【第02話】腹黒なお嬢様
「えー。かの有名なノストラダムスの大予言により、人類が滅亡されると言われた1999年7月。君達もよく知る、初めての迷宮が各地に出現しました」
ずれた眼鏡を指先で直すと、教壇に立つ先生がホワイトボードをキュッキュッと鳴らす。
「えー。最初に発見された大迷宮は六つ。国はバラバラですが、日本にも一つ出現しましたね」
先生がデジタルボードにペンを走らせる。
机の上に置いたタブレットパソコンに、俺は視線を落とす。
タブレットパソコンにインストールされたアプリはデジタルボードと共有されており、表示されたアプリに先生が書いた文章がリアルタイムで追加される。
「過去にニュースにも取り上げられましたが……。えー、こちらのリンクにある動画を再生してください」
全学生に支給されたタブレットパソコンは、アダルトコンテンツなどは規制されてるが、それ以外の健全なサイトであれば繋がる。
先生が指定したリンクをクリックすると、過去に海外で放送されたであろうニュースを編集した動画が再生された。
ヘリから撮影された映像なのか、海外の高速道路に止められた車が大量に並んでいる。
暴動が起こったかのように逃げ惑う人々を、異形の姿をしたモンスターが追いかけていた。
たまたまネットサーフィンで見つけた動画は、モザイクが掛かるシーンがあったり、もっと過激な映像だった気がする。
あの動画は日本では刺激が強過ぎたからか、一日もせずに日本版の動画サイトからは削除されたけど……。
俺が見た海外の動画と違って、だいぶマイルドに編集されてるなと思いながら、左隣りに視線を移す。
かぶりつく勢いでタブレットパソコンに顔を近づけて、紫宮が真剣な表情で動画を見ていた。
「大迷宮が発見されたのは、日本と……。えー。他の国、五つを知ってる人はいますか?」
ずれた眼鏡を指先で直しながら、先生が教室を見渡す。
右斜め前――俺の右隣の席から、二つ前の席――にいる男子学生が、右手を挙げた。
「えー……山田君。答えてください」
「はい。中国、インド、アメリカ、ブラジル、イギリス、です」
「正解です」
先生が頷くと、背中を向けてホワイトボードにペンを走らせる。
席に着いた生徒が、俺の方へ振り返る。
眼鏡を指先でクイクイと動かした山田君と、俺の目が合った。
俺が小さく拍手をする仕草をしたら、山田君が満足気な笑みを見せる。
「僕は迷宮の歴史オタクなので、次の授業は余裕ですよ」と、眼鏡をクイクイと小刻みに動かしていた山田君との会話を思い出す。
「えー。最初に見つけた大迷宮には、名前が付いてます。聞いたことがある人もいるかもしれませんが……。中国は、強欲の大迷宮と呼ばれてます。インドは嫉妬、アメリカは憤怒、ブラジルは色欲、イギリスは傲慢、日本は怠惰と。大迷宮には名前が付いてますが……。実は一つだけ、発見されてない大迷宮があるとされてます。知ってる人はいますか」
ペンの動きを止めた先生がこちらへ振り返る。
すると山田君が再び右手を挙げ、先生が指名した。
「アメリカが大迷宮の名前を発表した時に、七つの大罪をもとにしたと言われてます。そうなると残り一つは、暴食の大迷宮になると思います」
「……正解です。アメリカの話も、よく勉強されてますね。山田君の言う通りです」
再び山田君がこちらに振り返ると、親指を立てる。
俺も親指を立てるジェスチャーを返した。
やはり朝一番に、彼に声を掛けて正解だった。
彼には、僕と同じモブのオーラが出ているような気がしたから声を掛けたが。
「初日から女子にモテモテで、リア充爆発しろと思いましたが。日暮君とは話が合いそうなので、友人になれそうです」と、田中君が言ってくれて嬉しかった。
……そうだ。
昨日はキラキラの陽キャ女子に囲まれて、何一つ面白い反応ができなかった俺は悟った。
悟ってしまったのだ……。
我々は残念ながら、ラノベで登場するイケイケの主人公ポジションになる器ではない。
