第二節 ボクは魔術師さ。-④
次の日。宮本さんは学校に来なかった。家にも帰っておらず家族が捜索願を出したけど、足取りは掴めていないようだ。この日は早見さんも休みだった。親友を同時にふたりも失ったことへのショックと早見さんの親友がふたり立て続けに行方不明になっている。警察は一連の失踪事件を同一犯の犯罪であると断定した。そして、次に狙われるのは早見さんである可能性があると示唆し、早見さんに自宅待機を命じた。早見さんの家の周りには警察が待機しているという。
この日は全校生徒を集めて一連の事件についての説明があった。生徒をこれ以上危険に晒すわけに行かない。犯人が見つかるまで不用意な外出は控え、人通りの少ない道を避け、なるべく複数人で郊外は行動するように言われた。
ボッチの僕には複数人で動くことは難しい話だ。
クラスメイトのふたりが行方不明になって早見さんが次の標的になるのではないかということでクラス中に恐怖の渦が広がる。早見さんではなく次は自分ではないのか?犯人は女子どころか男子も狙っているので、男子たちも人事ではないと満更でもないと危機感を抱いていた。
スマホでネットニュースを見ると、この失踪事件はそれなりに大きく取り上げられている。『十代の若者が相次いで失踪。家出ではなく、誘拐の可能性大』と。捜査は難航していることも書かれていた。行方不明になっているのは先生に教えてもらった六人と僕の高校近くの病院に勤務している二十歳の女性看護師の計七人となっている。
犯人の狙いはなんなのか?女子が誘拐されるのならわかる。女の子を誘拐する目的といったら女の子の体目的だ。そうなれば、犯人は男だって予想がつく。でも、今回は男子も失踪している。男子を誘拐する理由は何だ?身代金が目的?もし、そうなら何で犯人は自分が誘拐したから金をよこせって言ってこない?
警察が苦労している理由がわかる。狙いがまったくわからないからだ。
「やっぱり、みんな殺されたのかな?」
それは僕の席の近くでしゃべっている女子生徒の会話だ。その中に安村さんがいる。
「男女関係なくいなくなってるから犯人の目的は単に殺したいっていう欲求かもしれないわね」
「そんな怖いこと言わないでよ、安村さん」
「でも、実際そうとしか考えられないじゃない」
「足取りがつかめてないってことはもうどこにも移動してないってことだもんね」
「そうね。どこで死体になって誰にも見えないところに隠されてるとか」
「犯人の目的が殺しならなんで三年生の男子まで狙ったのかな?」
「確かにほぼ大人といっしょだよ」
「これは聞いた話だけど、いなくなった三年生のふたりは付き合っていたらしいわ」
「ってことは彼氏さんは襲われてる彼女を助けようとして…」
「返り討ちにあったのかもね」
「なんか…かっこ悪い」
「そんなこと言わないの」
「次は誰が狙われるのかな?」
「…ひとりで行動している人が狙われるんじゃない?」
なんか視線を感じた。
「そうとは限らないわよ。あの宮本さんがいなくなったんだし」
「そうだよね。宮本さんっていい子だったから」
「周りは友達がいたもんね」
「でも、失踪直前はその友達とケンカをしたらしいわね」
「そういえば、ケンカしなければって早見さんが泣き崩れたね」
「早見さんとケンカしてなければ…」
「宮本さんは今日も元気にここにいたかもしれない。そうよね、佐藤くん」
僕は振り返る。
「宮本さんがいなくなったのは早見さんの言うとおり佐藤のせいかもね」
「ちょっと、安村さん」
「やめておいたほうがいいよ」
僕が立ち上がるとびっくりしたのか安村さん以外の女子は安村さんの背後に隠れるように逃げるけど、安村さんは逃げなかった。
「確かに僕のせいで宮本さんと早見さんはケンカした。それで宮本さんが孤立して誘拐されてしまったのなら落ち度は僕にある」
「認めるのね」
「そうだよ。僕が全部悪いんだ。だから、早見さんは何も悪くない」
その発言が気に入らなかったのか食って掛かってくる。
「何?自分を悪者にして早見さんをかばってるの?気持ち悪いんだけど」
辞めときなって後ろの女子たちが止めるが安村さんは止まらない。
「前から思ってたんだけど、佐藤は何のうのうと普通の高校生やってるのよ?あんたがやったことは犯罪よ。なんでお咎めなしだったのか私は知らないけど、犯罪者が普通の生活を送れていること事態が異常なのよ。今起きてる異常事態よりもあんたが普通にクラスにいるってこと自体が私にとっては異常事態なのよ。なんであんたじゃなくて宮本さんや山岸さんが先にいなくなるのよ?あんたもさっさといなくなっちゃえばいいのよ」
安村さんそれはさすがに不味いって後ろに隠れる女子たちが本気で言っている。いくら相手がクラスの嫌われ者でも犯人に捕まっちゃえばいいなんて言うもんじゃないって。
「上等だよ」
安村さんが吹っかけてきたケンカを僕は買った。
「僕はこれから誰がなんと言うとひとりで行動してやろうじゃないか。そして、犯人が僕を襲うようなことがあったら―――」
