103、食べ放題
『大変だ!』
『ヤバい冒険者来た!』
そんな文言の並んだ紙を手に、スケルトンたちが骨を鳴らしながら転がり込むように俺たちの前に現れた。俺はスケルトンたちのあまりの慌てぶりに思わず目を丸くする。
「ええっ、そんな強そうな冒険者には見えなかったんだけどなぁ」
冒険者がダンジョンへ侵入してきた事はもちろん知っていた。だがその冒険者はたった一人でダンジョンへ乗り込んできた割に、知能無きゾンビにも苦戦する有様。俺は彼をスケルトンたちだけでも簡単に打ち倒せる「ビギナー冒険者」と判断し、たった今吸血鬼にもダンジョン最深層での待機が必要ないことを伝えたばかりである。
「実力を見誤ったんじゃないのか?」
「うーん、あえて俺らを油断させてたって線もなくはない……かな」
『そんなの良いから早く!』
『もうどうして良いか……』
『こっち来て』
首を傾げる俺たちを急かすように、スケルトンはバタバタ足踏みをしながら通路の先を指差す。その勢いたるや、まるで地獄へ引きずり込もうと手招きをする亡者のようだ。
スケルトンたちに促されるまま俺たちは通路を駆けていく。階段をいくつか上り、曲がりくねった迷路を進んでいたその時。どこからか不気味な音が聞こえてくることに気付いた。
骨の折れるような鈍い音、肉を弄ぶような湿った音、内臓を引きずるような低い音。
どう頑張ってもスケルトンからあんな音は出ない。位置から考えても、この先にいるのは恐らくゾンビちゃんである。そしてスケルトンたちの先程の慌てぶり……無残にも切り刻まれて血の海に沈むゾンビちゃんの姿が脳裏に浮かぶ。
「ま、まさか……ゾンビちゃんが殺られた?」
「いや待て。この音は――」
そう言いながら通路を曲がると、先頭を行っていたスケルトンたちの足音がビチャリという湿っぽい音に変わった。
足元にはひと一人から出たとは思えないほどの広大な血溜まりが広がり、地獄の湖のような様相を呈している。そしてその中心でうずくまっているのは――
「ゾンビちゃん!」
思わず声を上げると、ゾンビちゃんは口いっぱいに肉を押し込めながら目線だけをこちらに向けた。
彼女の足元にはボロ雑巾と化した冒険者がその長い髪を水面に浮かべ、蹲るようにして血溜まりに沈んでいる。
「無事……だよね、良かった」
「なんだ、ちゃんと殺せているじゃないか。人騒がせだな」
吸血鬼はため息交じりに言いながら不機嫌そうな表情でスケルトンを睨む。
だがスケルトンは静かに首を振り、血だまりに沈んだ死体を指さした。何も考えずそちらに顔を向けた俺の目に、助けを求めるように投げ出された冒険者の腕が映る。なんの変哲もない、血に染まった死体の腕だ。
……そう思い目を逸らそうとした瞬間、冒険者の細い指が血だまりを掻くように動いた。
「……えっ」
「こいつ……生きて……」
「い、いやいやいや、そんなワケないでしょ。あれだよ、筋肉の痙攣的なあれだよ」
背筋を撫でるような薄気味悪さを払いのけるように俺は無理矢理笑顔を作る。
そうだ、死体の指が動くぐらいなんて事は無いじゃないか。死んだカエルの神経に魔力を流すと足が痙攣するというし、斬首された罪人の首が呼びかけに応じて目を開けたなんて話もある。指が動いたくらいじゃ驚くに値しない。なにより、俺の前ではツギハギだらけの少女の死体が血肉を貪り食っているではないか。
ゾンビちゃんは何の躊躇いもなく死体の腕を引きちぎり、その指に噛み付き咀嚼し、そして俺たちの不安と共にそれを飲み下した。
指が動くなんて別に大したことではない……とはいえ、気味が悪い事には違いない。目の前から気味の悪い腕がなくなり、俺は密かに胸をなで下ろす。
だが安心したのも束の間。信じられない事が目の前で起こった。ゾンビちゃんのお腹の中に納まっているはずの腕が、死体からずるりと「生えて」きたのである。
「レレレレイスッ!? なんか生えて――」
「ききき筋肉の痙攣的なあれに決まってるじゃん!!」
気が動転し、俺は吸血鬼と共に悲鳴にも似た声を上げる。
その音に反応したのか、血の海に沈んだ死体はその真新しい腕をこちらへ伸ばした。
「た、助け……」
「レレレレレレイスゥッ!?」
「ぎゃあああッ!?」
