27. 私の仕事
ギルベルト殿下の私室に向かう足は、少し重かった。
今となっては、衛兵たちの私を見る目も温かくなってきているし、舞踏会のパートナーを務めたということで、シュルツさんに見つかっても構わなくなってきているのに。
私のこの考えは、おそらく当たりだ。だからもう、お役御免になる。これからフィフィアーナ殿下解放までは、いろいろと面倒な手順を踏まなければならないだろうが、そこに私は必要ない。
「失礼します」
ノックをして部屋に入ると、ギルベルト殿下は少々ご機嫌な様子だった。
「やあ、エルゼ。座って。今日はようやく、実のある報告ができそうだよ」
笑顔でそう言いながら、ソファに腰かける。
私が口を出さなくとも、真相に近付いたということだろうか。そんなことを思いながら、彼の向かいに座った。
ギルベルト殿下は少し身を乗り出して、口を開いた。
この距離で話すことなどもうないのかもしれない、と感傷的になってしまう。
そんな私には気付かないのか、殿下の声は弾んでいた。
「実は、少しずつ少しずつ、噂の元を辿っていたんだ」
「噂の元?」
「そう。『いったい誰から、第三王女を幽閉するべきだと聞いたのか』って」
なんて地道な調査だろう。もちろんギルベルト殿下一人だけがそれをしていたわけではないだろうが、気が遠くなる作業には違いない。
「記憶違いってこともある。誰から聞いたのか忘れたということもある。自分自身でそう考えたのだ、と思い込む者もいる。でも根気強く、少しずつ少しずつ辿っていくと、ようやく一人に収束し始めた」
「一人に……」
噂の大元。フィフィアーナ殿下を閉じ込めようと画策した、張本人。
「誰です?」
「シャルロッテ姉上だ」
ああ、やっぱり。まだ核心には迫っていない。
「間違いないね、シャルロッテ姉上が黒幕だ。こちらの協力者の目途もついた。噂の元を辿ると同時に味方になり得そうな人間を探していたんだが、最近の姉上の言動が目に余ると考える者も多くてね。フィフィを完全に解放するにはまだ時間が必要だけど、そもそも虚言だし、解決策は見えてきた」
上機嫌で話す彼に、私は低い声で返す。
「……シャルロッテ殿下じゃないと思います」
「え? じゃあ誰だって言うんだ」
間違いないと確信していた答えを否定されて、多少はプライドが傷ついたのか、彼は眉を顰めた。
このまま言わなければ、解決することもできずに、私はまだこの人の側にいることができるのだろうか。
ああ。『もういいかな』の精神は、どこに置いてきてしまったのだろう。そして私はどこまで欲深く、醜くなるのだろう。
こんなことではいけない。それは心の奥底に隠しておかなければ。知られてしまったら、きっと軽蔑される。せめて、仕事をきちんとこなした女、という存在でいたい。
裏切りは、恥ずべきことだ。
「念のため確認しますが、シャルロッテ殿下が『下賤』と言い出したのは、最近で合っています?」
「……そうかも。酷いことを言うようになったものだと思ったから」
突然の問いかけに、戸惑いながらもギルベルト殿下は答える。やはり人の意見に耳を傾ける、真摯な人なのだ。
「それから、このごろ福祉活動は疎かになってきているのでは。慰問に行かなくなったと仰っていましたよね」
「……そうだよ。でもフィフィのことで、城内が落ち着かないという話で……」
次々に出てくる私の発言を否定しようとはするが、自分自身の考えに揺らぎが出てきているような弱々しい声だ。
対して私の声は、徐々に確信を得て、強さを増していく。
「第二王女のゲルトルーデ殿下が亡くなられたとき、シャルロッテ殿下は喜んでいたと聞きましたが」
それには、ギルベルト殿下は額に手を当て、はーっと大きく息を吐いた。
「それ、フィフィが言ったんだよね? フィフィには注意したんだけど、まだそんなことを言っているんだね」
「というのは?」
「喜んでいたわけじゃない。悲しまなかったんだ。少なくともそう見えた。だから陰口を叩く人も多くてね。でも心の内まではわからないから、気丈に振る舞っていただけかもしれない。確かによくゲルトルーデ姉上に突っかかってはいたけど、まだ子どもだったんだよ。亡くなったあと、どう感情を出せばいいのかわからなかっただけかもしれないし。それを喜んでいたというのは……」
「ええ。喜んだのではなく、安心したんです」
「……エルゼ?」
あまりにも揺らがない私の態度に、自分の答えを疑い始めたのだろう。
きっと私は、間違っていない。
「シャルロッテ殿下は、確かに性格が終わっているのかもしれません。差別的かもしれません。でも彼女の主張には、一本筋が通っています」
私は彼の翠玉色の瞳をひたと見据える。
「純血主義なんです」
ギルベルト殿下はその言葉にハッとしたのか、わずかに口を開いた。
話を聞く限り、シャルロッテ殿下はあくまで、『王家に平民の血が混じることが許せない』という人間だ。
ギルベルト殿下とフィフィアーナ殿下が平民の血を引いているから、彼らを王城から追い出そうとしている、と聞くと、平民に対する差別感情が目に付く。
だが、高貴な血、という意味ではゲルトルーデ殿下の血はこの上なく高貴だ。我がイーディオルス王家と、隣国ブレイアルド王家の血を引いている。それでもシャルロッテ殿下はその血を受け入れていない。
「いや……言われてみれば……確かにそうとも受け取れる……」
口元に拳を当てて、考え込んでいる。彼女の過去の発言を思い返しているのだろう。
いくらか考えがまとまったのか、しばらくしてから顔を上げ、私に向かって問いかけてきた。
「でも、だからといって容疑者から外れはしないよ。どうしてシャルロッテ姉上ではないと?」
殿下の問いに、私はきっぱりと答える。
「シャルロッテ殿下はあくまで純血主義であって、国民を見下しているわけではないんです。『よくない気持ちって、いくら取り繕ったって、子どもたちには感じ取れてしまうものじゃないか』と仰ったのは、ギルベルト殿下です」
「言ったけど……」
ギルベルト殿下が迷うなら、私は迷わない。それが第三者たる私の仕事だ。
「だから、『下賤』なんて言葉、出てくるはずがありません」
シャルロッテ殿下は平民に対して、『下賤』だとは思っていない。
だが、ここ最近の彼女は、なぜかギルベルト殿下が『下賤な血』であることについて、文句をつけていた。
話に聞く過去のシャルロッテ殿下と、現在のシャルロッテ殿下の、人物像が一致しない。どっちにしろ、お近づきにはなりたくないとは思うが。