山田君に「迷宮は詳しいの?」と話を振った時は、ものすごい早口で迷宮のウンチクを永遠と語られて、ちょっとウザいなとは思ったけど。
一日一人ずつのペースで男友達を増やしていき、クラスの男子全員と仲良くなれば。
よくあるモブ男子高校生にありがちな、平凡で平穏な学園生活を過ごせると俺は気づいたのだ。
複数の女子に囲まれてモテモテハーレム学園というタイトルがつきそうな、ラノベ主人公にありがちなイベントは、俺には必要ないのだ。
一般男子と仲良くなって、青春謳歌してるモテモテイケメンを「リア充滅ぶべし」と男友達と一緒に呪うモブイベントをするのが、俺の正しい学園生活なのだ。
俺がそんな脳内妄想を膨らましていると、隣席に座る紫宮が勢いよく右手を挙げた。
「先生。質問があります」
「はい……。えー、紫宮君。なんでしょうか?」
「ノストラダムスの大予言で、恐怖の大魔王が降りて来るってオカルトサイトに書いてたのですが。迷宮に魔王はいないのですか?」
紫宮の唐突な質問に、教室のクラスメイトから困惑の表情が見えた。
山田君もメガネをクイクイと小刻みに動かしながら苦笑してる。
オカルトサイトのネタか……。
紫宮は最近、迷宮に興味を持ったらしいけど、誰もが通る道だよね。
俺も中学生の時に、中二病を発症した時の黒歴史が……うっ、頭が。
「私の娘からも、同じような質問をされたことはありますが……。迷宮が発見された時が、たまたまノストラダムスの大予言と重なったせいですかね……。よく間違われて、覚えてる人がいるのですが。ノストラダムスの大予言は、恐怖の大魔王ではなく、正しくは恐怖の大王です」
今まで淡々とした口調で授業をしていた先生が、一呼吸おいてニコリと笑う。
「恐怖の大魔王なんて、迷宮にはいませんよ……。さて、話を戻しましょうか。えー。未だ発見されてない暴食の大迷宮の所在については、今も研究が続けられており――」
俺は奇妙な視線を感じて、タブレットパソコンに視線を落とす。
タブレットパソコンの端に座る迷宮妖精のミリアと目が合った。
薄い笑みを浮かべたミリアが、声を発さずにゆっくりと唇を動かす。
――うそつき、と。
納得をしてない顔で、紫宮が席に座る。
それを横目に見ながら、俺は黙々と授業のメモを取った。
* * *
「ふぁー! 眠ぃ~。腹減ったー」
「午前中は退屈な座学ばっかりだったけど。午後から実技だろ? 早く真剣、使ってみてー」
「誰か食堂行くヤツいる~? パン買って来て欲しいんだけどー」
お昼休みになり、一部の生徒達が食堂へ移動を始める。
弁当を持参してる女性達は、仲良くなった子とグループになって机や椅子を動かしていた。
教室が騒がしくなり、俺もカバンの中から昼食用のパンを取り出す。
……おや?
俺の右隣から二つ前の席に座っていた山田君が、おもむろに立ちあがる。
……おー。
彼が握り締めてるパン袋のロゴを見て、俺は心の中で感嘆の声を漏らした。
まさか君が、その手に持ってるのは……。
俺と同じ……チョコクリームコロネパン!
コンビニでチョココロネにするか、クリームコロネにするかのニ択に悩んでいたが。
今日は気分を変えて、期間限定で登場した第三の選択肢であるチョコクリームコロネパンを、あえて選んだというのに……。
打ち合わせも無く、まさか同じパンを買うとは……。
俺が机の上に置いたパンを見て、山田君がニヤリと笑う。
やはり俺達は、好みの波長が合ってるのかもしれない。
「あれ? イザヨイさん。クラス、違うんじゃ……」
教室がザワついて、なんだか騒がしい。
だが、俺には関係無いことだ。
初日で、すれ違いこそあれど。
今の俺達は、未来の親友を見つけたのかもしれないのだ。
心の友と書いて、ソウルメイトになる可能性を秘めた山田君。
俺は君に決めたよ。
これからの学園生活を、一緒に歩むモブ友を……。
さあ、まずは互いの親交を深めるために、昼食を共にしようではないか!