僕は拳を構える。
「返り討ちにしてやる」
その自信はどこにもない。相手が素手で宮本さんたちを襲ったとは限らない。それでも僕は丸腰のようで丸腰じゃない。ボクシングは強くなりたいと思って始めたものだ。ここでこの強さを使わないでいつ使う。
「バカじゃないの?本気で言ってるの?」
「本気だよ。だから、これは賭けだ。僕が犯人を見つけて宮本さんをここに連れ戻して見せる」
無理に決まっていると誰しも思っている。
駄菓子屋のおばあちゃんが言っていた僕のやるべきこと。
宮本さんが夢に向かって突き進んでいたように、僕にも今やるべき、存在理由ができた。
本気で言っていることに少し戸惑いながらも。
「無理に決まってるわよ!」
と言い捨てて僕の元から逃げるように離れて行った。
誰だって無理だって思う。でも、僕は成し遂げてみせる気だ。この気持ちに嘘はつかない。
その日の授業はまったく頭に入らなかった。犯人は宮本さんの周りを中心に狙っているのなら次に狙われるのは早見さんだ。その早見さんは自宅待機中で警察に護衛もされているから狙うのは現実的じゃない。そうなれば、犯人は別の人物を標的に選ぶはず。宮本さんに近しい人物となると現在、早見さんの次に名前が上がるとしたら僕だ。
その僕がひとりっきりになれば犯人は黙っていても僕を襲ってくる。不意を突かれないように常に気は張っておく必要がある。どんな些細な変化も見逃すな。最初の不意打ちさえしのげば僕にも勝機がある。相手がナイフを持っていたのならナイフの攻撃を見切って顔面に拳をお見舞いしてやればいい。銃を持っていたのなら銃が使えない間合いに一気に詰めて顔面に拳をお見舞いしてやればいい。他にも警防とかスタンガンとか模造刀とかいろいろな武器を持っていたときのシミュレーションを頭の中で繰り返した。
そして、放課後になった。
先生たちに止められる前に僕は逃げるように教室から抜ける。
ひとりで帰るためだ。絶対に成し遂げてみせる。恐怖は覚悟で打ち消した。
「ひとりで急いでどうしたの?」
と下駄箱でそそくさと帰ろうとする僕を呼び止める人物が現れた。
無視しようと思ったけど、僕の進路を妨害するようにその人は立っていた。顔を上げて誰か確認しようとするとそこにいたのは健康的に日に焼けた肌に黒髪のポニーテールのアスリート美女、新海舞先輩だった。僕と普通に会話してくれる数少ない人物だった。
「こ、こないだはどうも」
「うん。どうも」
舞さんは笑顔を浮かべて僕の前に立ちふさがった。
「あの、失礼ですけど、邪魔です」
「ひとりで帰るのは危ないよ。校長先生が複数人で帰るようにって言われてたじゃないか」
「…友達がいないです」
「そんな悲しいこと言わないの!」
まぁ、今は意図的にしているけど、事実だし。
「というか舞さんこそ、こんなところで何してるんですか?授業終わったばかりですよね?」
終わった瞬間、ダッシュしてきたのに僕より先に下駄箱にいるなんておかしくない?
「私?六時間目が体育で着替えていたら帰りのHRに間に合わなくなってここにいるんだよ」
「へ、へぇ~」
僕は後ろを気にする。先生たちが来る前に学校の敷地を出たいのにな。
「何か急ぎの用事でもあるの?」
「ま、まぁ」
急ぎといったら急ぎだな。
「だったら、少し付き合ってくれないかい?」
「え?でも、僕は」
「ちょっとだけだから」
一瞬目が泳いだ。
「佐藤くん」
何か違和感を覚えた。
「すぐに済むからさ」
と言われたので。
「ちょっとだけですよ」
「ありがとう。こっちだよ」
笑顔になるとさらに美女感に拍車がかかる。
舞さんに連れられて来たのは人気の少ない体育館裏の倉庫。
「あ、あの、ま、舞さん?」
僕はちょっぴり期待してしまった。
覚えた違和感って言うのはもしかして…こ、告白!?
いやいや、待てって!落ち着け!佐藤誠!
相手は学校の人気者の新海舞さんだぞ。接点といえば職員室前でノートをぶちまけちゃったときに助けてもらったことくらいだよ。しかも、あの新海舞先輩だよ。男子にも人気だ。確たる情報はないけど、絶対に彼氏とかいるでしょ!そんな舞さんが僕のことが好きで告白したくて嘘をついて僕を下駄箱で待ち伏せして人気のないところに連れてきた。誰にも見られたくないから。しかも、相手は傷害事件を過去に起こした僕だ。絶対に反対されるって思ったんだ。だから、帰りのHRまでサボって僕を待っていた。
え?マジなの?これはマジなの?
「混乱してるね」
舞さんが僕の目の前まで近寄っていた。
「わぁ!」
思わずしりもちをついてしまった。
「驚き過ぎだよ。もう」
少し顔が赤くなっていた。
これはマジだ。夢じゃない。
いやいや、浮かれてる場合じゃないって!僕には宮本さんを探し出すって言う使命が…。
舞さんがしりもちをついた僕に乗っかってきて首に腕を回してきた。
「ままままま、舞さん」
近い!顔が近いって!
