【第04話】迷宮妖精と契約
ダンジョンホールに遭遇するのは、登山してクマに襲われるようなモノだと言われる。
クマと遭遇して無傷で山登りを終える者もいれば、大怪我をして病院に運ばれる者もいた。
最悪、クマに襲われて死亡したという話もあるように、運悪く迷宮に落ちて死んだ人の話も聞いたことがある。
だが俺は、運が良かった方なのだろう。
そう思いながら、視線を前に移す。
通路の奥で倒れたゴブリンの上半身に、馬乗りになった女子中学生が目に入る。
ゴブリンの顔面をボコボコにする作業を終えた十六夜が、こちらに戻って来た。
顔についた返り血を黒い革手袋で乱暴に拭うと、何事も無かったのように俺の前を通り過ぎる。
「一匹逃したけど、さっき見つけた階段に行きましょう」
「……はい」
登山に行ったら遭遇したクマが仲間になる確率って、どのくらいだろう?
そんなこと考えながら、さきほど見つけた階段に向かう。
「全部の部屋を調べてみたけど……。やっぱり下り階段を降りるしか、ないのかな?」
「そうね……。上り階段が見つからないのなら、降りて行くしかないわね」
両膝を折り曲げて、腰を落とした十六夜が薄暗い階段の奥を覗き込む。
何か気になることでもあるのか、しばらく無言の間ができる。
「十六夜さん、どうしたんですか?」
「……下から血の匂いする。一階と比べ物にならないくらいの……ボス部屋かしら?」
ボ、ボ、ボ、ボス部屋?
ネットで得た迷宮の知識が間違ってなければ。
この先に、迷宮の主がいるってことか?
迷宮主って、プロの迷宮探索者とかが退治するモノだろ?
中学生の俺達が行ったらいけない場所では?
でも彼女はメチャクチャ強いし……ワンチャン、いけるのか?
十六夜が近くにある石壁を指差す。
トンネル照明のように、一定間隔で仄かに点灯する迷宮灯に視線を移す。
「さっき一階を調べた時に、迷宮灯と違うルーン文字が刻まれた壁があったの覚えてる?」
「えっと……。うん、覚えてる」
思わず敬語で喋りそうになったが、移動中の雑談で同級生だと知ってから、気をつかうなと言われたのを思い出す。
「もしかしたら、入口が開く仕掛けがあるかもって一階を調べたけど……」
「……調べたけど?」
俺の問い掛けに応えず、十六夜がじっと暗闇を見続けてる。
「わたし、親戚にプロの迷宮探索者がいるから。夏休みに付き添いで、潜らせてもらったの。その時に話してた……入口を石壁で封鎖するタイプの迷宮を、さっき思い出したのよね」
彼女が立ちあがると、黒い革手袋を指先で弄る。
俺と目が合った十六夜が、ニヤリと笑った。
「もしかしたら、面白いモノが見れるかもね……。行くわよ」
「え? ……うん」
怖いもの知らずというか、迷いなく階段を降りる彼女の後をついて行く。
階段を降り始めてから、鉄臭いような臭いが気になりだした。
もしかしてこれが、彼女が言ってた血の臭いだろうか?
階段の終わりが来たようで、どこかの部屋に繋がってるのが遠目に見えた。
先に降りた彼女が壁から顔だけを出して、警戒しながら部屋の中を覗き込んでいる。
「別に何もないわよ。フッ」
「うわっ!?」
いきなり耳元に息を吹きかけられて、心臓が跳ねる。
驚きで足を踏み外し、階段を転びそうになったが――
「……ん。日暮君、危ないわよ」
そのまま階段を転げ落ちるかと思ったが、駆け上がって来た十六夜に抱きとめられた。
細腕に見えたが涼しげな顔で、俺の身体を片腕で支えている。
やっぱり、女子中学生の皮を被ったクマなのだろうか?
