【第08話】ダンジョンホール、再び
「十六夜。もしかして、このゴブリンで最期か?」
地面に転がるゴブリンの生首を見つめながら、叢雲が日本刀を振って刃についた血糊を飛ばす。
「もしかしたら、そうかもね……。ユウト、マッピングは終わった?」
胸元を貫かれたゴブリンから槍を引き抜いた十六夜が、タブレットパソコンを操作する俺に声を掛けた。
「うん。たぶん東側は、この部屋で最後だと思う……」
「ハッハッハッ」
周辺の偵察をお願いしていた犬人が、舌を出して息をきらせながら戻ってきた。
「クゥン?」
「スンスン」
先に戻っていた二体のコボルトに近付くと、鼻を小刻みに動かして互いの臭いを嗅ぎ合っている。
見落としが無いか自分がマッピングした一階層の地図をチェックしてると、ポケットに入れたスマホが鳴りだした。
スマホを開くと、大谷先生の名前が表示されている。
「もしもし。日暮です」
他の二人に聞こえるようスピーカーモードに切り替えた。
「そっちは、どこまで進んだ?」
「ちょうど東側は、マッピングが終わったところです。ダンジョンホールに落ちた人は、さっき報告した大学生のカップル以外は見つかりませんでした」
「そうか。ご苦労だったな」
「大谷先生。迷宮主の方は、どうなりましたか?」
十六夜が近づいて来ると、俺のスマホに問い掛ける。
「プロの迷宮探索者が、五人でチームを組んで調査をしてるところだが……。俺のよく知るダンジョンとは違い、奇妙な構造をしていてな。もう少し時間が掛かりそうだ」
「見落としがあったら大変なことになりますから、慎重に全ての部屋を調べたのですが。東側を調べるだけで、二時間も掛かってしまいました。思ったより広い迷宮ですね」
初めてダンジョンホールに落ちた時は、一階層を調査するのに三十分ほどしか掛からなかった記憶がある。
その時に比べると、このダンジョンはかなり広く感じた。
「そうだな……。とりあえず、マッピングが完成したのならデータを送信してくれ。西側のマッピングが完成しだい、最新版を君達にも送ろう」
「ありがとうございます」
日本刀を鞘に納めた叢雲が、黒いマスクをずらしてスマホに顔を近づけた。
「大谷先生。東側は帰還しても良いですか? それとも、入口で待機を」
「ちょっと待ってくれ。……ああ、ちょうど西側もマッピングが終わったらしい」
大谷先生が作業をしてるのか、スマホ越しにガサガサと物音が聞こえる。
「どうやら西側のチームは、歩いて十分くらいの近い場所にいるようだ。西側のチームと合流して、一階層の南東にある入口で待機してくれ」
「了解」
ずらしていた黒いマスクを叢雲が戻す。
叢雲の顔は可愛い系というよりは、男装女子のようなカッコイイ系の顔だった。
報告が終わったので、スマホの着信が切れる。
しばらく待ってると、大谷先生が最新版のダンジョンマップを送ってくれた。
「日暮。こっちの長い通路に行けばよいのか?」
「うん。そうだね」
俺はマッピングを見ながら、西側のチームがいる方向を確認する。
十メートルは余裕である細長い通路を三人で歩く。
「もう十時か……。さすがに日付が変わるまでには、解放してもらいたいが」
「私達は学生ですからね。日を跨ぎそうなら、交代要員の探索者が来るはずなので。そちらに引き継ぎをしたら、帰してもらえるはずですよ」
二人の会話を耳に入れながら、ダンジョンマップを眺めていた。
細長い通路を抜けると、広めの部屋に辿り着く。
西チームとの合流地点になる部屋なので、この部屋で俺達は待つことになった。
「ユウト。さっきからマップを眺めてますが。気になることでもあるのですか?」
「んー。マップが広過ぎて、今日中に迷宮主が見つかるのかなーと思ってさ」
二人でお喋りをしていた十六夜が、俺のタブレットパソコンを覗き込む。
タブレットパソコンを渡すと、十六夜がダンジョンマップに目を通した。
「過去に発見されたダンジョンマップを見たことありますが……。ちょっと変わったマップですね。初めて見るタイプかも?」
「某は高校に入るまで古流武術のみを学んできたから、迷宮についてはよく分からぬ。どう変わってるのか説明してくれ」
横からタブレットパソコンを覗き込んでいた叢雲が小首を傾げる。
「そうですね……。まず私達が調査してる第一階層ですが。ダンジョンホールに落ちた人を探すために、隅々まで調査しました。最新版のマップを見たところ……四隅に階段があって、地上に繋がる階段は南東の一つ。地下へ下りる階段は三つあります」
