【第05話】迷宮妖精と契約2
「小賢しいことを考える小娘如きが、私と契約しようなど笑止千万! ゲヒャヒャヒャヒャ! それで、今日は何年何月何にちぃッ!?」
瞬きした瞬間に俺が見たのは、緑光に煌めく天使の翼。
刹那の間に、緑光の突風が目の前を通過し、ダークエルフの顔面が拳で貫かれて――
……え?
貫かれたの?
首から上が吹き飛んだ褐色肌の美少女が、ゆっくりと背中から倒れる。
しかし地面に倒れる直前に、肉体が青白い煙となった。
見覚えのある小人が、煙の中から飛び出す。
「ヒィッ!? な、なんですか。あの小娘は……? モンスターとはいえ普通に考えて、いきなり人形女性の顔面を全力で殴りますか? ……あーあ。私のなけなしの残りカス魔力で作った、お気に入りのダークエルフ型スペアボディが、一瞬で粉々に……」
俺の額にしがみついた小人が、早口でキーキーと騒ぐ。
今日一番の瞬間移動をした女子中学生を探す。
砂煙を巻き起こした十メートル先に、十六夜が立っていた。
俺の見間違いではなかったようで、腰から生えた緑色に発光する翼が、霧のように四散する。
「ん? ……おやおや? どこかで見たような翼騎士ですね」
小さなコウモリ羽をパタパタと動かしながら、浮遊する小人が首を傾げる。
「日暮君……。わたし、そのモンスターとは仲良くなれないわ。悪いけど……その迷宮妖精の羽と、首を千切っても良いかしら?」
ち、千切る?
十六夜が黒い革手袋で包まれた拳を重ねると、ポキポキと音を鳴らしながら俺の方へ歩み寄る。
ゴブリンを殴り殺した時のような怒りの形相をした彼女の顔を見て、俺の方が悲鳴を上げそうになった。
「日暮君も、無理やり契約させられて迷惑してるでしょ? だから、私が解放してあげるわ」
「フシューッ」と十六夜が息を吐けば、ギリギリと噛みしめた歯の間から青白い息が漏れた。
この人、もしかして人間ではないのか?
なんか全身からも、青白い光の粒子が漏れてるし。
いろんな意味で、関わってはいけないタイプの女性だったのでは?
「み、ミリア……。なんかよく分からないけど。たぶん、謝った方が良いと思うぞ」
「うーん……。アイツは、何て言ってましたかね? たしか、従妹がいると……」
浮遊する小人の背後から囁いたが、本人は考え事をしてるようで気付かない。
「私も、すっかり忘れていたわ。コイツは可愛らしい見た目をしても、モンスターなのよね……。迷宮妖精は悪知恵が働くと聞くし、人に騙されやすそうな日暮君のためにもよくないと思うわ。だから、あなたの人生が狂う前に、私が……」
手の届きそうな距離まで十六夜が近付き、迷宮妖精へ腕を伸ばす。
「ああ、思い出した……。あなた、十六夜秋雨の従妹でしょ?」
迷宮妖精に触れる寸前で、十六夜の手がピタリと止まる。
「どうして。兄様の名前を……あなたが知ってるのよ」
「さあ、どうしてでしょう? あれから、何年経ったのかは知りませんが……。彼は、どうなったのかしら? ……もしかして」
――まだ死体は、見つかってないのかしら?
