【第03話】ダンジョンホールと暴漢者
「……雪か」
空を覆う黒い雲を見上げると、チラリチラリと小さな雪が降って来る。
口から吐いた白い息が、空気の冷たさを物語っていた。
そういえば、天気予報では例年より冷えるとか言ってたな。
交差点の信号が変わるのを待ってたら、道路を挟んだ反対側にある美容室が目に入った。
お客様の見送りなのか、数人の店員が頭を下げる。
遠目にでも分かるくらい、気合いの入ったパーティードレスを着た女性が美容院から出て来た。
店員の一人がお洒落な上着を渡す。
冬用の上着を羽織った美少女が、美容院から横断歩道に足を向けた。
信号が変わり、周りのいる人がまばらに歩き始める。
祖父の法事に集まった親戚も大人ばかりで、伯母さん家に居ても居心地が悪いし。
都会の街をブラブラしようにも、人混みがウザいし。
どっか適当なゲーセンとかで、暇つぶしをして――。
「……え?」
石につまずいたかのように、突然に身体が前に傾く。
何事かと視線を落としたら、右の靴が横断歩道の白い線に沈んでいた。
ズブズブと足首まで沈み、白線が黒に染まる。
「ヒッ!」
「だ、ダンジョンホール!?」
「アキラ君、子供が!」
ダンジョンホール……。
ネットサーフィンしてる時に、動画で見た記憶はあるが。
まさか、自分が?
足下の黒い染みが広がり、左足も既に足首まで埋まっていた。
「君達! 僕の腕に、つかまるんだッ!」
横断歩道を渡りかけていたはずの若いカップルが走って戻って来る。
彼氏らしき男性が離れた場所から腕を伸ばしたので、俺も手を伸ばして――。
「駄目よ! あなた達も、引きずり込まれるわ! このまま私達は沈むから。警察と……すぐに、自衛隊に連絡して!」
横から張りのある声が聞こえて、驚いて声の方へ振り返る。
美少女と言い切れるほどに、顔が整った女性が俺の腕を掴む。
黒い染みは直径一メートル程に広がり、円形の底なし沼に俺とドレスを着た美少女が腰まで沈む。
「大丈夫よ……。このまま迷宮に沈むだけだから。……私は迷宮に潜ったことがあります。あなた達は、すぐに離れてください!」
どうして良いか戸惑う大学生のカップルに、再び声を掛ける。
黒い染みの広がりは収まらず、気付けば直径二メートルくらいに広がっていた。
「アキラ君! 警察に繋がった! ……あの、あの。子供が二人……。火事じゃないです! ダンジョンホールです! 住所は……アキラ君、ここどこッ!」
パニック状態で言葉がまとまらない彼女からスマホを受け取った彼氏が、冷静に住所を伝えている。
心臓が破裂する寸前みたいに、バクバクと鳴っていた。
ダンジョンホールに落ちたら、俺は……どうなるんだ?
生きて……帰れるのか?
「十六夜時雨よ。あなた、名前は?」
既に胸元までに沈んだ状態なのに、腕を掴んだ美少女はとても冷静だった。
「あなたの名前、教えてくれない?」
「……日暮、勇斗……です」
「日暮君ね。覚えたわ……。手は握ったままでね。それなら、同じ部屋に落ちると思うから」
もはや首から上しか見えないが。
十六夜と名乗った美少女が、余裕ありげに片目を閉じてウィンクをした。
――向こうで、会いましょう
視界が真っ暗な闇の中で、遠ざかる彼女の声が聞こえた気がした。
* * *
「……ん。……あれ? ここは……」
寝ぼけ眼を擦りながら、半身を起こす。
周りが薄暗い……。
空が見えないから、どこかの室内にいるのか?
この手触りは……石壁?
壁に奇妙な文字が刻まれて、仄かに発光してる。
動画で見た記憶ではルーン文字、だったかな?
一メートルの幅でラインが正方形に入った、タイル模様に加工された石壁。
この見覚えのある特徴的な石壁は……。
ネットの体験談でよく目にした迷宮に……俺はいるのか?
「気が付いた? 悪いけど取り込み中だから、そこから動かないで」
……取り込み中?
見覚えのあるドレスを着た後ろ姿を見て、さきほど十六夜と名乗った女性だと気付く。
さっきまで手を繋いでた美少女の周りに、数人の人が立って――
「グギャ―!」
十六夜の正面に立つ人が、奇声を発しながら突っ込んできた。
ギラリと刃が光るナイフが見え、ドキリと心臓が跳ねる。
身軽に十六夜は横へ避けたが、すぐさま腕を振って相手の顔を殴った。
予想以上に鋭いパンチが顎先に当たり、相手の足元がフラつく。
ボクシングの動画でよく見るキュッキュッと足下から幻聴が聞こえそうな動きで、十六夜が相手に近づく。
強烈なストレートパンチが顔面にめり込み、相手が後方へ派手に転がった。
いつの間に装着していたのか、十六夜が黒い革手袋を指先で弄る。
「やっぱり、このままだと動きづらいわね。ドレスは汚したくなかったけど、お見合いパーティはどうせ遅刻だし……。もう、どうでもいいか」
彼女の着ていた冬用の上着が、バサリと地面に落ちる。
首を左右に動かして、コキコキと音を鳴らす。
「本当は薙刀とか、槍のほうが戦いやすいけど。ゴブリン相手なら素人のパンチでも殴り殺せるから、なんとかなるでしょ……。さあ、次は誰?」
ゴブリン……。
やっぱり、そうなのか。
ダンジョンホールに入ったのは二人だけだったのに、ナイフを持った暴漢がいるのはおかしいと思った。
口もとが耳まで裂けた、人とは思えない醜悪な顔は……俺の見間違いじゃなかった。
コイツらは人型だが、人間じゃない。
額に二つの小さな角を生やした小鬼であり、迷宮に棲むモンスターだ。
動画ではよく見た映像だったのに、いざ本物のモンスターを目の前にすると、ゲームの中にいるような不思議な感覚がする。
地面に転がるナイフへ視線を移す。
これが現実だとすれば……。
たとえばダンジョンホールに、俺一人が落ちていたとしたら?
