いよいよ。 その3
やっぱり緊張する……。
10kmレースのスタートに集まった集団。
高校生も含めて、何人くらいいるんだろう?
前も後ろも頭ばっかり。
あ、児玉さんだ。
笑顔で手を振ってくれてる。
あの笑顔を見ると、ほっとするなあ。
黒川さんは俺の5、6人右側。
さっき、目で合図を寄越した。「負けないよ。」って。
それは俺も同じだけど、黒川さんの自信は相当なものだ。
口先だけの人ではないってことは、あの態度でなんとなく分かる。
たぶん今まで、努力して負けたことがないんだ、あの人は。
「やる。」と言ったら、とことんやって、やり遂げてきたんだ。
だからあんなに不安がないんだ。
俺は……。
負けても、児玉さんは結婚してくれる。
失うものは、何もない。
――― いや、ある。
自信が……。
自信を持てる希望が、無くなってしまう気がする。
一生ずっと、黒川さんに負けたことを何度も思い出して……、それがちくちくと心を突っつくと思う。
たった一回の勝負で。
たった一回しかできない勝負だから。
でも……、やるしかない。
頑張っても成功しないことがあるって、俺は知ってる。
中学から続けていたサッカーだって、試合に負けたのは手抜きをしたからじゃない。
頑張ったって、勝てないこともあるんだ。
児玉さんは、そのことを何度も言ってくれた。
頑張っている俺を知っているから、途中でリタイアしても、褒めてくれるって言ってくれた。
でも。
そう言ってくれる児玉さんのために、勝ちたい。
勝って、児玉さんが俺を自慢できるようにしてあげたい。
「ようい。」
始まる。
パ――――ン!
スタート!
……って言っても、こんなに混みあってると走りにくいな。
前の人のかかとを踏みそうになってしまう。
――― え?
黒川さん……速い! っていうか、上手い!
人混みをすいすいと抜けて行く。
もしかして、こういう状況も想定済み?!
あ……。
みるみるうちに、引き離されて行く。
負けていられない! ……けど。
前のおじいさんをよけるによけられない!
どうなるんだ、俺は……。
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3kmを過ぎた……。
自分のペースはかなり順調だと思うけど……黒川さんの姿が全然見えない。
スタートでそんなに差がついてしまったのか?
それとも、あの自信のとおり、俺よりも相当速いんだろうか?
少し無理をしてでもペースを上げた方がいいかな?
どうしよう?
折り返して来たランナーとすれ違うはずだから、その時点で、どのくらい離れているか分かるよな?
そこからスピードを上げたら……。
いや、それだと遅いかも知れない。
ラストスパートだってあるし、追い付けないかも。
今、体力があるうちに、少しペースを上げてみよう。
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変だな……。
黒川さんとすれ違わないうちに折り返し地点まで来てしまった。
見落としちゃったのかも知れない。
みんな同じような格好をしているから……。
途中で俺が抜き去ったっていうのはないはずだ。
ここまでの間で混んでいたのはスタートから200mくらいのこと。
最初の様子だと、あそこで俺が、黒川さんを追い越すことはあり得ない。
そのあとはかなりバラけているから、追い抜いていれば分かるはず。
それに、あの人が、黙って俺に抜かれているわけがない。
ってことは、黒川さんは前にいる。
どうしよう?
どのくらい引き離されているんだろう?
差は縮まっているのか? 開いているのか?
今のペースじゃ無理なのか?
レースは後半に入ったし……。
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7.5km地点。残りは四分の一……。
苦しい。
普段より速めで走ってるから……。
だけど、追い付かない。
影も形も見えない。
そんなに速いのか……?
苦しい。
だけど、負けるのは嫌だ。
そろそろ陸上部はゴールしている頃だ。
もしかしたら黒川さんも……?
いや。
さすがにそこまでは早くないよな?
現役の高校陸上部と同じだなんて。
そうだ。諦めるな。
残りがまだ長いけど……ラストスパートのつもりでスピードを上げよう。
だけど……苦しい。
でも。
行けるか?
姿勢と呼吸をチェック。
苦しいのはみんな同じだ!
よし。




