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ヒーローなんていない  作者: サク
没落殿下と毒の花
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作戦の行方

 

 みんなと無事に再会を果たして、さぁ町に入ろうというときになって、エーベルがある提案をしてきた。


「町に戻るまえにきちんと作戦を立てといたがいいと思うよ、僕は」


 その真意を問うべく見返すと、エーベルは笑みを深める。


「つまり……?」

「つまり、僕たちはまだ見つかってないことにして、君たちは先に帰ったほうがいいってこと!」


 エーベルがそう言った瞬間、場の空気が凍った気がした。


「……それは、ヴィヴィエッタをおまえに任せろと言っているのか」


 いや、気のせいじゃない。せっかく解れてきていた空気が秒で凍りついた。その冷気の噴出孔の一人、切れ味抜群の刃のような冷え冷えのエヴァルドが、どこから出たのかっていうほどそれはそれは低い声を出す。


「まぁ結果的にそうなるよね。君たちが素知らぬフリをするんだから、彼女は僕といるしかない」


 それを受けても飄々とした態度を崩さずに、悪びれもせずに肩を竦めるエーベルはさすがとしか言いようがない。私もこのくらい神経が図太ければ、モニカの存在にいちいち目くじらを立てずに済んでたのかもしれない。

 セシリオはエーベルの発言を受けて、馬を引きながら歩んでいた足を止め、彼を見返した。


「君がそうしたほうがいいと思う根拠はなんだ」

「だってあの腹黒い殿下のことだよ? 彼女が無事にこの町に帰ってきたって知ったらどう動くと思う? 証拠隠滅に擦り付け、口八丁での言い逃れ、それらすべてを僕のせいにされても困るんだよね。僕は確実に彼が関わっているっていう状況を君らに確認してほしいわけ」


 想像しただけでぞっとした。

 それはラヴィラ男爵がどのような行動に出るのか、私にはまるでもう予想がつかなかったからだ。

 彼はあの場にいた私のことを、少しも躊躇うことなく亡き者にしようとした。自分がモニカと二人きりで過ごすために、そのために邪魔をする者がいれば容赦なく排除する。

 そのどこか異常めいた行動は否が応でもベラドンナを彷彿とさせた。


「僕はね、そのためにももう一度彼が油断した瞬間を攻めるべきだって言いたいの」


 エーベルはわかってるとでも言いたげに、私に向けて笑みを深くした。


「君たちは素知らぬフリで一旦町に帰る。幸いにも僕らを見つけた“警備兵”はしばらくは見つからないように隠してきたし、他の奴らは違う場所を探してる。だからまだ報告はいってないと思うよ。あいつは男爵夫人の“神の涙”の効果が切れるときに、必ず動く。そのときにもう一度みんなで現場を押さえれば、今度はうまくいくかもね」


 エーベルはそこまで言い切らなかったが、それはまるで、私がもう一度彼と向き合える機会を作ってくれようとしているみたいだった。


「うん。それはたしかに、そのほうがラヴィラ卿も言い逃れはできないのかもしれませんね。証拠だってより多くあったほうがいい。なんてったって彼は元王族だ。追求するにはそれなりの覚悟がいる。でも君には言ってなかったけど、」


 それまで黙って話を聞いていた騎士テスタが、ひょいと口を挟んできた。


「君は一つ勘違いをしています。それは俺たち二人がこの町にいることをラヴィラ男爵はまだ知らないってことです」


 エーベルの笑顔が固まった。


「なにを企んでいるのか知りませんが、そもそも君のような素性の怪しい男とラディアーチェ嬢を2人きりにするはずがないでしょう……ただ、君の言うとおり、ラディアーチェ嬢が無事であることをラヴィラ卿に隠しておいたほうが動きやすいというのも事実です。なので君のその案に乗るというのなら、卿の元に帰ってもらうのはアルファーノ公爵お一人、ということになりますが……」


 みんなの視線を一斉に受けて、セシリオはふっと視線を下げる。


「俺、は……」


 どことなく歯切れの悪いセシリオはしばらく沈黙したあと、やがて口を開いた。


「この手を離してしまって、今度こそヴィヴィと会えなくなってしまったら? せっかく取り戻した君とまた離れなければならないなんて……君を置いて彼の元に一人戻り、そしてまた君になにかあったら」


 セシリオは淡々と言葉を紡いでいるけれど、今回のことがまた彼の心に傷をつけてしまったことは明白だった。彼にここまで心配をかけさせてしまっていることに、ひどく胸が痛む。


「ねぇ、やっぱりこのまま……」


 ラヴィラ男爵の元に強行突破しよう。そう提案の声を上げようとしたところで、険しい表情のエヴァルドに遮られた。


「貴様、ヴィヴィエッタの婚約者になれたからといって、いつまでそうやって甘ったれているつもりだ」


 今にも凍りそうな、それでいてどこか耐え難い感情を含んだ低い声が、エヴァルドの喉から出てきた。


「そんな情けない姿で、貴様はこれからもヴィヴィエッタの婚約者を名乗るつもりか?」


 エヴァルドがセシリオに一歩近づく。今にも胸倉を掴みそうな勢いに、騎士テスタが制止をかけようとする。それにセシリオは静かに頭を振って、真っ直ぐにエヴァルドを見上げた。