ミリアが発した言葉に、十六夜の目が大きく見開く。
「……ふーん。どうやら、まだ私は殺さない方が良いみたいね」
「……どういう意味よ」
「あなたが探してる大切なモノに。私なら、手を貸してあげれるかもって話よ」
薄い笑みを浮かべる迷宮妖精と、十六夜との間に奇妙な無言の間ができる。
「あなたに、一つ聞きたいことがあるわ」
「なんでしょうか?」
「さっき、日暮君から迷宮士は引き継げないって聞いたけど。他の迷宮士から私が教えてもらった契約の話は、嘘だったのかしら?」
「あー。その話ですか。当人達の了承があれば、契約は引き継げますよ」
「だったら。どうして、私は引き継げないって」
十六夜の言葉を遮るように、迷宮妖精が掌を差し出す。
「別に私は、あなたが嫌いで意地悪を言ってるわけではないわ。そもそも前提が間違ってるのよ」
「前提が間違ってる? どういう意味ですか?」
「もし私の契約を引き継ごうとするなら。ユウトと同等の魔力か、それ以上の器をこちらは要求するわ」
「そうよね。ですから、私の魔力であれば」
「もしかして、あなた。ユウトより、魔力が上とか思ってる?」
「ええ。もちろん思ってる、けど……」
表情を曇らせた十六夜の返答に、迷宮妖精が両手を広げて呆れた表情をした。
「悪いけど、あなたは論外よ。たとえ、あなたを十人用意しても。私はユウトの契約を外さないわ」
「……じゅ、十人? まさか……こんなゴブリン以下の男が、そんな魔力を?」
ゴブリン以下って言われた……。
いや、ゴブリンに殴り勝つ自信は無いけどさ。
「私は適当な人間を、ダンジョンホールに落としてるわけじゃないのよ。前回よりも、魔力量が多いことが条件なのは当然だし。十年以上待っても見つからない可能性も覚悟してたわ。でも、私は賭けに勝ったのよ。その喜びを小生意気な小娘に邪魔されて、ちょっとカチンときて。あなたに意地悪をしちゃったけどね」
アレって、意地悪だったんだ。
十六夜がポケットに手を入れると、スマホを取り出す。
「悪いけど……。モンスターの言葉を、全部は信じられないわ」
電源を入れて、スマホを弄り始めた。
「……え? スマホって、繋がるの?」
「繋がるわよ。一般のスマホは無理だけど。自衛隊とか、プロの迷宮探索者が使ってる特殊なヤツはね」
十六夜が持ってるスマホの着信音が、盛大に鳴り出す。
スマホの画面をじっと見ていた十六夜が、無言で着信を切る。
「き、切っていいの?」
「良いわよ。お父様だから。いま、喧嘩中なの」
えー……。
それって、本当に大丈夫なの?
「あ。もしもし。十六夜時雨です。あの……え? ネットのニュース? ……あー。はい。それ、私です。お父様から、大谷さんにも連絡がいってたのですね? ……はい。私は大丈夫です」
スマホを耳に当てながら、十六夜が俺の方をチラリと見た。
「怪我はしてません。たぶんですけど……そろそろ入口は開くと思います。あ、大谷さん。一つ聞きたいことがあるんですけど……。はい。実は、迷宮妖精がいまして。私でも契約できるかなと思ったら、失敗しまして……はい。すみません」
うーん……電話をしてる相手は分からないが。
ちょっとしおらしい態度になった十六夜が、「すみません」と相づちを繰り返してるな。
もしかしたら雰囲気的に、大人の人に怒られてるのかもしれない。
「すみません。すぐに救助の電話をするべきでした……。はい。それで、大谷さんに意見を聞きたくて……」
十六夜が目を鋭く細め、迷宮妖精を睨む。
「迷宮で亡くなった従兄のことを知ってる、うさん臭い迷宮妖精を見つけたのですが……。迷宮士をやってる大谷さんだったら、どうしますか?」
* * *
「お邪魔します……。あら? 靴が多いのね」
「いま、親戚の人が集まってるからね。こっちの靴棚が空いてるから」
乱雑に散らばった子供の靴を避けて、玄関の靴棚を開ける。
でも親戚の大人がいるにしては、子供の靴が多い気が……。
二階からドタドタと誰かが騒がしく降りて来た。
「へっへーん。ミサカの勝ちー。アイスもーらい」
また追いかけっこ勝負でもしてたのか、従妹がアイスの袋を開けようとする。
小学生のミサカちゃんが、アイスを取り出そうとした手を止めた。
口を開けた状態でフリーズすると、俺の隣に立つ見知らぬ女性を二度見する。
「こんにちは。十六夜時雨です」
さすがに今日はパーティドレスではないが、庶民の俺には分からないブランド物を着てるので、お嬢様オーラは隠せない。
お嬢様スマイルで微笑む十六夜を見たミサカが、アイスを床にボトリと落とす。
「お、お、お母さん! ユウトが、女連れて来たァ!」
玄関にアイスを落としたのも忘れて、ミサカがドタドタとフローリングを走って行く。
