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うわっ…俺達(アンデッド)って弱点多すぎ…?  作者: 夏川優希


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101、地下迷宮の女帝






 人通りの少ないダンジョン端の資料室。

 普段はスケルトンの一体二体がこの小さな部屋で書類に埋もれるようにして雑務を行っているのだが、今日は山のような書類が静かにそびえ立つばかりでスケルトンたちの姿は見えない。


「うーん、どうしようかな……」


 海底のような静けさを湛える資料室に俺の声が響く。

 この透明な体では、本棚に収められている書類を机の上に広げることができない。資料室にいるスケルトンに取ってもらおうと思っていたのだが、どうやらアテが外れたようだ。

 書類を取ってもらうためだけにわざわざ外からスケルトンを呼ぶと言うのも気が引ける。

 急ぎの用でもないし、ここは出直そう。

 思案の末、そんな結論に至ったちょうどその時。背後から不意にガチャリとドアが開く音が聞こえてきた。

 振り向くと、スケルトンが一体闇の中に佇んでいるのが目に飛び込む。


「あっ、ちょうど良かった。ちょっと取ってほしい書類があるんだけど、ええとダンジョンの見取り図ってどこにあったかな……」


 ぎっしりと隙間なく書類の並んだ棚に目を向けながら俺はスケルトンにそう尋ねるスケルトンからの返事はない。当然だ、喋れないのだから。しかしそこから動く気配はなく、ペンを走らせる音すら聞こえてこないのはどういうことか。


「ねぇスケルト――ん!?」


 再びスケルトンを視界に入れた時、俺はその奇妙さにようやく気付いた。

 その骨の表面は妙にツルリとしていて、人工的なまでに白い。そしてそのスケルトンはまるで「ただの死体」のように微動だにしなかったのだ。


「なんだこれ……人形……?」


 思わず怪訝な声を上げたその時、口元に手を当てながら悪戯っぽく歯を鳴らすスケルトンたちが扉の両脇からひょっこりと顔を覗かせた。

 目を丸くする俺の前に、彼らは肩を震わせながら次々と紙を掲げる。


『ビックリした?』

『ビックリした?』


 どうやら彼らは「俺の知っているいつものスケルトン」であるらしい。……まぁ、いつもよりややテンションが高いようだが。

 ならば、彼らに囲まれた生気を感じないスケルトンはいったい何なのか。それを指差しながら、俺は恐る恐るスケルトンたちに尋ねる。


「な、なに? どうしたのこれ?」


 するとスケルトンたちは「よくぞ聞いてくれた」とばかりに興奮気味に骨を揺らしながらペンを走らせる。


『とうとう買いました』

『超美麗等身大骨格模型!』

「ええっ! 買ったんだ!?」


 俺はスケルトンたちが嬉々として掲げる紙と完璧な等身大スケルトン人形を交互に眺め、目を丸くする。


 骨格模型購入計画自体は随分前から持ち上がり予算も確保してあったのだが、どの種類の骨格模型を買うかスケルトンたちの間で長い間論争になっておりなかなか購入には至っていなかったのである。

 時には武力衝突の危機すらあり、もう購入など無理かもしれないとすら思っていた。

 まさかこうして骨格模型を我がダンジョンに迎え入れる日が来ようとは。他人事ながら感無量である。


『見て!』

『この透き通るような美骨!』

『芸術的な曲線!』

『情熱的な直線!』


 スケルトンたちは紙を掲げながら興奮気味にこちらへにじり寄ってくる。

 その勢いと情熱に気圧され、俺は後退りしながら苦笑いを浮かべた。


「良かった、本当に良かったねぇ!」


 骨格模型のなにがそんなに良いのかまでは分からないが、とにかく本当に良かった。





 ……しかしスケルトンたちのこの行動があんな事件を引き起こすとは、この時は誰も想像していなかった。





********





 骨格模型を迎え入れることができて、よほど嬉しかったのだろう。スケルトンたちの浮かれっぷりといったら、それはもう凄まじいものであった。

 軽やかかつリズミカルな骨の音がダンジョン中に鳴り響き、行き交うスケルトンはみな移動をスキップで行っているような有様。まぁそれは結構なのだが、喜びで気持ちが昂ると残念ながらミスも増えてしまうものである。


