【第07話】存在する写真と捏造された記憶
「あー。腹減った……」
緊張感のある現場から脱出して気が抜けたのか、お腹が盛大に鳴ってしまう。
お昼休みに食堂へ向かうクラスメイトとすれ違いながら、教室のドアを開いた。
……ん?
誰だ、あの子は。
なぜか当然のように俺の正面席に座り、俺の机に堂々と弁当箱を広げる十六夜お嬢様は、いつも通りとして。
その隣に座ってる女子生徒は、俺の知らない子だった。
「あら、お帰りなさい。ちょうど日暮君の話をしてたところよ。午後から二組と、合同訓練があるのは知ってると思うけど」
後頭部の髪を団子状に丸めた、可愛らしい女性。
こめかみに垂れた黒髪の先端をサクラ色に染めた女子生徒が、上目づかいで俺を見ている。
育ちが良いのか、背筋がピンとして姿勢が綺麗だ。
「こちらは二組の特待生で、桜美つみれさんよ。せっかくだし顔合わせをした方が良いかと思って、お昼ご飯に誘ったの。仲良くしてあげてね」
さようですか……。
「桜美です。担当は後衛の弓士をしてます。午後の訓練では一緒になると思いますが、よろしくお願いします」
「ども。日暮です」
相手が丁寧に頭を下げたので、俺もペコリと頭を下げる。
カバンからお昼ご飯のパンを取り出してると、じーっと見つめる桜美と目が合った。
「な、なんでしょうか?」
「十六夜さんから、日暮君が幼馴染と聞いたのですが。その……証拠の写真を持ってると聞きまして……」
「見せてあげたら? さっき、二組の男子には見せたのでしょ」
「ああ。アレか」
十六夜に言われて、俺はスマホの中にある写真を探す。
「さっき日暮君がメールをくれた時に、幼馴染の話を思い出してね。ロッカールームで話してたのだけど、桜美さんは信じてないみたいだから」
「え、いや。違いますよ。十六夜さんと日暮君が幼馴染なのは、ちょっとイメージできないなーと思っただけでして……」
慌てて桜美が否定するが、動揺の仕方が既に答えを喋ってるようなものだ。
目的の写真を見つけたので、写真を拡大してから皆に見せるべきか悩む。
「わ。本当に、十六夜さんとヒグラシがいるじゃん。それって、夏祭りの写真?」
うおっ、ビックリした。
いつの間に後ろを通ってたのか、紫宮が俺の肩越しにスマホを背後から覗き込んでいた。
「え? なになになに? 面白いやつ? うちにも見せてよー」
ギャル女子高生のアンテナが何かを嗅ぎつけたのか、俺の席にミカとアリサが駆け寄って来た。
「わー。これって十六夜の浴衣? かわうぃーじゃん」
「ブフォッ。この後ろで立ってるの日暮? ナニ食べてんのコレ? 日暮の顔より、クソデカピンクじゃん」
「たぶん、屋台で売ってる綿菓子だと思います」
好奇心が抑えられなかったのか、ギャル女子高生の間から前のめりに顔を出した桜美が、俺のスマホを覗き込む。
「……これって。たしかスミレ坂通りにある、神社のお祭りですよね?」
「あら? 桜美さん、知ってるの?」
「はい。巫女のバイトで、お手伝いに行ったことがあるので……。でも、すごいですね。二人の写真が、本当にあったんですね?」
「信じてくれましたか?」
「え? いえ、最初から信じてましたよ。もちろんです」
十六夜の問い掛けに、桜美の目がキョロキョロと左右に泳いでいて、とても分かりやすい。
まあ、その反応もしかたがないだろう。
この写真を十六夜から送られた時に、俺だって目が飛び出るくらいビックリしたからな。
ついにAI画像生成で、捏造写真まで作りやがったかと疑ったが。
お互いの記憶をすり合わせた結果、どうやら俺と十六夜は小学時代に近距離で、すれ違ったタイミングがあるらしい。
当時の俺は、祖母が亡くなった時に伯父さん夫婦が、祖父の面倒を見るという話があって。
小学校の夏休みに、祖父がいる伯父さん宅へ遊びに行ったついでに、従妹のミサカ達と夏祭りに行った記憶がある。
十六夜が家族と浴衣の写真撮影をしてたタイミングで、たまたま後ろを通った俺が映り込んだ奇跡の一枚らしい。
世間って、意外と狭いね。
「ねーねー。十六夜の横に立ってる人、意外とイケメンじゃーん。紹介してよー」
「出た出た出た。アリサの年上好き」
「……ごめんなさいね。従兄は遠いところに行って、もう会うことができないから。紹介はしてあげれないわ」
そう言いながら、どこか寂しげな顔で十六夜が窓の外を見た。
遠いところ、か……。
たしか前に、従兄は亡くなってるって会話を聞いたような気がする。
もしかして……この優し気な笑みを浮かべた青年が、その人だろうか?