嫌なことを想像して、身体が恐怖で震える。
俺を守るようにして立つ、十六夜の背中に視線を移す。
残るゴブリンは、二体。
二対一なら勝てると思ったのか、ほぼ同時にゴブリンが襲い掛かる。
「グギャギャ!」
奇声を発してナイフを振り下ろすが、十六夜が素早くサイドステップして避ける。
足払いをしたのか、ゴブリンが派手に転倒した。
「グギャン!?」
もう一体のゴブリンが、続けて襲い掛かる。
相手の胸元を狙ったナイフの刺突を、十六夜が余裕ありげに素早く避ける。
しかも今回は、ゴブリンの腕を掴んで自分の方へ引っ張った。
想定外の動きをされたゴブリンが、勢い余って転倒する。
派手に転んだゴブリンが、慌てて身を起こそうとした。
しかし、それよりも早くゴブリンの頭が勢いよく踏みつけられ、鈍い音が聞こえる。
石床に叩きつけられて頭蓋骨が割れたのか、赤黒い液体が広がっていく。
容赦なく頭を何度も踏みつけられ、ゴブリンはピクリとも動かなくなった。
「ハイヒールじゃなくて良かったわ。でも次からは、ダンジョンホールに落ちることも考えて。靴のお洒落は、最低限にした方が良いわね。……あら?」
先に転倒していたゴブリンが走り出す。
同時に十六夜が、地面に落ちてるナイフを素早く拾った。
彼女には勝てないと悟ったのだろう。
逃げ出したゴブリンの背後を、十六夜が追い掛ける。
「逃げるな」
容赦なくナイフを太ももに突き刺すと、ゴブリンが派手に転倒した。
慌てて身を起こそうとするゴブリンの上半身に、パーティドレスを着た美少女が馬乗りになって座る。
「今日はね。行きたくもない、お見合いパーティーがあったの」
十六夜が振り下ろした右拳が、ゴブリンの顔面に突き刺さる。
「でもダンジョンホールに落ちたおかげで、キャンセルになったわ。ありがとう」
笑顔で振り下ろした左拳が、再び顔面に深くめりこむ。
何度も何度も拳を振り下ろし、ゴブリンの顔面から粘り気のある赤黒い液体が、彼女の革手袋に付着して糸を引いてるのが見えた。
……怖い。
ぶっちゃけゴブリンより、目の前にいる女性の方が怖い。
ナイフで襲い掛かって来たのはゴブリンであり、三対一で女性に襲い掛かるゴブリンの方が、間違いなく百パーセント悪い。
それでも少女に、馬乗りにされて顔面をボコボコに殴られ続けるモンスターの方に、同情してしまう自分がいた。
「グギャギャ?」
部屋の外から、人の気配がした。
騒ぎを聞きつけたのか、鋭利な牙を生やした二体のゴブリンが、醜悪な笑みを浮かべて部屋に入って来た。
獲物を探すように、舌なめずりをしながら部屋を見渡す。
すると、黒い革手袋でゴブリンの顔面を鷲掴みにした暴漢者が、新たに現れたゴブリンに顔を向ける。
「……あ゛?」
とても女性が発したと思えない、ドスの利いた低音ボイスが十六夜の口から漏れる。
人殺しと勘違いされるような、殺気立った目でゴブリンを睨み返す。
鬼の形相をした十六夜を見た小鬼の顔が一変した。
その表情は、ネットミームでよく見掛ける宇宙猫を思い出す。
目を点にしたゴブリンの顔から感情が抜け落ち、世にも恐ろしい現実を見たせいで、脳がパンクしたような表情をしていた。
ゴブリン二体の顔が左右に動き、地面に倒れてピクリとも動かなくなった同族を見つめる。
白目をむいたゴブリンの上半身に、馬乗りになった少女と目が合った。
美少女の皮を被った暴漢者が、ニコリと微笑む。
しかし顔に返り血が付いてるせいで、敵意を無くすための笑顔が無駄になってる。
むしろ……その笑顔が怖い。
さっきまで嬉しそうにペロペロと舐めてたナイフを、二体のゴブリンが同時に下ろす。
「オレタチは何も見てなかった。いいね?」
「アッ、ハイ」
という会話がされたのかは分からないが、二体のゴブリンが顔を見合わせた後、ゆっくりと後退る。
部屋から退室したゴブリンの悲鳴混じりの奇声が、フェードアウトするように遠ざかって聞こえた。