「日暮君。失礼なことを考えてない?」
「いえ。ソンナコトハ、アリマセン……」
「たしかに、危険なモンスターはいなかったけど……。もしかして、あなたが迷宮妖精?」
淡い光を放つ羽虫が飛んだかと思ったが、虫では無かった。
手乗りサイズの小人が、コウモリ羽をパタパタと動かしながら、俺の顔を覗き込む。
「いらっしゃい、可愛いい坊や達。私の迷宮へ、ようこそ」
* * *
「一階にあったルーン文字と同じね……。これは何?」
「隠し部屋ね。私と契約した人だけが開けれる扉よ」
へー、隠し部屋とかあるんだ。
プロの迷宮探索者になる予定は無いから、あまり興味ない世界だったけど。
本物の迷宮に入って、ちょっとだけ興味が湧いて来たから、家に帰れたらネットで調べてみようかな。
「契約……。それは、私達みたいな……人間との契約ってこと?」
空中を浮遊する可愛らしい小人が、ニコリと笑みを浮かべる。
「そうよ。興味があるなら、契約の内容を教えてあげるわよ。あなた達、迷宮士は知ってる?」
「知ってるわ。人間である私達が、迷宮主になれる迷宮職業でしょ?」
俺は、あまり知らない。
プロ探索者を募集するテレビのコマーシャルで、迷宮妖精はよく見掛けるから知ってるけど。
迷宮職業で有名なのは、たぶん勇者だよな?
テレビとかで見る勇者はなぜかイケメンが多くて、歌って踊れるアイドル勇者とかもいるし。
リア充のイケメン勇者は滅ぶべし……。
いや、待てよ。
前にネットサーフィンで誤クリックしたアダルトサイトで、淫魔リリスの館とかいうのを見た覚えが。
たわわに揺れた巨乳と、悪魔のコスプレをした美女の写真が並んで……。
さすがにアレは、迷宮職業と関係ないか。
「モンスターが棲む迷宮には、必ず迷宮主が存在する。でも、ごくまれに。迷宮主が不在の迷宮があって、そこには迷宮妖精がいる。もしそこに、迷宮妖精がいた場合……。契約した者は迷宮妖精から知識を与えられ、新たな迷宮主として迷宮士になれる」
「ふーん、正解よ。ダンジョンホールに落ちて来た人間が、私の存在と迷宮士を知ってるパターンは初めてね」
口元に指先を当て、浮遊する小人が考える仕草をする。
「まあ、説明が省けるのは良いことだわ。はーい。では、私の指に注目」
小人が人差し指を立てると、指先から青く光る糸が生えてきた。
「魔力の糸を出したけど、二人には見える?」
「……見えるわ」
「青い糸が、見える」
「よしよし。まずは一つ合格ね。じゃあ、そこで覗いてるゴブリンに注目」
ゴブリンの単語に反応して、慌てて振り返る。
俺達が降りて来た階段の壁から、部屋の中を覗く醜悪な顔と目が合った。
「さっき、逃がしたヤツかしら?」
「契約をする前に、私の能力を一つ見せるわね」
身の危険を感じたのか、ゴブリンが姿を隠し、階段を駆け上がる音が聞こえる。
それを追うように、青い糸が階段の方へ高速で伸びた。
「今の私は腹ペコだから、ゴブリン一体を操るのが限界だけど。迷宮主は、自身の迷宮から産み出したモンスターを操ることができるの……。ほら、捕まえたわ」
人差し指をクイクイと、自分の方へ引っ張るように動かす。
しばらくすると、誰かが階段を降りて来た。
先ほど逃げたはずのゴブリンが、足下をフラつかせながら俺達の方へ、ゆっくりと足を進める。
その顔は恐怖に歪んでいた。
しかし青い糸と繋がってるせいで、命令には逆らえないようだ。
「ゴブリンって、袋を開けて何日も放置したスナック菓子みたいにマズくて、お腹もたいして膨れないけど。今の迷宮が小さくて、魔力がほとんど無い私には、唯一の食料なのよね」
小人が口元をペロリと舐める仕草をした。
……え。
もしかして迷宮妖精って、ゴブリンを食べるのか?
可愛い顔して、実は怖い生き物だった?