ニコニコと満面の笑みを浮かべた少女の隣に、くわえ煙草をしたイケメン男性が映っている。
「それに、従兄は……婚約者がいたはずだから。恋人は募集してないはずよ」
「えー。そっか……残念」
……事情を知ってるのは、俺だけか。
気まずい空気に耐えられなかったので、昼ご飯のパンをかじる。
今日は、クリームコロネにしてみたぜ。
うむ……クリームが、ほどよく甘くて美味しい。
「そういえば、夏祭りで思い出しましたが……。小学校を卒業してから、しーちゃんって呼ばなくなりましたよね? ……ゆーくんが、大人になったからでしょうか? 距離を感じて、ちょっと寂しいですけど」
「……へ?」
箸の先で肉団子をツンツンと転がしながら、十六夜お嬢様が悲し気な表情で肩を落とした。
……ん?
ん?
おい、待て。
それは打ち合わせに無い展開だぞ。
モブ男の俺がお嬢様と毎日、お昼ご飯を一緒に仲良く食べてたら絶対に男子生徒の敵を増やすから。
写真をクラスメイトに見せて、幼馴染の設定を作るってだけの話だったよね?
「はぁー……。小学生の時は、しーちゃん、しーちゃんといっぱい呼んでくれましたのに」
いや、呼んでないッスよ。
存在しない記憶を捏造しないでくださいね。
この女コワイなーと思いながら、パンをかじろうとしたタイミングで、俺は教室に違和感を覚えた。
……気のせいだろうか?
さっきまで皆がお喋りでザワザワしていたはずの教室が、シンと静まり返っている。
「やっと、ゆーくんと一緒の学校に通えると楽しみにしてましたのに。ゆーくんの方からは私のクラスに、会いに来てくれないし……。昔のようにしーちゃんって呼んでくれたら、みんなも幼馴染だって信じてくれると思うんですけどね……チラッ」
なんだ、その謎のぶりっ子ムーブは。
幼少期に仲の良かった幼馴染との再会を楽しみに待ってたお嬢様なんて、少女漫画くらいしか存在しないだろう。
そんなわざとらしい演技に騙されるやつなんていないだろうと思って、隣にいる桜美を見たら……。
弁当を食べていた箸を止めた桜美が、何かを期待するようなワクワクした顔で俺を凝視していた。
いやいやいやいや。
ちょっ、待てよ。
なんですか、この空気は……。
ここで俺が無視を続けたら、お嬢様を悲しませる嫌な幼馴染に認定されるわけ?
そんな、理不尽な……。
十六夜が「ほら。お前のターンだぞ」と言わんばかりに、横目でチラチラと見てくる。
こ、この女は……また余計なことを……。
「し……しーちゃん」
「なんですか、ゆーくん?」
絞り出すように吐いた俺の台詞を聞いて、十六夜が満足気な笑みを浮かべた。
これは……何の罰ゲームですか?