「目を閉じて…その、私も恥ずかしいんだよ」
え?マジなの?これはマジなの?って同じことを二度思ってしまった。
「わ、わかりました」
僕は目を閉じると。
唇に生暖かく柔らかい感触がやって来た。ゆっくり目を開けると舞さんが僕とキスをしていた。
興奮して失神しそうになった。
「ぷはっ」
ゆっくり離れる舞さんは世界で一番かわいく見えた。
「あ、あの、舞さん」
「おいしい」
「へ?」
「いい味がしたわ。佐藤くん」
「あ、あの」
「何?」
興奮して爆発しそうな頭を何とか回して気になったことを言う。
「なんで僕のことを誠って呼ばないんですか?」
舞さんの火照っていたように赤らめた顔の色がどんどん元の色へ戻っていく。
「何?」
「だって、言っていたじゃないですか。舞さんは自分のことを舞って呼べって。それで僕のことを誠くんって呼んでくれました。すごいうれしかったんですけど、今はなんで僕のことを誠じゃなくて佐藤って呼ぶんですか?」
僕に乗っかっていた舞さんは無言で離れる。
「ああ、めんどくさい。そんな親密な関係になっていたなんて知らなかったわ」
急に僕への態度と視線が変わった。何か妙だ。空気が変だ。
僕の中でスイッチが警戒に切り替わろうとした瞬間だった。
目にも止まらない速さで舞さんの腕が僕の首を握って体を持ち上げた。
「が!な、んで!」
「なんで?別に知らなくてもいいわ」
足はついていない!完全に持ち上げられている!舞さんはすらっとした細身の体系をしている。男の僕を片手で持ち上げるような力があるはずがない。しかも、この僕の首を絞める力は女の子のものじゃない!
必死に握る手を引き剥がすと引っ掻くけど、微動だにしない。
「無駄よ。せっかくいい味がしたのに残念だったわ。でも、これで傾向は大体わかった。ありがとう。誠くん」
笑顔を見せると首を握る力がさらに強くなった。
「ぎ…が…」
まさか、一連の失踪事件の犯人は舞さんなのか?
この間みたいに僕に近づいて警戒を緩めてこういう人気のないところに誘ってそうやって襲っていたのか?宮本さんも…。
不意に浮かんだ光景は僕の想像だ。学校へ向かう宮本さんは電車の中で新海さんに話しかけられた。少しだけ手伝って欲しいって行って宮本さんを人気のないところに誘導した。そして、まったく警戒していない宮本さんを今の僕みたいに首を握りしめて持ち上げて絞め殺した。きっと、怖かったはずだ。こうやって首を絞められると死へと近づいているのがわかってしまう。嫌だ。もっと、生きたい。こんなところで死にたくない。私は幼稚園の先生になって子供たちをいっぱい笑顔にしたい。笑顔にするためには子供たちと仲良くなるだけじゃダメなんだ。いろんなことを学ぶために大学に行かなきゃいけないんだ。まだ、やりたいことがたくさんあるのに。やだやだ。死にたくない。助けて…。誰か…助けてよ…佐藤くん…誠くん。
その瞬間、僕はカッと目を見開いて思いっきり暴れた。
「な、何よ!」
首を絞められて大人しくなっていっていったのに急に暴れ出した僕を見て戸惑う新海先輩。
「ふざけるな!宮本さんには夢があるんだ!僕みたいなクズを殺しても別に構わないけど!何で宮本さんなんだ!彼女には夢があったのに!なんでその邪魔をしたんだ!」
「うるさいわね。大人しくしなさい!」
「許さない!絶対に許さないぞ!新海ぃぃぃぃ!」
「黙りなさい!」
締める強さがさらに強くなって首の骨が悲鳴を上げ出した。呼吸が出来ないのに思いっきり叫んで暴れたせいで酸欠で意識が朦朧とし出した瞬間だった。突然、新海先輩と僕は何かとてつもない圧に襲われて吹き飛ばされる。
「な!」
突然のことで新海先輩は僕から手を離してしまった。それを見逃さなかったかのように何かが僕を掴んだように僕は空中でぴたっと止まった。吹き飛ばされた新海先輩は倉庫の重い鉄の扉に思い切りぶつかる。
「何よ!」
分厚い鉄の倉庫の扉がへこんでいる。すさまじい衝撃だったのを物語っているのに新海先輩はぴんぴんしていた。すぐに立ち上がる。空中でぴたっと止まった僕はそのままゆっくりと地面に下ろされた。
ごほごほとせき込んで不足していた酸素を必死に取り込む。
すると僕と新海先輩の間に割って入るようにひとりの女子生徒が現れた。僕と新海先輩と同じ学校の制服。黒髪におさげに低めの身長。
「え?」
「やっと見つけたよ。ボクがどれだけ苦労して探したか。左翼の魔術師」
「私を吹き飛ばしたり、佐藤くんを助けたり、その力は紛れもない魔術!そして、私のことを左翼の魔術師と呼ぶということは…」
聞きなれた柔らかくて明るいその少女の声は―――。
「右翼の魔術師か!」
「み、宮本さん?」
違う回答が僕と新海先輩の間で交差した。
「ん?」
僕の声に振り返ってくれた。間違いなかった。
「宮本さん!」
思わず抱きついてしまった。
「ちょ、ちょっと!君!」
「良かった。生きてる。生きてた。よかった、よかった」
新海先輩に突然襲われたことなんてどうでもよくなってしまった。宮本さんが生きて目の前に現れてくれただけで僕はうれしくてたまらなかった。
「感動の再会だったんだね。悪いね。迷惑をかけちゃったみたいだけど、謝るのは後だ」
突然、新海先輩が人間離れしたスピードで詰めてきて拳で僕らを殴りにかかってきた。しかし、宮本さんが手のひらを広げて新海先輩に向けると新海先輩の拳が僕らの直前で止まった。プルプルと力をずっと込めているのがわかる。まるで何か見えない壁に阻まれているようにこれ以上先に拳が伸びない。
「え?え?何?何!」
「説明している暇はないよ。ボクにしっかり掴まってて」
広げていた手をなぎ払うと新海先輩が再び飛ばされて今度は派手な音と砂埃を立てて倉庫を壊して中に飛ばされた。
「ちょっと!何が起きてるの!宮本さん!」
「ん?ボクのこと?」
何を言っているんだよ!宮本さん!