逃げようと血の海を掻く冒険者を押えつけ、ゾンビちゃんは再生したばかりの腕に再び歯を突き立てる。その瞬間、死体は苦痛に満ちた呻き声を上げた。
……いや、これはもはや死体とは呼べないだろう。さすがに「筋肉の痙攣」では説明がつかない。
「ねぇ、なんなのそいつ!?」
「凄イよ! 食ベテも食ベテも減ラナイの!」
ゾンビちゃんは目を輝かせながら嬉々として血塗れの口を開く。にわかには信じがたいが、確かに食べるそばから傷が治っていく。
……こいつ、ただの冒険者ではない。
「ちょっとどいてろ」
吸血鬼が落ち着いた声でゾンビちゃんにそう告げる。
だがゾンビちゃんがそう易々と目の前の獲物を手放すわけもない。もがく冒険者を押さえつけ、ゾンビちゃんは不満げに頬を膨らませる。
「ヤダ! 食ベルもん!」
「分かった分かった、これでも食っていろ」
吸血鬼は冒険者から面倒そうに四肢をもぎ取り、それを乱雑に投げ捨てる。ゾンビちゃんはフリスビーを追いかける犬や小鳥を狩る猫のように吸血鬼の投げた手足に飛びついた。ゾンビちゃんの興味が逸れたその隙に俺とスケルトンも血の海に沈んだ冒険者の元へ駆け寄る。
少し離れたところで様子をうかがっていたスケルトンたちも一緒になって彼女を取り囲んだころには、冒険者の四肢もすっかり生え終わり元通りになっていた。
先ほどは死体が動いたことで少々取り乱してしまったが、よくよく考えれば死体が動いたり傷が治ったり腕が生えたりなんて俺たちにとっては日常茶飯事だ。俺の隣で難しい顔をしている吸血鬼も、向こうで蒼白い腕に噛り付いているゾンビちゃんも死体が動いているようなもの。かく言う俺だってそうだし、それに対し俺はなんの疑問も持たない。
ではなぜ血に塗れた冒険者が動いたことにこれほど驚いたのか。それは彼女が、少なくとも見た目だけで判断すれば「普通の人間」に見えたからである。
「ええと、もしかしてアンデッド……ですか?」
吸血鬼やゾンビちゃんのそれをはるかに凌駕する回復力の高さ。普通の人間なら到底あり得ないその生命力もアンデッドなら納得がいく。
とはいえ、その顔にはツギハギも腐敗の形跡もなくつるりとしているし、牙もなく瞳の色も綺麗なブラウンだ。顔色も……まぁこれだけの失血をしている割には悪くない。サイドで一つにくくった髪、少々気の強そうな眼――彼女の見た目は冒険者だったころ度々見かけた「元気と好奇心溢れる冒険少女」そのもの。とても死人には見えないが、いったいどんな種類のアンデッドなのだろう。
彼女は苦しそうに肩で息をしながらも血に塗れた顔を上げ、こちらに視線を送る。そして彼女は俺の質問に答えるより先に血の海の底から短剣を取り出した。
「アンデッド? なワケないでしょ!」
先ほどまでゾンビちゃんに齧られたり四肢をもがれたりしていたとは思えない威勢の良い声を上げながら、冒険者は俺の透明な体に短剣を振り下ろす。
もちろんそんな攻撃で俺がダメージを負うはずもないのだが、突然の攻撃に思わず目を丸くする。
冒険者は俺にダメージを与えられなかったことを気にするどころか、俺の驚いた顔を見るなり嬉々として笑った。
「それよ、その顔が見たかったの! 死なないのは自分たちだけって思ってるアンデッド共をひと泡吹かせてやるために私は来ダガッ」
少女の細い体は吸血鬼により軽々と吹っ飛ばされ、軽やかに宙を舞った。そして吸血鬼は地面に体を叩きつけられた冒険者に馬乗りになり、その細い首をなんの躊躇いもなくねじ切る。
彼女は一瞬糸の切れた人形のように完全に脱力したが、ものの数秒で意識を取り戻したようだ。怯えた子ネズミのような視線を吸血鬼に送る。
その様子を冷徹な目で見下ろし、吸血鬼は感心したように頷いた。
「すごい回復力だが、死ぬほど弱いな」
吸血鬼はそう呟くとその鋭い爪で冒険者の細く白い首を掻き切り、血の付いた指を口へ運んだ。ドロリとした鮮やかな色の血を舐めた瞬間、吸血鬼は微かに眉根を寄せて顔を顰める。
「確かにアンデッドではないようだ。食べられなくはない……が、美味くはないな。そこはかとなく生臭い」
「アンデッドじゃない……ってことは一応は人間なのかな。一体なんでそんな体になっちゃったの?」
俺はできる限り優しい口調を心がけて冒険者にそう尋ねる。敵とはいえ、こんな女の子に吸血鬼ほど割り切った対応はできない。
