便に済むぞ」
「確かに流血はしないけど、多分それ下手に刺されるより痛いって! 大型魔獣を追い払うのにも使われるんだから」
「そうだな。君の言う通り、この杖は獣を追い払うのにちょうど良い」
吸血鬼は杖をくるくる回し、高笑いをしながら通路をずんずん進んでいく。俺の言葉に耳を貸す気など全く無いようだ。
その背中を睨むゾンビちゃんの目にますます強い殺意が渦巻いていることも、吸血鬼は気にしていないに違いなかった。
*******
「ゼッタイ殺ス! ゼッタイ殺ス!」
もはやじっと吸血鬼を待ち伏せる心の余裕すらなくなったらしい。ゾンビちゃんは殺意を隠そうともせずまっすぐに吸血鬼の元へ向かう。
気が立つのも無理はない。先ほどからずっとやられっぱなし、何度電撃を受けたかもう分からないほどだ。俺も心情的には連戦連敗中のゾンビちゃんを応援したいところである。
……だが、今彼女を吸血鬼の元へ行かせるわけにはいかないのだ。
「待ってゾンビちゃん! ダメだよ、この先は――」
邪魔をしようと立ち塞がるが、ゾンビちゃんは俺の透明な体をすり抜けてその扉を易々と蹴破った。瞬間、押し寄せる蒸気が俺たちの体を包み込む。
蒸気の向こうにあるのは石に囲まれた紫色の毒沼。沼に半身を浸けた人影もぼんやりと見える。
そう、ここは浴室。しかも男湯である。
俺の制止を無視し、ゾンビちゃんが男湯に突っ込んだ理由。それはもちろん、吸血鬼が入浴しているからに他ならない。
「見ツケタ!」
ゾンビちゃんは特に恥じらう様子もなく毒沼に浸かった吸血鬼を見つめる。
吸血鬼は乱入してきたゾンビちゃんを見るなり目を丸くした。
「うわっ!? こんなとこまで!?」
「アハハ! 殺ス! 覚悟!」
彼は丸腰である。文字通り、丸腰だ。
今の吸血鬼には遠距離攻撃の術もなく、防御力もゼロ。確かに奇襲としては最高のタイミングである。だが女の子としては最低のタイミングではなかろうか。
「クソッ、不味い!」
「ダメダメダメダメ! 立ち上がったらダメ!」
濁った沼のお陰で今は隠れているが、立ち上がれば目隠しするものがなくなってしまう。いや、それならいっそ俺が目隠しになってやろうか。
そんな考えが浮かんだが、自分の手を見て我に返った。この透明な体では目隠しにすらならないじゃないか。
しかしゾンビちゃんはそんなこと気にする様子もなく、湯船に足を入れ吸血鬼を追い詰める。
吸血鬼も吸血鬼でそんな事に気を遣う余裕などないらしい。ゾンビちゃんから逃げるようにして彼女に背を向け、沼の縁に並んだ石に手をつく。
「ひいっ、に、逃げ――」
悲鳴にも似た声を上げながら吸血鬼はゾンビちゃんの方を振り向く。
――が、その情けない声とは裏腹に彼は何故か意地の悪い笑みを浮かべていた。
「……なんてな!」
刹那、吸血鬼はゾンビちゃんの顔を見ながら堂々と立ち上がる。それもしたり顔で、だ。
なんだこいつは。露出狂の変態だったのか。
そんな事が頭をよぎったのも束の間、俺はすぐ彼のその表情の意味を理解した。毒沼温泉から上がった吸血鬼は、海パンを着用していたのである。一体いつの間にそんなもの用意していたのか――
いや違う、注目すべきはもっと上だ。彼の手には、紫のしずく滴る稲妻の杖が握られていた。
「ふははは! 貴様の拙い作戦など想定済みだ。これだけの奇襲を受けて、この僕がなんの準備もせず風呂に入ると思うか!」
「ウッ……」
形勢逆転である。
退却しようとするゾンビちゃんの背中に吸血鬼は稲妻の杖を向け、起動スイッチを押す。目の前に雷が落ちたような一際激しい轟音が浴室に反響し、杖の先端から放たれた輝く稲妻は容赦なくゾンビちゃんを貫いた。
ゾンビちゃんの奇襲はまたもや失敗に終わった――かに思えたその時。
「痛あああああああッ!?」
雷鳴の次に浴室に響いたのは耳をつんざくような悲鳴である。
だが叫び声を上げたのは、ゾンビちゃんではなく吸血鬼だ。彼は叫ぶと同時に温泉に尻餅をつき、呆然とゾンビちゃんを見上げる。その拍子に稲妻の杖は吸血鬼の手を離れ、底の見えない毒沼に沈んでいった。
……そうだ。ここは風呂で、吸血鬼もゾンビちゃんも風呂に体を浸けている。
ゾンビちゃんを貫いた電撃は彼女の体を伝い、さらに毒沼を伝い、そして吸血鬼の体にも――
「あ……し、痺れ……」
吸血鬼は杖から発せられた電撃に目を回しているようだ。
それも当然か。数え切れないほどの電撃を放ってきたが、それを受けるのは初めてなのだから。
そして沼の底に沈んだ杖を真っ先に拾ったのは、その杖に一番痛めつけられてきたゾンビちゃんであった。
「な、なんで動け――」
「慣レタ」
ゾンビちゃんは一言そう呟き、衝撃に目を回す吸血鬼を見下ろしてニッコリと微笑む。
これが経験の違いというものだろうか。ゾンビちゃんのその堂々とした佇まいに気圧され、吸血鬼は引き攣った笑みを浮かべながら少しずつ後退りをする。
だが恐れることは無い。吸血鬼もすぐその電撃に慣れることになるのだから。
「あ、いや、悪かった。それ凄く痛いな……?」
小刻みに震える吸血鬼の言葉にゾンビちゃんは満面の笑みを浮かべる。
直後、浴室に暗闇を切り裂く光と凄まじい雷鳴が轟いた。




