第1話 一週間だけお試し夫婦
「涙衣、飾、ちょっといいか?」
夕食の時間に、父さんが少し深刻そうな顔でそう言った。
なんだろう、つい身構えてしまう。
悪い話か?
「父さん、少し長めの出張に行かないといけなくなりそうなんだが」
「出張? 珍しいね、最近はなかったのに」
「去年は俺が出張に行くと涙衣がひとりになってしまうから、断っていたんだ。義務教育中の子どもひとりだけにできない、と言えば上司も納得してくれたから。でも、お前たちももう高校生、留守番を任せても大丈夫かなと思って」
そういうことか。
たしかに一昨年までの父さんは、そこそこの頻度で出張に行っていた。
離婚後は急になくなったが、俺のためだったのか。
「もう子どもじゃないから、安心して行ってきていいよ。なぁ、飾」
「そうだね。るぅひとりに家を預けていくのが心配なのはわかるけど、今はあたしもいるから大丈夫」
飾のやつ、なんか俺のことを子ども扱いしていないか?
一応、本来は俺が兄なんだぞ?
「そうか、じゃあふたりのことを信じて任せようかな」
「少し長めの出張って、期間はどれくらい?」
「一週間って言われてるんだ。日曜日の午後に移動して、金曜の夜まで。あ、いや、金曜の夜に打ち上げに参加しなきゃいけないみたいだから、帰りは土曜日だな」
思ったより長いな。
その期間をひとりで過ごすとしたら、自由気ままな生活を通り越してさみしくなりそうだ。
でも、ひとりじゃなくて飾と一緒だからな。
「そんなに長く留守番するなら、お土産は期待しないといけないわね」
「ははっ、たくさん買ってくるよ」
そして、次の日曜日の午後、父さんは大きなスーツケースに荷物を詰めて出かけて行った。
これで一週間後まで、この家は俺と飾のふたりきり。
そう、ふたりきり。
「やっとふたりきりになれたね」
「え、なに急に」
「もう俺たちの愛を邪魔するものはなにもないよ」
「いきなり変なスイッチ入れないでくれる? びっくりするんだけど」
口ではそう言っているけれど、手を伸ばすと逃げずに触らせてくれる。
まぁ触ったのが肩だったからかもしれないけど。
機嫌が良い日なのかな?
「お父さんのことを邪魔者呼ばわりするのはよくないよ」
「……うん、それはそう。なんか言葉のあやで、つい」
「そこを反省してるなら、まぁよし」
「許してもらえたってことは、ここからの一週間は存分にいちゃいちゃしていいってことですか? それこそ、この前の新婚ごっこを一週間続けるみたいに」
「いや、さすがにそれは……一週間もあんなことやってたら、今の生活に戻って来れなくなりそうだけど」
それは言えてる。
あんな幸福を毎日味わっていたら、現在の関係に戻って来れなるだろう――それも悪くないのでは?
「よし、わかった。この一週間は、兄妹じゃなくて夫婦としてすごそう」
「なにがわかったのかしら⁉」
「飾は今の生活がすごく気に入ってるんだろ?」
「そうよ」
「これが崩れてしまうのがイヤだから、俺と付き合いたくないっていって、なんだかんだ恋人になってくれないわけだ」
「そうだけど、あらためて言われると、なんか私がずいぶん自分勝手に聞こえるのが不思議」
いや、自分勝手そのものだと思うが。
「だから、まずこの一週間を、お試しで違う関係として過ごしてみないか? それで、今後もやっていけそう、やっていきたい、なんとかなるかも……まぁダメとは断定できないって思ったなら、先に進んでみてもいいのではないかと」
「そういうこと言うなら、もっと自信を持ってくれないかな。だんだんと自信がなくなっていくのが不安」
「いや、だってフラれたらって思うと」
「そうやって始める前から自信がない人が好きじゃない。あたしの夫として振る舞いたいなら、もっと堂々としてちょうだい」
「わかった。堂々とする……ということで、どうかな? 今から父さんが帰って来るまでの間、お試し夫婦ってことでいいかな?」
「ダメって言ったら、またなにか突拍子もないこと言い出すんでしょ? いいわよ、それならお試し夫婦をしてあげる。ルールは……そうね、期間はお父さんが帰ってくるまで、夫婦っぽい行動を心掛けること、でも寝室は別々。それでどうかしら?」
「キスは?」
「ダメ! って言ったら、どこが夫婦だよ、って話だしね。キスなしだと、普段の生活とあんまり変わらなくなっちゃう。だから、いいわよ、キスしても」
「よしっ、じゃあさっそく」
飾の体を抱き寄せ、唇を奪おうとする。
最近はなんとなく慣れて来たらしく、飾もキスのたびにいちいち赤面しなくなっている。
ちょっとさみしい気はするが、それだけ回数を重ねてきたということなので、誇らしくもある。
「でも、一日一回」
まさに唇が触れようとした瞬間、そう言われた。
吐息が鼻腔に直接入って来てうっとりする……なんて思ってる場合ではない。
重要情報だ。
「一回だけ?」
「そう、一回だけ」
「つまり、ここでしてしまったら、もう今日はできない?」
「そうなるわね。ここでしちゃう?」
「…………おやすみのキスがいい」
「うん、じゃあその時にね」
そう言って、飾は俺の腕の中からするりと抜け出した。
体よくあしらわれた――わけではないはずだ。
絶対に今日中にキスするからな。
まぁ、今日のキスはそれでいいとして……明日からはどうしようかな。
行ってきますのキスもいいし、場所の指定はなかったので、学校で人目を忍んで――というおねがいをするのもいいだろう。受け入れてもらえるかは別として。
だがそれ以上に、キスにだけ集中しすぎないようにしなければ。
一週間、キスのことだけ考えて終わったのではあまりにもったいない。
この機会に、飾に真剣に俺との関係について考えてもらわなければ。
別れが怖いから付き合わない、って言ってるけど、それだっていつまでも続けられるわけじゃない。
もし、それぞれに別の好きな人ができれば、結局は変わらざるを得ないんだ。
そういう未来だって、もしかしたら悪くはないのかもしれない。
でも、別れたくないって理由で一番好きな人を諦めて、それで別の人を探すなんて。そんなのはイヤだ。
当たり前のことだけど、一番好きな人こそが一番一緒にいたい人だから。
今の俺たちはすごく仲がいいけれど、将来はどうなるか、そんなこと誰にも、いつまで経ってもわからない。
それに怯えるのではなく、将来どうなるかはおいといて、とにかく今が幸せだからいい――そう思ってもらえることができたなら。
きっと俺たちは、ここから一歩前に進めるはずだ。
この一週間の最大の目標は、それだ。
一週間後、父さんが帰って来た時に、俺たちが付き合い始めたと報告してやろう。