「モンスターを操る方法は、私が教えてあげる。だから、そこの可愛い男の子。私と契約しませんか?」
「……え? 俺?」
完全に他人事で聞いてたから、まさかの自分が指名されて驚く。
てっきり、十六夜が選ばれると思ってたから……。
「そういえば、まだ名前を教えてもらってないわよ……。ねぇねぇ、そこのカッコ良いお兄さぁん。お名前を、お・し・え・て?」
妙に甘えた声を出しながら、小人が目と鼻の先まで顔を近づける。
「日暮、勇斗……だけど」
「ユウトね。まずはマスターの名前をゲットぉ」
「ちょっと待って。私だと駄目なの? 私は魔力も扱えるし、モンスターと戦うこともできるわ」
「駄目よ。私は、この子が良いの。ユウトに決めたの」
俺の予想通り、十六夜が立候補をした。
しかし彼女の言葉を無視して、小人が俺に顔を近づける。
「お願い、人間さん。わたし、もう限界なの……。ほら、魔力が足りなくて。飛ぶ力も、ほとんど無いの」
フラフラと力無く迷宮妖精が地面に落ちた。
両手を合わせて祈りを捧げるような姿勢で、小人が俺を見上げる。
瞳を涙で潤ませた小人に懇願されるが、戸惑う俺は十六夜に助けを求めた。
彼女は険しい顔で、小人をじっと見つめている。
「お願い、迷宮の知識なら。いくらでも、教えますから……。私と、契約を。ケホッ、ケホッ」
胸元を押さえ、小人が息苦しそうに咳き込む。
「いや、でも。俺は、戦えないし……」
「大丈夫です。ケホッ、ケホッ……。戦えなくても、魔力の糸で、操ることはできます」
未だに彼女の指先から伸び続ける青い糸は、ゴブリンと繋がったままだ。
ゴブリンは逃げ出す様子もなければ、こちらに襲い掛かって来る気配も無い。
「け、契約って、どうやるの?」
「私に、名前をちょうだい。あなたが、名前をくれたら……。契約が、成立して……ケホッ、ケホッ」
名前?
そんな急に、名前を決めろと言われても……。
もう限界なのか、小人が苦しそうな表情で地面に寝転がる。
眉間の中央にしわを寄せて、小人が胸元を押さえていた。
えっと……名前、名前、名前……。
パッと頭が浮かんだのは、前にハマった異世界転生のライトノベルに登場するヒロイン。
巨乳のダークエルフで、小悪魔系の美少女で、たしか名前は……。
「ミリア……。とか、どうかな?」
すると、さっきまで苦しみもがいていた小人が、ムクリと起き上がる。
「ああ、ありがとうございます。ミリアですね。素晴らしい名前です、マスター。契約が成立したので、痛みも一瞬で回復しました」
痛みが消えたらしく、爽やかな笑みを浮かべた小人。
ミリアで良いのか?
とりあえず、契約は成立したらしいけど――
「ゴギュッ!?」
「……え?」
いきなり十六夜が、ゴブリンを殴り倒した。
「どうして、私ではなく。あなたが選ばれたのですか?」
倒れたゴブリンの顔を踏み潰す女子中学生。
恨みがましい殺気立った黒い瞳が、俺を睨みつける。
ヒィイイイイ。
なんか知らんけど、十六夜がメチャクチャにキレてる!
いや別に、俺は迷宮士になりたかったわけじゃないけど。
なんか、小人の女の子が苦しんでたから……。
「あなたは知らないかもしれないけど。迷宮士の契約は、引き継ぐことができるのよ」
……え?
そうなんだ。
契約って引き継げるんだ。
「ゴブリン一体も倒せない男が、もっと恐ろしいモンスターが沢山いる迷宮に入れるのですか?」
それは無理。
プロの迷宮探索者を目指してないし、こんな怖い思いをまたしたくないので、譲れるモノなら譲りたい。
「それなら私に、契約を譲りなさい。私なら迷宮士としても」
「それは無理ですよ、お嬢ちゃん。あなたの想像してる条件では、ユウトの契約は引き継げませんよー」
「……え?」
十六夜との会話を遮る声に反応して、俺は振り返る。
そこには小人ではなく、俺が先日読んだライトノベルのヒロインを登場させたような、美しいダークエルフの少女が立っていた。
褐色肌の巨乳に、小悪魔系の笑顔……では、なく。
「お嬢ちゃんの望みが叶うまで、あと一歩でしたね。でも、私の勝ちー。ゲヒャヒャヒャヒャ!」
三日月に歪めた口から漏れた、悪意ある笑いが迷宮に木霊した。