「ふむ……。たしかに、そうだな……。それが、おかしいのか?」
「いえ。下りる階段が三つあるのは、まだ良いですが。そのうちの一つが、十階まで直通なのです」
「……楽に攻め込めて、良いのではないのか?」
「そうですね。攻め込む私達からすれば迷宮主を早く倒したいので、最短ルートは短ければ短いほど良いです。でも、私達が攻められる側だった場合を想像してください」
十六夜の説明を聞きながら、俺も最下層で待ち受ける迷宮主になったつもりで想像してみる。
「ふむ……。敵の数をなるべく減らすために十字路などの分岐点を作り、迷宮を複雑にして。部隊が少数になったところを襲撃する部屋を用意するなど、マップを知ってる優位を利用した戦いを選択するだろうな……。しかし、攻める側が罠を無視できる直通の道を、わざわざ守る側が用意するのは愚策としか言えん……」
「そうなりますよね……。プロの人達が探索してない残り二つの下り階段が、もし仮に最下層と直通だった場合ですが……。迷宮主は考えなしの馬鹿か、もしくは……」
「その人が、噂の幼馴染ですか? 十六夜さん」
俺達とは異なる声が耳に入り、そちらに目を向ける。
ハーフなのか、金髪碧眼のイケメンが爽やかな笑みを浮かべながら、俺達がいる部屋に入って来た。
ムニュッと柔らかいモノが腕に当たり、俺は隣に視線を移す。
俺の脇下を通った女性の腕を確認した後、十六夜お嬢様を見つめる。
「どうかしましたか?」
十六夜お嬢様が、笑みを浮かべて小首を傾げた。
……ん?
俺も頭の理解が追いつかず、小首を傾げ返す。
「そういえば九条君には、まだ紹介してなかったですね。一組の日暮勇斗よ」
「四組の九条麗次だ。よろしくね、日暮君」
爽やか笑顔を浮かべながら、握手を求めるように手を差し出すイケメン。
ああ、この人か……。
ダンジョンホールに落ちた人の救出中に、二人が雑談してる時に喋ってた雷剣の勇者様という男は。
高校に入学して勇者を名乗れる実力者は、全学年でも一人だけだったらしい。
つまり天才というやつだ。
おまけにイケメンと。
天は二物を与えずと聞いたのですがね。
「幼馴染がいるとは聞いてましたが……。ずいぶんと、彼とは仲が良いようですね?」
九条が苦笑をしながら、俺の隣にいる十六夜に視線を移す。
そして俺は、イケメンと握手をした状態で気付く。
もう片方の腕が、十六夜お嬢様が俺の脇下から腕を通して、恋人のように腕が組まれたままだったのを……。
……どういう状況なの?
「去年の冬休みでしたかね? ギルドの忘年会パーティーを、十六夜さんは欠席されてましたよね?」
何も見てないかのように、イケメンが会話を続ける。
「あの日は、ユウトと約束があって……」
ユウトと俺の名前が呼び捨てされたタイミングで、俺の手を握る彼の力が強くなった気がした。
「でも、ダンジョンホールに落ちてしまって……行く予定だったパーティーに出席ができなかったの。ごめんなさい」
「いえ、大丈夫ですよ。欠席した理由も知ってますので。運が悪かったとしか言いようがないですね」
「お父様から。九条くんとゆっくり話す機会を設けてたのに、出席できなくて……本当にごめんなさい」
「十六夜さんに、お怪我がなくてよかったですよ。あの時は十六夜さんの御両親も、とても慌ててましたので――」
あっ、そういえば……。
このタイミングで、とある記憶を俺は思い出す。
たしか十六夜と初めて会った時に、お見合いパーティーがキャンセルになって……どうたらこうたらとか言ってたよな?
もしかして、その相手は……このイケメンか?
でも、あの時はお見合いパーティーがキャンセルになって、十六夜は喜んでたような?
……ああ、そういうことか。
つまりはアレか。
俺とお昼ご飯を仲良く食べたり、俺に幼馴染の設定を生やしたり、お互いの名前を呼び捨てにさせたりと、いろいろ画策してたみたいだけど。
やや強引に感じた最近のアレコレは、告白を考える男子生徒や面倒なイケメン男達を弾くために、俺を盾として十六夜お嬢様が欲しがってたわけか?
平穏に暮らしたいモブ男を、これ以上の面倒ごとに巻き込んで欲しくないのが、本音だが……。
もし目の前にいるイケメン勇者と本気で対決することになったら、全力で逃げるしかないか。
凡人の俺には、勝てないだろうしね。
二人の会話を聞き流しながら、イケメンの肩越しに見えた二人の特待生を観察する。
一人は黒髪を後頭部で丸めており、団子の部分にかんざしを挿した女性だ。
十六夜達の雑談で聞いた名前は、燐童詩斗音だったかな?