……そういう訳で俺としてはそれなりに気を使った対応をしたつもりなのだが、冒険者にはそれが分かってもらえなかったようだ。俺をキッと睨みつけ、吐き捨てるように言う。
「だ、誰が言うもんか。正体を明かすってことは弱点を明かすことと同義でイダダダダ!?」
この期に及んで生意気言う冒険者を、吸血鬼は容赦なく締め上げる。
「死なないというのは便利だな。拷問もしやすい」
吸血鬼はいたって冷静にそう言い放ち、左手で首を絞めながら右手の爪を冒険者の目に向ける。
すると冒険者は拍子抜けするほどあっさりと音を上げた。
「に、人魚よ! 魔女から人魚のかぶと煮を貰って、それで!」
「人魚の……かぶと煮?」
「かぶと煮……? ま、まぁ良い、とにかく人魚の肉を食ったってわけだな。なるほど、どうりで生臭いわけだ」
冒険者の言葉に納得がいったらしく、吸血鬼は冒険者から手を放し、腕を組んで頷く。
彼女の正体が分かったのは良いが、問題は彼女のこれからの処遇である。
「不死の人間なんて初めてのパターンだよ。どうする?」
「どうするもなにもなぁ。まぁ美味くはないが、非常食くらいにはなるんじゃ――」
ため息交じりにそう呟いた吸血鬼は、次の瞬間には物凄い衝撃音と共に宙に吹っ飛んだ。ゾンビちゃんが与えられた四肢を食べ終わってしまったのである。
吸血鬼の代わりに冒険者に馬乗りになったゾンビちゃんは再びその不死の体に顔を埋め、魚類的生臭さのあるらしい彼女の肉を貪る。
「凄イよ! エンエンと食ベラレル! エイエンに食ベラレル!」
ゾンビちゃんはその体に血を浴びながらキラキラと目を輝かせる。
彼女の言う「永遠」は決して大袈裟なものではない。俺は繰り返し引きちぎられる冒険者の体とその言葉の意味について考えながら、思わず身震いした。
**********
「ンー……マダ食ベラレルよぉ……」
深夜、冒険者の喚き声がうるさいと吸血鬼に怒られ、例のごとく冒険者の四肢を夜食として渡してようやくゾンビちゃんは眠りについた。
それにより冒険者はひと時の休息を得たわけだが、決してこの状況から解放されたわけではない。彼女は鍵付きの部屋に監禁――もとい隔離され、その自由を奪われている。朝になれば……いや、朝になっていなくともゾンビちゃんの目が覚めればまたあの惨劇が繰り返されることだろう。
俺は扉の脇でうずくまる様に寝ているゾンビちゃんを横目に、冒険者の監禁された部屋へと忍び込む。
「殺して……いっそ殺してぇ……」
彼女の右手は朽ちかけた手錠に繋がれ、冷たい床の上で背中を丸めて眠っていた。
床にも壁にもべったりと血が付き、冒険者自身も固まりかけた血に覆われている。だがやはりその体には傷一つ付いていないようだ。こんな体でなければここまでの苦しみを味わうこともなかっただろうに。
「起きてよ、起きろってば」
俺は声を潜めて冒険者にそう呼びかける。
数回目の呼びかけの後、冒険者はようやくうっすらと目を開けた。しばらくぼーっと虚空を見つめていた冒険者だったが、不意に怯えた表情を浮かべてこちらを見上げる。
「ひっ!?」
「静かに! ゾンビちゃんすぐそこにいるから、起きちゃうよ」
「な、なんのつもり……私を一体どうする気なの」
「別に取って食おうってわけじゃないよ。少なくとも俺は」
俺はできる限り優しい口調でそう告げる。
彼女はまだ不審な表情でこちらを見つめているものの、とりあえず大声を上げたり暴れたりする様子は見られない。
……そもそもあれだけ食い散らかされた後に声を上げたり暴れたりする元気が残っていることが不思議だ。だが一番の不思議は、彼女が我がダンジョンに足を踏み入れたことである。
「なんでそんな弱いくせにアンデッドダンジョンなんかに入っちゃったの?」
尋ねると、彼女はバツが悪そうな表情を浮かべて地面に目線を落とした。
「……死なないんだから、多少格上の相手にも勝てると思うじゃない」
「まぁ『多少』格上の相手になら勝てたかもしれないけどね」
俺はそう言ってため息を吐く。
冒険者という職業には命を落とすという非常に大きなリスクが付きまとうが、その分得られる利益も大きい。
だがもしも不死者が冒険者という職に就いたなら、リスクはゼロで利益だけを得られるという発想になるのも分からないではない。まぁ見ての通り、そんなものは机上の空論でしかないのだが。
