お守りします。 その1
もうすぐ夏休みも終わりか・・・。
今年の夏休みは忙しかったな。
生徒の図書室利用は予想よりもはるかに盛況だったし、先生たちの授業計画の相談もたくさんした。
そういうことにともなって、購入する本の検討もいつもより増えて、帰りに市の図書館や書店に寄る日も増えたし、時間もかかるようになった。
おかげで体重もリバウンドすることなく、今は81〜82キロをキープしているのがありがたい。
体重がリバウンドしないのは、食生活が変わったことが大きいんだろう。
自炊を再開して、最初のころは面倒な日もあったけれど、最近はそれほどでもなくなった。
今でも弁当を買う日もあるけれど、弁当2つを一度には食べられなくなった。おかずもご飯も二人前というのは多過ぎて。
それに、肉を山盛り食べたいとも思わなくなったことも大きいと思う。
まだ標準体重よりは重いけど、見た目的にそれほど気にならなくなっていることが、児玉さんのために一番嬉しい。
減量は彼女が言い出してくれたことでもあるし、彼女が俺を・・・彼氏として連れて歩くときに、俺の体型を気にする必要がなくなるから。
・・・気が早いかな。
授業での図書室利用は、1年生の国語と理科、2年生の国語と社会と家庭科に決まった。
まず、9月半ばの前期期末テストが終わった時点で1年、2年とも、国語科でレポートや論文の書き方と資料探しの基本を指導する。
その後、後期の学期中に各教科で課題を課す。
家庭科は2年生の最後、2月ごろの予定だ。
課題は『自分が30歳になったとき、家庭生活で必要だと思う知識・技術』だそうだ。
生徒たちが強制的に家庭科を学習するのは最後になるということで、今までの家庭科学習の中から自分が使いそうなテーマを選んでレポートを書いてもらう。
課題を聞いたとき、児玉さんが以前、「一番身近な科目のはずなのに」と言っていたことを思い出した。
先生たちと授業の計画を練るのは簡単ではないけれど、とても勉強になるし興味深い。
それに、家庭科が入ったことで、児玉さんと一緒に仕事ができることが嬉しい。もう一人の家庭科の山田先生も楽しいひとだし。
でも、何よりも児玉さんの役に立てることが・・・。
はぁ・・・。
11時半か。
児玉さん・・・もう帰ってるかな。
友達の結婚式だって言ってた。
二次会にも出るって。
しばらくは出会いなんかないと安心していたけど、そういうところで出会うことだってあるよな?
気になるよ・・・。
あーあ。
やっぱり、駅まで迎えに行くって言えばよかった。
結婚式だと荷物が多そうだから、「お願い。」って言ってくれたかも知れないのに・・・。
合宿から帰ったあとも、児玉さんの態度は元どおりではなかった。
だけど、この何日かはそれも変化して、怒っているというのとは少し違う気がする。
やっぱり不機嫌ではあるけれど、なんとなく可愛い。
一応、しばらくは反省している態度を示すべきだと思って、同僚としての付き合いの範囲を越えないように気を付けてきた・・・けど。
実を言えば、俺の中では成り行きをかなり楽観視している。
なのに、「迎えに行きます。」とは言うことができなかった。
「送らなくていい。」が撤回されないままになっているから。
そういうところ、弱気なんだよなあ・・・。
あれから2週間近い。
夏休みの後半は、児玉さんとの思い出が何もなかった。
はっきりと許してもらうきっかけがなかったことは確かだけど・・・。
あーあ。
やっぱり今日、迎えに行くって言えばよかった・・・。
あれ? 電話だ・・・児玉さん?
最近、彼女から電話が来たことなんかなかった。
こんな時間にどうしたんだろう?
また何か故障?
「はい。」
「ゆ、雪見さん。今、お家にいる?」
え?
「はい、そうですけど・・・?」
なんだろう?
何かいつもと様子が違う。
切羽詰まったような・・・?
「あの、今、そっちに向かってるんだけど・・・。」
「え?」
うちに来る?!
こんな時間に?!
