影
「じゃあ、課題はこれでいいですね。で、資料探しは雪見さんが生徒の相談を受ける、と。」
「はい。」
9月12日、金曜日。
国語科の先生たちが、放課後の司書室に授業の打ち合わせに来ている。
夏休み中から事例集や資料をいろいろ読み、内容や進め方を検討してきた。
来週からは期末テストの問題作りが始まるし、テスト後は補習や成績付けがあるから、大きな打ち合わせは今日が最後だ。
「みんな初めてのことだから、お互いに情報交換をしながらやりましょう。よろしくお願いします。」
「「「よろしくお願いします。」」」
俺も、この学校で情報科以外の授業にかかわるのは初めてだから、やっぱり不安はある。
でも、何度も打ち合わせをしているうちに先生たちとも仲良くなれて来たので、どうにかできそうな気がしている。
「雪見さん。ちょっと。」
声を掛けられて振り向くと伊藤先生が。
「はい?」
伊藤先生はほかの先生たちが司書室から全員出て行くのを確認し、図書室の生徒から見えない位置へと俺を引っ張って行く。
人目を気にするってことは、仕事の話ではない?
でも、横川先生とののろけ話にしては、深刻そうな様子だ。
「どうしたんですか?」
俺の問いに、伊藤先生はもう一度、図書室との境のドアを振り返ってから口を開いた。
「雪見さん。雪見さんと児玉先生って、どうなってんの?」
「え?」
どうしてこんな質問?
児玉さんと俺のことなんか、誰も気にしていないと思っていたのに。
「ああ、その・・・、まあ、具体的なことまでは言わなくてもいいけど・・・。」
単刀直入に訊いてきたわりには、あいまいな態度。
どう答えればいいんだろう・・・?
迷っているうちに、待ちきれなくなったのか、伊藤先生が事情を話し出す。
「実はね、俺の友人のことなんだけどさ。」
伊藤先生の友人?
「いつか話さなかったっけ? 大学時代に児玉先生と同じサークルに入ってた友人がいるって・・・。」
あ!
元カレの・・・?
「ああ・・・、はい、覚えてます。」
「そいつ・・・黒川っていうんだけど、仕事で中国に赴任してたんだけど、少し前に帰って来てね、先月、児玉先生と久しぶりに会ったらしいんだよ。ああ、会ったって言っても、結婚式の二次会で偶然だったそうだけど。」
「あ・・・。」
結婚式って・・・あの日だ。
「昨日、そいつと飲みに行ったらさあ、その・・・児玉先生ともう一度やり直したいらしくて・・・。」
え・・・?
「二次会のとき、結構普通に話せたらしいんだよ。それで・・・、やっぱり自分には児玉先生しかいないって思ったらしくて。」
「ああ・・・、はい・・・。」
そういうこともあるだろうな。
児玉さんはほんとうに素敵な女性だし・・・。
「それに、二次会のときには、児玉先生は『彼氏はいない。』って言ってたみたいで、そいつ、すっかりその気になちゃっててさ。」
『彼氏はいない。』・・・。
俺は?
いまだに候補者に過ぎないから?
「性格は悪くないんだけど、昔からモテてたからちょっと自信過剰なんだよな。まあ、資産家の三男坊だし、見た目もなかなかだから仕方ないかもしれないけど。」
海外勤務を言い渡される優秀な社員、見た目もなかなか、そして、資産家ではあっても、三男坊ならうるさい親戚の目も届かないに違いない。
エリートで、イケメンで、金持ちで、性格も良くて・・・、俺が恐れていた条件にぴったり当てはまる男がこんなところで登場するとは!
・・・っていうか、そんな人が児玉さんの元カレだなんて!
「サークルの後輩を巻き込んで、今日、OB会をセッティングさせたって言ってたよ。」
「今日?」
「うん。」
今日、迎えに行くことになっているのはその会なのか・・・。
「あ! 伊藤先生、やっと見つけた。学年会議、始まりますよ!」
「え、ああ、ごめん。すぐ行く。」
俺は・・・どうすべき?
「ごめん、雪見さん、行かなきゃ。何でもないならいいんだけど、俺が黙っていて、雪見さんにチャンスがなくなったりしたら気の毒かな、と思って。じゃあ。」
「え、あ、はい、ありがとうございます。」
何でもなくはない。
何でもなくはないけど・・・俺にできることはあるのか?
児玉さんから、電車に乗るというメールが来たのは9時15分。
どうやら今日は、1軒目だけで帰って来るらしい。
駅から出てくるのを出迎えたいと思ったら、だいぶ早めに鳩川駅に着いてしまった。
駅のロータリーに車を停めて待ちながら、いろいろなことが頭の中を駆け巡っている。
いろいろなこと・・・。心配。不安。
ほんとうは児玉さんに、今日の宴会に出ないでほしいと頼みたかった。
お見合いでの俺の態度を許してくれた彼女だから、別れた彼氏に対しても、わだかまりなく接することができるだろう。
相手が児玉さんに惚れ直した、というのも、仕方のないことだろう。
児玉さん・・・。
そのひとと、どんな話をしたんですか?
俺を見付けて、どんな顔をするんですか?
俺に何を話してくれますか?
怖い。不安だ。
――― コンコン。
窓?
児玉さん・・・。
助手席のカギを指差して笑っている。
車から降りて出迎えるつもりだったのに、駅の出口から目を離していた。
慌ててカギを開けると、いつものとおり、さっさと乗り込んで来る。
「来てくれてありがとう。待たせちゃった?」
「いいえ、時間を見計らって来ましたから。 ・・・楽しかったですか?」
「先輩後輩含めて30人くらいいたの。賑やかだったよ〜。」
児玉さんの様子、今朝と変わりないだろうか?
無理にはしゃいでいたりしない?
車を発進させながら観察してみても、普段との違いは見出せない。
「たくさん集まったんですね。久しぶりの人もいたんじゃないですか?」
“元カレと話しましたか?”
直接口に出せない質問。
「うん、そうなの。卒業以来初めてっていう人もいてね。でも、不思議なことに、久しぶりでも話が弾むのよね。ふふふ。」
久しぶりでも話が弾む・・・か。
助手席の児玉さん、楽しそうだ。
その楽しさはどこから?
お店の料理の話、お友達の近況・・・黒川さんの話はしないんですね。
会ったんですよね?
どんな会話をしたんですか?
次に会う約束はしなかったんですか?
児玉さんのマンションまではすぐ。
機嫌良く話す児玉さんに相槌を打ちながら、胸の中にもやもやとしたものが溜まっていく。
「着きましたよ。」
「あ、ありがとう。」
・・・児玉さん?
いつもは迷いなく車を降りてしまう児玉さんが、めずらしくぐずぐずと・・・。
「あの・・・、玄関まで・・・いい?」
玄関まで?
・・・そうだった。
この前、怖い目に遭ったから。
「もちろん、いいですよ。俺はボディ・ガードですからね。」
!!
自分の言葉に衝撃を受けた。
どうしてこんな言い方を・・・?
皮肉な響き。
そっと隣を見ると、児玉さんはドアの方を向いていて、その表情は見えなかった・・・。




