第4話 新婚ごっこ
「それで……全力でおままごとをするなら、設定をちゃんと決めておかないといけないわよね。どうする?」
キッチンに移動してから、飾がそう言った。
「女騎士の時みたいに漠然とした設定で、演じながら決めているとぐだぐだになるわよ。最初に決めておかないと」
「そうだな。……あまり変わった設定にしたら、それを守るのに必死になってしまうよな?」
「うん、きっとそう」
「もっと地に足が着いた設定の方がいい……現代日本を舞台にした、普通の新婚夫婦にしたらどうだろう?」
「無難ね」
「年齢は二十代の真ん中くらい。結婚一年目」
「妥当な設定ね」
「子どもはまだいない。早くほしいと思っている」
「うん……うん?」
「役名も決めておかないとな。俺の役名は涙衣、飾は飾にしよう」
「ただの本名!」
「たまたま本名と役名が被っただけであって、そこに深い意味はないから」
「意味しかないでしょ。始める前に狙いがわかった。おままごとって言いながら、新婚ごっこをするつもりなんでしょ?」
「そうだよ。イチャイチャしにいくつもりだよ」
「あっさり認めたわね……なら、こっちは全力でそれをかわしてやるわ。おままごとの範疇に収めてみせる」
「じゃあ勝負だな。イチャイチャになったら俺の勝ち」
「ならなかったらあたしの勝ち。受けて立つ」
別に勝負ごとにしなくてもいいのだが、なぜか勝ち負けを決めたくなる。俺たちの間ではよくあることだ。
その後、細かいルールについて話し合った。
制限時間は三十分。タイマーをセットし、それが鳴るまで続く。
勝敗は、イチャイチャを成立させられるか否か? ――それだとあまりに漠然としているため、キスやハグをすればイチャイチャ成立と見做すことにした。
時間内は、役になりきること。もし素の自分として発言をしたら反則負け。
家の外に出てはならない。
スマホを見るなど、露骨な時間稼ぎをしてはならない。
「勝った場合は何がもらえることにする?」
賭けられているものが何かを後出しではなく、事前に公開しておくのが俺たちのスタイルだ。
勝者へのご褒美が決まったところで、俺たちは勝負形式のおままごとをスタートした。
――シチュエーション。仕事から帰って来た夫を妻が出迎える。
「ただいま」
そう言って、俺はキッチンのドアを開けた。
「おかえり、涙衣さん。今日のお仕事はどうだった?」
飾はまな板の前に立ち、キャベツを切っているところだった。
設定やスタートのセリフは、最初にやっていたおままごととほぼ同じだ。
だが、状況は決定的に違う。
飾が今切っているのは本物のキャベツ。たぶん、夕食に使うつもりなのだろう。つまり、おままごとと言いながらも、リアルとの境界線がすでに曖昧だ。
「仕事はいつも通り。でも、飾さんに早く会いたくて、走って帰って来たよ」
「まぁ、涙衣さんったら」
素の自分を出したら負け……何が“素”なのかをわかりやすくするため、お互いの呼び方を普段と変えた。飾、るぅ、といういつもの呼び方が出たら、その時点で勝負ありだ。
それだけの理由で決めたことだったのだが、違う呼び方をされるというのはなかなか新鮮だ。
俺はたまに“飾さん”と呼ぶことはあるが、“涙衣さん”と呼ばれることはないため、俺の方がより高い新鮮度を味わっているだろう。
それにしても、新妻設定の飾は、いつもよりも魅力的に見える。
エプロン姿で料理する様子には、大人の色気すら感じる。……よく考えると、いつも使っているエプロンだから見慣れてるはずなのだが。
思い込みとはすさまじい威力があるようだ。
「走って来て喉が渇いたでしょ? お茶をどうぞ」
飾は急須にお湯を入れ、緑茶を淹れてくれた。
何気ない仕草だが、新妻の優しさと気遣いを感じる。
……落ち着け。
これは飾の作戦だ。
飾は三十分間をやり過ごせば勝ちなのだ。俺にお茶を飲ませて、時間を浪費させるつもりなんだ。
基本的に、このルールは飾に有利だ。
飾は特にミスをせずに三十分を逃げ切るか、キスを拒み続ければ勝ちになる。
俺はそれを崩していかなければいけないため、攻撃を続けなければいけない。なので、飾のペースで動くわけにはいかない。
「お茶よりも、いつものアレをやってほしいな」
「アレってなんだっけ?」
「アレはアレだよ。おかえり、先にご飯にする、お風呂にする、それとも……」
「バ………………バレバレな嘘はダメですよ。あたしはそんなベタなことは言わないじゃないですか」
ぺしっ、と手のひらで俺の頭を叩いてくる。
惜しいな。今一瞬、素でツッコみそうだったのに。
「じゃあ、いつも通り、ただいまのちゅ~を」
「行ってきますの時はするけど、ただいまの時はしないでしょ?」
そういう逃げ方をしてくるか。
たしかに、新婚なのにまったくしないなら設定無視と言えるが、片方だけでもしてるなら家庭ルールの範囲と言い張れる。
やはりスタートしたばかりでは、まだ警戒心が強いか。
しかし怯むわけにはいかない。攻めの一手だ。。
「今日のご飯なに?」
「豚の生姜焼きにしようかなって」
「いいねぇ、生姜焼き大好き。汁を吸ったキャベツなんて特においしいよね」
「たくさん食べて、明日もお仕事がんばってね」
「明日じゃなくて、今日のうちにがんばらない?」
