【第01話】高校デビューと迷宮妖精
「わー。迷宮妖精とか初めて見たー。可愛い―!」
見るからにギャルな恰好をしたクラスメイトが、俺の机に両手をのせると目をキラキラと輝かせる。
金髪に染めたサラサラの前髪を指先でかきあげると、甘い香水の匂いがした。
角度によっては下着が見えそうなミニスカートに、派手なキーホルダーをスマホに付けた、もう一人の女子が俺を指差す。
「ほいほい、日暮ね。ウチは、一条ミカ。ミカって、呼んで良いよー。ていうか、小っちゃ! ホントに、手乗りサイズじゃん!」
雑な自己紹介を終えるなり、目を大きく見開いたミカが、前のめりになって俺の机を覗き込む。
俺が弄っていたスマホの上で、フワフワと浮遊する小人の少女。
背中から小さなコウモリ羽を生やした迷宮妖精が、机を囲む二人の女子高生を見上げた。
「ねー、アリサ。私のスマホで写真撮ってよー。ウチのSNSにアップするからさー」
パタパタと騒がしく上履きの音を鳴らして、ミカが俺の背後に移動する。
俺の背中にムニュッと音が聞こえそうなくらい、柔らかいモノが当たっていた。
冷静を装おうとしたが、中学時代はボッチだったせいで、女子への免疫ゼロな俺はドキドキしてしまう。
「ミカ、撮るよー。はーい、笑って……。おーい、日暮も」
「いぇーい!」
名指しをされては、さすがに無視するわけにもいかず、渋々ながら笑顔を作る。
ミカが俺の肩から腕を伸ばして、ご機嫌にピースサインをした。
正面に立つ女子のスマホから、パシャリと撮影音が聞こえる。
「見せて、見せて……。おー、綺麗に撮れてるじゃん。ウチのツイツイッターに上げちゃおー」
入学初日なのに、初対面の異性に対する距離感の詰め方は、陰キャの俺には真似できない芸当だ。
やはり陽キャとは、おそるべき生き物だ……。
あとSNSにアップするなら、せめて目線くらいの加工はしてくれるよね?
「ねーねー、ひぐらしー。迷宮妖精って、何食べるのー?」
「えっと……。わりと何でも食べるよ。迷宮妖精は雑食らしいから……。あっ、でも。お菓子の方が好きだから。迷宮に行く時は、お菓子とか持って行った方が、本人と仲良くなれるかもね」
「へー、そうなんだー。どんな、お菓子が好きなのー?」
「ちわーっ。ひぐらしっているー? あっ、ミカじゃん。ちょー久しぶりー。中学卒業してから、会ってなかったよねー? 学校終わったら、カラオケ行くー?」
隣のクラスメイトだろうか?
スライドする扉を開けた数人の女子が、教室に入って来る。
同じ中学校だったのか、近くにいた女子とハイタッチをして仲良さげに喋り始めた。
「なにコレ、小っちゃ! 手乗りサイズじゃん!」
「そのくだり、さっきミカがやったよー」
「ねー。誰か私の写真も撮ってー」
入学初日から、楽しそうにお喋りをする女子高生に囲まれてしまい、すごく戸惑う。
他の男子とは、まだ自己紹介の会話すらしてないのに……。
教室の全方位から、嫉妬が入り混じった男子の鋭い視線が集まり、頭を抱えそうになった。
声を掛けに行きたくても、俺の周りに立つ女子の壁を突破するほどの度胸も無く、俺はどうするのが正解なのだろう?
当初の想像とは違う高校デビューで、ボッチは卒業できそうだが……。
明日からクラスの男子全員が、敵になってるとかはないよね?