えー……。
女って呼び方は、どうなのよ……。
靴棚の上に置いたティッシュ箱に手を伸ばす。
不運にも床へ捧げものにされたアイスを回収した。
「ミサカちゃん、どうした……の……」
もう一人の小学生が、階段から降りて来た。
サユリちゃんが顔を出した後、十六夜を見て硬直する。
「こんにちは。十六夜時雨です。……この箱ですか? ケーキが入ってますよ……。ケーキは好きですか?」
いつもは階段を二段飛びするくらい元気な女の子なのに。
借りてきた猫みたいに、無口になったサユリちゃん。
コクンと無言で頷いた後、階段から顔半分だけを出して十六夜をじっと見つめている。
「すっげぇ美人! ユウトの女、すっげぇ美人!」
「姉さん、そっちの座布団は違うわ。押入れから出した新品のは、どこに置いたの?」
「えー? さっき掃除機をかけた時に、どっかに動かしたのかしら?」
客間からドタドタと騒がしい音が聞こえる。
法事で使った時の座布団とかで良いと思うけど。
なんで俺が女性を連れて来ただけで、こんなカオスな状況になるんだよ。
「メール、入れてたはずなんだけどな……ハハハ」
「楽しそうで良いわね」
「うるさくて、ゴメン」
「顔を合わせたら喧嘩してる私の家よりは、百倍マシよ」
その話はちょっと、フォローしづらいよ。
「五分だけ、待ってようか」
「そうね」
ワンピースを着たミサカが、玄関まで走って戻って来る。
十六夜が両手に抱えたおみやげのケーキ箱を見て「おー」と呟いた後、再びドタドタとフローリングを走って行く。
「お母さん! ケーキ! めっちゃ高くて、お母さんが絶対に買わないって言ってたケーキ!」
遠くで誰かが、シバかれたような鈍い音が聞こえた。
少し頬を赤らめた伯母さんが、エプロン姿で玄関にやって来る。
「ごめんなさいね。法事の片付けが、まだ終わってなくて。部屋がちょっと散らかってるんだけど、オホホホ」
「初めまして、おば様。十六夜時雨です。先日、ダンジョンホールに落ちた時、日暮君に助けてもらいました。お口に合うかわかりませんが、良かったら皆さんにと。こちらは、父からのお礼でして――」
……俺の知らないお嬢さんがいる。
この清楚なお嬢さんは、虫も殺したことがなさそうだ。
いや、初対面の時はこんなイメージだったか?
「まあまあ。わざわざ、すみません。さあ、上がってください。大した物はありませんが。ゆっくりしていってくださいね。オホホホ」
知らない叔母さんもいますよっと。
この叔母さんはソファーに寝転がって、テレビを見てゲラゲラ笑いながら、堂々と放屁なんてしないだろう。
それにしても、お姫様が城からやって来たくらいの歓迎ぶりだな。
「ちょっとトイレ」
ダンジョンホールに落ちたせいで事情聴取とかあって、いろいろ疲れたよ。
今日こそは、ゆっくりしたいな……。
トイレから出ると、小学生コンビが立っていた。
「いだい……。サユー。タンコブできてない?」
「百個できてる」
「百個もできてんの!?」
返答が雑過ぎるだろ。
二人の前を通り過ぎようとするが、いきなり両腕を捕まれる。
そして階段前まで、問答無用で引きずられた。
「……なに?」
「なにじゃないだろ。アレ、どこの女?」
「綺麗な人。お姫様みたい……」
サユリちゃんが頬を染めて、客間の方を見つめている。
「ユウト。終わったら集合。あとアイス持って来い」
「えー……」
ミサカが親指を立てると、階段の上を指差す。
ていうか冬なのに、よくアイス食べれるよなー。
そう思いながら視線を二階へ向けると、背筋がゾクリとした。
まるでネズミを見つけた猫のように、ミサカが連れて来たと思われる同級生の小学女子達が、二階から顔を覗かせて俺達をじーっと見てる。
……怖ッ。
俺が家にいた時は、空気みたいな扱いだったのに。
サユリちゃんが俺の腕にしがみついてくる。
「あの綺麗な人と、何があったか喋るまで帰さない」
「いや。ここ、俺が泊まってる部屋もあるからね」
もう面倒臭いことに巻き込まれる未来しか見えないよ……。
実家へ逃げ帰りたくても、新幹線のキップとか今から取れないし。
都会に来たら、ダンジョンホールには落ちるし。
ホント踏んだり蹴ったりだな。
「ユウト。ユウト、どこー?」
「母さん呼んでるから」
何か言いたげなマセガキ小学生コンビを振り切って、客間へと足を向ける。
「興味があるなら。迷宮の基本を教えてくれた大谷さんと迷宮合宿に行く?」と、十六夜に誘われてたのを断ってたけど。
冬休み中ずっと、マセガキ軍団のオモチャにされるくらいなら、一考の余地はあるかもしれんな。
腹黒お嬢様との出会い編 ―完―