「まったく厄介なことになったわね」
吹き飛ばされた新海先輩が出てきた。あれだけ飛ばされてもまったく怪我を負っている様子は見せない。どうなってるんだよ!
「まさか、右翼の魔術師がこんなところまで追跡してくるなんてね。引力魔術かしら?なかなか強力ね。いい器を見つけたわね。宮本さんって言ったかしら?そこの佐藤くんといい。君らのクラスはいい器が揃っているみたいだね」
右翼の魔術師?引力魔術?器?もう何を言っているのかわからない。もう、中二病とか設定とか考えてる次元じゃない。目の前で起きていることは現実で事実で本物だ。
「君たちの計画は議会で承認されていないよ。勝手な行動は慎んだほうがいい」
「勝手な行動?違うわよ。私たちはちゃんと指示されて動いているのよ。私たちが生き延びるためにね」
新海先輩は足元に転がっていた壊れた鉄の扉を片手で軽々と持ち上げた。
「は、はぁ?」
片手で持ち上げられるようなものじゃないってことくらい見ればわかる。
「じゃあ、邪魔しないでくれる?」
笑顔でお願いしてくる新海先輩。
「無理な話だよ」
表情を変えずに否定する宮本さん。
「なら…ここで消す!」
持ち上げた鉄の扉を軽々とボールみたいに僕らに投げつけてくる。
「ちょ!ちょっと!」
「このくらい大丈夫さ」
と冷静にさっき新海先輩の拳を防いだときのように手のひらを広げると鉄の扉が空中で止まった。
「ここからさらに追撃!」
新海先輩はもう一枚鉄の扉を投げた。宮本さんは開いた手でも飛んできた二枚目の鉄の扉も空中で止めた。まるで見えない何かで掴んでいるみたいだ。
「手はふたつ!この攻撃は止められないでしょ!」
今度は新海先輩自身がすさまじい勢いで飛び込んできた。地面を蹴ると地面がえぐれる。そのスピードは人が追えるスピードじゃない。空中で止まっている鉄の扉の上を飛び越えて拳を構えて殴りかかってくる。それを空中で止まっていた鉄の扉に意志があるように動いて盾になってくれた。殴られた鉄の扉はへこんだ。
「嘘でしょ!」
女の子がやるような芸当じゃない!
鉄の扉が宙を勝手に動いていることよりも新海先輩の謎の怪力にびびる。
「ちっ!」
舌打ちする新海先輩は殴った鉄の扉の上に一旦乗ってそこを足場にして飛び退くとそこにサンドイッチするかのように残りの鉄の扉が飛んできた。火花を散らして激しくぶつかる鉄の扉。そのまま僕らの数メートル横に轟音と砂埃を立てて突き刺さるように落下する。
「あまり本気を出したくないな」
「本気?じゃないと死ぬのはあんたたちよ」
「それは新海舞さんの体であって君のじゃない。ボクが心配しているのは君じゃなくて新海さんのほうだよ」
「そんなこと気にかけてたら勝てる勝負も勝てないわよ」
にらみ合う両者。
「おいおい!なんかこっちすごいことになってるぞ!」
「何々?爆発?事故?」
野次馬が集まってきた。
「っち」
「ここはお互いに退くのが最善だと思うよ」
「…悔しいけど、そうね。でも、そっちはそれでいいの?私たちを苦労して探していたんじゃないの?」
「大丈夫さ。どうせ君はその器に戻ってくるんだ。その器を追いかければいい話さ」
「っち。そのうち、殺す」
と捨て台詞を吐くと近くの校舎の窓を突き破って校舎の中へ逃げて行った。
「さて、ボクらも逃げるとしよう」
突然僕の体がふわっと吹き上がった。
「へ?」
するとまるでロケットエンジンでもついているかのように上空に打ちあがった。
「おわぁぁぁぁぁぁぁ!!」
遊園地のフリーフォールのように上空に持ち上げられるとそのまま重力に沿って校舎の屋上に落下していく。このフワッする感覚がそもそも嫌いなのに僕は一直線にコンクリートの床の屋上に叩きつけられる直前で何かクッションみたいなものにぶつかったみたいにふわっと落下の衝撃が吸収されるとゆっくり足が屋上の床につく。と同時に働いていた謎の力が抜けて僕はその場に腰から崩れる。起きたことの整理が追いつかないでいた。
「いやいや、危ないところだった」
同時に空から落ちてきた宮本さんも落下する直前に減速してゆっくり地面に足をつける。宮本さんは常に冷静だった。
「これでしばらく右翼の魔術師は君を襲ってこないと思うよ。向こうの狙いはしばらくボクに向くと思うよ。その間にボクが何とかするとしよう。右翼の魔術師が教えてくれたしね。君がいるクラスにいる生徒は器に適しているって。対策はとても立てやすい」
「ちょ、ちょっと待って!落ち着いて!宮本さん!」
「落ち着くのは君のほうだよ」
確かにそうだ。落ち着け!僕!