上履きが床を踏む音が近づき、俺の真横で止まる。
突然に視界の外から現れた腕が、正面にある席の椅子をつかみ、クルリと半回転した。
「日暮君。私も一緒に、お昼を食べても良いかしら?」
「……え?」
俺の返事を待たず、艶かな黒髪を肩まで垂らした美少女が正面に座る。
彼女の顔を二度見したが、この教室には存在しないはずの女性だった。
つまりは別クラスの女子生徒が、わざわざ俺のクラスにやって来たことになる。
クラスで胸元が一番大きいのはギャル女子高生だと把握してるので、それよりも豊かな二つの巨峰を持つ女性の登場に、俺は激しく動揺した。
慌てて胸元から視線を逸らし、彼女の整った綺麗な顔を改めて観察する。
入学式で新入生代表の挨拶をした女子高生、十六夜時雨。
地元が有名な豪族のお嬢様だったから、新入生代表に選ばれたという噂はあったが、真相は分からない。
いや、そんなことはどうでも良いのだ。
いま重要なのは、同学年で知らない人がいない女子生徒が、冴えない男子生徒と同席をしてることだ。
予想通り、周りのクラスメイトがザワつく。
いかにも高級そうな布を広げると、周りの声も気にした様子も無く、十六夜お嬢様が弁当箱を開いた。
「日暮君。どうして、昨日は来てくれなかったの? わたくし……ずっと待ってましたのに」
顔に触れた黒髪を指先でかきあげ、目と鼻の先まで顔を近付けたお嬢様が、黒い瞳で俺を見つめる。
リンスの匂いだろうか?
メチャクチャいい匂いがする……。
パンッと、何かが弾けるような音が遠くで聞こえた。
悲し気な上目づかいで俺を見つめる、お嬢様。
その熱視線を無視して、恐る恐る顔を横にずらす。
彼女の肩越しに、呆然と立ち尽くす山田君が目に入った。
強く握りしめたせいか、潰れたパンの袋が開いている。
山田君のメガネには、チョコとクリームが付いてた。
右目にはクリームが、左目にはチョコが塗られており、できればスマホで写真を撮って残したいくらいに、芸術点の高いメガネを掛けている……。
何事もなかったように、背を向ける山田君。
そのまま無言で座る山田君……。
違うんだ山田君、これには事情があるんだ。
「日暮君。聞いてます?」
山田君が紙パックのジュースに、ストローを挿した。
「昨日もメールを送りましたよね? 冬休みに、二人っきりで迷宮を過ごした仲なのに。私の扱いが少し、ひどくないですか?」
山田君が力強く拳を握り締め、紙パックのオレンジジュースが弾け飛んだ。
ストローから勢いよく飛び出したオレンジ色の液体が、青空に浮かぶ虹のような曲線を描いている。
おもわず俺は、顔を両手で覆った。
未来のソウルメイトに出会う、世界線が消えてしまった……。
俺の平穏……グッバイ。
「冬休み……。あっ、思い出した。美容院前のダンジョンホールに落ちた、血塗れの美人中学生! 動画で見た人だ!」
成り行きを見守っていたギャル女子高生のミカが、嬉しそうな表情で駆け寄って来る。
「……で? 二人って、どういう関係なの?」
フンスフンスと鼻息を荒くしたミカが、机に両手を置いて前のめりにたずねる。
マイペースな十六夜お嬢様は、弁当箱の卵焼きに箸を伸ばす。
「日暮君は、私の……命の恩人なのです。ダンジョンホールに落ちて、恐怖に震えていた私を助けてくれました」
「命の恩人? そこのところ、詳しく教えてください」
ミカの隣に立つギャル女子高生その二であるアリサが、紙パックに挿したストローをマイク代わりにして、十六夜お嬢様の顔に近づける。
恐怖に震えていたのくだりで、俺はすごく口を挟みたくなったが、机の上に置いたスマホが振動する。
卵焼きを口に運びながら、もう片方の手でスマホを弄るお嬢様と目が合うと、ニコリと微笑み返された。
なんとなく嫌な予感がして、皆が見えない角度にスマホを傾けて、新着メールを開く。
『余計なことを言ったら、頭を握り潰しますよ』のタイトルと、『十六夜お嬢様』の名前が目に入り、俺はスマホをそっと閉じた。
彼女の話に、目をキラキラと輝かせて耳を傾けてるギャル女子高生を横目に見ながら、俺もまた冬休みの記憶を思い出す。
黒い革手袋を血塗れにして、怒りに任せてモンスターの頭を踏み潰した女子中学生。
恨みがましい殺気立った黒い瞳で、俺を睨みつける少女が記憶の中で口を開いた。
――どうして、私ではなく。あなたが選ばれたのですか?




