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第16話 劇の間だけな

「……ったく。たかが市民芸術ホールに行くだけで、この格好は大げさだろ」


 日が落ちた18時。

 俺は市民芸術ホールの正面出入り口の前で、自分の風体を視線で薙いでそうボヤいた。


 観劇のドレスコードなんて最近はそんなにうるさくないんだから、襟つきのシャツを着るくらいでいいのに、用意されていたのが、かなりフォーマルなスーツだったのだ。


 夏用の素材とは言え、まだ9月の夜にジャケットは正直暑いんだが。


 なんで、こんな気合いが入った服を用意したんだか。


「お待たせ……」


 従者のファッションセンスに疑問符をを投げかけていた俺だったが、その疑問は、待ち合わせ場所に現れた凛奈の格好を見て氷解した。


「何か言いなさいよ才斗……」

「ああ、いやその……。似合ってるよ」


 ちょっと顔を赤らめながら恥かしそうに俯きつつ聞いてくる凛奈に、碌な感想を返せない俺。


 凛奈が着ていたのは、フォーマルなパーティドレスだった。

 黒のノースリーブのワンピースドレスでストールを簡単に羽織った肩だしスタイル。


 とても高校生には見えないシックな装いと思いきや、ワンピースタイプのスカート丈は妙に短く、すらりとした生足が覗いていて大胆な仕上がりである。


 ヒールの高いミュールを履いているせいで、足が余計にスラッと見える。


「……何か、私たち浮いてない?」

「平日の夜だから、みんな仕事帰りみたいな格好だな。俺らだけ気合い入り過ぎみたいな」


 まるで、どこぞのパーティにでもお呼ばれしているかのような俺たちの装いは、明らかに浮いているのを、俺は自嘲気味に茶化した。


「でも、綺麗なドレスを着て大事な人と一緒に観劇するのが子供の時からの夢だったから……」

「……お、おう。そっか」


 茶化したら、思った以上に純なリアクションが凛奈から返ってきたので面食らう。

 ここは茶化す方が野暮という物か。


「じゃあ、行こうか」

「……才斗が自分から腕を差し出すなんて珍しいわね」


 腕を組みやすいように腰に手を添えて輪っかを作る俺を凛奈がマジマジと見つめる。


「エスコートは着飾ってくれた御婦人に対する紳士の礼儀だよ」

「カッコつけちゃって。フフッ」


 そう言いながらも、嬉しそうに凛奈が腕を絡めてくる。


 最近はもはや定位置みたいな腕組み寄り添いポジションだが、何だかシチュエーションや格好のフォーマルさも相まって、ちょっと緊張しながら、俺と凛奈は市民芸術ホールの入口へ向かった。




 ◇◇◇◆◇◇◇




「上演時間、結構長いな」


 ホールの席についてプログラムを開くと、上演は21時までとなっていた。

 開演が18時だから3時間の長丁場だ。


「幕間休憩が20分くらいあるけど、トイレは結構混むからね」

「だから、先に済ませようって言ったのか。凛奈は令嬢らしく、こういう演芸ホールにはよく来てたのか?」


 トイレの事といい、やけに詳しいなと思い凛奈に訊ねる。


「うん。亡くなったお母さんが好きで、よく一緒に観に来てたの」

「そうだったのか」



「あの頃は、家族3人で楽しかったな。うちの父親は上演中によく寝ててお母さんに怒られてた」


 想い出深いのか、凛奈が目を細めて慈しむように笑った。


「才斗こそ、凄い家の子だったんだから、こういいう演芸ホールには足しげく通ったりしたんじゃない?」


「いや、こういう広い演芸場では初めてだよ。うちの場合は、劇団が家に来て隠密公演してくれてたから。この市民芸術ホールより、もうちょっと大きいくらいの敷地内ホールで」


「とんでもないVIP扱いね。さすがは九条家……」


 っと、凛奈が引いている……。

 凛奈には正体が割れてるから、つい過去の話をポロッと出しちまった。


 うちの家の話は、色々と規格外だったりするので、幼少期の思い出話を話すとホラ話だと思われるんだよな。初めて外の世界に出た中学生の時には苦労した。


 まぁ、当時はギャグだと思って周りもスルーしてくれてたから良かったけど。


「演劇には足しげく通ったから、凛奈は玲との即興劇にもシェイクスピアのセリフで返せたんだな」


 生徒会の面々で、うちの高校の舞台ステージを見学している時に玲と凛奈が即興で演じたのが思い出される。


「あれがシェイクスピアからのセリフだって分かるって所は、才斗もお坊ちゃんよね」

「お坊ちゃんなら、直後に鼻血を出したりしないがな」


 フフッと2人で顔を見合わせて笑う。

 ひとしきり笑った後に、凛奈がこちらを見ながら口を開く。


「私ね。ロミオとジュリエットって嫌いだったんだ」

「あ~、俺も嫌い」


 敵対する名家に生まれた若い男女が、家の都合に振り回されて、最後は非業の死を遂げるというロミオとジュリエットは、九条家という笑えないレベルの名家に生まれた自分にとっては、気分のいい物じゃない。


 きっと凛奈も、同じく令嬢という現実の窮屈な立場を重ね合わせていたのだろう。


「でもジュリエットの、令嬢だけどロミオに誘って欲しい感丸出しな返しは、可愛くて好き」

「ジュリエットって意外と肉食系女子だよな」


「あと、子供の頃にはロレンス神父が嫌いだった。悲劇の元凶あいつだし」

「アドバイスが悉く裏目に出る人だからな。仮死状態になる薬を渡すとか、他人に思い切ったギャンブルさせすぎだよな」


 他愛もない話で、開演までの手持無沙汰な時間を潰す。

 内容は作品批評にも満たないただの文句だ。


「「フフッ」」


 そして2人で同時に笑い合う。


「こうやって、家の事で拗らせてる2人でロミオとジュリエットを観るって、あらためておかしな話だな」

「そうね。そういえば、お母さんが言ってた。演劇は、何を観たかじゃない。誰と一緒に観たかが大事なんだって。凄い演技や舞台演出の感想で盛り上がってもいいし、下手糞な大根役者への悪口でもいいしって」


 いい趣味したお母さんだな。


「だからね。大事な人と、こうして隣に座って一緒の劇を観れるのが嬉しい。だから、今日はこんなに気合い入れて着飾っちゃった」


「ん……そうか」


 ハニカミながらも真っすぐに嬉しさを表してくる凛奈に対し、俺の方は気の利いた引用セリフも浮かびはしない。


 俺の咄嗟の語彙力は、電車での『まぁまぁまぁ』で実証済みだからな。


 だから、ここは行動でしか伝えられない。


「え……手……」

「劇の間だけな」


 なんで自分でもそうしたのか分からないけど、ひじ掛けに置かれた凛奈の手をそっと握る。


 第一幕の開始のために観客席の照明が落ちたタイミングだったので、こっちの顔が朱くなっていることは見られていないと思う。


 多分。

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― 新着の感想 ―
ハイソだと、観劇の衣装もこだわらないといけないのかなあ。そや、そういうエッセイを前に読んだのだけれど。バイロイト行くならともかく、市民劇場ではやっぱり浮いちゃうよね。 ロミオとジュリエットと心中物の…
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