「ちくしょうめぇええええ!」
うわっ、ビックリした。
隣にいたギャル女子高生のミカが、突然に奇声を発して机を拳で叩いた。
「しーちゃんに、ゆーくんだと? ……許せねぇ。オイラ、許せねぇよ……」
「落ち着け、ミカ。現実から目を逸らすんじゃない。これが……青春だ。私も少女漫画にしか存在しないと思ってたけど、本当にあるんだな」
ミカの肩に手を置いたアリサが、どこか達観したような遠い目をして窓の外を見ている。
いや……リアルには絶対に無いと思うよ。
だって、現在進行形で創造された設定だもん。
テーブルトークRPGを遊んでる時に、シナリオの途中でヒロインが登場したら。
みんなが悪ふざけで登場人物と絡ませようぜと、GMに許可もらって突然に設定が生えてきた時くらいしか、俺も聞いたことがないからね。
「なぜ。オイラには、幼馴染がいないのだぁ……」
「いや、ミカにはいるだろ。同じ中学のマキが」
「ちがーう。そうじゃない。そうじゃないんだ……」
とても苦しそうな表情で、頭を抱えてミカがうずくまる。
「あー、良いですねー。幼馴染……」
桜美がニマニマと笑みを浮かべながら、かみしめるような表情でボソリと呟いた。
おかずとしては最高なのか、パクパクと美味しそうにご飯を食べてる。
「ちぃーっす。ジュース買って来たよー。最近、ジャンケン負けっぱなしで……どうしたん?」
紙パックジュースを両手に抱えたギャル女子高生が教室に入って来る。
「右近マキ隊長。ミカ隊員が、青春を直撃して死に掛けております。異性の幼馴染がいなくて、小学中学とイチャイチャできなかった記憶を思い出して、泣いているであります」
アリサが敬礼をすると、二組の右近に状況を説明している。
「あー。そういうことね。しゃーないでしょ。ウチら全国を目指してるアホボケ鬼監督に捕まって、ソフトボールオンリーで中学が終わっちゃったし。これから彼ピ探せばええやん」
二本の紙パックを両手に持つと、うなだれるミカの前にマキが立つ。
「おっほん……。アナタのチュウモンしたジュースは、リンゴ味デスカー? それとも。甘酸っぱい青春のピーチ味デスカー?」
金の斧と銀の斧を選ばせる湖の妖精みたいな設定のギャル女子高生が、カタコトのうさん臭いエセ外人喋りで問い掛けている。
ミカがリンゴジュースを素早く奪い取ると、勢いよくストローを刺した。
ゴクゴクと喉を鳴らして飲むと、手の甲で乱暴に口もとを拭う。
「プハーッ。呑まねぇと、やってられねぇぜ。ちくしょー」
「ゆーくん。クリームがついてるわよ」
「……え?」
不意に俺の頬を、良い匂いがするハンカチが撫でる。
すごく上機嫌な顔の十六夜に頬を拭かれていると、もの凄い形相でミカに睨まれた。
十六夜お嬢様……わざとやってますよね?
ミカが紙パックの底を天高く掲げて、「ズゴゴゴゴッ」とすごい音を出しながらジュースを一気に飲み干した。
「ゴホッ、ゲホッ……。ぜったい、絶対……。クリスマスまでに、彼ピを作ってやるぞ……。ちくしょうめぇええええ!」
中学時代の青春をソフトボールに捧げた女の、哀しき慟哭が教室に響き渡った。
* * *
「ねぇ、ユウト。そのチョコ買って―」
「……ん? どれ?」
頭の上にのっていた迷宮妖精がコウモリ羽を広げて、フワリと降りてくる。
お菓子が並んだ商品棚を指差すと、ミリアが指定したチョコをカゴにいれた。
「最近、頭ばっかり使って。糖分が足りないのよねー。あっ、そっちのプリンも買ってー、買って―」
「はいはい……」
「しーちゃんには、買ってあげないの?」
ニヤニヤと悪い笑みを浮かべて俺を見上げた迷宮妖精を無視して、レジカウンターに向かう。
コンビニ店員にお金を払って、商品を入れたビニール袋を受け取った。
開いた自動ドアを通って外に出る。
空を見上げると月が確認できるくらいに、すっかり夜もふけていた。
コンビニ前の駐車場に目を向けると、車止めのポールに腰かけた女性が目に入る。
穂先にカバーをかぶせた槍を手に持ち、自衛隊のような迷彩服を着てスマホを操作する女子高生に声を掛けた。
「十六夜さん。買ってきたよ」
頼まれた商品をビニール袋から取り出し、彼女に渡そうとしたが……。
スマホに夢中なのだろうか?