燐童は俺の方をまったく見ておらず、俺の隣に立つ十六夜お嬢様の方を無言で見つめている。
古くから九条家に仕える従者の家系で、彼のメイドをしてるんだっけ?
専属のメイドがお世話してくれるなんて、どんな家庭だよ。
ショートボウを握り締めており、二組の弓士を担当してる桜美さんと似たポジションらしい。
ただし、一組の元ソフトボールをやってたミカと同じく、魔法やショートソードも扱えるらしく。
どんだけ万能メイドなんだとツッコミたい。
そして、もう一人が全身鎧を着た特待生。
胸元が女性特有の形をしており、三組の……影山さんだっけ?
下の名前は忘れた。
うちの一組の岩本は、まだ全身鎧を着て走れ回れないのに。
彼女は全身鎧を着て行動してるので、体内の魔力を操作する才能は高いのだろう。
「日暮君」
「……え? あ、はい」
イケメンに話しかけられてるのに気づき、慌てて返事をする。
「日暮君。もし君がプロを目指すのであれば、ぜひ僕に声を掛けると良い。僕の父と兄が所属する、勇者が多く在籍する優秀なギルドを紹介してあげるよ」
「……考えときます」
握手した手を離そうとしたが、イケメンが強く俺の手を握ってくる。
「それと……君に一つ、言っておくことがある」
俺の手が痛みを感じるくらいに、強く握られた。
「僕はね。大人が敷いたレールに乗るのが嫌いだ……。でも、世の中には逆らえない大人の力や組織もある。幼馴染である君が、十六夜さんのことをどれだけ本気なのか分からないけど……。プロを目指してる僕を、簡単に越えれるとは思わないことだ」
さっきまで爽やかだったイケメンの表情が、突然に豹変する。
まさかの……恋のライバル発生イベントその二、だったのか?
しかし、悲しきかな雷剣の勇者様よ。
そもそも俺は、十六夜お嬢様を巡るライバル争いに参加してません。
十六夜お嬢様と出会ってから俺の平凡だったはずの日常が、どんどんおかしな方向に加速していってない?
三者三様の思惑が、見事にかみ合ってないカオスな状況に俺は幻痛を感じて、頭を両手で抱えたくなった……。
しかし両手がふさがってるので、頭は触れないことを思い出す。
「静かにしろ」
そんなカオスな状況に、鋭い声が割り込んだ。
声を発した人物に、全員が目を向ける。
俺達の方を見ていた叢雲が、いきなり鞘から日本刀を抜く。
元々鋭い眼光が見開き、殺気を放つ叢雲が俺達の方へ歩み寄る。
殺気立った異様な雰囲気をまとう叢雲を見て、雷剣の勇者と俺が互いに握手をしていた手を離した。
俺達を無視して、両者の間を叢雲が素通りする。
両手で握り締めた日本刀を下段に構え、とある場所で足を止めた。
この広い部屋の左右には、二つの通路口がある。
俺達の東側チームと、雷剣の勇者が率いる西側チームは、別々の通路から入って来た。
そして、俺達の正面に位置する場所には、誰も通ってない三つ目の通路口がある。
通路から伸びる三つの動線が、ちょうど重なる位置に立った叢雲が、鋭く目を細めた。
「嫌な感じがする……。祖父の家で大勢の殺し屋に、家を取り囲まれた時を思い出すな……」
顔を素早く左右に何度も往復して、叢雲が三つの通路を睨み続ける。
叢雲の鋭い眼が、俺の方に向いた。
「日暮。コボルトを偵察に出せ」
「どこのルートに?」
「全部だ」
初めて聞く、叢雲の緊張したような声色に驚く。
俺は指先から伸ばした魔力の糸に繋がる三体の眷属に命令を出した。
「ウォン! ウォン!」
コボルト達が一斉に行動を起こす。
バラバラに別れると、三本の通路に駆けて行った。
「……え?」
「ユウト、どうしたの?」
数分も経たずに、眷属と繋がった魔力の糸が次々と切断された。
「全部……やられた。三ヶ所、全部だ……。コボルトを殺したナニかが、この部屋に来てるかも」
素早く地面に耳を当て、音を探るように目を閉じていた叢雲が目を開く。
「すごい数の足音だ。十や二十ではないぞ……。少し……後ろにさがるぞ」
叢雲の言葉に誰も異を唱えず、三本の通路口から離れるように、俺達は移動する。
俺のポケットに入っていたスマホが鳴り響く。
