どうしてですか?
「雪見さんて、腕はけっこう筋肉質なんですねぇ。」
5月16日、金曜日。
誘われて参加した内輪の飲み会で、隣に座っている横川先生が感心するように言った。
連休が明けてから暑い日も多くなり、もともと暑がりの俺は、今週からワイシャツを半袖にしている。
通勤ではジャケットを着ているけれど、室内にいるときはいつも半袖だ。
「え? あ、そうですか?」
「ええ。引き締まってるって言うのかしら……。」
“体のほかの部分と比べると” ってことだろうな。
でも、美人の横川先生に感心されたら、どんな意味でも悪い気はしない。
「ありがとうございます。図書室ではけっこう力仕事もあるから、そのせいかも知れませんね。」
児玉さん、聞いてくれました?
俺にだって、褒められる部分があるんですよ。
「ああ、本って重いですもんね。」
「はい。」
児玉さん……?
なんだ。
伊藤先生と夢中になって話してる。
俺なんか目に入らないみたいに。……向かいに座っているのに。
今日のメンバーは6人。
端の席の俺の隣に横川先生、その向こうに堀内先生、俺の向かいには児玉さん、その隣に伊藤先生、そして中林先生。
伊藤先生と中林先生とは年が近い男同士ということで、最近は職員室でもよく話をする。
堀内先生はみんなのお姉さん的な存在で、横川先生はマドンナ、児玉さんは元気で、会話を盛り上げるスパイスのよう。
あ。
児玉さん、伊藤先生と肩が触れてますよ。
そんなに近付かなくたって……。
「けっこう力仕事なのに、どうしてそんなに太っちゃったのかしらねえ?」
「堀内先生……。」
相変わらず容赦ないですね。
「単なる食べ過ぎ……かな。あははは。」
「それもあるけど、食べる内容が問題なんじゃない? 雪見さんはお酒は飲まないけど、夜にジュースとかお菓子とか食べてない?」
「あ……、食べてます。」
ほぼ毎日。
最近はそれでも少なめにしてるんだけどな……。
「やっぱりね。体重が増えるってことは、エネルギーの収支が黒字なのよ。まあ、最近は減ってるんだから、頑張ってるけどね。」
「あら! 雪見さん、痩せたんですか?!」
「“痩せた” と言うほどではありませんけど……、一応、体重は減ってきてます。」
先週の続きなのか、今週の火曜日には体重が86.0キロになった。
86.0はその日だけだったけど、今週は86キロ台をキープしていて、堀内先生も児玉さんも、たくさん褒めてくれた。
まあ、減ったのはまだ3キロ弱だから、まだまだ先は長い。
でも、服の腰回りが少しゆるくなったような気がして、かなり嬉しい。
「わあ、すごい。頑張ってますねえ。」
うわ。
横川先生、そんなふうに目をキラキラさせて言われたら……恥ずかしいです。
「い、いえ、あの、児玉先生のお弁当のおかげですよ。」
「あ、雪見さん、そのお弁当なんだけどね。」
児玉さん!
ようやく俺の方を向いてくれました?
「はい。」
「来週、火曜日と水曜日はお休みしますから。」
そんな事務的な話?!
「はい……。」
「家庭科の研究授業があって、早く出なくちゃならないの。ごめんなさいね。」
「あ、いいえ、そんな、謝らないでください。毎日作ってもらっていることの方が、普通ならあり得ないくらいのことなんですから。」
「そうかな? でも、自分のを作るついでだし、楽しいよ。」
俺のお弁当を作るのが楽しいなんて、幸せだ……。
「あ、じゃあ、その日はわたしが作ってきましょうか?」
横川先生?!
うわー。
伊藤先生と中林先生が目を剥いてるよ。
ダメだ、ダメだ、ダメだ。
絶対にダメ!
「いえ、僕の弁当箱は大きいから…」
「ホントに? よかったね、雪見さん!」
まるで、俺の言葉を遮るかのような勢いの児玉さんの言葉。
どうしてそんなことを……?
「あの、そこまでしてもらわ…」
「2日間だったら、使い捨てのお弁当のパックがあるから、月曜日に持ってくるね。」
児玉さん!
「はい。」
横川先生!
なんでそんなににこにこして引き受けてるんですか?
俺、睨まれてますけど?!
「あの、べつにコンビニ弁当で大丈夫ですから。」
「遠慮しないでお願いしたら?」
児玉さん!
俺の気持ち……と、伊藤先生と中林先生の気持ちを察してくださいよ。
「そうですよ。それとも、わたしの料理の腕が信用できないってことですか?」
横川先生、そんなに体を寄せないでください!
伊藤先生たちの視線が怖い!
「い、いえ、そんなことは……。」
板ばさみだ〜!!
「あ、あの、横川先生、飲み過ぎでは……?」
「そんなことありません。……そんなに嫌ですか、わたしのお弁当?」
今度はそう来たか!
そんなにがっかりされたら、まるで俺が悪者みたいじゃないか。
「違いますよ。そうじゃありません。単に、そこまでしてもらうのは申し訳ないと思って。」
「あら、そんなこと! うふふ、いいんですよ、気にしなくて。雪見さんって、なんとなく放っておけないんですもの♪」
また “放っておけない” って言われた……。
って言うか、どうすればいいんだ、この状況は?!
「いやあ、あの、横川先生のお弁当を僕だけがもらうのは悪いなって。」
「え?」
「横川先生のお弁当なら、食べたい人がたくさんいるんじゃないですか? 伊藤先生とか中林先生とか……。」
ほら、うなずいてる。
「あら……。」
「そんなに何個も作るのは大変でしょうから、僕にも作らなくて…」
「じゃあ、3人分作ってきます。」
は?
「雪見さんと、伊藤先生と、中林先生の3人に作ってきます。」
ああ……、そうですか……。
“作らない” という選択肢はないんですね……。
まあ、いいか。
とにかく、俺だけじゃなくなったんだから。
「……よろしくお願いします。楽しみにしています。」
それにしても、 “放っておけない” っていうのが気になる。
俺って、そんなに頼りなく見えるんだろうか?
そういえば、中学から大学まで、俺の周りにはいつも世話好きの女子がいたような気がする。
べつに彼女っていうわけじゃなく、サッカー部のマネージャーとかクラスの女の子が親切にしてくれた。
あんまり真剣に考えたことはなかったけど、そういうのって特別なのか?
ほかの男から見ると、羨ましがられる資質なんだろうか?
……だけど。
自分が想いを寄せる相手にも “放っておけない” くらいにしか思われないとしたら……?
なんだよ、それ?
何の役にも立たないじゃないか。
いや、それよりも!
どうして児玉さんはあんなに横川先生のお弁当に賛成したんだ?
もしかして……。
みんなの前では「楽しい」って言ってるけど、ほんとうは、もう面倒になっちゃったとか……?




