意外な人物
「失礼。お嬢さん、忘れものですよ」
「忘れもの?」
後ろから声をかけられて振り向いた先。佇んでいた人物に思いっきり目を眇める。
そこにいたのはなんと、祭りの陽気にあてられたかのように気障に紫の薔薇を持ったエヴァルドだった。
「……なんであなたがここにいるのよ」
「つれないな。偶然の再会をもっと喜んでくれたっていいのに」
「王都でならまだしも、こんなところで会うなんてどんな偶然よ!」
問いただそうと迫って、ハッと気づく。もしかして王太子殿下の言っていた護衛って彼のこと?
「っていうか、忘れものってナニ?」
「フッ……それはあなたに恋い焦がれる私の心だ。これをどうぞ、お嬢さん」
「えぇ……?」
そうやってもったいぶって薔薇の花を差し出されて、思わず半眼になる。
エヴァルド・ダリア。王太子殿下の覚えもめでたい近衛騎士。
アルファーノ公爵家に囚われたあの日、悔しくも彼がいたから私はこうして無事に生きて戻ることができた。あれから彼のストーカー行為は鳴りを潜め、おかげでやっと彼に悩まされることはなくなったけれど……久しぶりに会ったら会ったで相変わらずな彼の様子に、思わずこめかみを押さえる。
「っていうか、なんだか以前とキャラが違いすぎやしませんかね……」
「ふむ……もしかしたら祭りの陽気とあなたに会えた嬉しさに、柄にもなく浮かれているのかもしれないな」
そう言って珍しく微笑みを浮かべたエヴァルドが距離を縮めてこようとしたから、隣にいたセシリオが慌てて彼を止める羽目になった。
「あのな……ハァ。一応言っておく、が! 彼女はすでに私の婚約者だ」
「だからなんだ」
セシリオに話しかけられた途端、エヴァルドはいつもの人形みたいな仏頂面に戻った。
「貴様の婚約者だろうとなんだろうと、私が愛するのはヴィヴィエッタだけであることに変わりない。婚約者ができたからって、ずっと心に秘めていた気持ちを伝えてはいけないって決まりでもあるのか」
「いや、決まってはないが……っていやいや、考えたらわかるだろう?」
いっそ清々しいほどの開き直りに、セシリオが引き攣った苦笑いを浮かべる。
「っていうか、あなた方はあなた方で別行動だと伺っていたのだが、こうやって昼間から堂々と接触してきても大丈夫なのか」
それにエヴァルドが口を開こうとしたそのとき。
「ちょっとちょっとちょっとっ!!」
向こうの物陰からものすごい速さで近づいてくる人物がいた。
「こらこらエヴァン! なに勝手な行動してるんだよ!」
その焦った顔には見覚えがある。エヴァルド同様流れの旅人のような質素な格好をしているが、見間違えるはずもない。騎士テスタ、王太子殿下付の近衛騎士。
なるほど、今回の旅は彼らが同行するということか。
「お嬢さんすみませんねぇ! どうやらうちの連れが迷惑かけたみたいで! こいつ、祭りの空気にあてられてますますどうにかなっちまったみたいですね! と、おら、とっとと行くぞエヴァン!」
騎士テスタは焦った様子で早口にそうまくし立てると、不服そうなエヴァルドを引っ張ってあっと言う間に消え去ってしまった。
「……大変そうね、騎士テスタも」
「ああ、本当に」
セシリオは二人が消え去ったほうを呆れた様子で眺めていたが、やがてポツリとこぼした。
「だが今回、王太子殿下から二人が同行する旨を伺ったときに、ひどく納得もしたんだ。ダリア殿ならなにがあっても、絶対にヴィヴィのことを一番に守ってくれるだろう?」
その口調はどこか羨ましそうで、悔しそうでもあった。
「だからまた彼がいることが憂鬱でもあったが、ホッとしたのも事実なんだ」
「セシリオ……」
その背中にそっと触れる。
「ヴィヴィの安全のためならと、頭ではわかってはいるんだ。そのためなら、彼の心ですら利用する覚悟はある。ただ……君を守るその役目を負うのは、できれば俺一人だけがよかったと……」
しばらくセシリオは無言でエヴァルドが去ったほうを見つめていたが、やがて気を取り直したように私の手を取った。
「……せっかくここまで来たんだ、こんな暗いことばかり言ってないでもっと楽しまないとな。ヴィヴィ、音楽の鳴っているほうにも行ってみるか」
それに手を握り返すことで答えると、セシリオはようやく笑顔を取り戻した。
町の広場の奥のほうに行ってみると、ちょっとした人だかりができていた。
どうやら流れの曲芸団が来ているらしく、煌びやかな衣装を着た男女が柔らかな体をしならせ軽業を披露している。その周りでは場を盛り上げるように、派手な衣装を着た道化師が陽気な音楽に合わせてピョコピョコ飛び跳ねては笛の音を鳴らしていた。
「行ってみましょう!」
気持ちの高揚のままに人だかりに駆けつけると、歓迎してくれるように仮面をつけた道化師が私の周りを飛び跳ねる。
しばらく人間離れした軽業師の凄技の数々を堪能していると、今度は楽器を抱えた楽団が出てきてテンポの早い曲を奏で始めた。心躍るような音楽を奏でられ、集まっていた人だかりの中からは手を取り踊りだすカップルもちらほらと現れてきた。
「セシリオ!」
思わず彼の手を掴んで引っ張ると、セシリオは面映そうに笑って見様見真似でステップを踏み始めた。
「ダンスは社交場のワルツくらいしか踊ったことがないが……こういうのも案外と楽しいものだな!」
「そうね、不思議と今までで一番楽しく踊ってるわ!」
激しい曲に合わせ、見様見真似の滅茶苦茶なステップを踏む。揺れるスカート、覚束ない足、ふらつけば目の前の愛しい人が力強い腕を差し出してくれる。
「セシリオとだから、こんなに楽しいのかもね!」
誰も気にしていないのをいいことにはしゃいだ声をあげながら、群衆に混じってダンスに興じる。
まさに思い描いていた夢のような楽しい旅の時間を満喫していると、やがて曲調が変わり、不意に体を引っ張られた。
「あっ! セシリオ?」
見れば、周りの人々もダンスのパートナーを交換している。
「ヴィヴィ!」
慌てて私を捕まえようとしたセシリオも見知らぬ女性に引っ張られて、人混みの中へとかき消えてしまった。
せっかくカップルらしい時間を満喫していたのに。私を引っ張ったのはいったい誰だ。少し不快感を込めながら目の前の人物に視線を遣る。
――私を掴まえていたのは、まさかのあの笛を掻き鳴らしていた道化師だった。真っ直ぐに見下ろしてくる無機質な仮面に、一瞬ドキリとする。
仮面の道化師はちょこんとお辞儀をすると、恭しく私を抱えて踊りだした。くるくるくるくる、目が回るほどにくるくる回りながらどんどん位置を変え、くるくるくるくると道化師は私を振り回す。気づけばセシリオから大分離れてしまったのか、その姿はどこにも見えない。
「ちょっと……ごめんなさい、もう少しゆっくりと踊ってくれる?」
あまりにくるくる振り回されるのでそう声をかけるも、道化師はきょとんと首を傾げ、止める気配はない。
「ちょっと! もういいわ、ありがとう」
目の前がフラフラし出してそう声をかける。やっと止まったときにはいつの間にか、群衆から外れて広場の外れまできていた。