「どうしたんですか?」
「なんか・・・、あの、後をつけられてて・・・あの、」
「え?!」
「自分の部屋に戻るのは・・・怖いから・・・。」
当然だ。
後をつけるような人間だったら、児玉さんが部屋に入るのを見て、女性の一人暮らしだとすぐに見当がつくだろう。
児玉さんのマンションはオートロックじゃないから、部屋の場所を知られるのは危険だ。
「すぐに行きます。どの道ですか?」
「バス通りに戻って・・・。」
「分かりました。」
バス通りって言ったって、この時間はバスは一時間に1本あるかないかだし、車もほとんど通らない。
歩いている人もほとんどいない。
鍵は・・・いいか。ほんの何分かで戻って来れる。
急げ!
バス通りまでの上り坂をダッシュで進む。
けれど、サンダル履きではうまく走れない。
いっそのこと脱いでしまおうか?
でも、その1秒さえも不安だ。
バス通り。
児玉さんは ―― いた!
まだ遠かったけれど、彼女も俺を見付けてよろよろと走り始めた。
その後ろには・・・誰の影も見えない。
無事でよかった・・・。
駆け寄って、ほっとしたあまり、うっかり抱き寄せそうになって・・・手じゃなくて、言葉が出た。
「児玉さん・・・、すごい荷物ですね・・・。」
「うん・・・。」
息を切らしながら俺の前で肩を落として下を向いた児玉さんは、大きな紙袋2つを両手に提げ、通勤に使っている大きめのバッグを肩に掛けていた。
水色のワンピースと白い靴はフォーマルに決まっているのに、その荷物のせいで気の毒なほど疲れて見える。
・・・いや、ほんとうに疲れているんだろう。
駅からここまでは上り坂だし、普通ならバスを利用する距離なんだから。
「たいへんでしたね。荷物持ちますよ。」
両方の紙袋の取っ手を握ると、児玉さんは素直に手を離した。
それから顔を上げて・・・。
「あの、雪見さん・・・。」
!
だ、ダメです!
ここで泣かないでください!
「あ、あ、あの、とりあえず、うちで落ち着きましょう。そのあと車で送ります。大丈夫ですよ、何もしませんから。」
「うん・・・、うん。」
「じゃあ行きましょう。」
このまま児玉さんを見ていたら、また手が出てしまいそうだ。
とにかく後ろを向けば・・・と、まわれ右をした背中に、トン、と重みが。
うわわわわわ・・・児玉さん?!
せ・・・背中に、寄りかかってます?!
「あ、あの、児玉さん?」
「ごめんなさい・・・。雪見さん、ごめん・・・。」
「あの・・・、ええと・・・、」
何を言えば?
どうすれば?
背中が・・・。
「ひっく・・・、くすん・・・。」
泣いちゃってる?
泣いちゃってるよな?
「ごめん・・・なさい・・・。ぐすっ・・・。」
児玉さん・・・。
そんなに怖かったんですね・・・。
ええい、もう、こうなったら頭で考えていても仕方ない!
なるようになれだ!
紙袋を2つとも右手に持ち替えて振り向き、左手を児玉さんの肩にまわす。
「怖かったですね。もう大丈夫ですよ。」
そう。
ほんとうに、もう大丈夫ですから・・・。
その言葉に児玉さんは緊張を解いたように頭を俺の胸にもたれかけさせて、コクンと頷いた。
間違ってなかった・・・。
励ますつもりでポンポンと肩をたたき、肩を抱いたままゆっくりと歩き始めると、くすんくすんとすすりあげながら、児玉さんも歩き出した。
児玉さんが俺を頼ってくれた。
俺の腕の下で安心してくれている。
じわーっと、胸が熱くなった。
これほど満ち足りた気分になったことはなかったように思う。
児玉さん。
あなたは俺の一番大切なひとです。
言葉では表しきれないくらい、あなたのことを大切に想っています。
どうやって伝えたらいいのか分からないほど・・・。
無言のままアパートに着いて玄関を開けると・・・、散らかった部屋にめまいがした。