「ワーイ! ニクニク」


 ゾンビちゃんが嬉々とした声を上げながら手に持った巨大な干し肉の塊を貪り食う。

 その傍らで夢でも見ているようにぼーっと佇んでいるスケルトンが彼女に肉を与えたのだろう。確かにゾンビちゃんに食事を与えるのはスケルトンの仕事の一つだ。しかしどうやら、最近の彼らは働きすぎの傾向にあるらしい。


「……ねぇスケルトン。その光景見るの今日でもう5回目なんだけど」


 俺の言葉にスケルトンは我に返ったような顔をしてガチャリと骨を鳴らす。


『まだ食べてないって言うから……』

「それ騙されてるよ! 他のスケルトンから肉貰ってたし、さっきだって冒険者パーティ壊滅させて四人も食べてるんだから。ゾンビちゃん、嘘ついたらダメ――」


 そう言いながら振り向いた俺の目に映ったのは、肉をくわえたまま泥棒猫のごとく疾走するゾンビちゃんの後ろ姿であった。


「ああもう! 骨格模型が来て嬉しいのは分かるけど、みんな集中力なさすぎだよ。ゾンビちゃんに騙されるなんて!」


 スケルトンは自らの失態と俺からの叱責にしょんぼりと肩を落として項垂れる。

 俺はスケルトンを見下ろし、頭を抱えてため息を吐いた。


「しばらくゾンビちゃんに肉あげないようにね。さっきの戦いでも肉食べてたし、もう十分だから。それで、食料庫に肉はどれくらい残ってる?」


 スケルトンは相変わらず肩を落としながら頭を抱え、力無く首を振る。

 いつものスケルトンならば肉をとりに行くときに在庫のチェックくらいはする。やはり骨格模型のせいで気もそぞろになっているようだ。

 俺は湧き上がるため息を何とか抑え、項垂れるスケルトンに指示を出す。


「じゃあ俺肉の在庫のチェックしてくるから、スケルトンはゾンビちゃんにしばらく肉をあげないように他のスケルトンたちに周知させといてくれる?」


 スケルトンは頷き、俺の前から走り去っていった。その足取りすらなんだか軽やかに見えるのは俺の思い込みだろうか。

 俺は浮かれまくるスケルトンたちを横目に見ながら廊下を進み、倉庫へと向かう。ダンジョンの中にはまるでお祭りのような落ち着きない空気が漂っている。ダンジョンがいつもの様子を取り戻すにはまだ時間がかかるだろう。それまでに大きな事故が起きなければいいが。


 そんなことを考えているうちに倉庫の前へとたどり着いた。だが先ほどまでのお祭り騒ぎとは打って変わり、倉庫前には物々しい雰囲気が漂っている。普段壁に偽装してあるはずの倉庫扉が開けっ放しになっているのだ。それだけならばスケルトンの不注意とも考えられるが、恐らくそうではない。

 あけ放たれた扉の前に、バラバラにされたスケルトンの骨が積まれていたのである。


「ま、まさか……」


 俺は背中に走る冷たいなにかに急かされるようにして倉庫の中に飛び込む。

 必死に考えないようにしていた嫌な予感はピタリと的中した。倉庫のなかにあるのは、わずかに残った肉の欠片だけ。あれだけの蓄えが、一瞬にして消えてしまったのである。


「うわぁっ! やられた!」


 俺は無意識に悲鳴を上げながら廊下を走り出した。こんな事をするのは一人しかいない。ヤツは今も腹に肉をおさめたままどこかを彷徨っているに違いないのだ。


「緊急事態緊急事態、食料庫破り発生! 繰り返す、食料庫破り発生――」


 俺は口頭での緊急警報放送を行いながらダンジョンをあっちこっち飛び回る。

 ところが、先程までそのへんにいたスケルトンの姿が今や影も形もないのである。ダンジョンは静まり返っており、人の気配をまるで感じられない。

 みんな煙のように消えてしまったのではないかとすら考え始めたその時、廊下の先に動く白い影が見えた。心細さを感じ始めていた俺は、その影を追って脇目も振らず通路を走る。