「ねぇねぇ。この迷宮妖精って、名前とかあんのー?」
「あるわよ。ミリアって、名前がね。マスターが付けてくれたのよ」
「……うほぉおおおお!? 喋ったぁああああ!」
「おい、誰だ。いまゴリラみたいな声を出したのは?」
「ミカじゃね?」
「ちちち、違うし。うちじゃないですし、おすし」
不意に声を発した迷宮妖精に驚いた女子達が、大騒ぎをする。
「ねえねえ、ひぐらしー。SNSとかやってる? ないなら、スマホのメアドとかでも良いけどさー」
「ユウトはSNSやってないでしょ? 私のアカウントだったら、教えてあげても良いけど」
「え? なになに? 迷宮妖精ってSNSできんの? ハイテクゥ!」
俺のスマホを慣れた仕草で操作するミリアを見て、女子達が「おー」と感嘆の声を漏らす。
教室の扉がガラガラと音を立てて開き、くわえ煙草をした女性が教室に入って来た。
「おーい。席に着けー。もうすぐ入学式が始まるから、その前に出席を取っとくぞー。まさか初日から、遅刻してるやつはいないよなー? ……あん? お前ら何組だ? 自分のクラスに戻れよー」
シッシッと小動物を追い払う仕草で、先生が手を払う。
隣のクラスから来た女子達が、不満そうな顔で移動を始めた。
「入学式が終わったら、また来るから。連絡先、交換してねー」
「え? あ、うん」
女子の一人が可愛らしい笑顔で手を振りながら、教室を出て行った。
「あー、ミキ。ずるいー。私も、ミリアちゃんの連絡先が欲しい―」
教室の扉が閉まる直前で、遠ざかる女子の声が聞こえた。
……あ、そうか。
俺が目当てじゃなく、迷宮妖精か……。
まあ、そうだよな。
一瞬でも自分に気があるとか、勘違いした自分が恥ずかしい。
そ、そうですよねー。
世にも珍しい、迷宮妖精がいなければ。
初日から女子高生に囲まれるモテモテイベントなんて、陰キャの俺に起こるわけがないですよねー。
「人間って、ホント面白い生き物ね……」
大きなため息を吐いて、肩を落とした俺を見ていたミリアがクスクスと笑う。
背中から生えた小さなコウモリ羽をパタパタと動かすと、俺の肩にミリアが座った。
教壇に立つ先生が出席を取り始め、名前を呼ばれた生徒が返事をしている。
――明日には、地球が滅ぶかもしれないのにね……
耳元でミリアが小さく囁いたが、俺は気にすることなく机に視線を落とした。
ついさっきまで、スマホで読んでいたネットニュースの記事が目に入る。
『中国で発生した大迷宮のスタンピードで、死者は十万人越え? ノストラダムスの大予言は、やはり真実か?』のタイトルに目が留まったタイミングで、先生が俺の名を呼ぶ声が聞こえた。
* * *
「ういー。みんな、入学式おつかれさまー。とりあえず今日は、解散で……。カラオケとか、行ってもいいけど。寮生活のヤツは、門限までには帰って来いよー。先生は初日からオールして、寮長に迷惑かけたけど。おまえらは絶対にするなよー。絶対だぞー」
くわえ煙草をしながら教壇に立つ先生が、冗談なのか本当の話なのか判断の付きにくい発言をする。
なかなか変わった先生だな……。
それとも迷宮を専門とした高校は、変わった人が多いのだろうか?
「あー、それと。特待生は、まだ帰んなよー。事務が入学前にサインしてもらう書類を、送り忘れてたらしいからさ。先生が取って来るまで、ちゃんと待ってろよー」
職員室に書類を取りに先生が教室を出ると、クラスメイトが帰り支度を始める。
次々と同級生が席を立ち、教室には数人の生徒だけが残っていた。
開いた窓のカーテンが揺れ、外から入って来た涼しい風が俺の頬を撫でる。
それと、仲良くなった友達と登下校をする学生の声が聞こえた。
先生が戻って来るまで、暇だな……。
そういえば寮に戻ったら、実家から送った荷物も整理しないとな。
山積みになった未開封のダンボールを思い出して、ため息が出る。
「……ねぇ。ヒグラシってさー。ノストラダムスの大予言とか、信じるタイプ?」
「……え?」
不意に名前を呼ばれて、隣の席に視線を移す。
窓際の席に座る少女が、頬杖を突きながら俺の顔をじっと見つめていた。
健康的に焼けた小麦色の肌と、ボーイッシュな顔立ちが特徴的な少女が、白い歯を見せてニカッと笑う。
「さっき、スマホのニュース読んでたでしょ? ヒグラシも、預言を信じるタイプ?」
少女が指を差した先にいた迷宮妖精が、スマホをスクロールしていた手を止めて顔を上げる。
「あなた、目が良いのね」
「ふふん。よく言われるね」
「えっと……紫宮さん、だっけ? 預言は……半々かな?」
先生が出席を取っていた時に聞いた彼女の名前を、ようやく思い出す。
紫宮が立ちあがると、椅子を俺の方に寄せる。
椅子の背もたれを俺の方に向け、背もたれに腕をのせる体制で座り直した。
足を動かしたタイミングで、彼女の太ももが目に映った。
さっきミニスカを履いてた女子に比べて、太ももが引き締まってるような気がする。
アウトドアが好きそうな小麦色に焼けた肌と、彼女の第一印象から俺が連想したスポーツは……。
「もしかして、紫宮さんって……陸上部?」
「お。……正解。よく分かったねー。ちなみに僕も、特待生だよーん。高校生のインターハイで、マナが使えたら中学生でも参加できる特別枠があるんだけど。そこで好成績だったから、推薦もらって入学できました。ぶいっ!」