「どういうこと?」
「そろそろ赤ちゃんほしいな、って。どうかな、今日ベッドで、デキるまでがんばらない」
「……このっ」
飾はなにか言おうとしたが、開きかけた口を必死で堪える。
だが、ここで止まってしまえば飾の負けだ。俺は“子どもはまだいないが、早くほしいと思っている”という設定を忠実に守ったセリフを言っただけだからな。
「……このっ、この前“がんばった”時の結果がまだ出てないから……結果次第では、またたくさんしましょ」
顔を引きつらせ、真っ赤にしながらそう返してきた。
新婚夫婦なんだから、毎日したっていいじゃないか――って続けることもできたけど、架空の設定とはいえ飾と子作りしていたという展開に、俺も想像以上に興奮してしまったので、ここまででいいか。
というか、これ以上続けると前屈みになりそう。
下ネタ路線をやめ、別路線から攻めてみるか。
そうだな……とりあえず、もっと赤面させるか。テンパらせれば、どっかで素が出るだろう。
「今日のお弁当、すごくおいしかったよ」
「本当? ならよかった」
「鶏そぼろが絶品だった。まるでお店みたいだったよ」
「ネットで見たおいしくなるコツっていうのを試してみたんだけど、うまくいったみたいね。よかった」
ちなみに、すごくうまい鶏そぼろが弁当に入っていたのは実話だ。今日の話ではないが、ほんのちょっと前に実際にあったことだ。
だから、次の言葉は効くはずだ。
「そのコツもあるけど、やっぱり一番の調味料が入っていたおかげじゃないかな?」
「一番の調味料?」
「愛情だよ。溢れんばかりの俺への愛が込められているのを感じたよ」
「あ、愛?」
「舌だけでなく、心でも味わえたから、あんなにおいしかったんだと思う」
「………………」
どうだ? 新婚という設定上、「違う」とは言えないだろう?
「そ、そりゃ愛情も込もっているわよ。大好きな旦那様のために作ったお弁当だもの」
注文通り赤面させているが、まだ設定を守っている。
もう一押しか。
「俺のために、こんなに愛情を込めたお弁当を作ってくれる女性と結婚出来て。すごく幸せだよ。一生君を愛し続けるとあらためて誓うよ」
「そ、そう……ありがとう」
「飾さんからも愛の言葉を聞きたいな。俺からばかり言うんじゃ不公平だろう? なんといっても、俺たちは愛し合う夫婦なんだから」
「………………こいつ」
明らかにアウトなセリフが聞こえた気がしたが、声が小さかったので素が出た認定は難しいか?
だんだん気付いてきたが、このルールは実は俺に有利かもしれない。
というのも、俺と役との間には、あまり差がない。飾のことが大好きという点は完全に一致している。
一方飾は、俺からの愛を受け入れたかどうかで、リアルと役の間に決定的な差がある。
役を守りながらエチュードを続ける難易度は、明らかに飾の方が高い。
「聞きたいな、飾さんの愛の言葉」
「………………」
「言えない理由があるのかな? もし納得できるような理由がないなら――」
勝負ありだよな?
と視線に圧を込める。
「ぐぬっ」
いつものうめき声が出た。これは勝ったか?
「…………あ、あたしも愛してるわ。あなたのことを。世界中の誰よりも。あなたに会えたことがあたしの人生で最大の幸運。あなたと離れ離れになっていた時期も以前にあったけれど、まるで死んだような日々だったわ。だから、今はすごく幸せ」
――こいつ。
役としてのセリフだか、本音だかわからないセリフで返してきた。
なんて負けず嫌いなんだ。
「あ、あと、あなたと同じ名字になれたのがすごくうれしいな。星宮飾って……すごく落ち着く名前なの。今までの名前はウソの名前で、これがあたしの本当の名前なんだって気がする」
そりゃそうだろう。
リアルの人生で一番長く使った名前が“星宮飾”なんだから。
だが、そうツッコんだら俺の負けだ。
だからぐっと堪える。
「こ、これからはずっと“星宮飾”だよ」
「うん。昔のあたしに教えてあげたい。もっと早く涙衣さんと結婚して、星宮を名乗ったらよかったのに、って」
“昔の”ってなんだよ。
役の俺からプロポーズされて、断っていたみたいな裏設定でもあるみたいじゃないか?
というか、それって現実の俺たちと何が違う?
役としての“涙衣”と“飾”が、今の俺たちの延長線上ってことにしたいのか?
それだと、将来的に俺と結婚してくれるって意味になるんだが。
ガッツポーズしていいのか?
いいわけない。
設定では、すでに結婚していることになっているんだ。それなら、今の話でガッツポーズするのはおかしい。
ここは当たり前のように受け止め、流さなくてはいけないんだ。
「さすがだね、飾さん」
「あら、なにが?」
「包丁捌きが」
すでに切り終わっているキャベツに今さら話題を移し、いかに細く均等に切れているかを褒める。
もちろん、裏の意味がある誉め言葉だ。
本音は、俺のことをさすがよく理解してるね、って意味だ。
そういう意図を言外に込めつつ、ニヤッと笑いを浮かべる。
乗り切ってやったぞ。
お前の思う通りには進んでやらないぞ。
「ええ、得意だから。いくら涙衣さん相手でも、これでは負けられないの」
飾も笑みを浮かべる。
まだこの戦いは終わらない――。