まるで俺の声が、彼女の耳に届いてないような反応を……。
いや、これは違うな?
「し……しーちゃん?」
「あら、ゆーくん。買ってきてくれたのね。ありがとう」
「それ。まだ、やってるんだ……」
ため息混じりに肩を落として、女子高生に人気商品の唐揚げちゃんを渡した。
頭の上から「クシシシシ」と迷宮妖精が漏らした笑い声が聞こえる。
「公園に移動しましょうか。この槍、持っといてくれる?」
所持していた槍を俺に預けると、近所の公園に向かって十六夜が歩き始めた。
紙容器の中に入ってる唐揚げの一つを、十六夜が爪楊枝で刺して口に運ぶ。
唐揚げをかじった十六夜が、嬉しそうな笑みを浮かべた。
「夜に買い食いなんて。こんな行儀悪いところを、お母様に見られたら絶対に怒られそうね」
お嬢様だから、私生活は厳しかったりするのだろうか?
街灯に明かりが点いた公園に入ると、若い男女の声が耳に入る。
ベンチの周りに、ガラの悪い数人の若者が集まっていた。
足を止めた十六夜が唐揚げを黙々とかじりながら、若者たちをじっと見つめる。
目つきの悪い男達がこちらを睨むが、舌打ちをすると立ちあがった。
リーダーらしき人が煙草を地面に投げ捨て、周りの若者に声を掛ける。
「え? 移動すんの? なんで?」
不良っぽい女性が不満げな顔をする。
「いいから、行くぞ」
ヘルメットを渡された女性が、リーダーが運転するスクーターの後ろに乗った。
リーダーの後を追うように、不良っぽい若者たちのバイクが公園を立ち去る。
静かになった公園で、ポイ捨てされた煙草を十六夜が拾う。
ゴミ箱の近くにある灰皿に、拾った煙草を捨てた。
「ゆーくん。空いたわよ」
若者たちがいなくなったベンチに座った十六夜が、隣に座れと指を差す。
「やっぱり、パトロールって大事なんだな」
「たぶんだけど……。前にパトロールしてた特待生に喧嘩を売って、返り討ちにあったパターンでしょうね。リーダーっぽい人の顔に、紫色のアザがあったわ」
十六夜が自分の目元を、人差し指でツンツンと押した。
へー、なるほどね。
十六夜の観察眼に、俺は素直に感心する。
薬物中毒で暴れる巨漢の男を、警察が数人掛かりで抑えるのを苦労してたら、通りすがりのプロの迷宮探索者が一人で押さえつけるシーンを、テレビで見た記憶がある。
自衛隊や警察以外の人が、銃刀法違反で捕まるような刃物を堂々と持ち歩いて、街中をウロウロするのを反対する意見もあるらしいが。
こうやって夜の街の治安を守るのに一役買ってるのなら、俺は大賛成である。
「ゆーくんも、唐揚げ食べる?」
「……あのさ。その設定って、続けないと駄目?」
「もしかして……ゆーくんと呼ばれるのは、お嫌いですか?」
「ちょっと慣れないかも」
「異性の幼馴染がいるのは、初めての経験だったので。私は楽しんでたのですが……。そうですね……」
正直な感想を話すと、十六夜が唐揚げをかじりながら考える仕草をした。
「ゆーくんと、ユウトだと。どちらが良いですか?」
「そのニ択、限定ですか?」
「第三案に、ゆーちゃんもありますけど」
「ユウトでお願いします」
「分かったわ。ゆーくんと呼ぶのは、幼馴染のフリをする時だけにするわ」
無難な呼び方に落ち着いて、ひとまずホッとする。
「私を呼ぶ時は、シグレでお願いしますね」
「十六夜さんだと、駄目?」
「私達は幼馴染ですよね? そんな距離を感じる呼び方だと、おかしいと思うけど。それに、もしユウトがリーダーとして指示をする立場になった場合。呼び捨てか、シグレ呼びをしないと。大谷先生の指導が入りますよ」
それは……ありえるかも?