二本の指を立てて、両手でピースを作る。
高校生のインターハイに中学生でも参加出るんだ……普通にスゴイな。
すごく運動神経が良いんだろうな。
「高校も陸上部を続けようか、悩んでたけど。顧問のセクハラがひどくてさー。姿勢が悪いとか言って、女子の太ももとかお尻とかベタベタ触るしさー。なんかモチベが下がってた時に、ここの学校の特待生に挑戦してみたら、入学できちゃったんだよねー。迷宮で冒険とか面白そうじゃん」
顧問のセクハラとか、思ったより闇が深い話を聞いてしまった。
全ての男性顧問が、そんな最低の大人ばかりとは思わないが、陸上部を続けたくなくなる原因にはなりそうだな。
「ホント小っちゃいねー。テレビとかネットでよく見るけど……。ミリアちゃんだっけ? ……ねぇねぇ。さっき、明日には地球が滅ぶかもしれないとか言ってたけど。それって、どういう意味?」
紫宮の発言に、ミリアが驚いた顔で目を見開く。
「目だけじゃなく。耳も良いのね……」
「あっ、そっちはたまたまだよ。僕も迷宮妖精を生で見るの初めてだから、話し掛けたかったんだけど。すごい女子が集まって来てさ。気にしてないフリしながら、メッチャ集中して話を聞いてたから。たまたまね、聞こえたんだよ」
「それでも、すごいと思うけど……」
ミリアがスマホを指差すと、持ち上げろと俺に命令する。
中国で発生した大迷宮による暴走事故の記事が載ったスマホの画面を、紫宮が見えるように傾けた。
「地球が滅ぶって話はね……。地上に繋がってる大迷宮がいくつもあるから。いつ中国の比にならない迷宮暴走が起こって、大量のモンスターが地上にあふれ出して。世界が滅んでも、おかしくないわよねって話よ……」
「うん……。僕も最近、ネットの動画で昔のニュースとかよく見るんだけどさ……。空から恐怖の大王が降りて来るってノストラダムスの大予言があった時に、迷宮が初めて見つかったじゃん。お父さんは、たまたまだって言うけど……。日本にも大迷宮があるし。スタンピードが起きたら、どうなるんだろうって思ってさー。中国みたいに、いっぱい人が死んじゃうのかなって……」
「……それってさ。ネットで、よくある噂話だろ? 中国でスタンピードが発生した五年後に、日本以外のアメリカやインドで大迷宮のスタンピードが発生したけどさ。そこから二十年くらいは、何も起こってないし大丈夫だろ? 国も慎重になって、いろいろ対策をやってるだろうしさ」
紫宮が真剣な表情で俺達を見つめていたので、ミリアの冗談だよとフォローをしたが……。
ミリアが余計なことを言うから、紫宮が真面目に考え込んでしまった。
オカルト系の噂話とか、信じるタイプなのかな?
俺と目があったミリアが「私のせい?」と言いたげな、不満そうな顔で頬を膨らました。
「これは私が、知り合いから聞いた話だけど……。ここだけの話よ」
空中をフワリと浮いた迷宮妖精が、紫宮の手の甲に止まって声を潜めて囁く。
「マスコミは放送してないけど。日本もね、スタンピードはあったのよ。しかも二回もね」
「え? そんな話、聞いたことが……」
「それは国の偉い人達が隠してるのよ。スタンピードを地上じゃなく、迷宮内で食い止めることに成功したら。外の人間には分からないわよ」
政府が隠してる秘密の話とか。
それこそネットで、よくあるオカルト系の噂話じゃないか。
とツッコミたいところだったが。
前のめりになった紫宮が、真剣な表情でミリアが語る噂話に耳を傾けてる。
「ちなみに、日本のスタンピードを止めた迷宮職業は、何か分かる?」
「んーと……。アメリカの時は、勇者だったよね? 日本も同じ勇者じゃないの?」
「いいえ。違うわ。日本でスタンピードを二回も止めた迷宮職業は、迷宮士よ」
「え? そうなの? 僕、陸上ばっかりやってから。迷宮のこととか、最近いろいろ調べるようになったんだけどさ。迷宮士って、そんなにすごいの?」
「すごいわよー。もしかしたら、この学校を卒業した迷宮士が。日本でスタンピードが起きた時に、止めてくれるかもねー」
そう言いながら迷宮妖精が、俺の方へ視線を移す。
そして紫宮も俺の顔をじっと見つめる。
「……え? 俺?」
「今のうちにサインを貰っといたら? 高く売れるかもよ」
「……サインください」
転売目的かよ!
ていうか、ポケットティッシュを出されても、どこにサインするんだよ。
「絶対、信じてないだろ?」
「さすがの僕でも、嘘だって分かるよ。だって日本でスタンピードが、二回もあった話なんて聞いたことないし」
白い歯を見せて、紫宮がニシシシと笑う。
すごく怖がってたのが元気になったみたいだし、まあ良しとしよう。
「さっきオカルト系ニュースで見つけた記事だったけど。人間を騙すには、リアリティが薄かったかしら?」
そこの迷宮妖精は、人間を騙そうとしないでください。
ガラガラと音を鳴らして、教室の扉がスライドした。
「おーい、持って来たぞー。みんな良い子に待ってたか―? 署名のところに名前書いたら、帰って良いからなー。実技で死んでも、学校は責任取らないって書いてるけど。ここ三年くらいは、死人は出てないし。気にせず署名しろよー」
「せんせー。その言い方、メッチャ気になるんですけどー」
物騒な発言をする先生に、クラスメイトの一人がツッコミを入れた。