 通路を抜け、広いフロアへ出た俺の目に映ったのは、フロアを埋め尽くすスケルトンたちだった。


「みんな、こんなとこで何して――」


 そこまで言いかけて俺は言葉を飲み込んだ。この部屋に流れる異質な空気を感じ取ったからである。

 よく見れば、一部のスケルトンの白いはずの体にところどころ赤いシミが付着している。その手に銀色に光るナイフを抱えている者もいる。

 なにより、彼らはみな一様に俯き、誰も俺の目を見ようとしない。


「ええと……どういう状況なのかな、これは?」

「レイス……反乱だ……」


 スケルトンたちの軍団の中から今にも消えてしまいそうなか細い声が上がった。

 よく見ると、スケルトンに囲まれるようにして吸血鬼が大の字に寝そべっている。しかしただ寝そべっているのではない。彼の体にはおびただしい程のナイフが刺さり、まるで採集された昆虫のような様相を呈している。


「ア……イツが……ガッ……」


 虫の息にもかかわらずなおも口を開こうとする吸血鬼の胸にスケルトンはナイフを突き立てた。刹那、吸血鬼は苦痛に顔を歪ませながら耳をふさぎたくなるような悲鳴を上げる。


「な、なにやってるの!?」


 スケルトンは俺からサッと顔を逸らし、バツが悪そうに紙を掲げた。


『好きでやってるわけじゃない』

『仕方がないんだ』

『許して』

「ちょ、ちょっと待って。ちゃんと順を追って一から話してくれないと分からないよ」


 そう声を上げた瞬間スケルトンたちの壁がパッと割れ、ツギハギだらけの小柄な少女が悠々とした足取りで俺の前へと歩み出てきた。ゾンビちゃんである……が、その様子は普段とは少し違っていた。

 いつものツギハギワンピースの上から、恐らく吸血鬼から奪ったと思われる引きずるほどに長いマントを羽織り、獣とは違う知的な目でまっすぐにこちらを見つめている。


「ゾ、ゾンビ……ちゃん?」

「タッタ今、私がこのダンジョンの王にナッタの!」


 ゾンビちゃんはいつもの無邪気な笑みを浮かべながら、いつもよりやや滑らかにそう話す。しかし彼女が一体なにを思ってそんな事を言っているのか、俺にはさっぱり分からない。

 するとゾンビちゃんの言葉を補完するように、スケルトンたちが伏し目がちに紙を掲げた。


『脅されてるんだ』

『逆らうと骨格模型が粉砕されちゃう』

「人質ってこと!?」


 すると彼女はそのマントの下から骨格模型を取り出し、俺の言葉に同意するようにニッコリ笑ってみせた。


「どうしちゃったのゾンビちゃん。目を覚ましてよ!」

「今マデにナイくらいおめめパッチリ、頭クリアーだよ」


 なんらかの魔物がダンジョンに忍び込み、ゾンビちゃんの姿を真似た……もしくはゾンビちゃんに取り憑いたのではなかろうか。そんな考えが浮かぶくらい、今のゾンビちゃんは普段の彼女と違っていた。

 俺は疑いの目をゾンビちゃんに向け、どこかにチャックでも付いているんじゃないかとそのツギハギだらけの体を見回す。


「……本当にゾンビちゃん?」

「気を付けろ、喰い過ぎたんだ」

「なっ、まさか!」


 俺は吸血鬼の言葉に思わず目を丸くする。

 確かに今日の彼女はスケルトンのミスとダンジョンに来た冒険者パーティにより大量の肉を食べている。知能が上がっているのはごく自然なことだが、まさかこれほどとは。

 ゾンビちゃんはスケルトンを従え、地べたではなく彼らの用意したソファに座り、這いつくばる吸血鬼を悠々と見下ろす。その風貌は古い君主の処刑を楽しむ新たな女帝のそれである。


「こんなことやめてよゾンビちゃん! 一体何がしたいの?」

「何がシタイか? んーとねぇ……」


 ゾンビちゃんは満面の笑みを浮かべ、嬉々として口を開いた。


「ニク、イッパイ食べたい! だからミンナ、私ニ肉を運ンデ来て。そうすれば悪いようにはシナイよ、ね?」


 ゾンビちゃんはマントの中で骨格模型を撫でながら、スケルトンたちに言い聞かせるように呟く。

 以前ゾンビちゃんが食べ過ぎで少々賢くなった際、吸血鬼たちは彼女を鎖で拘束し土の中に埋めていた。その時は少々賢くなっただけでそんな乱暴なことをしなくても良いのではないかと思ったものだが、今の彼女を見るにどうやらその対応は間違っていなかったようだ。