命をかける戦場で、モジモジしながら呼び方を迷ってたら大谷先生にしばかれそうだ。
唐揚げを食べ終えた十六夜が、空箱をゴミ箱に捨てる。
「買い食いして、公園で幼馴染とデートをするだけで時給千五百円ですか……。良いバイトですね」
「俺、バイトをしたことないけど。時給は良い方なの?」
「学生のバイトでは、高給取りのバイトみたいね。何事も無ければ……だけど。ちなみにダンジョンホールが見つかって、現場の人命救助に参加できたら、さらに特別手当が出るらしいわよ」
人命救助は大変そうなので、何事も起こらない方が良いですね。
「ユウトは、今日がバイト初日よね。私は一週間前から、このバイトに参加してるけど。私の担当地区でダンジョンホールが発生したことはないので、毎日が暇なのよね……。プロの迷宮探索者になる前に、どうせなら一回くらいは現場を経験したかった――」
突然に、俺と十六夜のスマホから地震が発生した時のような、けたたましい音が鳴り響く。
学校から支給されたスマホを開くと、見慣れぬ文字が表示されていた。
「まるで狙ったかのように、ダンジョンホールが発生したわね……場所は――」
遠くからサイレンが鳴り響き、公園の入り口をパトカーが通り過ぎる。
「どうやら。近所みたいね……行きましょうか」
まさかのバイト初日に、現場からの呼び出しがあるとは思わなかった。
閑静な住宅街を十分ほど移動したら、先ほどのパトカーが遠目に見える。
警察が黄色のテープを伸ばして、一般人の立ち入りを規制していた。
現場に急行したのは良いが、どうすれば良いのかと様子を見てたら、十六夜が近くの警察に声を掛ける。
「ユウト。こっちよ」
黄色の規制用テープを潜り抜けると、迷彩服を着た若者が立っていた。
牙のデザインが刺繍された怪しげな黒マスクに、日本刀を腰に提げた人物に十六夜が声を掛ける。
外ハネしたウルフカット系の髪形で、お洒落なのか黒髪の先端部分を紫色に染めた少女が、スマホから視線を外す。
紫色のアイシャドウで染めた鋭い目で、十六夜と俺の顔を交互に見た。
眼光が鋭いと言うか、なんというか……目力が強いな。
「えっと。三組の……叢雲さんよね?」
「む? お主は、十六夜か……。そちらの殿方は……噂の幼馴染か?」
噂って、なに?
他所のクラスに、どんな俺の噂が広がってるのか気になるんですけどね。
「大谷先生のメールは見たか? 我々、特待生の現場指揮は大谷先生がとるらしい。バイト組の我々は、某を加えた三人でダンジョンに入る。我々の仕事は、巻き込まれて一階に落ちた人がいないかを隅々まで探すことだ。……では行くぞ」
入口の目印がある立て看板に近付く。
叢雲が迷いなく、黒い床に足を踏み入れた。
「ほら。早くしろ……。某と手を繋げば、入口近くに落ちる」
手を伸ばした叢雲の腕を掴む。
俺もダンジョンホールの上に足をのせると、黒い床に靴が沈み始めた。
「もしかして、ユウト。緊張してる?」
「……ちょっとね」
俺と手を繋いだ十六夜が、余裕ありげにクスリと笑う。
「後から到着するプロの迷宮探索者が、迷宮主を倒すために奥へ向かうと聞いた……。我々が相手するのは、雑魚モンスターのゴブリンくらいだ。緊張するほどの危険は無いぞ」
「……だそうよ」
「了解」
バイト初日で、迷宮主と戦えとか言われなくて一安心だ。
……ないよね?
「せっかくなら、迷宮主と刃を交えてみたかったが。プロになるまでは、お預けか……」
「あら? 叢雲さんとは、気が合いそうですね。私も迷宮主と戦ってみたかったです」
「ふむ……。どんな迷宮主が出たか。後で、大谷先生に聞いてみるか?」
好戦的な女性二人が、迷宮主の話題で盛り上がっている。
苦笑しながら二人の会話に耳を傾けてる間も、俺達の身体はダンジョンホールへ沈み続ける。
そして三人の頭が、ダンジョンホールの中へ深く沈み……。
全てが闇に覆われた。