大谷先生の名前が表示され、スピーカーをオンにした。
「日暮。合流はできたか!?」
いつも冷静な大谷先生が焦ったような口調で、俺に問い掛ける。
「西側のチームとは合流しました。みんな、同じ部屋にいます」
「すぐに入口に向かい、迷宮を出るんだ! 迷宮主を探していたプロの迷宮探索者が負傷した。ここは普通のダンジョンではない、ロストダンジョンだ! すぐに逃げろ!」
ロストダンジョンとは何かを聞く前に、異変が発生する。
正面にある細長い通路の奥から、フゴフゴと荒い鼻息を漏らす、肉の塊が移動していた。
身長は中鬼と同じく、二メートルくらいだと思うが。
横幅も身長と変わらないくらいの肉の塊が、ズリズリと肉肌を石壁に擦りつけながら、通路の奥から顔を出す。
「猪鬼ですか……。厄介なモンスターが現れましたね」
十六夜の告げた名前に、俺は動揺した。
「ここ、一階層だよな?」
「そうよ、ユウト。でも、あのモンスターは十階層から出現する猪鬼よ。餌を求めて、一階層まで上がって来たのかしらね?」
マジかよ……。
たしかに階段は他の階層に繋がってるから、下層のモンスターが階段を登って来る可能性は、ゼロとはいえないが……。
二メートルの高さにある猪頭が、モゴモゴと頬を膨らませていた。
猪頭の口から、どこか見覚えのある犬足がはみ出している。
己の手で強引に押し込む動作をすると、猪鬼がゴクリと喉を鳴らす。
窮屈そうな顔で通路を抜け出した巨漢の猪頭が、フゴフゴと鼻息を荒くしながら部屋に入って来た。
「ブゴォーッ!」
――俺が両手で持ち上げるのも難しそうな――戦槌を棒切れのように片手で軽々と持ち上げ、脂肪まみれの肩にのせた。
大きな二本の牙を下顎から生やした猪頭が、まだまだ食べ足りぬとばかりに、口から垂れた涎を手の甲で乱暴に拭う。
猪鬼が通って来た通路の奥から、次々とモンスターが部屋に入って来る。
モンスターが入って来た通路は、一本だけではない。
叢雲の読み通り三本の通路、全てからモンスターが溢れ出していた。
通路の先にも行列ができてるのが、通路口からモンスターが顔を出して部屋の中を覗き込んでいる。
「大谷先生。どうやら手遅れみたいです……。脱出できる通路を全て、大量のモンスターにふさがれてしまいました」
十六夜が淡々とした口調で、スマホの先にいる大谷先生に状況を伝える。
「あと三十分で、応援として呼んだプロの探索者が到着する……。それまで、耐えれるか?」
その返答に、誰もすぐに答えれなかった。
目についたモンスターは、狼人と中鬼。
それと槍を握り締めた蜥蜴人に、魔法を使える杖持ちの杖猫人。
学校の訓練では、小鬼などの雑魚モンスターを従えるリーダー格として出現するモンスターばかりだ。
そして、雑魚モンスターの代表である小鬼や犬人が、一体も見当たらなかった。
猪鬼なんて、動画ぐらいでしかみたことがない。
「某の見える範囲で狼人など、分隊長レベルのモンスターが三十体を超えている……。我々、学生が相手をするレベルではないぞ」
黒いマスクを外して日本刀を構えた叢雲が、先生に対する敬語も忘れて状況を詳しく伝える。
「猪鬼なんて僕からすれば、どうでもいいんですよ。それよりも、大谷先生……。僕から、聞きたいことが一つあります」
「どうした、九条?」
「もしかして……ロストダンジョンの迷宮主は。二本の魔剣を所持した、ワーウルフですか?」
勇者である九条の問い掛けに、スマホ越しに大谷先生の息をのむ声が聞こえる。
部屋に入って来た大群の中心に、いかにも彼らのリーダーであるかのような振る舞いで立つモンスターがいた。
全身に血を浴びたような赤黒い体毛に覆われ、二本のロングソードを両手に握り締めた狼人。
鋭利な白い牙が見えるように口の端を吊り上げ、リーダーらしき狼人が不気味な笑みを浮かべた。
二メートルの位置にある狼口が、御馳走を見つけたように舌なめずりをする。
魔法を発動する時を思い出す青い文様が、二本の刃に浮かんでいた。
赤黒い体毛の狼人が交差するように両手の剣を振った瞬間――。
二本の風の刃が、魔剣を構えた雷剣の勇者を弾き飛ばした。