 とにかく、こんな恐怖政治のような真似を許すわけにいかない。


「こんな乱暴なことしたってダメだよ。落ち着いて考えてみて、こんな無茶な事いつまでも続くわけない!」

「そんな事を言っても無駄だ。多少頭が良くなって話が通じそうに思えるかもしれないが、本質はなにも変わっていない。肉を得るためならなんでもする大飯喰らいの化物だ。だが、幸いにして変わったところもある」


 吸血鬼はそう言うと蒼い顔に歪んだ笑みを浮かべる。

 刹那、彼は地面に磔にされた体を無理矢理に起こし、大量のナイフを体に刺したまま地面を蹴った。


「今のお前は弱い! だから人質など取っているんだろうが、僕にそんなものは通用しない」

『やめろ!』

『骨格標本が!』


 必死の思いを載せた紙を手にスケルトンは吸血鬼の前に立ち塞がる。しかし吸血鬼はボーリングのピンの如くスケルトンたちをなぎ倒し、自分の体に刺さったナイフを一本抜いて振りかぶった。


「そんなもの知るか! 死ね!」


 だが彼のナイフがゾンビちゃんの体に食い込むことは無かった。ナイフは奈落の底へと吸い込まれるように落ちていく。持ち主と共に。


「お、落とし穴……!?」

「学習シナイね。頭が悪イね」


 落とし穴の底の血だまりに沈む吸血鬼を見下ろし、ゾンビちゃんは悪鬼のようにケタケタと笑った。





********





「……殺す……アイツ……内臓ぶちまいて……八つ裂きに……」


 鉄格子の向こうの闇の中から恐ろしい呪詛の声が聞こえてくる。俺は錆びついた鉄の棒をすり抜け、恐る恐る闇の中の塊に声をかけた。


「吸血鬼……ええと、大丈夫?」

「ああレイスか。今奴への殺意を高めていたところだ」


 吸血鬼は焦点の定まっていない虚ろな目でこちらを見上げる。

 ゾンビちゃんに馬鹿呼ばわりされたことを相当根に持っているようだ。


「そ、そっか……調子の方はどう?」

「調子だって? 見ての通り最高だよ」


 暗い牢の中に吸血鬼の乾いた笑いが反響する。

 部屋の中心に横たわる吸血鬼の四肢にはおびただしい量のナイフが刺さり、地面にしっかりとその体を固定されている。筋肉だか神経だかが切断されているらしく、指の先を動かすことすらできないらしい。血液も与えられておらず、顔色は酷く悪い。

 黙っていれば死体そのものだ。まぁ元からそんなようなものだが。


「そんなことよりそっちはどうなんだ」

「相変わらずだよ」


 俺は肩を落とし、溜息をつきながら吸血鬼にそう告げる。

 この報告をするのはいったい何度目だろう。いったいあとどれくらいで彼に良い知らせを届けることができるのだろう。


 ゾンビちゃんは、今や女帝としてダンジョンに君臨していた。

 知能と引き換えに力を失った己は前線へ出ず、スケルトンたちに冒険者を襲わせて肉を得ている状況である。二大戦力を失った分スケルトンたちにかかる負担も大きい。独裁政治の先に待っているのは共倒れの未来だけである。

 なんとかして現状を打開しないと。


「吸血鬼、どうにかして動けないの?」

「無茶言うな、せめてこのナイフを抜いてから言ってくれ。奴ら、ご丁寧に銀のナイフなんて用意してきた。これが邪魔で傷が全く治らないんだ。スケルトンをこっちに寄越すことはできないのか」