何度も深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。僕が落ち着くのを宮本さんはじっと待ってくれた。
「ありがとう」
「いいよ。君にとって起きたことが異次元過ぎて混乱しているんだろう。無理もない。魔術を知らない君らにとって衝撃的だっただろうし」
「ま、魔術って何?ていうか、君は本当に宮本さん?」
「違うよ」
即答されちゃったよ。
「ボクはちょっと宮本さんの体を借りているだけだよ」
どこかで聞いたようなセリフだ…。
「じゃあ、君は誰なんだ?」
「ボクかい?ボクはミーシャ。ミーシャ・トリニィティアだ。年はこの子と同じ十七歳さ」
「み、ミーシャ?」
「そう。ミーシャ」
「猫みたいな名前だね」
「そんな風に言われたことないな。面白いな、君は」
表情はまったく変わらないけど、素顔は宮本さんそのものだ。でも、雰囲気が独特だ。普段の宮本さんと違うから違和感が半端ない。
「君は佐藤くんって言うのかい?」
「は、はい。そうです」
「そうか、佐藤くん。君は彼女たちが何者か知っているかい?」
「知らないよ」
即答してやった。
「だろうね。でも、その前に少し気になったことがあったからそれを先に訊いてもいいかい?」
ミーシャと名乗る宮本さんは屋上からさっきまで暴れていた地上の様子を窺ってから訊く。
「訊きたいこと?」
「そう。君はなんでボクをすんなり受け入れているんだい?普通なら何を言っているんだ!宮本さん!ってなるだろ?でも、君はわりと冷静にボクがミーシャだって受け入れている。何か理由でもあるのかなって思ったわけだ」
「…前に似たような人に会ったことがあるから」
「似たような人?」
「そう、自分のことを魔術師だって名乗ってた」
「わぁお」
と声のトーンを変えずに驚いた。
「驚いたよ。君の前にボクらとは別の魔術師に出会っていたんだね。名前は訊いているかい?」
無言で頷く。
「ジープって名乗ってた」
「わぁお」
再び表情を変えず同じトーンで驚いた。
「これはまたまたすごい大物がこっちに来ているんだね」
「大物?」
「ジープはボクら右翼の魔術師の司令官だよ」
「し、司令官?」
「そう。ボクもジープの命令でこちらの世界にやって来たんだ」
「め、命令?」
「そう命令。君はジープ司令官からどれだけ話を聞いているんだい?」
聞いたことなんて…。
じっと考えるが…。
「ごめん、全然覚えてない」
なぜなら、あの会話は小学生の女の子が作った設定上の話程度にしか聞いていなかったので、内容までは全然聞いていない。つか、聞く気がなかったので、覚えていない。
「そうかい。ボクは人の記憶を操作する魔術を使えないからここで君の記憶を消してすべてをなかったことには出来ないな。まぁ、聞いておくだけで損はないと思うから一応聞いておいて欲しいな」
ミーシャはフェンスにもたれるように座り込んだ。
「ボクの世界はもうすぐ滅ぶんだ。これはどうやっても避けられないことらしい。文明と言うのはどこかで滅ぶ運命にあるんだ。かつてはどこの国家にも負けない技術と軍事力を持っていたしても結局はどこかで滅びてしまうんだ。人類史において文明と言うのは生まれては滅びの繰り返しなんだ。そして、ボクの世界ではその滅びの順番が回ってきたんだよ」
「でも、それは文明が滅ぶだけでしょ?世界が滅ぶって言うのがよくわからない」
「確かに今の説明だけを聞けば、滅ぶのは文明だけで世界は大丈夫なんじゃないかって思うだろうね。でも、違うんだ。君のいるこの世界とボクの世界では大きな違いがある。それは魔術があることだよ」
魔術なんて存在しないって!否定はもう出来ない。僕は見てしまった。あの生身の人間には出来ないような芸当を当たり前のように目の前のミーシャと新海先輩の中に入り込んでいる魔術師はやっていた。人間離れしたスピードとパワー。空中で物を止めたり、吹き飛ばしたり。普通じゃない光景を僕はこの目に焼き付けた。
「魔術って言うのは本来ボクら人間が使うことは出来ないはずなんだけど、いろいろな人の努力によって技術と言う形で発展をして誰でも使えるものになったんだよ。でも、この魔術っていう力はボクら人間が手をつけてはいけない力だった。それがなぜか君にはわかるかい」
魔術というのはマンガとかでしか聞かないワードだ。その魔術を題材にしたマンガでは何が起きているのか。
「戦いが起きてるよね。魔術関係の、そのマンガとか読んでると大体戦ってる」
「鋭いね」
不適に笑みを浮かべる宮本さんはあんな風には笑わない。