俺は可哀想な冒険者を見下ろし、ひときわ声を潜めて彼女にある提案をする。
「……もしこのまま静かに大人しく帰るっていうなら、逃げる手伝いをしてあげても良いよ」
「なっ……あんただって奴らの仲間じゃない。なんでそんなこと」
「このままじゃゾンビちゃんがニート状態になるからね。食べ過ぎちゃうのも困るし、肉だけじゃダンジョン経営は成り立たないんだよ。それに――」
永遠にゾンビちゃんに食べられ続けるなんて生き地獄、いくらなんでも可哀想すぎる。
その言葉を飲み込み、俺は扉の向こうに目を向ける。
「話はこれくらいにして、そろそろ準備に取り掛かろう。本当にこの部屋のすぐ近くでゾンビちゃんが寝てるんだよ。君を早く朝食にしたくてうずうずしてたんだろうね」
さすがにゾンビちゃんのことは恐ろしいのだろう。冒険者は閉ざされた扉に目を向け、顔を蒼くして口をつぐむ。
「くれぐれも大きな音を立てないようにね。じゃあスケルトン、お願い」
扉の向こうに声をかけると、地面と扉の隙間から小さなナイフが滑り込んできた。
冒険者は少々離れたところで動きを止めたナイフを手繰り寄せ、自由の利く左手でそれをつかみ取る。
「やった、ナイフが……いやちょっと待って。ナイフなんてどう使うの? こんなバターナイフみたいなのじゃ鎖も切れないじゃない」
「あの隙間から鎖の切れるような大きなものを入れるなんて無理だよ。鍵があればいいんだろうけど、あいにく鎖の鍵も部屋の鍵も吸血鬼が持ってるんだ。吸血鬼は君を冬の非常食にしようとしてるから、脱出の手助けはしてくれないと思う」
「そ、そう……じゃあこれはどう使えば良いの?」
「それで手を切って、うまいこと縄抜けしてよ」
俺の言葉に、冒険者は目を丸くして口を閉ざした。
そして彼女は左手に持ったナイフと鎖に繋がれた右手、そして俺の顔を見比べ、頬を引き攣らせながらようやく口を開く。
「……正気?」
「色々考えたけどこれ以外方法がないんだ。痛いとは思うけど、まぁすぐに治るからさ」
「そ、そういう問題じゃない!」
「じゃあどういう問題なの? まぁ決行は明日でも良いけど、丸一日ゾンビちゃんに齧られるづける覚悟はある?」
「ううっ……」
冒険者は顔を真っ青にし、しばしの沈黙のあと震える手でナイフを持ち直した。
そして彼女は大きく息を吸い、自らの右手にナイフを突き立てる。昼間、さんざんゾンビちゃんに齧られた彼女にとってこんな小さなナイフなど蚊に刺された程度の痛みしかないのではないか。俺はそう考えていたが、どうやらそうでもないようだ。
彼女は歯を食いしばり、何度も自分の手にナイフを振り下ろす。ナイフはあっという間に血に染まり、地面には早くも小さな血だまりができていた。だが何度切っても、彼の体についた傷はものの数秒で治癒し元の姿に戻ってしまう。まるで泥を切っているかのようだ。
「やっぱり無理! もっと大きいのじゃないと」
冒険者は肩で息をしながら目に涙を浮かべ、助けを求めるようにこちらを見上げる。
だが俺は彼女の言葉に静かに首を振った。
「これより大きいと扉の隙間を通らないんだ。なんとか肉を削いで手錠を外して」
「む、無理だって言ってるでしょ!? 痛いのよ!」
「静かにしないとゾンビちゃん起きちゃうよ」
「くっ……なんで私がこんな……」
冒険者は歯を食いしばって悲鳴を噛み殺し、再び自らの腕にナイフを振り下ろしてその肉をえぐる。
……これが古今東西の権力者や賢者が求めてきた「不老不死」の体なのだろうか。この冒険者の体にそんな凄い価値があるとは思えない。俺が言うのもなんだが、むしろ忌むべき呪われた体なのではないだろうか。
一心不乱にナイフを振り下ろす彼女に向かって、俺は胸の中のもやもやを吐き出すようにして口を開く。
「……悪いことは言わないからさ、その体で冒険者をするのはやめておいたほうが良いよ」
普通の人間なら耐えられない苦痛を、彼女の体は耐えてしまう。普通の人間なら一瞬で息絶えるような攻撃を、彼女の体は受け止めてしまう。すべての人間に平等に訪れるはずの救いを、その体は拒絶してしまうのだ。冒険者は決して彼女にとっての天職などではない。
だが俺の声が彼女に聞こえたのか、定かではなかった。