「奴の案に乗るわけではないが、しかし貴様はこのままあの腹黒殿下に逃げられてもいいのか。のらりくらりと躱されて、ヴィヴィエッタを傷つけたこともあやふやにされても黙っているつもりか、貴様は」

「君には俺がそこまで腑抜けているように見えるのか」


 セシリオは思いのほか強い語気で言い返した。その勢いにエヴァルドが一瞬詰まる。


「もちろん良いはずなどないだろう。あいつをいかに追い詰めて、自分がしでかしたことがどれだけヴィヴィエッタを傷つけたのか思い知らせてやりたいと、思い知ればいいと、どれだけその思いを堪えてきたことか……行けるものなら今すぐ奴を問いただしに行って、その首を掴んで突き出してやりたいに決まっている!」


 ちらりとその目に覗いた苛烈な感情に、ぞくりと肌が粟立つ。普段穏やかな彼だからこそ、妙な迫力にこっちまで押されそうだった。


「そんなこと、いちいち聞かなくたって君もとっくにわかっているだろう。なぜなら君だって……最初はヴィヴィにあんなことをしたけれど……それでもヴィヴィを脅かした奴を許せないと思う気持ちは同じはずだ。違うか?」


 セシリオとエヴァルドの睨み合いを、騎士テスタはなんとも言えない顔で、エーベルは面白そうに眺めている。

 その緊張した均衡を先に崩したのはセシリオだった。

 セシリオは突然表情を崩すと、エヴァルドに笑いかけたのだ。あまりに突然の表情の変化に、ポカンと口を開ける。


「……すまない。だが、どうか最後まで俺の話を聞いてほしい」


 セシリオはさっきとは打って変わって、穏やかな口調で語り始めた。


「そばにいない間にもしもヴィヴィになにかあったら。それはもちろん心配だけど……俺はもう少し、俺たちのことを信じてみてもいいのかもしれないとも思ったんだ」


 セシリオは意外なことに、エヴァルドに対して「ありがとう」と口にした。


「君がそうやって俺に発破をかけてくれるなんて、少しは俺のことを認めてくれたということなのかな」

「フン、そのまま醜態を晒して婚約解消されればいいと思っただけだ」


 エヴァルドはふいと顔を逸らした。その動作はまるで照れ隠しみたいで、もしかしたら本当にセシリオに発破をかけるつもりだったのかもしれなかった。

 セシリオは再び私に視線を戻した。まるで雪の光を反射するような淡いシルバーグレーの瞳は、透明な光を湛えている。


「俺たちは今までだって、こうして何度だって互いの手を掴んできた。何度も離されたって、その度にこの手を探して、そして掴んで……そうして俺たちはここまで一緒に歩んできた。その事実は揺らがない」

「うん……そうね、セシリオ」


 真っ直ぐに向けられるその目を見つめ返す。セシリオはベラドンナのときのように震えてはいない。真っ直ぐに立って、そしていつだってすぐに私を見つけて微笑んでくれる。

 私もセシリオも、あのときよりも成長した。


「うん。俺も行くよ」


 彼を引き留めたい気持ちを叱咤して、それにただ頷く。


「すぐにまた会えるから。それまで、また」

「うん、信じてる」


 彼は堪えるような私の姿を見て、ようやくあの大好きな仕方がないなぁとでもいうような顔で笑った。

 セシリオは私が馬から降りるのを手伝うと、わずかな一瞬だけ、そっと抱き締めてくれた。

 それからセシリオはエヴァルドたちに向き合うと、表情を一変させた。


「騎士ダリアに騎士テスタ」


 セシリオの真剣な、まっすぐ突き刺さるような視線が二人に向けられた。その視線を受けて、騎士二人もどこか居住まいを正すように雰囲気を変える。


「君たちに私の大事な婚約者の身を預ける。我らが主君はその身の安全を保証された。なによりもヴィヴィの身が一番だ。……頼むよ」


 怜悧な美貌の若き公爵に、二人はただ騎士の敬礼をとることでそれに返した。

 それを一瞥して、セシリオは安心したように微笑みを浮かべると、それから彼は背を向けて町へと歩きだした。


「セシリオ……ああ……」


 キリッとしたセシリオの姿に見惚れた余韻に浸り、後ろ姿をいつまでも見送っていると、隣から呆れたようなため息が聞こえてきた。言わずもがなエーベルだ。見なくても分かりきっているので、敢えてその態度には触れずにセシリオの姿が消えるまで見送り続ける。


「ふむ……やはりヴィヴィエッタは理知的で冷静な男性に弱い、か……私もそのはずなんだが」

「君の場合、ただの人形の(つら)を被った脳筋(ゴリラ)だろ? ちょっと力に訴えすぎてて無理があるんじゃないか?」

「おまえっ……! ヴィヴィエッタの前でその通り名を出すな……!」


 今はもう、残されても寂しくなんかない。エヴァルドたちやエーベルがついているし、それにセシリオは約束してくれた。


「あなたはいつだって私を見つけて、迎えに来てくれる。だから……」


 またあとでね。


 そう呟いてセシリオが見えなくなるまで立ち尽くす。最後にセシリオはちらりと振り返ったが、やがて馬を引くその姿は町へと続く道の向こうへと消えていった。









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