「もちろんスケルトンに頼んではみたんだけど……」


 俺はそれ以上口を開く気になれず、黙って静かに首を振る。

 吸血鬼は小さく舌打ちし、明らかに苛ついた表情を見せた。


「ダンジョンの危機だっていうのに……あんな骨人形がそんなに大事なのか」

「今のゾンビちゃんならスケルトンたちだけでも倒すのはそんなに難しくないと思うんだけど、やっぱり人質がネックだよ。あの骨格模型さえどうにかできれば……」

「コノ子をドウスルって?」


 いつの間に近付いていたのだろう。引きずるほどに長いマントを羽織り、人質を抱え、スケルトン従えたゾンビちゃんが鉄格子の隙間からこちらをジッと見下ろしていた。

 飢えた吸血鬼の前にも関わらず、彼女は優雅に血の滴る蒼白い腕を頬張っている。


「ヒッ……ゾンビちゃん……」

「何しに来た」

「様子見ニ来タよ」


 スケルトンたちの必死の努力により得た肉を独り占めしているからだろう、ますます滑らかな話し方になっており、知性の成長が見受けられる。


「ネェ、ソロソロ出タイ? 血ガ欲シイ?」

「……なんのつもりだ」

「セッカクの戦力をコンナトコで腐ラセテおくのはモッタイナイでしょ。私、もっともっとニク食ベタイ。あとチョットニク食ベタラ、モット大キク変ワレソウな気がする。モウ一段階上のレベルに行ケソウナ気がスル」


 ゾンビちゃんの言葉に吸血鬼はしばしの沈黙の後頷いた。


「分かった、協力してやろう。ここから出せ」


 口ではそう言って見せたものの、吸血鬼がゾンビちゃんに向けた視線には相変わらず屈辱と敵意がこもっている。もちろん彼に今言った言葉を守る意思などないに決まっている。完全にここから出るためのでまかせだ。

 ゾンビちゃんは吸血鬼の言葉ににっこりと笑い、満足げに頷く。


「ヨーシ、ジャア――」


 ゾンビちゃんはかじりかけの腕をおもむろにへし折り、鉄格子の隙間にそれを突っ込む。彼女の齧った痕からじわりじわりと血が漏れ出て、大きな赤いしずくが地面へと吸い込まれていった。


「な、なんだ」


 その行動に吸血鬼は怪訝な表情を浮かべて目の前の小さな血だまりとゾンビちゃんを交互に見つめる。

 ゾンビちゃんは困惑する吸血鬼を見下ろし、悪戯を企てる悪鬼のような笑みを浮かべて言った。


「舐メテ」

「…………は?」

「ダッテ、忠誠を誓ッテクレナイト」


 ゾンビちゃんは憎らしいほどに満面の笑みを浮かべながら吸血鬼にそう言い放つ。

 彼女は吸血鬼にその気がないことを分かっているのだ。吸血鬼がゾンビちゃんに従うとすれば、衰弱しきってプライドもなにもなくしてしまった時。それこそ、地面に落ちた血を舐めるくらいの――

 だが、吸血鬼はまだその状態にはない。


「調子に乗るなよ小娘……!」


 吸血鬼は確かに小器用な奴ではあるが、プライドを捨てた演技ができるほどの役者ではない。

 肉体的にも精神的にも限界が近づいていた吸血鬼は、ゾンビちゃんの言葉で大事な何かがプッツリ切れてしまったようだ。土石流のように押し寄せる負の感情を呪詛の言葉に変換し、鉄格子の向こうにいるゾンビちゃんに向かって吐き捨てていく。


「ヤッパリ、マダ早イか」


 ゾンビちゃんはつまらなさそうに口を尖らせ、小さくため息を吐きながら死体の腕を鉄格子から引っ込めた。そして罵詈雑言を吐き続ける空腹の吸血鬼の前でその腕を骨ごとバリバリと食らっていく。それだけでは飽き足らず、スケルトンにおかわりまで要求する始末だ。

 わざわざこんな場所で立ったまま食事をする必要などどこにもない。間違いなく吸血鬼への嫌がらせである。それに気付いてか、吸血鬼が発する罵詈雑言にもますます熱が帯びてくる。しかしゾンビちゃんはそれを全く気にすることなく、鳴き喚く珍獣でも見物しているかのような視線を吸血鬼に送りながらスケルトンから供される肉に食らいついている。

 その地獄のようなやり取りが続くこと数分、ゾンビちゃんが肉を咀嚼し飲み込んだその瞬間、突如として目を見開き体を硬直させた。


「ゾンビちゃん……? ど、どうしたの?」


 俺は恐る恐るゾンビちゃんに声をかける。

 喉に肉でも詰まらせたのだろうか。それならそれで好都合であるが、どうやらそういう訳ではないらしい。

 彼女は両手を広げ、天井を仰ぎ、いつになくその目を輝かせる。


「見える……見えるよ……この世の全てが!」

「は?」

「貸して!」


 スケルトンから筆談用のペンを取り、しゃがみこんで地面になにやら書き始めた。文字ではない、恐らくは数式だが、一体何を意味する数式なのか俺には全く理解できない。畳みかけるように、ゾンビちゃんはなにやら呪文のような言葉をブツブツと呟き始めた。