「そうだよ。戦いだよ。魔術という技術はほぼ戦争の道具として発展を遂げて行った。そして、気付けば戦いの火種は世界中に広がっていたんだよ。敵を小さい力でなるべくたくさん殺すための魔術もたくさん開発されたんだ。そのせいでボクの世界では人が住めないようになってしまった土地がたくさんある。戦争で使用した魔術の影響である地域は海の底に沈んだ。安定した住処を巡って再び戦争が起きる。ある地域は環境がガラッと変わってしまって育つはずの作物が育たない。家畜たちが謎の病原菌によって死に食料が確保できなくなってしまった。その食料を巡って三度戦争が起きる。その繰り返しさ。気付けば、ボクの世界は人間が住むことが困難な世界になってしまったんだ。これは魔術という文明社会が生み出した滅びの道のりだよ」
それは僕が住んでいるこの世界でも起こりうることだ。僕が生まれる前に大国が核開発でにらみ合っていた歴史があった。もしも、どちらかが痺れを切らして核攻撃をしていたのならこの世界は滅んでいたと誰かが言っていた。それと同じようなことがミーシャがやってきた世界では起きている。
「でも、ボクら人間は欲深い。まだ、死にたくないってみんな思った。この世界はもう無理だ。もたない。ならば、別の世界に行けばいいじゃないかって議会でひとつの案として上がった。ボクらは魔術師だ。別の次元に時空間移動をする魔術を開発するのにそれほど時間は掛からなかった。そして、先鋒部隊が時空間移動魔術を使ってやって来た世界がここだ」
と両手を広げる。
「少し難しい話になるけど、ボクの世界とこの世界は時間軸が違う世界らしいんだ。詳しいことはボクも専門外だからわからないけど、要約するとボクの世界では魔術という技術が誕生した世界でこの世界は魔術という技術が誕生しなかった。元を辿れば同じ世界だったらしいんだ。だから、魔術を使うための魔力も存在したからボクらはこの世界でも自由に魔術が使えたんだ。これはいい場所を見つけた。この世界に移住すれば、ボクらは生き長らえる。しかし、問題が発生したんだ。時空間移動魔術でこの世界にやってきてもいられるのは半日が限界だったんだ。時間がたてば元の世界に引きずり戻される。次元が違う空間に別の次元の物体が長い時間留まることは理論上不可能らしい。そこでボクら魔術師は次の手を考えた。そして、考え付いた案が時空間転生魔術だ」
「転生魔術?」
「つまり、この次元に存在するもの中に乗り移ればいいという考えだ。この魔術を使えば、自由に魔術世界に移動も可能なんだけど、問題もあるんだ」
「問題?」
「そう、新海さんの中に転生していた魔術師は君に何か言っていなかったかい?」
何かって…。
「そういえば、いい味がしたとか?傾向がなんとかって言ってた気がする」
「あの魔術師は君の魔力の量を調査していたんだよ」
「え?どうやって?」
「それは魔術師によってやり方が違うからボクは知らないよ。君はボクが現れる前に新海さんと何をしていたんだい?」
何って…。不意にキスをするシーンが浮かぶ。頭に血が上る。
「何をされたんだい?」
同じ質問が飛んでくる。
「…体を触られた」
と咄嗟に嘘をついた。別につく必要はないんだけど、キスされたこと自体は悪いと思わない自分がいるからだ。
ミーシャは少し疑問に思ったのか首をかしげたけど、それ以上何も聞いてこない。
「で、でも、なんで魔術師は僕の魔力の量を調査する必要があるのかな?」
無理矢理話題を逸らす。
「魔術を使うためさ。魔術の中には自然界に存在する魔力を利用するものもあるけど、基本的には魔術に使用する魔力はボクら魔術師が持っている魔力を使うことがほとんどだ。ボクらは魔術に依存した生活を送っている。魔術がない生活なんてあり得ないんだ。そのためには魔術を使えるだけの魔力を持った人間に転生しないといけない」
「だから、僕の魔力の量を調査していたんだ」
キスする以外に方法はなかったのだろうか…。
「この体は宮本さんと言ったかな?」
「うん」
「彼女もなかなかの魔力を宿しているよ。おかげでボクも全力で魔術を使うことが出来た。おそらくだけど、君の中にもかなりの魔力があるとボクは踏んでいるんだ」
「え?なんで?」
「理由はわからない。でも、彼女らはどういう人物が魔力を多く宿しているか大体つかめていると思うんだ」
「それはなんで?」
「彼女らがこの世界で魔力の調査を始めたのは二週間ほど前だ。この間に何人か調査をして君にたどり着いた。傾向がなんとかって話を君にしていたんだろ?」
確かそんなことを言っていた。
「つまり、ほぼ傾向は掴んでいるってことだよ。宮本さんや君は魔力を多く持っている。そして、新海さんもかなりの魔力を保有している。つまり、魔術師が転生するのに適した人間がこの学校には多くいる。もし、それが左翼の魔術師たちが知れば、魔術師たちは随時転生を開始するだろうね」
「そうなったらどうなるの?」
「君がつい昨日まで話していた友人が別人になってしまうんだ。転生したとき、元の人格が消えるわけじゃなくてその人間の中で眠っているんだ。ボクら魔術師が出て行かない限りずっと眠ったままだ」
同じようなことをジープからも聞いた。
「眠ったままでも体は歳をとるし、時間も当たり前のように進む。その間、眠ったままの元の人間は時間がたっていることを認識できない。ある日、目覚めると突然おばあちゃんになっているなんてこともあり得る」