「ミート係数にミオシンとアクチンを掛け合わせて、イノシン酸とグルタミン酸を微積分で――」

「な、なにやってるの?」

「ウルサイ! もう少シで浮カビソウなの、肉を大量に効率ヨク美味シク食ベルためのニク方程式が!」

「肉……方程式?」

「チョットこれ持ッテテ!」


 ゾンビちゃんは右手でペンを走らせながら、左手に抱えていた骨格模型を何の躊躇いもなくスケルトンに投げてよこす。囚われのお姫様はなんともあっさり女帝の手から解放された。


「コッチを14ハラワタと置イテ、ここはボーン係数で割ッテ――アア、違ウ違ウ!」


 あまりの筆圧の強さにペンがひしゃげると、次に彼女は自分の指を使って地面に数式を書き連ねていった。ものすごい勢いで数式を書いては消してを繰り返し、次第に土が削れて地面に大きな穴ができていく。

 気が付くとゾンビちゃんは自ら掘った穴の底でうずくまる様に数式と格闘をしていた。


「まさかこれが『もう一段階上のレベル』……ってこと?」


 骨格模型はこちらの手に戻った。ゾンビちゃんは穴の底、こちらを気にするそぶりも見せていない。

 この機会を逃す手があるだろうか。俺は呆然とするスケルトンたちに大急ぎで指示を出す。


「チャンスだ! スケルトン、このまま埋めるよ!」


 自身の手元が土に埋もれていくのも気にせず、ゾンビちゃんは指で地面を引っ掻き続けている。その姿に薄ら寒い恐怖すら感じたが、やがて彼女の体は土に埋まり完全に見えなくなった。


「な、なんか……勝っちゃったね」


 信じられないが、これで我がダンジョンは独裁政治から解放されたのである。

 ……あっさりしすぎてイマイチ実感湧かないけど。

 あれだけ憎しみのこもった罵詈雑言を吐いていた吸血鬼も、憑き物が落ちたように呆然とした表情を浮かべている。


「なんというか……頭が良すぎるというのも考えものだな」




********




「……またやってんの?」


 尋ねると、吸血鬼は手に持ったスコップを軽く持ち上げ不敵な笑みを浮かべた。

 わざわざ椅子まで持ち込み、ゾンビちゃんの埋まった穴の前で彼女の復活を今か今かと待ちわびているのだ。生き埋め程度じゃ気が晴れなかったらしく、吸血鬼の足元にはおぞましい拷問具の詰め込まれた「おもちゃ箱」まで用意されている。


「深く埋めすぎたようだな。いっそ掘り返してみるか」


 吸血鬼はスコップ片手にニヤリと笑い、ゆっくりとゾンビちゃんの生き埋めにされた穴へにじり寄っていく。


「やめときなって」

「もう十分寝かせただろう」


 俺の制止を無視し、吸血鬼はゾンビちゃんを掘り返すべく地面にシャベルをつき立てる。

 その衝撃が引き金となったのだろうか。地面にシャベルが食い込んだ瞬間、蒼白い手がヌッと飛び出して吸血鬼の足首を掴んだ。


「うわぁっ!? 吸血鬼!」

「し、しまった!」


 地獄の底から沸き起こる地響きのようなうめき声を上げながら、ゾンビちゃんが土の中からその顔を出す。目に宿っていた知性的な光は消え失せ、今はただ飢えた獣のごときギラギラした輝きを湛えているのみ。まぁ「ほぼ肉の事しか考えていない」という点においてはどちらも大して変わりないが。

 この状態のゾンビちゃんに体を掴まれたとあってはさすがの吸血鬼にももう逃げる手段はない。彼は声を上げる暇もせっかく用意した拷問具を取り出す暇もなく、寝起きのゾンビちゃんの朝食となってしまった。

 脇目もふらず目の前の肉に貪りつくゾンビちゃんを見下ろし、俺は思わずため息を吐く。


「どうしてちょうど良い知能になってくれないのかなぁ……」



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