「そ、それって?」
「恐ろしいと思わないかい?」
ミーシャは表情を変えずずっと遠くを見つめる。
「気がついたら老人になっている。年を重ねると時間の進みが早く感じるって言うけど、それとは話が違う。今、十七歳の君が気を失って気がついたら八十歳のおじいちゃんになっていることもある。転生魔術は自由にその体から出入りが可能だ。自分に都合の悪い年齢になったらまた別の体に転生する。それを繰り返せば永遠に生きることが出来る」
「な、何それ?」
「他人の人生を勝手に奪って、その人生が終わりそうになったら返す。酷いと思うだろ?」
不意に僕の脳裏に浮かんだのは宮本さんの夢の話だ。自分の私利私欲のために他人の人生を奪う魔術師に急に怒りが湧き出した。
「宮本さんは子供が大好きだ。その子供と関わる仕事がしたいって。でも、それをするのにただ子供が好きなだけじゃダメだって。大学に行っていろんなことを学んで大好きな子供がのびのびと楽しく過ごせるようなことを出来る大人になりたいって!ただ生きているだけの僕とは宮本さんは違うんだ!そんな宮本さんを人生を!ミーシャ!お前は!」
「ちょっと待つんだ」
突然何かに押さえつけられるような感覚に襲われて体を動かすことが出来なくなった。
「落ち着くんだ。ボクは用事が終わればこの体は宮本さんに返すつもりだよ」
「その保障はどこにあるんだよ?」
「そうだね。口約束になっちゃうね。ボクがこの世界に来た目的は左翼の魔術師を元の世界に強制転生させることなんだ。それさえ終われば、ボクがこの世界に存在する理由はなくなる」
「なんで?ミーシャだって生きたいと思わないのか!」
そう思えば、自然とやることははっきりする。
「生きたいとは思う。でも、他人の人生を奪ってまで生きたいとはボクは思わないよ。ボクら魔術師は滅ぶ運命だ。その運命を背負う必要はこの世界の人たちにはないよ。それに宮本さんにはきっと叶えたい夢がたくさんあるはずだ。ボクは彼女に夢をかなえて普通の女の子みたいに恋をして人生を謳歌して欲しい。まだまだ、長い人生だ。ボクにはもったいない」
その言葉はどこか悲しさを感じた。ミーシャがやって来た世界の状態がどれほど酷いのか僕にはわからない。でも、なぜか彼女が嘘を言っているようには思えなかった。思えば、ジープが言っていたこととミーシャが言っていることはほぼ同じことだ。つまり、ジープが言っていた危機って言うのはこのことだ。僕らの体を奪う計画が進行しているんだ。ミーシャはそれを阻止しにここに来た。味方かどうかは僕を助けてくれたってことが証明している。
「ミーシャはいつまで宮本さんの体を使う気なの?」
「左翼の魔術師を全員元の世界に戻すまでだよ」
「そのためにはどうすればいい?」
「ボクが例えば新海さんに触れる必要がある」
立ち上がった宮本さんは僕に近寄ってきて肩に触れる。
「こんな風にね」
「触れるとどうなるの?触れた瞬間、新海先輩の体に何か…」
「何も起きないさ。起きるのは中にいる魔術師のほうさ」
肩に触れた手をゆっくりと離す。
「ボクは発動中の魔術を解除する魔術が使える」
そんな魔術も存在するんだ。
「ボクが宮本さんの中に入っていられるのは時空間転生魔術のおかげなんだ。その魔術を解除することで中に入っていた魔術師は元の世界へ強制的に戻すことが出来る。時空間転生魔術で一度転生した人間は自由に出入りができるけど、それも解除できる」
つまり、ミーシャがその魔術を新海先輩に触れて発動できればその計画を完全に阻止することが出来るってことか。
「じゃあ、なんでさっき使わなかったの?」
「魔術は君が思っているほど万能じゃないんだ。魔術を解除する魔術は他の魔術と併用が出来ない。素早く動く新海さんを魔術で止めたとしても時空間転生魔術を解くために新海さんを止めた魔術を一度解く必要がある」
そうすると素早い新海先輩の拘束が解かれてしまう。
「え?どうやって使うの?」
「新海さんが動けないように拘束するか、気絶させるか、一番楽なのは―――」
ミーシャは下を向いてそれ以上言葉が出てこなくなって僕はずっこける。
「なんで急に黙っちゃった?一番楽な方法って何?」
ゆっくり顔を上げて僕のほうを真っ直ぐ見る。覚悟はいいか?って言われてる気がした。
僕は息を飲んだ。
「一番楽な方法は新海さんを殺す方法だ」
「そ!それは!」
「もちろん、それは最終手段だ」
「待て待て!」
僕は思わずミーシャの両肩に掴みかかってしまった。
「関係の無い新海先輩を傷つけるって言うのか!彼女は何も悪くない。巻き込まれてる被害者なんだぞ!」
僕の怒号が響き渡る。
舞さんはいい人だ。僕にへばりついた暴力的で危険だっていうイメージをどうにしかするための助言をしてくれた。そのためなら自分にどれだけ冷たい視線が送られようと気にしなかった。そんな人を傷つけるなんて!殺すなんてもってのほかだ!
「まぁまぁ、落ち着くんだ」
宮本さんの両肩を掴む手を包むように握る。
「僕もその手段は取りたくない。さっき、宮本さんに人生を謳歌して欲しいって言っただろ?あれは何も宮本さんだけじゃない。新海さんもそうだし、君もだよ」
「僕はどうなってもいい」
ふたりが助かるためならこんな命を捧げてしまってもいい。本気でそう思った。
「まったく、自暴自棄になりすぎはよくないよ。自分を守れない人に他人は守れないよ。君が死ねば、君と果たした口約束はどうなるんだい?約束した相手がいなくなれば守る理由もなくなるだろ?」
「そ、それは…」
「なら、ボクと果たした口約束を破られないようにするためには君は生きることだ」
ふたりを守るためには僕自身も死なないこと。その話は筋が通る。
「…わかった」
握られている手を払って僕はその場に崩れるように座り込む。
「大丈夫さ」
と呟きながら僕を包むように抱きついてきた。
「なんのためにボクがここにいると思っているんだい?ボクは魔術師だ。万能じゃないけど、君の願いくらい叶える力はある。だから、君は安心してくれ」
抱きつくとミーシャの心音が聞こえる。その心音は少し速い気がした。そして、妙に汗をかいているように思えた。ゆっくり離れると覗き込むように顔を近づけてくる。それはちょっと誰かが押せばキスをしてしまいそうな距離だった。
「み、ミーシャ」
ゆっくり離れるとミーシャは下の様子を再び窺う。
「まだ、近くに魔術師がいるかもしれない。新海さんの中にいた魔術師ひとりで計画を進行しているとは思えない。あと、少なくてもひとりは魔術師がいる」
つまり、ミーシャや新海先輩の中の魔術師のように体を勝手に使っている魔術師がもうひとり。新海先輩は傾向が何とか言っていた。傾向とは僕や宮本さんのように魔力を持っている人の傾向ってことか?新海先輩は僕の魔力を調査していた。そして、宮本さんにもしっかり魔力があるらしい。それに舞さんは君らのクラスにはいい器がそろっていると。
「ねぇ、ミーシャ。ひとつ聞いてみていいかい?」
「答えられる範囲で答えよう」
ミーシャには答えられないことがあるようだが、これは答えてもらう。
「もしも、あの場でミーシャが助けに来てくれなかったら、僕はどうなってた?」
「死んでいただろうね」
即答だった。
「じゃあ、僕以外に調査対象になった人たちはどうなったと思おう?」
「殺されただろうね」
それも即答だった。
「ボクが君を助けたとき、左翼の魔術師は明らかに君を絞め殺そうとしていた。もしも、彼らに記憶を操作する魔術が使えたのならそんな力技使う必要性はない。つまり、今まで調査対象だった人たちは口封じのために殺されたと推測するのが妥当だろう」
傾向を調べる。そして、僕のクラスにはいい器がそろっている。それが意味すること。
宮本さんの友達の山岸さんはもうすでに…。山岸さんだけじゃない。この一連の行方不明事件はすべて魔術師が絡んでいる可能性が高い。
「僕はあいつらを止めないといけない。止めないともっと犠牲者がもっと増える」
「そうならないためにボクがいる」
ミーシャの体がゆっくりと浮遊し始めた。それも魔術の影響だ。
「いくら違う次元の人間とはいえ、人間を殺すことは罪さ。それを裁くためにボクはここにいるんだ。君はこの街から出たほうがいい」
「え?なんで?」
「君は魔術師たちの事を知ってしまった。彼らの標的はボクと君だ。ボクはいいけど、君に魔術師と戦う手段はない。だから、ここはことが落ち着くまで身を隠すことが先決だ」
確かに僕に魔術師同士の戦いに介入できるような力はない。
強くなりたい。そんな想いで始めたボクシングもまったく役に立たない。必死に考えた撃退策もまったく役に立たなかったし、今後も役に立たない。だからってここで逃げてしまっていいのか?
―――人生は常に戦いだよ。弱ければずっと弱いままだよ。
不意に駄菓子屋のおばあちゃんの言葉が脳裏をよぎった。
僕の目の前には宮本さんがいる。僕が探し出そうとしていた宮本さんだ。なんとしても見つけてやると強く意気込んで見つけた。でも、まだ見つかっていない。僕が探し出したかったのはミーシャではなく、宮本さんだ。ここで逃げればせっかく見つけた宮本さんの足跡を見す見す見逃すことになる。
「残念だけど、その意見は受け入れられないよ」
ミーシャは振り返る。
「…僕に何が出来る?」
「急にどうしたんだい?」
少し驚いた口調だったけど、表情は変わらない。対して僕の声が震えていることはわかっていた。
「宮本さんを少しでも早く返してもらうためだ」
震えをかみ殺しながら言葉をぶつける。
「それにミーシャはこの世界に慣れていないだろ?僕みたいな協力者が絶対に必要なはずだ」
僕の提案にミーシャはしばらく目線を外してから僕のほうに向き直る。
「確かに君の提案のほうが合理的だ。それに君は敵に顔も名前も割れているし、魔力も保有しているから狙われる可能性は高い」
「なら、僕は囮だ。その隙にミーシャが魔術師たちに触れて魔術師を元の世界に送り返してもらえればいい」
「そうだね。でも、それは君に危険が伴う」
「大丈夫だよ」
全然、大丈夫じゃない。でも、目の前の宮本さんを助けるためだ。
「それと約束してほしい」
「約束?」
「宮本さんの体を絶対に傷つけないこと」
「約束しよう」
「宮本さんだけじゃない。舞さんもだ。他に転生した人たちも同様だ」
「努力はしよう」
彼女の言葉に嘘はなさそうだ。
「では、ここに同盟を築くとしよう。証人なんて誰もいないけど、大丈夫だろう」
手を差し伸べるミーシャ。
「よろしく。佐藤くん」
「うん。よろしく、ミーシャ」
差し伸べた手をしっかりと握る。
こうしておそらく世界で始めて異世界間での同盟が結成された瞬間だった。
震える手を必死に押さえながら硬く握手を交わした。
握った手を離すとミーシャは三度下の様子を窺う。
「じゃあ、これからどうする?」
「そうだね。とにかく一旦ここを離れるとしよう。混乱に乗じて襲われたら面倒だしね」
「離れてどこに行く?」
「左翼の魔術師たちを観察でき、なおかつ不測の事態があったときに現場にすぐに駆けつけられる住居が欲しいな。それに―――」
と下の様子を見終わって振り返った瞬間、キューっとかわいい音がミーシャのお腹から聞こえた。
思わず、お腹を押さえて顔をかすかに赤くする。
「何か食べたいな」
目を合わせず冷静を保つためか声のトーンは変えずそう言った。
機械みたいにしゃべるし表情もあまり変わらないけど―――なんだ、そんな顔も出来るんだ。
「よし!」
お腹が鳴ったことは触れず立ち上がる。
「帰るよ!」
「どこにだい?」
「僕の家にさ」




